極上社長からの甘い溺愛は中毒性がありました

蝶野ともえ

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29話「嘘つき」

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   29話「嘘つき」




   ★★★



 「嘘つき……か……」

 静かな部屋で、椿生だけの声が響いた。
 ここで、どんなに大きな声を出しても、鼻唄を歌っても、隣で眠る彼女は起きることはない。ただただすやすやと眠るだけだ。

 畔との時間はとても静かで穏やかだった。
 会話をする時も自分の声しか聞こえないし、何か問いかけても返事をもらえるわけでもない。
 きっと、それを「寂しいね」「虚しくなる」と言う人もいるのだろう。

 けれど、椿生はそんな事を思うはずもなかった。
 彼女と出会い、一緒に暮らし、恋人になってから日々がとても楽しいと感じられた。好きな人が出来ると世界はモノクロから色とりどりの鮮やかな世界に変わるとよく聞くが、それは本当なんだな、と椿生は身をもって体感していた。
 畔が笑うだけで心が弾み、隣にいると抱きしめたくなる、悲しそうな顔をしていれば守り、安心を与えたくなるし、一緒に寝ればキスをしたくなる。
 そんな風に思えたのは彼女が初めてだった。


 どうして、そんなにも彼女に惹かれるのか。
 それはわかっている。
 彼女は自由に歌い、過ごしている。ハンデなど感じさせないぐらいに、日々を一生懸命笑顔で生きている。
 見ていないところで努力し、泣いているかもしれない。けれど、そんなところも含めて、表ではキラキラと光ってるのだ。


 そんな彼女が離れていく。
 それは覚悟していたはずだった。

 けれど、隣で自分に寄り添い、「好き」だと言ってくれる恋人を手離せるのだろうか。
 無理に決まっている。


 「………やはり、俺は君に相応しい人間じゃなかったんだ。弱くて、光なんてない。嘘の姿は、いつかボロが出て、また暗い世界に一人きりになるんだろうな………」


 そうとわかっていても、自分からは彼女を手離せない。
 今、離れれば彼女の悲しみは少ないかもしれない。
 そして、俺を幻滅することなく………別れられるのかもしれない。



 「………でも、出来ないんだ。ごめん………畔………」


 椿生はそう呟くと、畔の髪に触れ額にキスを落とした。疲れた体に求めすぎたのか、彼は深く眠っているようだ。
 椿生はしばらく彼女の寝顔を見つめた後に、そっとベットから降りた。
 
 床が冷たくなり、椿生は夏の終わりを感じたのだった。








   ☆☆☆





 慣れない夜中の撮影と彼に抱きしめられた心地よさからか、その日畔はぐっすりと眠ってしまっていた。気づくと彼は隣にはいなくなっており、仕事に行ってしまったようだった。
 畔は大きくあくびをしながらベットから起き上がり、キッチンに向かう。すると、リビングの大きな窓から太陽の光を感じた。随分高い位置まで上ってきている。畔は自分が昼過ぎまで寝てしまっていた事を知り、一人苦笑した。
 キッチンには彼が作ってくれたおにぎりが2つ置いてあり、「昨日は疲れてるのにごめん。食べてゆっくりして」と椿生の書き置きのメッセージが残されていた。
 畔はそれを見て、昨夜の事情を思い出してしまい、少し頬を染めたがありがたくいただく事にした。


 食事が終わり、リビングで発声練習をし、新曲の練習をした。畔はテレビで歌うことはないが、これからミニライブや動画配信はしようと考えていた。そこで必ず歌うことになるのは新曲なのだ。畔は、楽譜を見つめながらピアノの横に立って何度も何度も歌い続けた。
 自分の声が聞こえない畔にとって、喉の具合や雰囲気だけが頼りになる。ボイストレーナーの講師がいればその都度訂正が入るのだが、今日はいない。夜中の撮影後だったので、この日は1日オフになっていたのだ。
 畔は数時間歌を歌い続けた。それでも疲れることはなく、感覚を掴むのに必死になった。
 それにこの歌を歌えることがとても嬉しかったのだ。
 畔は汗を流しながらも、笑顔で歌い続けた。


 畔が2本目のペットボトルの水を飲み終えた頃には、そろそろ夕食となる時間になっていた。


 (随分の間、歌っていたのね……。すっきりしたな)


 畔は一人で満足げにそう言うとソファに座り込んだ。ずっと見ていなかったスマホを見ると、そこには昼頃に椿生からメッセージが届いていた。


 『今日はスープカレーにするんだよね?今日は早く仕事終わるから駅で待ち合わせして一緒に買い物に行こう』


 昨晩の撮影の前、畔と椿生は一緒に夕食を食べている時に「寒くなったからカレーとなシチューがおいしくなるね」と話していたのだ。椿生が「スープカレー食べたいな」と言ったので、畔が「じゃあ、明日は作りましょうか。作ったことないですが……やってみます」と、何気ない会話をしたのだ。
 それを椿生は楽しみにしていてくれたのだろう。
 スープカレーを楽しみに帰ってくる椿生を想像して畔は思わず「可愛いな」と思ってしまう。
 畔は待ち合わせの時間まで、スープカレーの作り方をネットで調べ、彼に喜んでもらうために材料や作り方を念入りにチェックしたのだった。


 2人は駅で合流した後に近くのスーパーで買い物を楽しんだ。
 普段買わないようなワインや畔が好きなフルーツなどを買い、今日はちょっとしたパーティーになりそうだった。けれど、メイン料理はスープカレー。そんな少しかっこがつかない部分も2人らしいのではないか。そんな風に思いながら笑い合い、荷物をお互いに持ちながら車までの短い距離だが手を繋いで歩いた。



 『じゃあ、今日はずっと歌の練習をしてたんだ』
 『はい!すごくいい仕上がりになったので。早くライブがしたいです』
 『俺も行ってみたいなー』
 『来てくれるんですか!?』
 『もちろん、行きたいよ。畔の晴れ舞台なんだから』


 袋を持ちながら何とか手話で会話をする。
 手を動かす度に袋が揺れ、きっとガサゴソと音が鳴っているのだろう。そんな些細な事が面白く、畔は笑ってしまう。


 『頑張ってチケット争奪戦に参加するか』
 『え、関係者席なら私が招待しますよ?』
 『近くでみたいんだよ』
 『………嬉しいですっ!』


 そんな話しをしながら、マンションのエントランスに入る。
 すると、不意に椿生の足が止まった。椿生が驚いた目をしており、畔もその視線の先を見つめた。
 すると、そこには叶汰の姿があった。
 いつものように不機嫌な表情をしていたが、畔にはわかった。かつてないほどに彼が怒っているのを。鋭い瞳に、眉もつり上がっている。


 『叶汰!どうしたの?………それにどうしてこの場所がわかったの』
 「…………おまえ、神水椿生なんだよな?」
 「……………」


 畔が叶汰に手話で話し掛けるが彼は全くこちらを見ずに椿生を睨み付けている。
 その迫力に、畔は何を言っていいのかわからなかった。
 まず、彼がなぜそんな風になっているかも検討もつかないのだから。


 「何とか言えよ………」
 「…………」
 「黙りかよ。まぁ、そんな表情を見れば、一発でわかるけどな」
 「………それは………」
 『……………椿生?どうしたの?』


 繋がれた彼の手の力が強くなる。
 畔は彼を見上げると、そこには見たこともないような苦しそうな表情があった。
 そして、少し顔色も悪い。
 畔が彼に触れようとした時だ。


 「畔、そんな奴から離れろっ!」
 『っっ!』


 突然、叶汰は畔の手を掴み強く引っ張った。
 その拍子に持っていた買ってきた食材が入った袋が床に叩きつけられる。
 畔は驚き、叶汰に向けて手話で強く抗議する。


 『叶汰っ!何をするの?何でそんなに怒ってるんの?』
 『おまえ、いつまで騙されてんだよ……』
 『騙されてる?何を言って……』
 『こいつは、神水製薬会社の社長なんかじゃないんだよっ!神水椿生じゃない、全くの別人なんだっ』
 『………ぇ………』


 叶汰は大声を出したのだろうか。
 畔の体に振動が伝わってきた。

 けれど、それが自分の心臓の震えだとわかり、叶汰の言葉に動揺しているのがわかった。

 畔は頭では上手く理解できず、大切な恋人の方を向いた。

 けれど、その瞬間わかっていまったのだ。
 
 椿生とは目線が合わず、彼は畔から目を逸らし横を向いていた。

 そんな椿生を見ればわかってしまうのだ。



 叶汰が言っている事は真実なのだ、と。









 

  
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