魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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逸文 比翼連理 十九

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 いつぞや堺でそれを、伊勢松こと松蔵に持ちかけたところ、隠れていた自分の商才を試すのが面白くてならなくなっているらしいこの老練な忍びは、機嫌のよいときこそいつもそうするように、ひどくつまらぬ話を聞いたかのような顔を、この「娘」にみせた。
「古手(古着)以外に手を伸ばすか。りく、それは商いが大きくなってしまうぞ。面倒なことじゃな。」
「大きくできまするか?」
「……うまくやればな。ただ、蠣崎新三郎殿は蝦夷代官の息子。もしも、浪岡のおかしらのお考え通りに、わしらが揃って蠣崎の若旦那の懐に潜り込む仕儀となれば、それはいずれ支障なかろう。若旦那のためにもなる。」
 蝦夷島との取引であった。昆布や干し鮭、俵物などのおびただしい富をこの北の島は生む。それらはいま敦賀湊を通じて上方に運ばれているが、上方の大商人たちは、まだ直接に蝦夷島に手を伸ばしてはいない。
「蝦夷地は遠い。京や堺の商人は、敦賀から入るものにはまだあまり気をそそられぬようじゃ。」
「だが、いずれは気づきましょう。昆布や干し魚や鷹の羽ばかりではない富が、蝦夷大島には眠っていそうじゃ。蝦夷島のお侍たちとても、上方や西国の富とつながりたくなりましょう。」
 りくが勢いこむと、松蔵はこの「娘」の聡さがうれしくてならないのが、表情に出ないように苦心すると、
「しかも、蠣崎代官家が上方との商いをもし一手に握れれば、な。蠣崎の蝦夷地支配、一層固まろう。」
 だからりくは、いずれは新三郎の許可をとって、松前に乗り込みたかったところでもあるのだ。それは新三郎に付き従って一緒に、という甘い夢に混ざってしまうところもあったが、いまがその機会だとわかっている。市場を調べ、蝦夷商いの最も旨い部分にあずかりたい。
「はい、おそれながら、この蝦夷大島の尽きせぬ富を、上方に運ぶもいずれお許しいただければと存じておりまする。」
「それは蝦夷地や奥州の商人、あるいは感心はせぬが蝦夷どもも、もうやっておるところじゃが? まだ遠く上方よりやってくるほどの商いの種があろうかな?」
「ございまする。うかがうところによりますると、この蝦夷大島、北の果てでは唐天竺に地続きとか(注 当時は広くそのように信じられているふしがあった)。まことに尽きせぬ富がまだまだ秘められ、それは京、堺、西国のものの行き来とつながるべきかと存じております次第で。」
「それが、伊勢松にはできると?」
「いえ、それは滅相もない。」りくは苦笑いで恐れ入ってみせた。「父、伊勢の松蔵程度の分限では心もとないところではございまする。……が、乏しきとはいえ、父くらいの者でも堺の商人の末席の末席におります。会合衆などと称するそこそこのおおあきんどにも、口をきくくらいのことはできましょう。まず小身の伊勢や風情が、格別のお慈悲をいただいてお代官さまのお仕事の」商売の、とはさすがに言わずに、りくは涼やかな調子でつづけた。「お手伝いができておりましたら、天下の利を見るに敏なおおあきんども、むらがってこの蝦夷大島を目指しましょう。」
「なるほどな。」
(おや?)
 りくが内心でたじろいだのは、一瞬、蝦夷代官の眼に翳が走ったように思えたからだ。
 若い女が調子よく喋るのを頷きながら機嫌よく聴くようでいて、その一瞬だけ、りくのような稼業の者にしかとれぬほどの微かな心の動きが、たしかにあった。
(殺気……?)
 それに似ていた。顔をあわせてはじめて、蠣崎季広は子殺しの恐ろしい男であるのを思い出し、腹が冷えた。
 その気配はすぐに消えて、いかにも物柔らかな代官の言葉にはもう、そんなものは微塵も感じられない。
「そうか、伊勢やの名代殿。こたびは、いくらかは鷹の羽、昆布など購って戻るがよかろう。浪岡なり、堺なりで売ればよい。本来ならば、蝦夷島の品を持ち出して商うは、蝦夷でもなければ、この松前の家中の者との縁が要る。じゃが、新三郎の顔に免じて、代官所の許しが出たものとするがよい。」
「有難き幸せにて。」
 深々と低頭したりくの背中の肌には、ひそかに細かい汗の粒が浮いていた。

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