アラサー女子は甘い言葉に騙されたい

蝶野ともえ

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22話「忘れたくない人」

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   22話「忘れたくない人」





   ★★★



 いつかはこうなってしまうのだろうと、わかっていた。
 それなのに、彼女の傍にいるのが心地よくて、甘えてしまっていたのだ。本当の事を言ってしまったらどう思われるのか。
 所詮は、彼女よりも年下で、まだまだ子どもの学生。余裕もないし、お金もない。ただ、夢を追いかけているだけの青臭い男だ。
 そんな時に吹雪に会った。それが周にとって大きな出会いだったのだ。

 恋愛など興味がなかった周だが、彼女だけがキラキラと輝いて見えたし、話してみたいと思った。そして、隣に居て欲しいとも思った。それなのに、本当に自分を見せるのが、まだ怖かったのだ。
 どんなに着飾っても、いつかはバレてしまうというのに。


 彼女の部屋の前で待ち始めて数時間。
 こんな事をしては迷惑なるのは、わかっていた。
 けれど、彼女の傷付いた表情を見てしまったら、何も出来ずに帰る事など出来るはずもなかった。自分が傷つけた。そんな事はわかっている。だからこそ、本当の気持ちを自分の思いを伝えなければいけないと思った。



 「吹雪さんに会いたいな…………」


 周は薄暗くなった空を見上げてそう呟いた。廊下からは、ビルの狭間の空が見える。そこから少しずつ星が見え始めている。

 本当ならば、夜中でも朝まででも待っていたかった。
 けれど、そんな事をしてもダメだともわかっていた。吹雪に、ただ会うだけではダメだと。
 今の自分では、きっと彼女に相応しくないだろうと。


 月が見え始め、人々が仕事や学校を終えて自宅へ帰り始める時間。
 周は、ついにその場から離れた。


 『今日は帰ります。また、吹雪さんに会いにくるから。………本当にごめんなさい』

 
 そんなメッセージを吹雪に送り、周は温かく心地のいい彼女の近くから離れた。

 いつまでも彼女に甘えていてはいけないのだ。きっと吹雪からの返信は来ないだろう。
 それでいい。


 「また、来ます。………必ず」


 周は振り返り、彼女がいる部屋のドアを見つめながらそう呟いた。
 もちろん、彼女からの返事などなかった。







   ☆☆☆





 『今日は帰ります。また、吹雪さんに会いにくるから。………本当にごめんなさい』



 このメッセージが届いたのはもう数週間も前だった。もう少しで、1ヶ月が経とうとしていた。

 何度このメッセージを眺めていただろう。
 けれど、吹雪から返事をする事はなかった。



 周と柴田の話しを聞いた時の衝撃は、思い出すだけで今でも苦しくなるほどだった。
 けれど、周と会えない日々は、それよりも、もっと辛かった。
 忘れなければ。そう思っているのに、フッと彼の事を思い出してしまうのだ。

 彼の笑顔と、繋いだ手の感触、抱きしめてなぐさめてくれた事やミステリアスな表情。全てが吹雪を思考を支配していた。


 「明日見さん、大丈夫?」
 「あ、はい!!」
 「最近ボーッとしてるわね?体調悪いの?」


 職場の同僚に心配されてしまい、吹雪は慌てて頭を横に振った。
 先程からボーッとしては手を止めてしまっていたのか、全く仕事が進んでいなかった。同僚に謝罪をし、吹雪は「大丈夫です」と返事をして、仕事に集中した。


 もう彼から連絡が来なくなって、もう少しで1ヶ月が経つ。
 いつまでもクヨクヨしていられない。
 早く周を忘れてしまえばいい。
 そう心に言い聞かせて、吹雪は仕事に戻ったらのだった。




 けれど、家に帰れば、吹雪は彼からもらった蒼いマグカップを眺めて、ボーッとしてしまうのだ。
 同じ趣味を見つけてから、周とは更に距離が縮まっていたように吹雪は感じていた。このマグカップを買ってくれた時の店には2人でよく訪れていた。2人で甘いものをシェアして食べたり、食器を眺めたりして、穏やかな時間を過ごしたこともあった。「俺たちの趣味、何だなおじいちゃんとおばあちゃんみたいだね」なんて、笑ったりもしたな。

 そんな風に思い出しては微笑んでしまう。

 けれども、笑顔になった後に思い出すのは、柴田の言葉だった。
 周は柴田との約束のために吹雪をあのギャラリーに連れていったのだ。もし、彼と付き合っていたのならば、きっと本当に柴田に紹介するためだけに吹雪に近づいたのかもしれない。そして、吹雪の両親が地位のある人だと彼も知っていたのだ。だからこそ、吹雪を恋人役に選んだのだろうと、吹雪は思っていた。
 ホストの練習相手ではなく、偽の恋人だったのだ。


 そんな酷い相手など、早く忘れなければいけない。
 いつまでも周の事で前に進めず後ろを向いて立ち止まっては居られないのだ。

 吹雪はテーブルの上に置いていた蒼いマグカップを持って立ち上がった。
 ここからテーブルや床に、マグカップを思いきり落としてしまったら、陶器で出来たマグカップはすぐに割れてしまうはずだ。
 周を忘れるためには、彼から貰ったものを壊すのが1番だと吹雪は考えたのだ。目の前から周を思い出すものがなくなればいいのだ。


 彼から初めてもらったプレゼント。
 2人で「綺麗だね」と見入ったマグカップ。
 それを処分してしまえば、ここで今、手を離すだけで忘れられる。


 吹雪は目を閉じて、手に力を入れた。
 けれど、寸前の所でマグカップから指が離れる事はなかった。


 「………壊せるはずないよ…………周くんの事、忘れられないよ………」


 吹雪はマグカップを胸に抱き寄せ、しっかりと守りながら、涙を流してその一人呟いた。

 吹雪は自分では気づいてはいないぐらいに、周の事が忘れられず、そして好きになっていたのだった。



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