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街は明るく、人も多い。紛れてしまえば、地理に疎い子どもにはまず見つけられないだろう。
人混みを避け、裏路地を走り抜けたところで、ラウははっ、と息を吐いた。冷たい石壁に手をついて、切れた息を整える。
全速力で走り抜けたが、息が上がるのがいつもよりずっと早い。これくらいの距離で、通常のラウが息を乱すことなど有り得ない。
冷えた石壁に触る手が、それよりも冷えている。足が重く、体が何倍も重さを持ったようだ。ともすれば崩れ落ちそうになる膝を支え、思わず自嘲する。
(この程度で息が乱れるのか……)
毒はまだ確かにラウの体内にある。わずかばかり走っただけで、この有様だ。疑いようがない。
あの子どもの中和は、確かに今のラウには必要かもしれない。かと言って、彼を殺してやる義理もない。原因ははっきりしているのだ。中和出来る魔術師か治癒師、もしくは医者を見つければいいことだ。
軽く息が整うのを待ち、ラウは夜の喧騒の中に戻る。酔いはすっかり醒めてしまったが、今日はこのまま帰って寝るのが一番だ。
ザワッと、夜の喧騒が異質に騒いだのはその時だった。
悲鳴、怒号、歓喜、人の声が作った不協和音に、ラウは胡乱げに首を巡らせ小さく息を飲んだ。
明るい夜の街を、銀色の狼が疾走してくる。鋭い爪を鳴らし、銀の毛並みをなびかせ走る姿は美しくも矢のように早い。
「っ……! 馬鹿がっ……!」
ラウは舌打ちして踵を返し、大きな体で突撃してくる狼を掬い上げるように抱え込んだ。
「ギャウ!」
大勢の怒号と慨嘆、恨み言が野次となって襲ってきたが、ラウは構わず子狼を抱えたまま走り出した。
喧騒が異質に騒いだのは、街中に獣が現れたからではない。美しい銀の毛並みをなびかせる狼が、貴重で珍しい生き物だからだ。
銀狼族といえば、狼族の中でも特に珍しい種族だ。美しい銀の毛並みと翠玉の瞳を持ち、その遠吠えは大地を割り天を裂くと言われる。ふらりと人里に現れる狼族とは違い、まずお目にかかることがない最強種の一種だ。
捕らえて皮を剥げば、美しい毛並みの防具が出来上がる。火にも水にも魔法にも強く、羽根のように軽い。例え数本の毛でも呪物としては一級品であり、その血肉は食せば不老を叶えると噂される。
幻の銀狼族が街中にぽっと現れたのだ。その価値を知る輩が目の色を変えないはずがない。
ラウは息を乱し顔色を悪くさせ、街の外まで出た。街道から外れた暗がりの雑木林に、倒れ込むよう入り込んだ。
「あんな所で姿を現すヤツがあるか!!」
貴重な銀狼族だ。生け捕りにし、死なない程度に肉や血、皮を剥いで売り捌くに違いない。死ぬよりひどい目に遭わされるだろう。
息を乱して怒鳴ると、地面に放り出された狼の耳と尻尾がしゅんと下がった。
「ごめんなさい。でも、他の人に僕は殺せません」
息を乱し幹に背中を預けるラウに近付き、子狼はその唇を労わるように舐めた。
サリっと独特な感触が唇に伝わり、抜けるように怠く重かった手足に力が戻る。思わずほっと安堵の息が漏れると、子狼がヒト型に変わってラウの両手を握った。
下から覗き込む翠の目が、澄んでひどく美しい。
はっ、と肩で息をして、ラウは子どもの手を握り返す。
「中和する変わりに……、お前を、殺せって、ことか……」
体内に残った毒の中和が急務であることは、身をもって体感した。時間をかけている暇はない。治療出来る者を探すのも手間だろう。なにより、これほど効果的に毒を中和出来る人間はいまい。
交換条件としては、悪くない。
呟きに、少年は美しい毛並みを思い起こさせる髪を左右に振る。
「言ったはずです。毒を中和するのは、恩返しです。僕を殺してほしいのは、お願いです」
「……何が違う?」
毒が中和されれば、ラウは少年の要望を聞かざるを得ない。どれだけ言葉を選んで繕ったとしてもそれに変わりはない。
冷たく問えば、少年は微笑んで首を振る。
「貴方に義務がない」
少年は、中和した見返りに殺せと詰め寄っているわけではない。彼がラウを治した時点で、受けた恩を返すという貸し借りがなくなる。それ以降の彼の要望を、ラウは必ずしも叶えなければならない義理も道理もない。彼はそれを盾に、ラウを脅すつもりも恨むつもりもないのだ。ただ殺してほしいという願いを聞き入れられるよう、必死になって頭を下げるだけだ。
「治るまで、僕を好きに使ってくれてかまいません。ただ、貴方に僕を殺してほしい」
凪いだ瞳は虚偽を浮かべることを知らず、ただ純真にラウを見据えていた。
ラウは深々と溜め息をついた。
「……ラウ・ファン・アスだ。お前、名前は?」
「銀の狼族、エリファレットです」
ラウの両足の隙間にちょこんと行儀良く座った彼は、ラウに問われて自身の正体と名を簡単に明かした。
「わかった、エリファレット。俺の傷が完治したら、お前を殺してやる」
子狼の首を刎ねるなど容易い。まして無抵抗だとわかっている獣ならなおのことだ。
揺るがない頑固な意志に根負けし、ラウは体の自由と引き換えに白旗を上げた。
「ありがとうございます!!」
途端少年は花が綻ぶように笑い、ラウの唇にキスをした。
人混みを避け、裏路地を走り抜けたところで、ラウははっ、と息を吐いた。冷たい石壁に手をついて、切れた息を整える。
全速力で走り抜けたが、息が上がるのがいつもよりずっと早い。これくらいの距離で、通常のラウが息を乱すことなど有り得ない。
冷えた石壁に触る手が、それよりも冷えている。足が重く、体が何倍も重さを持ったようだ。ともすれば崩れ落ちそうになる膝を支え、思わず自嘲する。
(この程度で息が乱れるのか……)
毒はまだ確かにラウの体内にある。わずかばかり走っただけで、この有様だ。疑いようがない。
あの子どもの中和は、確かに今のラウには必要かもしれない。かと言って、彼を殺してやる義理もない。原因ははっきりしているのだ。中和出来る魔術師か治癒師、もしくは医者を見つければいいことだ。
軽く息が整うのを待ち、ラウは夜の喧騒の中に戻る。酔いはすっかり醒めてしまったが、今日はこのまま帰って寝るのが一番だ。
ザワッと、夜の喧騒が異質に騒いだのはその時だった。
悲鳴、怒号、歓喜、人の声が作った不協和音に、ラウは胡乱げに首を巡らせ小さく息を飲んだ。
明るい夜の街を、銀色の狼が疾走してくる。鋭い爪を鳴らし、銀の毛並みをなびかせ走る姿は美しくも矢のように早い。
「っ……! 馬鹿がっ……!」
ラウは舌打ちして踵を返し、大きな体で突撃してくる狼を掬い上げるように抱え込んだ。
「ギャウ!」
大勢の怒号と慨嘆、恨み言が野次となって襲ってきたが、ラウは構わず子狼を抱えたまま走り出した。
喧騒が異質に騒いだのは、街中に獣が現れたからではない。美しい銀の毛並みをなびかせる狼が、貴重で珍しい生き物だからだ。
銀狼族といえば、狼族の中でも特に珍しい種族だ。美しい銀の毛並みと翠玉の瞳を持ち、その遠吠えは大地を割り天を裂くと言われる。ふらりと人里に現れる狼族とは違い、まずお目にかかることがない最強種の一種だ。
捕らえて皮を剥げば、美しい毛並みの防具が出来上がる。火にも水にも魔法にも強く、羽根のように軽い。例え数本の毛でも呪物としては一級品であり、その血肉は食せば不老を叶えると噂される。
幻の銀狼族が街中にぽっと現れたのだ。その価値を知る輩が目の色を変えないはずがない。
ラウは息を乱し顔色を悪くさせ、街の外まで出た。街道から外れた暗がりの雑木林に、倒れ込むよう入り込んだ。
「あんな所で姿を現すヤツがあるか!!」
貴重な銀狼族だ。生け捕りにし、死なない程度に肉や血、皮を剥いで売り捌くに違いない。死ぬよりひどい目に遭わされるだろう。
息を乱して怒鳴ると、地面に放り出された狼の耳と尻尾がしゅんと下がった。
「ごめんなさい。でも、他の人に僕は殺せません」
息を乱し幹に背中を預けるラウに近付き、子狼はその唇を労わるように舐めた。
サリっと独特な感触が唇に伝わり、抜けるように怠く重かった手足に力が戻る。思わずほっと安堵の息が漏れると、子狼がヒト型に変わってラウの両手を握った。
下から覗き込む翠の目が、澄んでひどく美しい。
はっ、と肩で息をして、ラウは子どもの手を握り返す。
「中和する変わりに……、お前を、殺せって、ことか……」
体内に残った毒の中和が急務であることは、身をもって体感した。時間をかけている暇はない。治療出来る者を探すのも手間だろう。なにより、これほど効果的に毒を中和出来る人間はいまい。
交換条件としては、悪くない。
呟きに、少年は美しい毛並みを思い起こさせる髪を左右に振る。
「言ったはずです。毒を中和するのは、恩返しです。僕を殺してほしいのは、お願いです」
「……何が違う?」
毒が中和されれば、ラウは少年の要望を聞かざるを得ない。どれだけ言葉を選んで繕ったとしてもそれに変わりはない。
冷たく問えば、少年は微笑んで首を振る。
「貴方に義務がない」
少年は、中和した見返りに殺せと詰め寄っているわけではない。彼がラウを治した時点で、受けた恩を返すという貸し借りがなくなる。それ以降の彼の要望を、ラウは必ずしも叶えなければならない義理も道理もない。彼はそれを盾に、ラウを脅すつもりも恨むつもりもないのだ。ただ殺してほしいという願いを聞き入れられるよう、必死になって頭を下げるだけだ。
「治るまで、僕を好きに使ってくれてかまいません。ただ、貴方に僕を殺してほしい」
凪いだ瞳は虚偽を浮かべることを知らず、ただ純真にラウを見据えていた。
ラウは深々と溜め息をついた。
「……ラウ・ファン・アスだ。お前、名前は?」
「銀の狼族、エリファレットです」
ラウの両足の隙間にちょこんと行儀良く座った彼は、ラウに問われて自身の正体と名を簡単に明かした。
「わかった、エリファレット。俺の傷が完治したら、お前を殺してやる」
子狼の首を刎ねるなど容易い。まして無抵抗だとわかっている獣ならなおのことだ。
揺るがない頑固な意志に根負けし、ラウは体の自由と引き換えに白旗を上げた。
「ありがとうございます!!」
途端少年は花が綻ぶように笑い、ラウの唇にキスをした。
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