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四章「わたしの神様」
二十二、
しおりを挟む二十二、
「お参りって。紅月、何を言っている?」
紅月は幼い頃から矢鏡神社を参拝していてくれた。だからこそ、矢鏡の存在は消える事なく神として存在していられる。
それについては感謝している。だが、それが蛇神との契約にどう関係しているのか。それがさっぱりわからなかった。紅月は咳き込みながらも、何とか矢鏡の言葉に答えようとする。苦しそうな彼女の体を支えながら紅月を見つめるが、矢鏡は混乱していた。
紅月の話の内容が全く理解出来ないのだ。
「矢鏡様をずっとお慕いしたいと思っていました。私を助けてくださり、神様となって村を守ってくださってからも。そして、祟り神と言われるようになってからも。私だけでも、あなた様に感謝の気持ちを伝えたかった」
「………助けたって。ま、まさか………」
「…………」
紅月は声を止めた。
矢鏡にそれを伝えるのを直前になっても迷っているのだろう。
けれど、矢鏡だったそこまで鈍感ではない。彼女の言葉の続きを何となくだが予想出来た。
そんな事があっていいのか?
紅月の嘘は、とてつもなく大きくて、矢鏡の想像を遥かに超えていた。
けれど、紅月は今までどんな気持ちだった?どうして、こんな辛い契約を結んだ?
何故?どうして?
その疑問が次々に浮かんで、矢鏡の頭を支配してくる。
矢鏡の腕の中にいる細い体で、紅月はどんなに辛い生き方をしてきたのか。
彼女が話す真実を早く聞かなければいけない。けれど、それの嘘の大きさに、矢鏡は身が震える思いだった。
とても重くて、悲しすぎる事実を。
「私が、蛇神様と交わした約束。それは、25歳になったら蛇神様の呪いで死ぬ事。そして、死んだ体を蛇神様に差し出す事です。そして、その代わりに私が生まれ変わっても永遠に過去の記憶を受け継ぎたい。ずっと矢鏡様を覚えていたい。そう蛇神様と約束しました」
「………人身御供を望んで生き続けたのか?」
「はい」
「………それがおまえの願いで、俺の存在のため?」
「私のためです。私が、矢鏡様に会いたかった、死んであなた様の事を忘れてしまうのが怖かったのです。矢鏡様はずっと神様として生きて行かれるのに、私は違う存在になってしまう。忘れてしまうのが悲しすぎました」
「どうして、俺は覚えていない!?そんな事など、私は知らないぞ!」
信じられない事実。
それを受け入れられない。そう、その間ずっと矢鏡は神としてこの世の存在していた。それなのに、どうして紅月の魂に気付かなかった。そんな事があるはずもない。
けれど、疑問もずっとあった。昔の事を思い出そうとすると記憶に靄がかかり人間の頃の思い出しか残っていないという事が。その間は何百年という長い期間なのに、だ。
そこでハッとする。
記憶を操作されている。紅月と同じように?矢鏡の記憶に何らかの力が働いてる?そんな事が出来てしまい、そうする事で利益になる存在。そんな奴は一人しかいない。
「ま、まさか。俺にも呪いが………」
「………申し訳ございません。これの事実を知れば矢鏡様がその呪いを祓ってしまう可能性があると考え、矢鏡様の記憶も蛇神が封印しております。私が生まれ変わる間の短い時間。矢鏡様の力はない状態になってしまう。その時に力を施している、と話している」
「そ、そんな。紅月はあの時からずっと俺を消滅させないために、参拝しつづけているというのか?そんな、………信じられない」
「でも、本当なのです、矢鏡様。いえ、左京様」
「っ………。その名を知っているのか………」
その名前を知っている者など、今の世の中ではいないはずだった。
矢鏡が人間だった頃の両親や、数少ない友達、そして住んでいた村人ぐらいだろう。その人間達も、もうとっくに死んでいる。何百年も昔に。
左京。それは、矢鏡が人間だった頃の名前。両親と住んでいた村から追い出された時に捨てた名前であった。村から出てから山暮らしをしている時は名前など名乗ってはいないのだ。
そう1人を除いて。
「その名前を知っているという事は本当に」
「はい。あの時、左京様に助けていただいた寺の娘です」
「おまえが。そうか、おまえはあの時、生きていられたのだな」
「左京様もおかげでございます。ずっとずっと、こうやって感謝を伝えたかった。矢鏡様にお気持ちを伝えたかった。なのに、ずっと嘘をついて知らない振りをしてしまいました。本当に、申し訳ございません」
涙を流し、嗚咽交じりに謝り続ける紅月を矢鏡は唖然としながら見つめる。
この女は、矢鏡は知らない間も25歳で死ぬとわかりながら生き続けてきたのだ。何百年もの間、何度も何度も。矢鏡が消えないように、いつも矢鏡神社を参拝し続けてきたのだ。
矢鏡のために。
「死期が近くなると、矢鏡様もお姿を拝見する事が出来るようになるのが楽しみでした。20歳ぐらいになると、矢鏡神社に行くと矢鏡様が境内で、そっと私を見守ってくれているのがわかりました。お姿を見られるのが、すごく嬉しくて。最後の方は20歳ぐらいになると、何回も足を運んでしまったのです。村の近くで生まれ変われることが多くて、嬉しかったです」
「……紅月」
「だから、最後の最後に矢鏡様のお嫁さんになれて、本当に幸せ者です。私は、左京様をずっとずっとお慕いしておりました。大好きなのです。あなた様と一緒に過ごせた数百年は、本当に幸せでした」
紅月は体を支えていた矢鏡を弱々しい力でグイッと押してきた。
ヨロヨロと立ち上がり、矢鏡の体をそのまま押し続ける。
「……紅月?おい、何をするんだ……」
「………もうおしまいです。私はもうあと2日で死んでしまうし。いつもの通りだと、明日はほとんど意識もなくなってしまうので。弱った姿はもうこれ以上見せたくないんです。だから、もう夫婦はおしまいです」
「何を勝手な事を。それにさっきから最後というが、それはどういう事なんだ?契約では、ずっと生まれ変わるんじゃないのか?」
「それは………」
「25歳で死ぬなんて、おしまいにしてやる。俺が、呪いなんか祓ってやるから。だから、教えてくれ」
「そんなの無理です。蛇神の約束は絶対なんですから。……それに、今回でおしまいなんです」
「それは、どういう意味なんだ?」
話しを聞くまで矢鏡が去ってくれる事はないとわかったのか、紅月は矢鏡を押していた手を力なく下ろした。
「本当は全部話さないで死んでいく予定だったんですよ。左京様には心配させてくなかったから。カッコ悪いですね、私」
「何も話さないで死んだら、俺は怒っていた。今でも、怒ってるんだぞ」
「……それは困りますね。私は、左京さんに喜んで、笑っていて欲しかったので」
諦めたように、小さく息を吐き、紅月はいつものように笑みを浮かべた。
今までと変わらない笑みに、矢鏡は場違いに安堵してしまう。紅月には泣き顔よりも笑顔でいてほしい。それは矢鏡であっても同じ事だった。矢鏡は、紅月の頭を撫でて後、涙が溜まった目尻に指先を落とす。すると、紅月は「冷たくて、気持ちいいです」と、矢鏡の手に自分の温かく柔らかい手を重ねながらふわりと笑った。
この笑顔が見られなくなってしまう。大切な愛しい人のこの笑顔を守りたい。弱々しくも可憐に咲く花のように華やかな紅月の笑みを見つめ、矢鏡は目を細めながらそう強く思った。必ず、守り抜く、と。
「私が蛇神様と約束を交わしたのは数百年前です。人身御供のための条件は25歳で死ぬ事と、処女である事」
「………」
人身御供の鉄板の決まりである、男との交わりを持たない純潔の娘。
それが蛇神が求めた条件であったようだ。紅月は何人もの男に想いを告げられていたのに、全く相手にしなかったのはこのためなのだろう。好きな相手をつくったとしても、結ばれる事はないのだ。そして、25歳で死ぬことは決まってしまっている。そうなれば、人との交流も極限まで少なくするはずだ。別れが寂しくないように。だからこそ、紅月は贅沢もせず質素に静かに過ごしていたのだろう。家族と離れ、ほとんど友達も作らずに25歳まで純潔を守りながら静かに生きていき、神社を参拝し矢鏡のために命を捧げる。
記憶を消されてたとはいえ、それを知らずにのうのうと過ごしてきたのだ。それで何が神様だ。自分の不甲斐なさに怒りが湧き上がってくる。
「……それと、あと1つ」
「まだ条件があるのか?」
「5回生まれ変わった後は呪いはおしまいになるんです。今回がそれでおしまいです」
「そうなのか!?じゃあ、もう25歳で死ぬことはないのか。それは安心したが。でも、今回だって死なせはしないけどな」
「ありがとうございます。左京様。……でも、呪いはつきませんが、その前に私という存在がいなくなるのです」
「……それは、どういう事だ?」
「5回目の生まれ変わりの時。25歳になったら体だけではなく、魂ごと蛇神に食べられるという約束なのです」
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