魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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逸文 比翼連理 十八

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「この大舘さまで奥方さま、お姫さまに伊勢松の貧しき品をお目にかけるをお許しくださり、まことに恐悦にござります。」
 蝦夷代官は最初から女商人に直答を許しており、鷹揚に頷いた。
「この鄙の地にて上方の流行りを教えてくれるは、有難いことじゃ。」
「若様の、」とここは声がやや高くなった。「若様のお命じにありますれば、日頃御恩いただいております浪岡の伊勢や、一も二もございませぬ。かようにご本家にまかり越せましたは望外の喜びに存じ奉ります。」
(温厚を絵にかいたような……。)
 りくは内心で驚いている。予断や予想は外れたようだ。
 りくの知る蝦夷代官蠣崎季広は、子殺しの冷血漢であった。跡継ぎたる息子を次々に死なせ、無辜の娘に汚名を着せて処刑したではないか。あのとき、若旦那の浪岡での金無垢の日々も断ち切られたのだ。真相を悟らされた新三郎は憔悴し、お家の一大事に姫さまを守るために立ち上がるまでに、どれほど悩み苦しんだことか。生かしている子までそのような目に遭わせたとは、鬼ではないか。
(そうして、いまも主家と浪岡とにそれぞれ出仕させた息子を、跡目の量りにかけておるのであろう。若旦那のご苦労は、続く……。)
 しかし目の前に機嫌よさげに座っているのは、やや老いた、居丈高な様子のまるでない、品のよい武家であるようだった。遠く離れた場所にいる息子に触れる言葉にも、冷たさはない。
「新三郎も、たまには気の回ることじゃな。」
「いえ、若様は浪岡のご城内でも評判のお方で、なんでも、御所様のご猶子、お馬廻りだとか……。いえいえ、決して私ども卑しきものに左様なご自慢をなさるではありませぬが、よい噂は自然、地下にも伝わってくるのでございます。」
「ほう……。新三郎とは、そなたの父以来のつきあいじゃとか。あの世間知らずにしては、意外な……?」
「伊勢松がこの商売に手を染められたのも、若様のおすすめがあったからでございますれば。」
 まあ、そのようなことにしている。上方より流れ流れて奥州に親娘ふたり辿り着いたが、そこでようやく再起のための小金を稼いだところで、知り合った若い武家の助言で一念発起して堺に移り、古着商いで財の形ができたのだ、という作り話は、りくが内心で気に入っていた。
 忍びである伊勢の者として、なかば幽閉されたような姫君の居所に潜んでいただとか、城内に謀反人の大悪党たる大御所が思慮もなく引き入れた、獰猛な板東の忍びを血祭りにあげたために蓄電せざるを得なかったとか、本当のことは、忘れはしなくても、いちいち思い出すまでもない。実際よりもはるかに人並みの生き方を自分がしてきたという錯覚のほうが、快いのではあった。
(若旦那に出会っていても、それならば、おかしくはないわけではあるのだし……。)
「で、伊勢やは、爾後も古手のみを商うか? 上方の古手は、こちらではよく売れようが……。」
 りくが内心で期待していた問いであった。こればかりは、まだ新三郎にもはっきりとは伝えていないが、望みがある。
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