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11話「些細な幸せを」
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「虹雫は、自分がどんな風に思われてるか、本当にわかっていないね。……いろんな事に気づくのに、自分には自信がないからだろうけれど」
まだ起きるには早い時間。
やっと朝日が顔を出したが薄暗い時間。光りで少し透けたカーテン。そこからの淡い輝きで虹雫の寝顔がよく見えるようになった。彼女は気持ち良さそうに寝ている。自分の腕の中で安心しきった表情で、体を寄せてくる姿は本当に可愛い。そんな彼女を悩ませていたと思うと、心が痛む。
けれど、これでいいのだ、とも強く思う。宮は、虹雫の頬に手を伸ばし、触れる直前でその手を止めた。こうやって触れてしまうのは簡単なのだ。虹雫を求め、彼女が求めてくれるように、虹雫を抱いてしまうことも同じだ。本当に自分の恋人にして、抱きしめ合えば、虹雫は安心してくれるのだろう。喜んでくれるのかもしれない。
けれど、それは今ではない。
今、虹雫を自分のものにしてしまば、宮の決心が鈍ってしまう。幸せに浸り、やろうとして決めた事をずるずるとやらずに終わらせてしまうのではないか。決してそんな事はないだろうが、悩み決心が鈍ってしまいそうなのだ。
それに責任は負わなければいけない。
自分がどうなろうとも、虹雫を助けたい。そう思うのだ。
それが、彼女を悲しませることになったとしても。
ブブブッ、と枕元に置いてあった携帯が振動する。
宮はアラーム音の代わりにバイブにしているのだ。いつもアラームの前に起きるので、ほとんどこの振動音は聞くことがない。今日は、それぐらいにベットから出たくなかったという事だ。
「虹雫、おはよう。そろそろ起きる時間だ」
「ん。あ、宮」
眠気眼のままボーっと宮を見つめた虹雫は、すぐにハッとして目を大きく開いた。
きっと自分が宮の部屋に泊まった事をようやく思い出したのだろう。少し恥ずかしそうにしながら手で髪を整えながら「おはよう」と、布団の中で小さく挨拶をする。
ただ一緒に寝ただけの特別な朝でもないはずだ。それなのに、彼女はとても幸せそうに微笑む。虹雫のその笑顔を見ただけで、「あぁ、泊めてよかったな」と、穏やかな気持ちになるから不思議だ。
そして、その笑顔を守りたい。偽りじゃなく、心からの笑みをこれからも見続けたい。そう改めて思うのだ。
「昨日の残りのサラダとピザがあるけど。ピザは朝からキツイかな?」
「ううん。ピザトーストだと思えばいいんじゃない。私は嬉しいよ。あと、コーヒーを淹れよう?」
「そうだな。よし、じゃあ起きよう」
「あ、待って……」
起きようと腕に力を入れた宮の体に、虹雫は小さく抱きついてきた。
「ん?どうしたの、虹雫」
「起きちゃったら恥ずかしくてきっと言えなくなると思うから。今、言ってもいいかな?」
「うん、いいけど。何かな?」
「何もしなくていいから。…………また、今日みたいに泊ってもいい?」
断られるのが怖いのだろう。
それでも言葉にしてきたという事は、どうしても伝えたい事のはずだ。
その願いというのが、自分の家で一緒に寝たい。そんな言葉を好きな相手に言わせてしまうなんて、お試しであっても恋人失格だな、と思いながらも嬉しくなって口元がニヤついてしまいそうになる。
それをどうにか堪えて、宮はお返しとばかりに彼女の体を抱きしめ返した。
「あの、宮?そのダメだった?」
「ダメじゃないよ。俺も一緒に寝たい」
「そ、そっか。よかった……」
「じゃあ、今度のデートでパジャマでも買いに行こうか」
「え………」
宮の提案に虹雫は珍しく、迷っている。
喜んでくれると思ったので、宮は彼女の気持ちがわからずに「あれ?いやだった?」と、素で質問をしてしまう。と、虹雫は先程よりも顔を赤くしながら、宮の胸に顔を埋めた。
「しばらくの間でいいから、宮の洋服着たい、です」
「そんなのお安い御用、ですよ……」
不意打ちすぎた。
まさか、そんなにも可愛い事を言ってくれるとは思わず、たじろいでしまった。
お互いに敬語になってしまったのに気づき、2人は目を合わせ、そして同時にクスクスと笑った。
それが合図となり、自然と顔を近づけて小さなキスをする。
恋人の朝の挨拶を見習うでもない、自然に求め合うキス。
そんな穏やかな朝がこれからも続けばいいのに、と宮は心から思ったのだった。
けれど、そんな時間は長くは続かない。
虹雫を自宅まで送った後、スマホの開き、ロックを解除する。
そのスマホには、3人がお揃いの三角のストラップはついていなかった。「仕事用だよ」と、2人には説明していたが、実は違っていた。それは、蜥蜴から渡されたものだった。何でも「このスマホはセキュリティーがかなり厳しくなってて、絶対に侵入されたりしないもの」らしい。蜥蜴は依頼をこなすときは、依頼主にこういったお手製のスマホを渡すことにしているらしい。何でも、「自分を守るため」らしい。どんな人間と繋がっていたのかを知らせたくないのだと言う。それもそうだろう。裏の世界で生きる人間なのだから。
その蜥蜴のスマホが、点滅して何かの通知があった事を知らせていたのだ。
そこの連絡してくる人間は蜥蜴しかいない。
『例の副社長とデータが揃いました。添付しますので確認してください』
短いメッセージと共にファイルが添付されていた。
宮は、それをタップしてファイルの中身を確認する。
「いよいよだな。ここまで来たら後戻りはできない。するつもりもないけどな」
と、添付された資料を見つめながら、車内でそう呟き、しばらくの間、作戦を練って過ごしたのだった。その時間は、学生の頃の試験前の気持ちと似ている、と何故か思った。
それから数日後。
宮は最近着る事が少なかったスーツ姿を着て夜の街を歩いていた。普通の濃い灰色のスーツに見えるが、高級ブランドで揃えたものだ。普段であれば、そんな服を着る事も買う事もない。
けれど、この日のためならば仕方がない。髪もしっかりと纏め、腕には高級腕時計をしている。だが、これは偽物だ。そんなところまでお金をかける必要もない。それにこれはあの男からの借り物で、何か仕掛けがあるようだ。
宮が準備周到をして向かった先は、高層ビルにある看板のないバーだった。
隠れ家的な店で、人づてでしか伝わらないバーだという。
店に入ると、店内は薄暗く、微かな照明と窓からのネオンの光で、ようやく様子がわかるぐらいだった。バーカウンターと、少ないソファ席。そして、窓の景色を見ながら飲めるカウンター席があった。きっと入店する客も限られているのだろう。宮が入った瞬間に、客が一斉にこちらを向いて、上から下まで舐めるような視線で迎えたのだ。あまり感じはよくない。
スタッフが咳を案内してくれたので、宮は「窓際の席でもいいですか?」と質問すると、笑顔でそちらに通してくれた。
そこには、1人で真っ赤なカクテルを飲み、こちらを見つめていた40代前後だろう女性が座っていた。
宮は、その女と目が合うと、女に向けてにっこりと微笑みかけた。そして、少し恥ずかしそうにしながら。
注文した酒を飲みながら、ボーっと夜の街を見下ろしていると、カツカツとヒールを鳴らしなながら、グラス片手にこちらに向かってくる人物がいた。もちろん、先程の女性だ。
ここまで、時間にして15分。
宮は、思い通りに進んだ事に、笑みを浮かべたが、その女性はそれに満足したように「一緒に飲みませんか?」と声を掛けてきたのだった。
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