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閑話 領主の指名依頼
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不届き者たちを兵士に引き渡した私は、当初の予定通りギルドに向かいました。
いいかげんこの国にもうんざりです。早く出て行くためにも大き目の依頼を受けて、まとまったお金を稼がなくては。
ギルドの建物に入った私は、まっすぐ掲示板の前まで行って張り出されている依頼を眺めます。
様々な依頼が張り出されています。駆け出し冒険者が受けるような雑用の依頼、少し上級者向けの魔物の素材集めの依頼、そしてギルド創設以来ずっと張り出されたままのドラゴンの討伐のような依頼まで。
私が高ランク冒険者向けの報酬の高い依頼を眺めていると、不意に女性ギルド職員が私に近づいてきました。私の担当のギルド職員で、確か名前はエリザさんだったはずです。
混雑しない時間帯を選んでギルドに来ているので周りには誰もいません。ギルド職員はおそらく私に用があるのでしょう。
「あの、フィリーネさん、少しお話があるのですが今お時間よろしいでしょうか」
「はい、なんでしょうかエリザさん。時間なら大丈夫ですけど」
話があるといってエリザさんに通されたのは会議室のような部屋でした。
冒険者ギルド以外で、個室に通されたりしたら警戒するところですが、冒険者ギルドは冒険者をサポートしたり、守ったりしてくれる組織です。実際に今まで何度も助けられたことがあります。冒険者ギルドはそのへんの人間の国より信用できます。
それでも、エルザさんも人間であり冒険者ギルドは人間の集まりです。絶対安全とは言い切れないので、相手に分からない程度に警戒しつつ、エルザさんが話し始めるのを待ちます。
お茶とお菓子が出されて、やっとエルザさんは話し始めました。
「実はフィリーネさんに指名依頼が出されておりまして」
「指名依頼ですか?」
「はい。依頼主は領主であるバルマー辺境伯です」
「え、領主様からの依頼ですか。内容をお聞きしてもよろしいですか?」
「これは内密にお願いしたいのですが、実は跡継ぎであるアドルフ様が意識不明の重体らしいんですよ。それで、その、フィリーネさんは……最上級ポーションを調合できるとか」
「あのっ、どこでそのことを?」
「ギルドは横のつながりが強いのです。ですがギルドも馬鹿ではありませんのでご安心ください、このことはギルド職員の中でも一部の者しか知りません。もちろん情報を漏らすようなギルド職員はおりません」
最上級ポーションは人間の国にはもうほとんど存在しません。ごく稀に、大昔に滅びたといわれる古代文明の遺跡から発掘されるくらいだそうです。当然ですね、エルフでさえ故郷の森では私とおばあちゃんしか調合できませんでしたから。
私が最上級ポーションを調合できるということはあまり知られていません。知られるとただでさえ多い人攫いがさらに増えるからです。しまいには国や貴族が兵を引き連れて私を手に入れるための戦争を始めそうです。
私は危険を廃すために最上級ポーションの調合はほとんどしないのですが、過去2回ほどやむにやまれぬ事情で調合したことがあります。その2回のうちの1回は騒動になり、ギルドに守ってもらったので、おそらくその情報が各ギルドマスターの間で共有されているのでしょう。
「そうですか……、それでは依頼というのは」
「はい、最上級ポーションの調合です。期限はありませんがなるべく早く。報酬はなんと金貨2千枚ですよ」
「金貨2千枚……」
私ののどがごくりと鳴りました。私も人間のことを悪く言えないかもしれません。お金には人を狂わせる魔力があるようです。
一般的な冒険者が一年に稼ぐお金は金貨6枚ほどです。冒険者は高収入なのでこれでも多いほうです。
金貨2千枚あれば300年は遊んで暮らせます。エルフの寿命はもっとずっと長いので一生は遊んで暮らせませんが。
「受けていただけますか?」
「あの、なるべく早くといいますが、アドルフ様の容態は悪いんですか?」
「相当悪いようですね。3日前に事故に遭われてから意識が戻っていないそうです」
「アドルフ様の容態を1度診せていただくことはできますか?」
私はもうほとんど受ける気なのだが、もし今にでも息を引き取りそうな状況ならば、今から悠長に素材を集めて最上級ポーションを調合しても間に合わないと思ったのだ。
「はい。大丈夫だと思います。幸いにもバルマー辺境伯のお屋敷があるのは隣町です。馬車で3時間ほどで行けますので」
「アドルフ様の容態を診させていただいてから、依頼を受けるか決めることは可能でしょうか」
「はい、可能です。ただ今回は急ぎとのことですので、今日これから隣町へ向かうことになりますがご予定は大丈夫でしょうか」
「大丈夫です。準備も必要ありません」
私の荷物はすべて魔法の袋に入れてあるので、いつでも身一つで動けます。魔法の袋は次元魔法を用いた魔道具だそうで、握りこぶしくらいの袋にすごくたくさんの物が入ります。人間の国に来て1番驚いたことは、便利な魔道具の数々です。
魔法の袋のように便利な魔道具が人間の国には溢れています。人間たちの生活は魔道具によって支えられていると言っても過言ではありません。
人間たちは魔道具の発達により、昔より魔法が下手になっているそうですが、便利なものに頼ってしまうのは仕方がないと思います。
「わかりました。ではギルドの前に馬車を手配いたします。私も準備して来ますので少々お待ちください」
「へ?一緒に来てくれるんですか?」
「はい、バルマー辺境伯の屋敷には私も同行いたします。冒険者と貴族の折衝もギルド職員の仕事ですので」
このギルド職員は真面目すぎると私は思いました。仕事はできるけれどあまり出世はしないタイプですね。
でも、信用できるギルド職員です。
まさかエルフの薬師が自領にいるとは思わなかった。それもルゼールだと!?隣町じゃないか。
本当に神がいるのではないかと思えてくるような幸運だ。
「ベルトルト、薬師は何時ごろ到着する?」
「はっ、先ほどギルド経由でルゼールを出たと連絡がございました。ルゼールからバルトフェルトまでは馬車で3時間ほどですので、薬師の方がいらっしゃるのは午後になるでしょう。お館様、少しお休みになられてはいかがでしょうか。顔色がよろしくありません」
「寝てなどおれん。いや、眠れんのだ。夢見が悪くてな。いくら頭を冷静にして平静に努めても心を静めきれん。貴族としては失格だとは分かっているがな」
「そうでしたか。では昼食だけでもしっかりと食べてはいただけませんか」
「わかった。いつもすまない」
ベルトルトは俺なんかにはもったいないほど優秀な家臣だ。幼い頃から一緒に育った俺はこいつの優秀さを良く知っている。
こんな領地が広いだけの辺境の片田舎で生涯を終えていいやつじゃないんだ。
このバルマー辺境伯領は国王陛下から領土拡大の最前線として南の森の魔物からの防衛と南の森の開拓を任されているが、そんなの名目上そうなっているだけだ。
現に、親父も爺さんも森を開拓できなかったが、中央からは何も言ってこなかった。中央のやつらも国王陛下も分かってるんだ、誰にもあんな森開拓なんてできっこないってことを。
ここは、ただ森から出て来る魔物を時々狩るだけが役目の領土だ。
今でこそ仕事中はずっと家臣としての態度で俺に接するベルトルトだが、俺が爵位を継ぐまでは一緒に勉強したり、狩りをしたりした悪友だ。
1度聞いてみたことがある。「おまえは大人になったら俺の家臣になる。俺なんかが主でもいいのか?」と。
あいつは笑いながら、「面白いからお前が主でいいよ」とか言いやがった。
これじゃあどちらが主でどちらが家臣かわからない。
今回のこともあいつに無理をさせているのはわかっている。俺が報酬として提示した金貨2千枚という金額は、バルマー辺境伯領の今年度の予算を大幅に削らなくては用意できない金額だ。
その金額を用意するために、あいつが方々駆け回ってくれているのも知っている。
だが、どうしても俺は息子の命を諦めきれない。
神様とやらが本当にいるのなら、今後の人生を一生あんたへの祈りに費やしてもいい。
だから頼む、息子を助けてくれ。
私は今、馬車でバルマー辺境伯のお屋敷がある隣町、バルトフェルトに向かっています。
馬車の向かいの席にはギルド職員のエルザさんが座っています。
午前中にルゼールを出て、バルトフェルトに着くのは午後になるということなので、エルザさんは私の分のお昼ご飯まで用意してくれていました。
今私たちが食べているサンドイッチはエルザさんの手作りだそうです。綺麗で聡明で、おまけにお料理もできるなんて私が男の人だったら放っておきません。
「あの、エルザさんは付き合っている男性とかいらっしゃるんですか?」
「いえ、私はこの通り仕事以外で人と話すのが苦手なので、そういうのはなかなか…」
「そうなんですか。確かに最初は少しとっつきにくいと感じましたけど、話してみるととても話しやすい方だと私は思いますけど」
「ありがとうございます。冒険者の方も一方的に言い寄ってくる方はいらっしゃるんですけど、私はあまり押しの強い人が得意ではなくて…」
「ギルド職員は大変なんですね、私も言い寄ってくるような方はタイプじゃありませんねぇ」
それからは男の方に対する愚痴をお互いに言い合って私たちは少しだけ意気投合しました。
そんなこんなしている間にバルトフェルトに着きました。エルザさんのギルド職員証と私のギルドカードを見せると、門番はすぐに通してくれました。急ぎなのでバルマー辺境伯があらかじめ門番に通達しておいてくれたのでしょう。
そして私とエルザさんはバルトフェルトの中心地にあるバルマー辺境伯低へと向かったのです。
「急いで来てもらってすまないな。俺がバルマー辺境伯だ」
そう言って自己紹介したバルマー辺境伯は必死に平静を保ってはいましたが、その表情からは焦燥感が滲み出ていました。
「はじめまして、薬師のフィリーネです」
「お初にお目にかかります、ルゼールの冒険者ギルド職員のエルザと申します」
「ああ、アドルフの容態を診てから依頼を受けるか決めると聞いている。早速だが息子の容態を診てくれないか」
バルマー辺境伯はそう言ってアドルフ様の部屋へ私たちを案内してくださりました。
そこで見たアドルフ様の現状に、私は思わずひっと息を飲んでしまいました。
ふらつく私をエルザさんが支えてくれました。
アドルフ様の左半身はぐちゃぐちゃに潰れて、手足はほとんど原型を留めていませんでした。生きているのが不思議なほどの大怪我です。思っていたよりも切迫した状況に私は混乱して、どうでもいいようなことを聞いてしまいました。
「あ、あの、アドルフ様はどういった事故でこのような怪我を?」
「ああ、鉱山の視察中に落盤事故が起こってな」
そう言ったバルマー辺境伯の顔は憎しみに歪んでおりました。おそらくただの事故ではないのでしょう。
「それで、アドルフは治るのか?」
「最上級ポーションであれば治癒は可能です。でも、調合には市場に出回っている素材では足りません。素材集めをしていては間に合わないかもしれません」
バルマー辺境伯の顔がみるみるうちに絶望に染まっていきました。そして徐々に絶望の中の細い蜘蛛の糸に縋りつくような表情になっていきました。
「……絶対無理なのか?本当に間に合わないのか?」
バルマー辺境伯は大の男とは思えないほど情けない声で尋ねてきます。目の前のこの人は今ちょっとしたことで簡単に精神が壊れてしまうでしょう。
私は、少し考えてから、バルマー辺境伯の心を壊してしまわないように慎重に言葉を選んで話します。
「過度な期待をしないように聞いて欲しいのですが、間に合うかもしれない方法があります」
「なんでもいい。悪魔でも召還してでも俺は息子を助けたい」
バルマー辺境伯は泣きそうな顔で、つぶやくようにそう言って私の話を静かに聞きます。
「まず、私の手持ちの上級ポーションで時間を稼ぎます。そして、最上級ポーションの素材をあの森の奥地で採集します。あそこなら確実に素材があります。森まで3日、採集に4日、帰りに3日、合計で10日ほど掛かります。ぎりぎりですが、もしかしたら間に合うかもしれません」
「正気か?あの森の、しかも奥地だと?死ぬぞ」
「私はAランク冒険者です。浅い場所までなら何度か入ったことがありますし、先輩冒険者からもあの森に関する色々な話も聞いています。生きて帰る自信はあります」
バルマー辺境伯はしばらく考え込みました。もし、森に素材を取りに行って私が死ねば、アドルフ様が助かる可能性は無くなります。しかし、今から冒険者に依頼したり、領内を駆け回ったりすれば素材が集まって最上級ポーションが調合できる可能性も、限りなくゼロに近いですがゼロではないのです。
じっくり5分ほど考えて、バルマー辺境伯は口を開きました。
「わかった。頼む」
かすれた声で、バルマー辺境伯はそう言ったのです。
「かしこまりました。ではこの依頼受けさせていただきます」
そうして私はあの森に向かったのです。強大な魔物が跋扈する人外魔境、エグラントの森へ。
いいかげんこの国にもうんざりです。早く出て行くためにも大き目の依頼を受けて、まとまったお金を稼がなくては。
ギルドの建物に入った私は、まっすぐ掲示板の前まで行って張り出されている依頼を眺めます。
様々な依頼が張り出されています。駆け出し冒険者が受けるような雑用の依頼、少し上級者向けの魔物の素材集めの依頼、そしてギルド創設以来ずっと張り出されたままのドラゴンの討伐のような依頼まで。
私が高ランク冒険者向けの報酬の高い依頼を眺めていると、不意に女性ギルド職員が私に近づいてきました。私の担当のギルド職員で、確か名前はエリザさんだったはずです。
混雑しない時間帯を選んでギルドに来ているので周りには誰もいません。ギルド職員はおそらく私に用があるのでしょう。
「あの、フィリーネさん、少しお話があるのですが今お時間よろしいでしょうか」
「はい、なんでしょうかエリザさん。時間なら大丈夫ですけど」
話があるといってエリザさんに通されたのは会議室のような部屋でした。
冒険者ギルド以外で、個室に通されたりしたら警戒するところですが、冒険者ギルドは冒険者をサポートしたり、守ったりしてくれる組織です。実際に今まで何度も助けられたことがあります。冒険者ギルドはそのへんの人間の国より信用できます。
それでも、エルザさんも人間であり冒険者ギルドは人間の集まりです。絶対安全とは言い切れないので、相手に分からない程度に警戒しつつ、エルザさんが話し始めるのを待ちます。
お茶とお菓子が出されて、やっとエルザさんは話し始めました。
「実はフィリーネさんに指名依頼が出されておりまして」
「指名依頼ですか?」
「はい。依頼主は領主であるバルマー辺境伯です」
「え、領主様からの依頼ですか。内容をお聞きしてもよろしいですか?」
「これは内密にお願いしたいのですが、実は跡継ぎであるアドルフ様が意識不明の重体らしいんですよ。それで、その、フィリーネさんは……最上級ポーションを調合できるとか」
「あのっ、どこでそのことを?」
「ギルドは横のつながりが強いのです。ですがギルドも馬鹿ではありませんのでご安心ください、このことはギルド職員の中でも一部の者しか知りません。もちろん情報を漏らすようなギルド職員はおりません」
最上級ポーションは人間の国にはもうほとんど存在しません。ごく稀に、大昔に滅びたといわれる古代文明の遺跡から発掘されるくらいだそうです。当然ですね、エルフでさえ故郷の森では私とおばあちゃんしか調合できませんでしたから。
私が最上級ポーションを調合できるということはあまり知られていません。知られるとただでさえ多い人攫いがさらに増えるからです。しまいには国や貴族が兵を引き連れて私を手に入れるための戦争を始めそうです。
私は危険を廃すために最上級ポーションの調合はほとんどしないのですが、過去2回ほどやむにやまれぬ事情で調合したことがあります。その2回のうちの1回は騒動になり、ギルドに守ってもらったので、おそらくその情報が各ギルドマスターの間で共有されているのでしょう。
「そうですか……、それでは依頼というのは」
「はい、最上級ポーションの調合です。期限はありませんがなるべく早く。報酬はなんと金貨2千枚ですよ」
「金貨2千枚……」
私ののどがごくりと鳴りました。私も人間のことを悪く言えないかもしれません。お金には人を狂わせる魔力があるようです。
一般的な冒険者が一年に稼ぐお金は金貨6枚ほどです。冒険者は高収入なのでこれでも多いほうです。
金貨2千枚あれば300年は遊んで暮らせます。エルフの寿命はもっとずっと長いので一生は遊んで暮らせませんが。
「受けていただけますか?」
「あの、なるべく早くといいますが、アドルフ様の容態は悪いんですか?」
「相当悪いようですね。3日前に事故に遭われてから意識が戻っていないそうです」
「アドルフ様の容態を1度診せていただくことはできますか?」
私はもうほとんど受ける気なのだが、もし今にでも息を引き取りそうな状況ならば、今から悠長に素材を集めて最上級ポーションを調合しても間に合わないと思ったのだ。
「はい。大丈夫だと思います。幸いにもバルマー辺境伯のお屋敷があるのは隣町です。馬車で3時間ほどで行けますので」
「アドルフ様の容態を診させていただいてから、依頼を受けるか決めることは可能でしょうか」
「はい、可能です。ただ今回は急ぎとのことですので、今日これから隣町へ向かうことになりますがご予定は大丈夫でしょうか」
「大丈夫です。準備も必要ありません」
私の荷物はすべて魔法の袋に入れてあるので、いつでも身一つで動けます。魔法の袋は次元魔法を用いた魔道具だそうで、握りこぶしくらいの袋にすごくたくさんの物が入ります。人間の国に来て1番驚いたことは、便利な魔道具の数々です。
魔法の袋のように便利な魔道具が人間の国には溢れています。人間たちの生活は魔道具によって支えられていると言っても過言ではありません。
人間たちは魔道具の発達により、昔より魔法が下手になっているそうですが、便利なものに頼ってしまうのは仕方がないと思います。
「わかりました。ではギルドの前に馬車を手配いたします。私も準備して来ますので少々お待ちください」
「へ?一緒に来てくれるんですか?」
「はい、バルマー辺境伯の屋敷には私も同行いたします。冒険者と貴族の折衝もギルド職員の仕事ですので」
このギルド職員は真面目すぎると私は思いました。仕事はできるけれどあまり出世はしないタイプですね。
でも、信用できるギルド職員です。
まさかエルフの薬師が自領にいるとは思わなかった。それもルゼールだと!?隣町じゃないか。
本当に神がいるのではないかと思えてくるような幸運だ。
「ベルトルト、薬師は何時ごろ到着する?」
「はっ、先ほどギルド経由でルゼールを出たと連絡がございました。ルゼールからバルトフェルトまでは馬車で3時間ほどですので、薬師の方がいらっしゃるのは午後になるでしょう。お館様、少しお休みになられてはいかがでしょうか。顔色がよろしくありません」
「寝てなどおれん。いや、眠れんのだ。夢見が悪くてな。いくら頭を冷静にして平静に努めても心を静めきれん。貴族としては失格だとは分かっているがな」
「そうでしたか。では昼食だけでもしっかりと食べてはいただけませんか」
「わかった。いつもすまない」
ベルトルトは俺なんかにはもったいないほど優秀な家臣だ。幼い頃から一緒に育った俺はこいつの優秀さを良く知っている。
こんな領地が広いだけの辺境の片田舎で生涯を終えていいやつじゃないんだ。
このバルマー辺境伯領は国王陛下から領土拡大の最前線として南の森の魔物からの防衛と南の森の開拓を任されているが、そんなの名目上そうなっているだけだ。
現に、親父も爺さんも森を開拓できなかったが、中央からは何も言ってこなかった。中央のやつらも国王陛下も分かってるんだ、誰にもあんな森開拓なんてできっこないってことを。
ここは、ただ森から出て来る魔物を時々狩るだけが役目の領土だ。
今でこそ仕事中はずっと家臣としての態度で俺に接するベルトルトだが、俺が爵位を継ぐまでは一緒に勉強したり、狩りをしたりした悪友だ。
1度聞いてみたことがある。「おまえは大人になったら俺の家臣になる。俺なんかが主でもいいのか?」と。
あいつは笑いながら、「面白いからお前が主でいいよ」とか言いやがった。
これじゃあどちらが主でどちらが家臣かわからない。
今回のこともあいつに無理をさせているのはわかっている。俺が報酬として提示した金貨2千枚という金額は、バルマー辺境伯領の今年度の予算を大幅に削らなくては用意できない金額だ。
その金額を用意するために、あいつが方々駆け回ってくれているのも知っている。
だが、どうしても俺は息子の命を諦めきれない。
神様とやらが本当にいるのなら、今後の人生を一生あんたへの祈りに費やしてもいい。
だから頼む、息子を助けてくれ。
私は今、馬車でバルマー辺境伯のお屋敷がある隣町、バルトフェルトに向かっています。
馬車の向かいの席にはギルド職員のエルザさんが座っています。
午前中にルゼールを出て、バルトフェルトに着くのは午後になるということなので、エルザさんは私の分のお昼ご飯まで用意してくれていました。
今私たちが食べているサンドイッチはエルザさんの手作りだそうです。綺麗で聡明で、おまけにお料理もできるなんて私が男の人だったら放っておきません。
「あの、エルザさんは付き合っている男性とかいらっしゃるんですか?」
「いえ、私はこの通り仕事以外で人と話すのが苦手なので、そういうのはなかなか…」
「そうなんですか。確かに最初は少しとっつきにくいと感じましたけど、話してみるととても話しやすい方だと私は思いますけど」
「ありがとうございます。冒険者の方も一方的に言い寄ってくる方はいらっしゃるんですけど、私はあまり押しの強い人が得意ではなくて…」
「ギルド職員は大変なんですね、私も言い寄ってくるような方はタイプじゃありませんねぇ」
それからは男の方に対する愚痴をお互いに言い合って私たちは少しだけ意気投合しました。
そんなこんなしている間にバルトフェルトに着きました。エルザさんのギルド職員証と私のギルドカードを見せると、門番はすぐに通してくれました。急ぎなのでバルマー辺境伯があらかじめ門番に通達しておいてくれたのでしょう。
そして私とエルザさんはバルトフェルトの中心地にあるバルマー辺境伯低へと向かったのです。
「急いで来てもらってすまないな。俺がバルマー辺境伯だ」
そう言って自己紹介したバルマー辺境伯は必死に平静を保ってはいましたが、その表情からは焦燥感が滲み出ていました。
「はじめまして、薬師のフィリーネです」
「お初にお目にかかります、ルゼールの冒険者ギルド職員のエルザと申します」
「ああ、アドルフの容態を診てから依頼を受けるか決めると聞いている。早速だが息子の容態を診てくれないか」
バルマー辺境伯はそう言ってアドルフ様の部屋へ私たちを案内してくださりました。
そこで見たアドルフ様の現状に、私は思わずひっと息を飲んでしまいました。
ふらつく私をエルザさんが支えてくれました。
アドルフ様の左半身はぐちゃぐちゃに潰れて、手足はほとんど原型を留めていませんでした。生きているのが不思議なほどの大怪我です。思っていたよりも切迫した状況に私は混乱して、どうでもいいようなことを聞いてしまいました。
「あ、あの、アドルフ様はどういった事故でこのような怪我を?」
「ああ、鉱山の視察中に落盤事故が起こってな」
そう言ったバルマー辺境伯の顔は憎しみに歪んでおりました。おそらくただの事故ではないのでしょう。
「それで、アドルフは治るのか?」
「最上級ポーションであれば治癒は可能です。でも、調合には市場に出回っている素材では足りません。素材集めをしていては間に合わないかもしれません」
バルマー辺境伯の顔がみるみるうちに絶望に染まっていきました。そして徐々に絶望の中の細い蜘蛛の糸に縋りつくような表情になっていきました。
「……絶対無理なのか?本当に間に合わないのか?」
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私は、少し考えてから、バルマー辺境伯の心を壊してしまわないように慎重に言葉を選んで話します。
「過度な期待をしないように聞いて欲しいのですが、間に合うかもしれない方法があります」
「なんでもいい。悪魔でも召還してでも俺は息子を助けたい」
バルマー辺境伯は泣きそうな顔で、つぶやくようにそう言って私の話を静かに聞きます。
「まず、私の手持ちの上級ポーションで時間を稼ぎます。そして、最上級ポーションの素材をあの森の奥地で採集します。あそこなら確実に素材があります。森まで3日、採集に4日、帰りに3日、合計で10日ほど掛かります。ぎりぎりですが、もしかしたら間に合うかもしれません」
「正気か?あの森の、しかも奥地だと?死ぬぞ」
「私はAランク冒険者です。浅い場所までなら何度か入ったことがありますし、先輩冒険者からもあの森に関する色々な話も聞いています。生きて帰る自信はあります」
バルマー辺境伯はしばらく考え込みました。もし、森に素材を取りに行って私が死ねば、アドルフ様が助かる可能性は無くなります。しかし、今から冒険者に依頼したり、領内を駆け回ったりすれば素材が集まって最上級ポーションが調合できる可能性も、限りなくゼロに近いですがゼロではないのです。
じっくり5分ほど考えて、バルマー辺境伯は口を開きました。
「わかった。頼む」
かすれた声で、バルマー辺境伯はそう言ったのです。
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