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第38話「震える体」
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★★★
「だから………俺は密偵なんてしていない……。」
「そこまで弱っていてよく嘘が吐けるな。」
「………嘘ではない。」
じめじめとして冷たい空気。
シトロン国の地下には牢屋があるのは知っていたが、こんな場所だとは自分が入ってから初めて知った。
ミツキは、両手を手錠で拘束されていた。そして、今は両腕を引っ張られるように上から吊るされていた。
目の前には数人の看守と騎士団員。
先程から、ずっと同じことを彼らに問いかけられ続けている。「お前が密偵だろ?」「いい加減、罪を認めろ。」と。
そして、「違う。」と返事をすると水をかけられた。それが、昨日の夜と今朝に行われた。
この国に酷い拷問がなくてよかったと思いながらも、体は水のせいで冷えきっていた。太陽の届かない部屋はとても寒く感じてしまう。
寒さを感じながら過ごした夜のため、体力を使い果たしたのか、ミツキはぐったりとしていた。たかが水を被っただけなのにと思いながらも、しゃべるのも億劫になるほどだった。
「………だめだな。これだと今はしゃべらないだろう。睨み付けるだけの気力はあるようだしな。………また、夜だ。」
1人の男がそう言うと、ミツキは天井から吊るされていた鎖を外され、左腕のみ床に固定されている鎖に繋ぎ直された。
「飯はそこに置いてある。………ここから出たかったら罪を認めるんだな。」
ミツキを睨み、そんな言葉を吐き捨てながら男達はミツキの牢屋から出ていった。
「…………罪を認めたら、助けてくれるのかよ……。」
ミツキは冷たくなった手で両手を覆いながら、小さく呟いた。
どうして、こんな事になってしまったのか。
他国の密偵だと疑われたことなど、今までに何度もあった。
けれど、シトロンに来てもう長い年月が過ぎたので、もう疑われることはないと思っていた。だが、そうではなかったのだ。
エルハムが変装し、共に他国へ繋がる道へ向かった事で、ミツキが姫を誘拐しようとしていると思ったのだろう。
異世界から来た者は、いつまで経ってもその国に認められる事はないのだ。
ミツキはそう実感していた。
目を瞑り、寝てしまおう。
そう思ったときだった。
真っ暗な世界に、一人微笑む女が見えた。ミツキは夢だとわかっていたけれど、手を延ばしてしまう。
「エルハム…………。」
ミツキは、エルハムの名前を無意識で呼んでいた。すると、彼女は微笑み「ミツキ。」と笑った。
いつも花のように綺麗な笑顔で微笑み、優しく名前を呼んでくれる。
「ねぇ、ミツキ。『あいしてる』という漢字、教えて欲しいの。」
「私を残して帰らないで………ミツキ。」
「……あなたが好き。」
照れた顔、悲しげな顔、頬を染めて気持ちを伝えてくれた彼女の表情。
目を閉じれば、昔から今まで、彼女の事を鮮明に思い出せる。
異世界に来て、牢屋に入れられているというのに。今までの働きを認められず、疑いをかけられていているというのに。
日本に帰りたいという気持ちが、1番に出てくる事はなかった。
「エルハム………おまえは今、何をしてるんだ。………会いたい………、そして………。」
彼女の顔を想像で見てしまったからだろうか。ほんのり体が温かくなった気がした。
ぬくもりを感じ、ミツキはそのまま目を瞑り続けた。
きっと夢ならば彼女に会えると信じて。
☆☆☆
「………っ………ゃ………。」
セリムの熱い唇が何度も自分の唇を強く押し付けられ、エルハムは頭や体を動かそうとした。けれど、騎士団長であるセリムの腕はびくともしない。
エルハムは、抵抗しながらも彼が与える熱に耐える事しか出来なかった。
長い時間に感じたけれど、もしかしたら短かったのかもしれない。
やっとの事で離れたセリムを、浅く呼吸をしながら、睨み付けた。けれど、頭がボーッとして、上手く力が入らなかった。
「セリム………。」
「私はずっとあなたを慕っていました。それなのに、専属護衛もあいつを選び……愛しい人としてミツキを見ている。……ミツキにエルハム様を守る権利を奪われるぐらいなら……私は専属護衛にならなくてもいい。私と結婚してください。」
「………な、何を言っているの………セリム。」
エルハムは瞳から涙が溢れた。
先ほど無理矢理キスをされた時に、溜まっていたものだったけれど、セリムの言葉を聞いて我慢が出来なかった。
「エルハム様、目を覚ましてください。ミツキは本当に異世界から来たのかもしれません。けれど、彼がどこかの国に先に住んでおり密偵として育ったかもしれないのですよ。現にあいつの部屋からはその証拠も出ている。」
「お願い、セリム………もう止めて……。」
「ミツキは、密偵なのです。」
「もう止めてっ!」
エルハムは大きな声を出して、セリムの言葉を止めた。
セリムは驚いた顔を見せた後、すぐに切ない視線をエルハムに送った。
「………どうしてみんなミツキを信じてくれないの?あの手紙の字は、ミツキではないじゃない。」
「私証を持っていない人間など、亡霊と同じなのです。信じられるはずがありません。」
「私証なんて、ただの紙切れよ。あれでどんな人間なんかわかるはずないわ。私証を持っている人でも、酷いことをする人は沢山いるじゃいっ!」
エルハムは感情が高まり、大きな声で怒鳴りつけるようにセリムに言葉を投げた。
誰かにこんなにも激しい言葉を使ったのは初めてだった。
そのため、セリムも動揺している様子だった。
そんな時だった。
コンコンッ。と、部屋の扉を控えめにノックする音が聞こえた。
「エルハム様、朝食の準備が出来ました。………それと、先ほどから大きな声が聞こえますが………大丈夫でしょうか?」
エルハムの使用人が心配して声を掛けてくれたのだ。
セリムはそれに驚き体を離した。
その隙に、エルハムはセリムの体を押してベットから降りて、逃げるようにドアまで近寄った。
そして、すぐにドアを開けて使用人に挨拶をした。
「ごめんなさい。セリムと話をしていたの。セリムも今から仕事で退室するから、今日はここに朝食を運んで。」
「かしこまりました。」
使用人は静かに頭を下げた後に、朝食を取りに戻った。
「セリム………もう話はおしまいにしましょう。」
「エルハム様、私は………。」
「セリム、これだけはわかって。私はミツキを信じている。けど、あなたも大切な仲間よ。セリムの事も信じていた。それはわかってほしいわ。」
「…………。」
エルハムがそう言うと、セリムはハッとした様子を見せたが、すぐにうつ向きそのまま部屋を出ていった。
彼がドアを閉めた瞬間。
エルハムは、体から力が抜けて、ゆっくりと座り込んでしまった。
セリムの突然の告白と、キス。そして、見たこともない男の人の顔。
エルハムは体が震え、自分の腕で体を抱き締めた。
「………なんで、こんな時にあんな事を言うの。そして………。」
エルハムは指で自分の唇に触れた。
セリムの熱い体温と、濡れた感触。それを思い出して、エルハムは手の甲で唇をさすった。
「………私も同じような事してたんだよね………。好きになると、気持ちが抑えられなくなるのかな………。」
エルハムは、そう呟きながらその場で呆然とした。
けれど、そろそろ使用人が来る頃だと思い、立ち上がろうとした時だった。
ベットの脇に、昨日図書館から借りてきた本が落ちていた。
セリムとのいざこざがあった時に、落としてしまったのだろう。エルハムは、その本に近づき、拾い上げた。
「これは大切なものだから、壊すわけにはいかないわ………あら。」
持ち上げた瞬間、本に挟まっていた何かがひらりと床に落ちた。それは白い小さな紙だった。
エルハムは不思議に思いながら、それを手に取ると、そこには何かが書かれていた。
「………これは………。」
そこに書かれている文字を見た瞬間、エルハムは顔が真っ青にして体を固めてしまった。
それでも、視線はその紙から目が離せなかった。
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