魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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逸文 比翼連理 二十

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 ずっと後になって、そうしたことも喋れる仲となってから、新三郎にこのときのことを伝えた。新三郎にとって聞きたくもない話ではあろうからずっと黙っていたのだが、ふとした折に父親との初対面の印象を尋ねられ、ついありのままを答えてしまったのである。
(よい。伊勢やとしての仕事のことも、話しそびれてはいたが、いよいよ黙っているわけにはいかない。)
 そう思ったからだ。しかし、新三郎の反応は意外であった。父親のことを怖いだのといわれれば、面白くもなかろう。それに、忘れ難い悲劇と、そのときの倒れんばかりの痛哭の想いが蘇って苦しまれはせぬか。と、それがりくの心配だったのだが、そういうものではなかった。
「それはお前、おれもその、こわい眼をするかもしれぬぞ。」
「なぜでございます?」
「わからぬ? ……そうか、わからぬか。その聡い頭で、わからぬままか。どうも、よほど商人の娘になったとみえる。」
「お褒めいただいたのやら、叱られたのやら。」
「𠮟りはせぬ。じゃが、考えが商人らしくなりおったな、と思うたよ。」
「おや、左様でございますか。ならば、どなたのせいで?」
 あなたがわたしを変えたのよ、という、甘い響きが潜んでいるのが、自分でもわかる。新三郎もいささか赤面する様子があったが、わからぬか、と繰り返した。
「おまえ、いずれ堺や京の大分限の商人も乗り出してこよう、と言うたのじゃぞ。よかろう、蝦夷島の商いはさらに大きく深く、自在に広がろうな。商人たちとしては、それはよきこと。じゃが、親父殿にとって、いや、蝦夷の者にとって、それは望ましいばかりのことか?」
「あ。」
「そのときも、聞いたのであろう。他国の商人は、蝦夷商いを容易には許されぬ。おれたち蝦夷侍のしかるべき家に入る形すら、要るのじゃ。何故かはわかろう。」
 貿易を蠣崎家はじめ蝦夷侍がみずからおこない、自分たちで囲い込むためである。実際には蝦夷が勝手に交易に乗り出すのを認めているから抜け穴だらけとはいえ、蝦夷代官以下の貿易独占は、守るべき定めなのだ。
「それも、蝦夷侍一党のわたくしの利のためばかりではないぞ。安東さまへの運上金のこともある。……もし、大分限の堺の商人でも乗り込んできてみよ。蝦夷島の商いを乗っ取られてしまいかねぬ。堺の納屋衆、天王寺屋や納屋だのに蠣崎の養子に入れ、と言えば喜んで入るかもしれぬが、そうして食い込まれてしまえば、おれたちではそうした天下(近畿地方)の豪商を抑えられまい。蝦夷島の富は、根こそぎ天下に持っていかれようぞ。……じゃから今、松前に出入りできているのは、敦賀から京への道筋にあたる近江あたりの小商人に限られておる。やつらならば、まだ何とでも扱える。じゃが、京や堺の商人は、手強かろうぞ。後ろにどんなおそろしい方々がついてくるやらわからぬではないか。もし三好殿などを動かされては……」
 りくは小さく震えていた。昨今の都の実力者の名が出たからではない。蝦夷島の商いの将来などは、正直二の次である。迂闊な物言いで、自分は新三郎にまで不利益を及ぼしていたのではないか。
(しまった。なんということを、わたしは……?)
「お許しください。りくの思慮が浅うございました。余計なことを申し上げ、代官様のご猜疑を買った。若様にも、ご迷惑を……!」
「そこまでではない。親父殿も忘れよう。おれが後ろで糸を引いているなどとは、ゆめ歌がうまいし、伊勢松の商いなどまだうんと細いから、このままならばお前たちもお目こぼしじゃ。安堵せよ。」
「伊勢やなど、よろしいのです!」
「……じゃが、おれの生まれた蝦夷島というは、左様の土地。……それは、覚えておいてくれ。」

 だが、このときのりくは、そこまでは悟っていない。
 それに、そうしたことよりもはるかに大きな衝撃に、この日のうちに襲われることになった。それによって、蝦夷代官の不気味さなどは頭からいったんは抜けてしまった。
 なにより、それこそが新三郎から頼まれた本題でもあった。

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