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8話「甘い時間とラズベリー」
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☆☆☆
畔と椿生が再会してからというものの、2人は頻繁にメッセージのやり取りをしていた。とりとめもない事から、歌の事など、いろいろな話を重ねた。畔は彼からのメッセージが届くのを心から楽しみに待っている時間が多くなった。
そんな2人が再び会おうとするのは必然的な事だった。
『次の土曜日に会わない?時間があれば、ぜひ』
そんなメッセージが椿生から届き、畔はすぐに『会いたいです』と返信をした。
こうして、2人が3回目に会う日が決まったのだった。
まだ暑さが残る夏の終わり。
畔はしっかりとメイクをして、服装も何日も前に考え、昨夜はパックまでしてしまった。自分でも張り切ってしまっているな、と苦笑してしまう。けれど、それは仕方がない事なのだ。
彼に少しでも可愛いと思ってしまう、女心というものなのだから。
椿生が誘ってくれたのは、午後からだった。待ち合わせ場所は、人通りが少ない駅の裏口だった。畔のために、待ち合わせの場所を考えてくれたのだろう。
畔は待ち合わせ場所前で日傘をしまい、少し早い時間に到着した。
すると、すでに椿生は待っており、畔を見つけると笑顔で手を挙げてくれた。
今まではスーツ姿しか見たことがなかったが、大きめの白いTシャツの細い黒ズボンという爽やかでシンプルな服装の彼を見て、畔は「モデルさんのようにかっこいいな」と見惚れてしまった。長身細身の彼は、待ち合わせの場所でも目立っており、周りの女性がチラチラと椿生を見ているのもわかった。
『こんにちは。お待たせしてして、すみません』
畔は彼に駆け寄り、手話でそう伝えながら頭を下げた。すると、椿生は首を横に振って、優しく微笑んだ。
周りの様子など全く気にしていないようで、笑顔で畔に駆け寄って来てくれる。
『俺が早く着きすぎたんだ。君は遅れてもいないしね。それに、今日は来てくれてありがとう。嬉しいよ』
手話で話した後、椿生はゴソゴソと鞄から大きめのノートとペンを取り出して、後半の言葉をそのノートに書いた。
畔はそのノートをまじまじと見ていると、椿生は畔に水色のペンを渡した。
『今日はこのノートで話さない?スマホもいいけど、ノートだと残るし、思い出にもなると思って。………ダメかな?』
椿生は「やっぱり面倒かなースマホの方が便利だしなー」と独り言を言っているようだった。が、畔は彼が持っているノートに、水色のペンで文字を走らせた。
『ぜひ、使わせてください。嬉しいです。ありがとうございます』
畔がそうゆっくりと文字を書き、彼の方を見つめると、椿生はホッとした表情を見せた。
それから、畔と椿生は文字を書いて会話をした。周りの人より時間はかかるかもしれない。1度立ち止まって書かなければいけないかもしれない。
けれど、そのノートはずっと残るのだ。楽しかった事、喧嘩をした事、感動を共有したり、気持ちを伝え合ったり。記憶だと曖昧だったり、忘れてしまう事もあるが、書かれた文字は変わる事がないのだ。
それは、2人だけの時間を過ごした証しになる。畔は、その始めのノートがとても愛おしく感じた。
ノートで会話をしたながら、椿生はペンの色について教えてくれた。
椿生は薄い赤色のインク。
畔は青色のインク。
赤は椿。青は海をイメージしたのだと教えてくれたのだ。
ノートに2色の文字が残されていく。それは、一目でどちらが書いたものなのかよくわかった。椿生の心遣いに感謝しながら、畔はノートに文字を書き続けた。
畔が案内してくれたのは、女性客が多いカフェだった。椿生は『甘いもの好きだよね?ここのパンケーキが人気らしいんだ。食べてみない?』と案内してくれたのだ。
畔はそれを注文し、運ばれてくると目を煌めかせてパンケーキを見つめた。
沢山のベリーと生クリーム、それに蜂蜜やジャムがトッピングされ、パンケーキは分厚くふわふわなのだ。
よくテレビやSNSで見るパンケーキが目の前にあるのだ。自然に笑みがこぼれる。
『どうぞ。食べてみて』
椿生は手話でそう言うと、畔はコクコクと頷き、ナイフとフォークを持ってそこにパンケーキを切り口に運んだ。
『とってもおいしいですっ!』
『それはよかった。畔ちゃんは、おいしそうに食べるね』
そう楽しそうに笑う椿生。そんな彼を見て、畔は胸がきゅんとなり顔が赤くなってしまうのを感じ、咄嗟にだて眼鏡に触れながら、顔を下に向けてパンケーキをまた一口食べたのだった。
『果物好きなの?』
『はい!特にベリー系が大好きで。クランベリーが甘酸っぱくておいしいです』
『クランベリー……食べたことないかも』
『食べてみますか?おいしいですよ』
『うん。食べてみたいな』
そう言うと、椿生は口を開けて畔の方を向いている。
彼が意図している事に気づいて、畔は持っていたフォークを落としそうになってしまった。そして、やっと肌色に戻った頬がまた赤く染まってしまう。
『…………』
「あれ?ダメだったかな?じゃあ………あーん。うん………本当だ粒々してて食感もいいしおいしいね」
どうすれば良いのかわからずに固まってしまった畔の右手を椿生が掴み、そのままフォークに刺さっていたクランベリーを、畔の手ごと自分の方へと運んだのだ。そして、畔の手からクランベリーを食べると、おいしそうに食べて、感想を言っているようだった。
口の動きから言葉を読み取ろうとしても、彼の突然の行動に、畔はあんぐりと口を開けて椿生を見返す事しか出来なかった。
「畔ちゃん、ご馳走さま」
ペロリと唇を舐めた後、微笑む彼はとても楽しそうだった。
これは大人の余裕なのか、と感じながら畔は小さくなって、こくりと頷いたままフォークを持った手を戻して、またしばらくの間、顔を真っ赤にさせてしまったのだった。
目の前は愛しい人。
向かい合ってお茶をする男女2組。
周りからはどう見られているのだろうか。先ほどのように、少し強引だったけれど「あーん」までしてしまったのだ。
恋人同士に見られていた嬉しいな。そんな風に畔は思い、甘い時間を堪能したのだった。
カフェを出ると、すでに薄暗くなっていた。話し込んでしまったせいで、大分時間が経ってしまったようだった。
椿生は道の端でノートを広げ、また何か書いていたので、畔は覗き込んだ。辺りが暗くなっているが、街明かりで文字はしっかりと見える。
『この辺りで夏祭りをやってるみたいやんだ。屋台も出てるらしいから、散策しながら、夕食はお祭りのものにしてみたい?』
その文字を見た瞬間に、畔はすぐに反対側の空いているところに、ペンを走らせた。
『行きたいです!子どもの頃ぶりだから楽しみです!』
畔の文字と表情を見た後、椿生は少し何かを考えた後、いつものように優しく微笑んで、返事を書いてくれる。
『そうなんだ。じゃあ、今まで行けなかった分も楽しもう』
そう言うと、椿生は畔の頭をポンポンと撫でてくれる。
畔は、口元が緩みっぱなしだなと思いながらも、幸せを実感していたのだった。
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