Kが意識不明の重体らしい

君影想

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飽食のセイレーン

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__吾が望み、吾が命じる、吾の意思は理性に勝る
          『ローマ諷刺詩集』より



 一般的に、セイレーンとは非常に欲望に忠実な生き物です。
 気ままに歌を歌い、人を惑わし、その肉欲と食欲が完璧に満たされるまで満足しない。

 自由で、残酷で、欲深な獣__僕は、そんな生き物の腹から生まれました。

 父は僕が生まれるずっと前に死にました。…ああ、でも、僕がまだ受精卵の頃に母の腹の中で同居したことはあったかもしれません。もちろん、彼はとっくのとうにこと切れていたでしょうが。
 つまり…は、どうやら僕の父は人間だったらしく、母はなにを思ったかそんな僕のことを産み、母の姉妹たちもそれを受け入れたようでした。
 長命種であり、子供を産むことなど一生に一度あるかないか程度のセイレーンです。彼女たちにとって僕は群れの中で初めて生まれた子供でした。そんな状況も相まって、元来気まぐれで狂暴な彼女たちの育児は育児と呼べるほど生温いものではありませんでした…が、死ぬことはなくこの年まで育ちました。正直、死にかけたことなど海中に漂うプランクトンの数ほどありますが、海という厳しい世界でこの年まで生きてこれただけ幸運だったと言えましょう。

 そして、やはりというべきなのかなんなのか。僕は、陸に憧れました。

 幼い頃にこっそりと覗いてしまった人と人が行き交う明るい文明世界、それは幼い僕にとって自らの憧れがつまった世界でした。
 それは半分流れる人間の血がそうさせるのか、半分流れるセイレーンの飽くなき食欲が彼らを喰らおうと牙を剥き出しているのか。それはわかりませんが、とにかく僕は人間世界に憧れたのです。
 そしてついに耐えきれなくなった僕は陸にこっそり上がるようになりました。人間に化け、その社会に紛れこむというのはそのこと自体がなによりも刺激的で楽しいものでしたが、なによりも面白かったのは図書館と言う場所でした。僕は時間ができるたび図書館に通いつめました。図書館に通いつめ、知識をひたすらにため込む。獣は、知恵もつ獣になったのです。

 でも、やはり獣は獣です。

 或る時から、そんなものでは満たされなくなりました。
 もっと知恵を、もっと学びを、もっと理を!
 そんな欲にとりつかれた僕は、ついには島の大学に忍びこむようになりました。
 大学は僕の求める知識に満ち溢れた世界でした。そこでは、これまで知らなかったこと、知ろうともしなかったこと、知ってはいたけどなにもわかってはいなかったこと、全てを知ることができたのです。日々を知識に囲まれ、知識を喰らい、知識と共に眠り、僕は幸福でした。

 そんなある日のことです。
 僕は偶然図書館の奥で、「彼」に出会いました。
 彼は僕が人間とセイレーンの混ざりものであることを一目で見抜くと、その出生とセイレーンでありながら本を読む僕を面白がり、「正式に大学に通ってみないか」と誘いをかけてきたのです。ご両親の意向もあるだろうから返事は後日でいい、と彼には言われましたが勿論僕はすぐさまその誘いを受け入れました。僕の行動に対する「意向」など母たちにあるわけもありませんから。
 しかし、今考えるともしかしたらあの出会いと誘いは偶然でも、ただ面白がったわけでもなく、彼の所有物であるこの島を守るセイレーンの一族の一人である僕に恩を売ろうとした彼の、打算的なものだったのかもしれません。よく考えなくとも、大学の理事長たる彼が昼間の大学の図書館に何の用もなくいるとは随分おかしな話です。
 でも、僕にとってそんなことはどうでもよく、ただ「正式に大学に通える」という事実が喜ばしかったのでした。なんせ忍び込んでいる頃は、大勢が受けるような授業であればともかく、受講生が少なかったり実習授業であったり、教師や生徒に個が認識されてしまうような授業は参加することができませんでしたから。

 でも、実はそれだけじゃなくて。
 知識の吸収だけではなく、いえ、あるいはその一環だったのかもしれませんが…僕には大学で少しだけ期待していることがあったのでした。





 僕は彼の気遣い…あるいは警戒から、学生という身分だけでなく、図書館の一部を僕の居住区とする権利を得ました。まぁ、図書館の一部というよりは図書館の地下というのが相応しいのですが。
 図書館の奥まった場所にあるとある本棚の、とある数冊の本たちを決まった場所に配置すると、その地下への階段が現れるのです。どこかの物語にありそうな設定と部屋ですが、それが今の僕の日常で部屋なのです。最初の頃は地下に帰る度に随分と感動したものでした。

 そこはシェルター用かなににつくられたのか、最初の頃は浴室と化粧室と寝室、あとはなにもないがらんとした部屋が数室あるばかりでした。僕としては浴室さえあれば他はなんでも構わなかったのですが、せっかく憧れの人間の世界で暮らせるようになったのです。色々とそれらしくやってみたくなるのがセイレーン心というやつでしょう。
 「自由にしていい」とのことでしたので、その数室の内の一つを居間に、一つを書斎に、一つを客室に、一つを…まぁ…なんといいましょうか。趣味部屋…と、客室…を足して2で割ったような部屋に致しました。いわゆる同好の士…が集まって活動できるような部屋です。
 さてその同好の士がいったいどういった趣味嗜好を持つ人間なのか、という話ですが基本的に「知識を集めるのが好き」あるいは「勉強が好き」な人間を想定しています。あ、もちろん人間以外の方も大歓迎です。そもそも僕も人間と言い切るには難しい身分ですから。
 なので、その部屋にはまず大学の教科書…と、本来であればその前段階の学校の授業で使うらしい教科書(こちらも気を使ったのか彼がくれました)を飾りました。これらは僕にとって大学に入ることを許された証のようで特別な意味を持つものでしたし、読めば読むほど奥が深いものだと日々感じていましたので。書かれていることはどれも大抵基礎的なことでしたが、基礎こそが応用・発展の母であることは日々の勉強で実感していました。それにそもそも、普通の本でしたら上にある図書館に行けば大抵ありますからここに置く意味もありません。
 ということで…これはおまけなのですが、図書館では借りられない本ということで、禁書といったものも置いてます。地上では手に入れるのは難しいようですが、海の中…というより母たちの姉妹が住処にしている場所では、こういったものがゴミのようにそこらへんに放られていることがしばしばあります。あの母たち姉妹がわざわざ地上に上がり本を買うとはとても思えないので、母たちが沈めた船の中にたまたまこういった本が積まれていてそれらが海の中にそのまま落ちている…といったところでしょうか。これが宝石のように美しい外見でしたらそれこそ血で血を洗う争いが姉妹同士で始まるでしょうが、大した特徴のない汚らしい外見の本に興味を持つ姉妹などいるわけもなく、ああやって放置されているのしょう。

 と、同好の士が集まって活動できるような部屋をせっかく用意したのですから、同好の士を集めないわけにはいきません。世間ではこういった集まりのことを「サークル」というようですが、参加メンバーが一人だけでは「サークル」とは認められず「非公式サークル」として扱われるようですし。…ただまぁ、「非公式」ですとなんだか恰好がつきませんので「秘密のサークル」ということにいたしましょう。
 ということで、図書館とみなさんが共同で生活されているという寮に、許可を得てその「秘密のサークル」のポスターを貼りました。勇気を出して、一緒に授業を受けている方々に声をかけてみたりなどもしました。

 ですが、まぁ…現実とはなかなか難しいもので…生徒は集まりませんでした。誰一人として。
 図書館の地下で活動していると話すと、興味を持ってくれる方もいらっしゃるのですが、活動内容を告げると皆さん目を泳がせてその後すーっと潮が引くように立ち去られてしまいます。
 「放課後や空いた時間に一緒に勉強をする」という非常にシンプルかつ楽しい活動内容だと思うのですが、どうやら皆さんなかなか興味を抱いて頂けないようです。
 
 残念ですが仕方がありません。無理強いはできませんから。

 それに、この集まりは僕のもう一つの期待__望みをかなえるための手段の一つでしかないと言えばないのです。だから、別にこの集まりがうまくいかずとも大きな問題はありません。
 実際、この集まりはうまくいかずとも僕の望みは徐々に叶えられていったのですから。


「お前って勉強できるんだな」


 それは、誰かが言い出したそんな言葉。
 
 ありがたいことに僕は授業中に先生方からお褒めの言葉を頂くことも多かったので、彼はそう思ったのでしょうか。
 ともかく簡単なことですが、それがきっかけでした。
 僕に話しかけてくれる人が増えていったのです。「わからないところがあるから教えて」「召喚術学マジで意味わからん」「さっきの授業内容理解できた?」「君って占術も得意だったりする?」…などなど。
 大抵は勉学の話でしたが、前述の通り勉強は好きでしたので大した問題ではありませんでした。というより、僕にとっては「彼らと話す」ということの方がずっと貴重な経験…いえ、こんな格好つけた言い方をする必要はありませんね__純粋に僕は彼らと話したかったのです。彼らと話し、「友人」というものになりたかったのです。
 僕の知るセイレーン__といっても血縁のみですが__に「友人」というものは存在しません。僕たち一族の世界ウミにはそんなもの、どこにもないのです。
 だから、僕はヒト世界には存在するらしい「友人」が欲しかった。

 これが、僕の大学に入った際のもう一つの期待。
 本能に従い血が繋がっているからという理由だけで群れる関係でもなく、生死を争う関係でもなく、一緒にいたいから一緒にいて、対等で、互いに尊重し合えるような関係。
 それは、とても素晴らしい関係なのではないかと僕は思うのです。僕には友人ができたことがよくわからないけれど、本の中で見るそれはとても輝いて見えました。だから、僕は欲しい。喜びを倍にし、悲しみを半分にするらしいそれが欲しくて欲しくてしかたないのです。
 これまでそのままの形で胸の中に置いておくしかなかった僕の感情を、どうにかしてほしくて、理解してほしくて、他の誰かにも自分のことのように感じてほしくて、欲しくて欲しくて欲しくてたまらなかった。


 __ですが…


 「頼む!神話学の課題見せてくれ!」「その…実は全然授業ノートとれてなくてさ、ノートうつさせてくれたりとか…しない?」「今度の小テスト対策のためのノート作って!」「課題、代わりにやっといてくんね?」「…実技試験の時さ、ちょっとサポート入れてくれない?」etc…


 __満たされない。


 課題提出前と、小テスト前ばかりかけられる声に、僕は少しだけ疲弊しはじめていました。
 彼らのお礼の言葉や笑顔はたしかに僕の心を満たしてくれます。でも、でも、その一瞬だけ。その一瞬が終われば、また心は僕だけの感情の廃棄場となり虚しい風ばかりが吹きます。

 これは僕が傲慢で強欲なセイレーンだからそう感じるのでしょうか。
 …そう、僕はセイレーンだから。僕は多くを望みすぎているのかもしれません。僕が普通の人間であれば、あの一瞬がもっと長くて…長く満たされた状態でいられるのかも。たしかに、あの満たされた感覚がもっと長く続くのであれば、喜びはより濃いものになり悲しみも大して気にならなくなるような気がします。
 であれば仕方がありません。僕が人間ではなくセイレーンであることであの満たされた感覚が長続きしないというのであれば、あの一瞬を少しでも多く起こせばいいのです。少しでも多く彼らからの感謝の言葉を貰えるように、彼らを笑顔にできるように立ち回るのです。


 __でも。


 大学に入学して二か月。
 初めての定期試験。秋中間考査。
 張り出される成績。
 
 種族学、一番上"Louis Coupeau"。二番目"Elle"。
 中級召喚魔法学、一番上"Louis Coupeau"。二番目"Elle"
 錬金術学、一番上"Louis Coupeau"。二番目…"Elle"。
  魔法史、一番上"Louis Coupeau"。二番目…二番目…
 
 以下、全筆記科目同文。


 …くだらない。
 成績など気にする必要のないこと。わかっています。
 大切なのは順位ではなく、僕がどれだけ成長できたか。どれだけの知識を得られたか。どれだけの知識を身にすることができたのか。

 __でも、でも、

 不安になるのです。二番目、の僕を彼ら__友人たちはまだ必要としてくれるのか。彼らからもっと感謝の言葉と笑顔をもらうどころか、そもそも彼らから声をかけて貰えることすらなくなってしまうのではないか。僕のことなど忘れて、みんなあの…Louis Coupeau…ルイ・クーポーの方に行ってしまうのではないか。

 
 ですが、それは杞憂でした。


 なぜなら彼は「悪役」の息子であり、無条件に疎まれる存在だったから。
 ゆえに彼がいかに筆記試験での成績が全科目一位だとしても、彼に声をかけるような勇気ある生徒はいませんでした。声をかけるどころか、彼が一位であることを疎むような声や、彼の実技の科目の成績がふるわないことを嘲る声の方が大きかったと言って構わないでしょう。

 結局いつもの彼ら__友人たちは僕のところに来ました。

 定期試験での筆記の方はともかく、実技の成績がよかったこともあるのでしょう。以前よりも、実技に関する質問も増えました。 

 彼らから感謝の言葉と笑顔をもらう機会も増え、心も満たされ、


 満たされ…


 …わかりません。



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