水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~

蝶野ともえ

文字の大きさ
21 / 30
四章「わたしの神様」

二十一、

しおりを挟む
 




  二十一、



 
 頭が痛い。
 神と言う存在になってから、身体の痛みなど感じることなんてなかったというのに、昔の事を考えると頭がズキズキと痛み、映像がボヤけてしまう。
 そして、考えまいというように、矢鏡が人間だった最後の頃を思い出させるのだ。
 矢鏡の過去はそれしかないかのように。

 それにもきっと理由があるのだろう。
 全て、紅月の嘘に隠れされているようだ。

 早く彼女に会わなければいけない。今すぐに、紅月に。
 そんな想いで、ゆっくり移動する事はせずに、曇り空の中を飛び、彼女が働く弁当屋へと向かった。夕方に近い時間だが、まだ仕事をしているだろう。けれど、そんな事など今は関係ない。緊急事態なのだ。
 ただでさえ、紅月に命の危険が近づいているのだ。一刻も早く、紅月から話を聞きださなければいけない。

 店先からその弁当屋の様子を伺う。
 仕事や学校帰りの人達が訪れるには、まだ早い時間なので店内は空いている。そのため、中の様子はガラス窓からでもよく見えた。けれど、接客担当である紅月の姿はそこにはなく、代わりに年配の女性と、調理用の白い服を着た男性が、話し込んでいるのが見えた。紅月は遅い休憩時間なのだろうか?と、考えたが、もう少しで働きに出ている時間は終わるし、2人の深刻な表情があり矢鏡はどうも気になってしまった。そのため、矢鏡は店内に入って2人の話を聞いてみる事にした。
 

 「どうしたのかしらね」
 「あぁ、心配だな………」


 ため息をつきながら、店員である年配の2人は話しを続けていた。何かあったのはよくわからない。けれど、店内に入って来た矢鏡に気付いていないため、ここで矢鏡が「何があったのか教えてくれ」と声を掛けたかったが、話しをしたとしても彼らにその声は届く事はない。自分の立場がもどかしくなる。何か物を持って移動させていることをわからせたとしても、逆に人間達を怖がらせるだけだ。ここで、紅月の話をするのを黙って待っているしか方法はないのだ。
 長い時間かかるかと思ったが、その機会はすぐに訪れた。どうやら、まだ話題は変わってはいないようだ。



 「紅月ちゃん、辞める事なんてなかったのにね」
 「あぁ。体の不調なら、ゆっくり休んで元気になってきたら戻ってきてくれたらいいのにな」
 「そうよね。けれど、本当に大丈夫なのかしら。突然倒れちゃうんですもん」
 「病院では特に異常は見られなかったが、疲労はあったようだな」
 「そんな……。早く良くなるといいわね」

 
 「紅月が倒れた………?」


 弁当屋の2人の話しでは、紅月が倒れて医者に診てもらったという事。そして、紅月が弁当屋の仕事を辞めたという事だ。なぜ辞めたのかも気になるところだが、今はそれどころではない。
 話しを聞く限りだと、紅月はここで倒れてしまい、店の男と医者まで行ったのだという。そこまで酷い状態だったことに驚き、そして戸惑ってしまう。

 紅月はどこにいる?
 病院だろうか。いや、異常はなかったという事はきっと帰宅しているのだろう。
 まだこの2人に詳しく話を聞きたかったが、自分が欲しい情報を上手く話すかはわからない。そんな時間はもちろんないし、彼女の無事を確認する方が先だ。

 矢鏡は急いで、紅月の家へと向かった。
 無駄な力を使いたくはなかったが、紅月がどうなっているかわからない。一刻を争う状態ならば、1秒で惜しい。矢鏡は紅月の元へと向かう速さを増して、あっという間に家へと到着した。






 「紅月?」
 「…………」


 矢鏡が紅月の家に戻ると、紅月はベットで横になっていた。
 だが、いつもと様子が違っている。胸は上下に激しく動き、顔は真っ青で、呼吸も苦しそうに口を開けていた。おもちろん、彼女は寝ているようで瞼を深く閉じている。そして、時々苦しそうな声を上げている。
 矢鏡は、紅月に駆け寄り、体を揺すって彼女を起こした。紅月がこのまま遠くにいってしまうのでは。そんな恐怖に襲われたからだ。

 紅月が死んでしまう。
 目の前から消えてしまう。言葉を交わす事も、ぬくもりを感じる事も、彼女の笑顔を見れなくなってしまう。


 また、俺は彼女を失ってしまう。


 「……また?」


 自分の脳裏に浮かんだ言葉に、疑問が生まれる。
 また、とは何のことだ?どうして、そんな言葉が生まれるのだ?
 それと同時に、またあの靄が頭の中に表れる。思い出せない。これは、何なんだ?
 自分の知らないところで、何が起こっているのだ。

 「や、……矢鏡様?」
 「紅月、気がついたのか?大丈夫じゃないだろ?体、辛いよな?」
 「す、すみません……。少し風邪をひいたみたいで。喘息なんだと、思います」
 「おまえは、あと少しで死んでしまう。そして、それを紅月も知っている。………違うか?」
 「………ぇ………」


 紅月の表情が歪んだ。

 それは、痛みでもなく、驚きからくるものだと矢鏡はすぐにわかった。ずっと嘘をつき続けていた紅月が初めて見せた演技が崩れる瞬間。戸惑いだった。
 どうして、それを知っているのか、と問う表情だった。

 「………やっぱり、図星だったな」
 「矢鏡様、どうしてそれを……」
 「俺に教えてくれないか?おまえが俺につき続けていた嘘を」

 
 紅月は、目を見開いた後、ゆっくりと目を閉じた。そして、小さく息を吐き、苦しげに顔を歪めながらもゆっくりと身体を起こした。矢鏡は彼女の体を支えながらそれを助ける。すると、紅月は「どうして、バレちゃったんですか?」と、震える声でそう言葉を漏らした。
 彼女の瞳は潤み、すぐにでも涙が零れそうになっていた。

 
 「………これで最後だったのに。これで、もう楽になるはずだったんです」
 「紅月?」
 「それなのに、最後の最後の矢鏡様と結婚出来て、毎日毎日矢鏡様と笑い合って幸せに過ごせたら、私、死にたくなくなっちゃったんです。もっともっと一緒に居たくなってしまったんです」
 「一緒にいればいい。これからもずっと一緒だ。俺がおまえを死なせない、だから………」

 矢鏡は泣きじゃくりながら苦し気に言葉を吐き続ける紅月の肩に手を伸ばして、細い体を思いっきり抱きしめる。彼女の体は震えており、いつもより冷たい。けれど、彼女の香りである沈丁花は、いつもと変わらない。唯一変わらない香りが、少しだけ矢鏡を安心させる。



 「あと2日で、25歳になるんです、私」
 「あ、………あぁ。誕生日、近いな」


 突然、そんな話を始めた紅月に戸惑いながらも矢鏡はそう返事をする。
 すると、紅月は苦笑いをしながら頷いた。


 「………25歳になると、死ぬ。そんな約束になっているんです」
 「それは、蛇神との約束なのか?」
 「やっぱり知ってしまったんですね……」
 

 龍神が矢鏡に教えた事。
 それが、神と契約をしたのではないか、というのだ。
 それを紅月はすんなりと認めた。信じられない事だが、真実なのだろう。現に、紅月の体は蛇神の呪いにかかっているのだから。
 そうなると疑問は1つだった。
 紅月は、蛇神とどんな契約をしたのか。命を対価にしてまで、彼女は何を望んだのか。



 「紅月。おまえは、命と引き換えに何を望んだんだ?」
 「ずっと嘘をついていてすみません。私は、ずっとずっと矢鏡様の事を知っていました」
 「………何を言って」
 「私が望んだ事。それは、ずっとずっと矢鏡様をお参りする事です」



 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

処理中です...