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三章「新たな香りと終わりの予感」

二十、

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   二十、




 矢鏡は駅へと向かっていた。いつも、紅月が通勤で使っているので、そんな彼女を迎えに行っている矢鏡にとっては見慣れた場所だ。
 電車の乗り方を覚えたので、小判を窓口に置いて乗車する。無銭乗車でも誰も気づかないはずだが、それは忍びないのでお金は置いておく。きっとしばらくは無料で乗れるぐらいの金額にはだろう。しばらく電車に揺れてついた場所は閑静な住宅街だった。その住宅街に目的のある場所
 平日の午前中とあって、静かな場所だ。どんよりとした梅雨空のためか外を歩いている人は少ない。矢鏡はゆっくりと下駄を鳴らしながら歩く。すると、どんどんと道が細くなる小道が現れる。そこには、少しずつ雑草がはれたコンクリートが目立つようになってくる。その先には住宅街の中にポツリと残された小さな森が目の前に見えてきた。その入口には真っ赤な鳥居が出迎えおり、そこをくぐると長い階段が続いている。その階段の脇には、一定間隔で真っ赤なのぼり旗が並んでいる。静かな場所だが、雰囲気は賑やかだ。
 入口の鳥居の中央には『龍神神社』と立派な金の文字で書かれている場所だ。

 その場所に矢鏡が足を踏み入れようとした時だった。


 「消えかけている弱き神が、この場所に何ようだ」
 「……龍神か」

 声だけその場に響いているが姿は何も見えない。
 姿を見せる必要はない相手と判断したのだろう。その傲然たる声から、矢鏡を見下しているのがわかる。それもそのはずだ。こんなに立派な神社のだ。信仰心が厚い人間も多く、参拝者もひっきりなしに来るのだろう。神力も強いはずだ。廃れ嫌われている矢鏡神社とは比べ物にならないはずだ。


 「用件があって参った。少し知恵を貸してくれないだろうか」
 「人間から神になっただけの弱きものが、私を頼るか」
 「弱い者だからな。頼らねば生きていけん」
 「人間と同じだのう」
 「元人間だからな」
 「……よかろう。弱き神が何を求めているのか気になる。話してみよ」


 どうやら、矢鏡に少しは興味をもったようだ。暇つぶしの相手にはなると思ったのだろう。
 それでもいい。自分の知らない知恵を借りれるならば、バカにされても見下されてもかまわない。神になったからと言って鼻を高くするほどおごってはいない。元は怪物と言われた人間なのだから。

 「俺の神社を大切にしてくれている人間が、ある蛇神に呪いをかけられている。体を蝕んでいるようで命が危ない。自分にはこのように力が足りないのだ。蛇の呪いを祓う方法はあると思うか」
 「蛇神が人間に呪い?そんな事があるのか」
 「実際、低級の蛇の呪いは俺が祓んだ。だが、それよりも深い所で呪いが体をついているんだ。最近では、その人間はかなり苦しみ弱っているんだ。どうにか助けたい」
 「………なるほどな。その人間を助けないと自分も消滅するからな」
 「そう、だな」


 自分が消滅する事は今となってはどうでもいい。
 力を全部使って彼女が助かるならば、その方法を躊躇なく選ぶだろう。けれど、それだけでも蛇神の呪いには勝てないということは、矢鏡であっても理解している。
 だから、蛇神よりも神力が強く、蛇よりも強い龍に助けを求めたのだ。龍は水神として古くから人間に大切にさえれてきた存在だ。水は生活をする上で欠かせない存在だ。今現在人間が使用している「蛇口」。昔は「蛇体鉄柱式共同栓」と呼ばれていたようだ。その蛇は龍という字を使用する予定だったが、簡素化などの理由から龍ではなく蛇口となった。それぐらい、水神として龍は大切にされてきたのだ。

 だからこそ、今でも絶大な力を保持している。
 そして矢鏡が人間だったた頃よりも遥か昔から生きている存在だ。知恵も深いはずだ、と考えたのだ。
 矢鏡の問いかけ後、しばらくの間の沈黙があった。その間にも矢鏡の近くを参拝者の婦人2組が参拝道である階段をゆっくりと登っていく。その人間達からは、とても心地のいい気を感じられる。この神社を参拝するのを嬉しいと思っているのだろう。そんな人間が毎日訪れるのだ。矢鏡は、昔に感じていたその感覚を思い出しながら2人の背中を眺めていた。


 「もしその呪いが蛇神がしたものであったのならば、人間はもちろんの事、おまえのように微量にしか力を保持していない神では祓う事も弱める事も無理であろうな。私であっても、神の呪いというのは骨が折れる」
 「やはり、そうなのか。……だが、何としても助けたいのだ。何でもいい、知恵を授けてはくれないか?」
 「それは難題ではない。無理なのだ」
 「………そんな」


 方法も助ける可能性もない。自分より高貴な存在である神にそう断言されると、矢鏡は頭の中が真っ白になった。
 どうすればいい?紅月が苦しんで弱り果てて死んでいくのを見ているだけなのか。
 大切にしたいと、思った人間を、守れないのか。
 
 悔しさが込み上げてきて、矢鏡は握りしめていた手が震えるのを感じた。

 そんな様子を見て「おまえは面白いな」と龍神が珍しいものを見るように笑っていた。
 助けられない悔しさと情けなさで怒りすら感じていた矢鏡は、その言葉で頭に血が上っていくのがわかった。


 「……何が面白い?」
 「人間一人が死んだとして、何をそんなに悔しがっているのだ。見たところ、あの数人はお前を慕っているものいるのではないか?すぐに消滅などしないだろうに」
 「そんな事はどうでもいいんだ。俺はあいつを助けたいだけだ」
 「その理由とやらが知りたいんだ」
 「話す意味などないだろう。助けられないのだからな」


 そう言って、矢鏡はその神社に背を向けてさっさとその場から去ろうとした。始めは全く興味を持っていなかっららしい龍神だったが、その背中に向けて引き留める言葉を発した。


 「その理由とやらを話せば、おまえに面白い事を教えてやろう」
 「面白い事だと?」
 「あぁ、そうだ。………それに、先ほどから声だけで悪かったな」


 その言葉の後、矢鏡の目の前に突如人間の形をした存在が現れた。
 水色の肌に、深海のように深い藍の瞳、そして長髪だと思われるものは、よくみると鱗。真っ白な着物を身に纏った人間に似た化け物の姿があった。いや、化け物だといえば、この存在は怒るだろう。


 「おまえのように人間の形にしてみたが、おかしくはないか?」
 「まぁ、いろいろ変なところはあるが、どんな形であれ存在していれば話やすい」
 「そうか、ならば先程の続きを話せ」


 そうその青い足の生えた人魚のような存在は、この龍神神社の龍神なのだ。どうやら、青龍だったようで、鱗や肌なども真っ青なのだ。それが不気味に思えず神秘的にさえ感じられるのだから、やはり神という存在は特別なものなのだろう。
 この龍神に紅月の話をするのは嫌だったが、この神が言っていた「面白い事」がどうも気になる。今は藁にも縋る思いなのだ。その話を聞いてみれば、もしかすると何か助ける方法が思いつくかもしれない。

 矢鏡は小さく息を吐いた後、階段に腰を下ろした。
 短い話ではない。ずっと話し遠しでは疲れてしまうだろう。龍神に遠慮することなく座り込んだが、龍神も気にする素振りを見せずに、その場に佇んで矢鏡をジッと見ていた。早く話せ、という事だろう。
 仕方がなく、矢鏡は蛇神の呪いがかかった人間との関係を話す事にした。

 矢鏡神社の唯一の参拝客である紅月の呪いを見つけた事。そして、それを祓うために彼女に近づいたこと。そして、昔から惹かれていた紅月と呪いを祓う条件として結婚をした事。その後、体にお経を書き、口からでた蛇の呪いを体の中に取り込んで祓ったが、それでも紅月の体の中にはまだ大きな呪いが残っていた事を話した。
 すると、龍神は声を出して笑いながら「無茶をするな、人間の神は」と、涙を浮かべるほど笑っていた。


 「呪いを体内に取り込んだというのだけでも面白いのに、神であるおまえが人間の女と結婚までしたなんてな。これ以上愉快な話はないよ。最後まで話を聞いてみてよかった。今度の出雲大社で神々が集まる時は、きっとお前の話でもちきりになるだろうな」
 「やめてくれ。あの集まりは苦手だ……」
 「みんなうらやむと思うがな。人間との結婚などそう簡単に出来るものじゃない。まず神が見える人間に出会わなければいけないし、その女に惚れるかもわからん。そして、神という人外の存在と結婚しようとする女というのもなかなかいないだろうからな。人間と神の子どもなど、聞いたこともない。後々まで面白い話が続きそうだ。あと数百年はこの話で盛り上げれる」
 「人を話題の種にするな」


 とっつきにくい高貴な神様だと思っていたが、話してみるとそうでもないようで、先程から矢鏡の前で笑い続けている。どうやら、万年生きていると暇な日々なのだろうか。矢鏡と紅月の苦境を笑いものにされるのは癪であったが、龍神の知恵を借りれるのならば、我慢しなければならない。
 ふーっと長い息を吐いた後に、龍神を見つめる。水のように青々と深く、それでいて澄んだ色の瞳がひかり、こちらを見返す。


 「面白い話の礼だ。おまえに、私の知っていることを教えよう。神である存在のものが、人間を呪う。そんな事は禁忌である。ありえないし、あってはいけないことだ」
 「なんだ、と」
 「当たり前であろう。神々は人の信仰なくしてなくして存在できぬものだ。誰一人自分を知らなければ、存在意義がなくなり消滅するのであろう。おまえが必死になって女を助ける理由と同じだ。人間なくして神はいない。そんな人間を神が呪うなど、ありえないのだ。罰を与えたり、地獄に落とす事は出来ても、呪いは自分勝手な都合にすぎんからな」
 「自分の都合………」
 「あぁ。その蛇神とやらが何か恨み辛みがあったのだろう?だから、呪った。いや、もしかしたら………」


 そう言葉を残した後、また龍神は言葉を止めて考え込んだ。その間、矢鏡は彼の話を思いし返した。

 神々の禁忌。
 それが人間を呪うこと。だとしたら、そんな罪をおかしてまで、あの蛇神が呪いを施した理由はなんなのか。
 想像でしかないが、理由は1つしかないと思われた。
 矢鏡が巨大な白蛇を倒したからだ。矢鏡があの女を倒したとき。確かにあの白蛇はこの世に存在していた。神などではなかったが、あの村ではあの巨大な蛇を神様だと崇め、大切にしていたのだろう。いや、頼っていたのかもしれない。
 だが、突然その白蛇は人間に殺された。死んで、その後に神として神社で祀られるようになっても、その恨みが残っていたのだろう。だから、同じく神となっていた矢鏡の事を知り、自分の参拝者である紅月を呪っている。
 そうとしか考えられなかった。
 自分が傷つけられるよりも、大切な者を傷つけられる方が辛いのだと、蛇神が知っていたのであれば、更にたちが悪い。すぐにでも、蛇神とやらを見つけて殴り飛ばしてやりたい。

 そんな事を考えていると、目の前に立っていた龍神が「あるいは……」と口を開いた。


 「自分から人間に呪いをかけない、でも呪いと同じ同じ事が出来る方法がある。そうすれば、自分が禁忌を犯す事はなく、人間を殺すことが出来るだろう」
 「………そんな方法なんてあるはずがないだろう……」
 「あるさ。それはーーー」

  それの言葉を聞いた瞬間、矢鏡はハッとして石段から立ち上がった。
 まさか、そんな事はない。
 そう思いたかった。けれど、その言葉を聞いて、脳裏に浮かぶ事があった。


 何故、肇に矢鏡神社を参拝させた?
 どうして、苦しむ事を隠そうとする?

 紅月がついている嘘とはなんなのか?


 「答えがわかったら教えてくれないか。それが礼でいいぞ、元人間の神よ。最後まで私を楽しませてくれ」

 そう言い残し龍神はクスクスと笑いながら宙に浮き、ゆっくりと消えていく。最後には始めと同じように声だけがその場に響いていた。

 その声が消え終わる前に、矢鏡は龍神神社から駆け出していた。

 

 
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