魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

文字の大きさ
230 / 237

逸文 比翼連理 五十三 檜山屋形篇

しおりを挟む

「此度はまず上首尾。殿のお働き、檜山屋形さまにも伝わりましょう。それも重畳。」
「りくも褒めてやってくれ。奥の方々のお気に召したが、やはり効いた。女衆には女衆のつきあいがある。幼い冬姫さまを嫁に出すのに抗われては、元も子もなかった。」

 安東愛李ほどの剛直の武将であっても、ひとの夫ではあり、つまりはある面では家庭人でもある。奥方が「蝦夷代官の仲立ちの慶事」をいかに考えるかが、判断に影響した。
 賄賂まがいの贈り物で動かされたわけではないが、上方の流行に詳しい堺商人を引き入れ、出入りの商人にしてくれた蠣崎家には、奥の女性たちは悪意を持たないでいてくれる。
 そればかりではない。りくは、花嫁候補として目をつけた幼い姫様自身のそばに食い込んでさえいるのだ。暇を見つけては遊び相手になってやり、冬姫はすっかり「いせやのごりょうにん」になついた。姫には当然乳母あがりのひとりをはじめ侍女がついていたが、それらをもまんまとてなづけた。寺参りの侍女たちに代わって、ひなが一日冬姫様のお相手を勤める日さえあったのだ。そして、そこではどこでおぼえたのか御伽草紙のような面白いお話に、たくみに夢のように美しい浪岡御所の描写を織り交ぜ、そこに漂う京の文化の香りへの子どもの憧れをかきたててみせた。冬姫は十歳になっていたが、浪岡御所のお姫様方にお歌を習いたい、などと言い出すようになった。京の都と浪岡御所とが、幼い少女の想像のなかでまじっているらしかった。
 りくは浪岡御所の美しい結構の影の部分も当然知っていたし、たしかにお歌に詳しかった姫様はもう亡くなっているのだとも言いかねたので、胸が痛むときもあった。幼い子どもを甘言を弄して騙している気分にもなったが、檜山屋形の子女はいずれ誰かに嫁ぎ、その先は乱世においては似たようなものだから、この子にとっても今回の話は悪いことではないのだ、と自分に言い聞かせた。
 そういう意味のことを、新三郎からすでに説かれてもいた。新三郎は忍びの女であるりくを、随分心やさしいと思っているらしく、先回りして心を軽くしようとしてくれたようだ。
(これは決してかどわかすには当たらぬ、あの小さな姫君さまのおん為でもあるのだ、とおっしゃったな。)
 そう思うと、りくは新三郎の心遣いもうれしく、一時は店のことも忘れていっそう屋形の奥に通うのに励み、奥方さま以下の信頼も短期間でとりつけたのである。
 かくして安東愛李の末娘のお輿入れが奥で既成事実化したことで、新三郎はずいぶん動きやすくなったのは間違いない。
 
「されど、花嫁行列をお迎えしてめでたし、とはいきますまいな。」
 安岡の「声」が言った。まだいくらかの手間はあるとはいえ、婚儀は整う。しかし、整えばそれで新三郎の仕事が終わるわけではない。それは、新三郎もよくわかっていた。
 反対派がいる。大名の婚儀は外交そのものだから、家中に議論がある。
「……小鹿島殿。」
 新三郎は、呟いた。安岡の温和気な表情は動かないが、心なしか彼の背後の闇が揺れた。「声」が、低く笑ったようでもある。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』でも同時掲載しています◇

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

処理中です...