極上社長からの甘い溺愛は中毒性がありました

蝶野ともえ

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17話「音が溢れ出すノート」

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   17話「音が溢れ出すノート」



 自分は何をしているのだろうか?
 とても混乱していながらも、仕事で使うものや日常品などの服や化粧品などをツアー中に使う大きなバックに詰め込んでいた。
 椿生の部屋に避難する事になり、畔は言われたままに自室へ荷物を取りに行った。
 自宅には報道陣にバレてしまっているので、他の住民の迷惑になってしまう。そのためにも、落ち着くまでは違う場所で過ごさなければいけない事はわかっていた。
 けれど、恋人の家へと向かうというのは驚いた。


 『……大丈夫?ボーッとしてるけど。やっぱりホテルとかの方がよかった?』
 『いえ、その……今から椿生さんのおうちに行くんだなーと思うと、何だか不思議で……』
 『そんなに緊張しないでいいからね。俺の自宅はベリーヒルズに住んでいるわけじゃないしね。普通のタワーマンションだよ。………そっちの方が落ち着くんだ』
 『自分が気に入ったところがいいと思います。私は全く考えなかったんですけど、さっきの幼馴染みがいろいろ調べてくれて。今では気に入っているんです』
 『……そうか。さぁ、ついたよ』



 話しをしているうちに、椿生が住んでいるというマンションへと到着した。畔はその場所を知っており驚いた。それは叶汰が選んでくれたマンションの候補の1つの場所だった。事務所から離れた場所にあるため畔は止めてしまったが、静かな駅前にあり周辺にもカフェや図書館などがある町で畔は好きだったのだ。そこに椿生が住んでいると知って、嬉しくなった。

 彼の部屋は最上階に近い高さにある部屋だった。1つ1つの部屋が広いため、ドアの間隔も広い。椿生が足を止めたのは角部屋の前だった。
 ドアを開けて「どうぞ」と中へ促してくれるので、畔は恐る恐る玄関に入った。
 異性の部屋に入るのは、幼馴染みである叶汰しか経験がなかったのだから、当たり前だ。そんな畔の様子を察知してか、椿生は『あんまり綺麗じゃないけど、ゆっくりしてね』『空き部屋もあるけど、とりあえず奥のリビングに荷物を置こうか』などと、話をかけてくれる。それに返事をしながら奥の部屋に入る。すると、そこには街の景色が見える大きなガラス張りの窓が出迎えてくれた。昼間の街がキラキラと光っている。夜になったらまた素敵な景色が見えるのではないか、と畔はその景色に釘付けになっていた。


 『この景色は俺も気に入っているんだ。畔ちゃんも好きになってくれると嬉しいよ』
 『はい………。椿生さん、私はここに居てもいいのでしょうか?こんなに騒がれているのに………』
 『畔ちゃん』


 有名人だという自覚が足りなかったのは自分だ、と畔は反省していた。叶汰が怒鳴るのも仕方がない。
 それなのに、しっかり説明もせずに逃げてしまっていいのだろうか。そんな風に思ってしまった。
 マネージャーの根本には連絡しており、了承を得ている。落ち着いた明日にでも今後の打ち合わせと、噂の動画の説明をすることになっていた。



 『君は悪いことをしたわけではないんだよ。ただ公園で歌を歌っただけだし、恋人である男と手を繋いでいただけだ。……まぁ、あの時は付き合ってはいなかったかけどね』
 『…………そうですね』


 畔はその事を思い出すとつい微笑んでしまう。畔にとって、とても思い出深い出来事で、幸せな瞬間だった。
 けれど、それが問題になってしまうなど皮肉なものだ。


 『しっかり説明して、堂々としていればいいんだよ。君は何も悪いことはしていないんだから』
 『そう、なんでしょうか?』
 『あぁ。きっと君のファンは新曲の発表も君の幸せもお祝いしてくれるんじゃないかな』

 
 そう言うと、畔の頭を撫でてくれる。
 まだ不安もあるが、椿生の言葉は畔の心にずっと入ってくると、安心してしまうのだ。彼の言うとおり、いつも優しく応援してくれるファンのみんな。その姿を思い出すと、喜んでくれるのではないか、そう思えるのだ。
 畔の強張って体の力がフッと自然に抜けていく。「大丈夫」と信じられた。





 畔の表情が少し明るくなったのを感じ、椿生は安心した表情になり、『コーヒーを淹れてくるからソファに座ってて』と、彼は畔から手を離した。

 言われた通りにダークブラウンのふんわりとしたソファに座り、畔はキョロキョロと改めて彼の部屋を見た。ソファの正面には壁掛けの大きなテレビがあり、両脇には本棚があった。すべて埋まってはいなかったが、仕事に関わる本が並んでいた。
 そして窓と反対側には電子ピアノが置いてあった。白色のおしゃれなものだが、しっかりとしたもので高級感があるデザインだった。


 『おまたせ』


 畔の視界に入ってきた椿生は口パクでそう言うと、畔にマグカップを手渡した。
 コーヒーのいい香りが漂い、それだけでも畔は安心出来る。ホットコーヒーはクーラーのきいた部屋には調度いい温度で、畔は『ありがとうございます』と口の動きでお礼を伝えて一口くちに含んだ。


 『それと、約束ものだよ』


 手話でそう言うと、畔の隣に座った椿生は1枚のクリアファイルを渡した。
 畔は受け取りつつ、それが何かわからず首を傾げて中に入っていた紙を取り出した。その紙には綺麗に音符が並んでいる。
 楽譜だ。
 それを見た瞬間に、それが何の楽譜なのかを畔はすぐにわかった。

 
 『これって、椿生さんが作曲した曲ですか?』
 『そう。かなり昔のものだけど、この曲が病院で弾いたもの』
 『ありがとうございます!嬉しいです』


 畔はその楽譜を見つめて、楽譜の音符を追って見た。
 自然と指が動く。何もない空をピアノを弾いているように畔は指を動かす。そうする事で畔の耳には音が生まれてくるのだ。

 そんな不思議な動きを、椿生は少し驚きつつも、何故か嬉しそうな気持ちで見ていた。

 畔が一通り弾いて、手を下ろした時、椿生は畔の顔を覗き込んだ。


 『どうだったかな?』
 『すごく素敵でした。流れるような旋律が素敵で、何かの物語が始まるような………そんなワクワクするし、ドキドキしたり。それでいて、癒してくれるような』
 『そこまで褒めてもらえると少し恥ずかしいな』
 『椿生さん、この曲のタイトルはありますか?』
 『いや………全く考えたことないんだ。よかったら、考えてくれないかな』


 この素敵な曲に名前がないなんて。
 畔は少し残念に思いつつも、すでにこの曲が頭から離れなかった。
 畔は家から持ってきた荷物からあるものを取り出した。それは分厚いノートだった。

 畔がそれをペラペラと捲って、何かを探していた。


 『それは何?』
 『あ………ごめんなさい。夢中になって勝手にすすめてしまって。音楽の事になると、それだけしか見えなくなっちゃって』
 『いいんだ。そこに書いてあるのは………音?』


 畔が持っていたノートを興味深く見つめる椿生に、畔はニコニコした笑顔でそれを差し出した。
 このノートは畔の大切な宝物だった。


 『はい。ここには、音が沢山詰め込まれているんです』
 『………音………』


 そこには、いろいろ音と、音符がズラリと並んでいた。椿生はそれを呆然とした表情で見つめ、ページを捲っていた。


 『私の耳が音を教えてくれなくなった時に、私は愕然としました。無の世界……いえ、正確には耳鳴りのような雑音があるんですけど。悲しんで苦しんだんですけど、それと同時に日が経つにつれて音を忘れていく事に気づいたんです』


 畔は自分の書いたノートを指で撫でながら目を細め、その時を思い出した。


 『忘れたくないって思ったんです。だから、聞こえていた時は些細だなと思ったり、気にしなかった事でも音にして残しておこうって思ったんです』
 『………聞こえなくなる音を残す………』
 『正確ではないかもしれないんですけど……私が感じたままの音に。鳥のさえずりややかんの音、サイレンの音や服とパソノンのキーボードを叩く音。……そんな
音を残してあるんです。だから、それを見てタイトルを考えたくて………』
 『………すごいね。このノートは音の記憶なんだ』
 『………はい。大切な大切なものです』


 畔はそう手話で言うと、そのノートを見つめて微笑んだ。迷ったときはこのノートを見れば少し心が優しくなった。
 聞こえたときは耳障りだったり、苦痛だった事も、今となっては幸せな音の洪水なのだ。
 音が溢れる事はどんなに幸せだったのか。そんな風に思う。


 『…………畔ちゃんがどんな音の名前をつけてくれるのか楽しみにしてるよ』


 こんな時、普通の人ならば、悲しそうな、申し訳なさそうな顔をするだろう。
 それなのに、彼はとても楽しそうに笑ってくれるのだ。

 彼が畔の耳の事を受け入れ、その上で畔の気持ちをわかってくれているのだと感じられるのだ。

 畔は彼に負けないぐらいの笑みを浮かべて大きく頷いた。




 


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