戦えない魔法で追放された俺、家電の知識で異世界の生存率を塗り替える

遊鷹太

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第2章

第25話「最後の試練」

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首が痛かった。

壁にもたれたまま眠っていた。
恒一はゆっくりと首を動かして、部屋を見た。

五本の鎖が、床に落ちている。

最後の一本だけが、まだアルティアに繋がっていた。
壁から伸びて、アルティアの左手首に巻かれている。
昨日より、細く見えた。
あるいは、恒一の目が慣れたのかもしれない。

アルティアが目を開けていた。

恒一が目を覚ます前から、開いていたのかもしれなかった。

「起きたか」

「はい」

ゴルドの石を確認した。
光っていない。
今は安全だ。

食料を取り出した。
食べた。
水を飲んだ。
アルティアが、黙って見ていた。
急かさなかった。

食べ終えた。

「準備ができたら、話す」

アルティアが言った。

「今、聞かせてください」

アルティアが「最後の試練の内容を、事前に教えることにした」

「これまでは、教えませんでしたね」

「そうだ。ただし、最後だけは違う。この試練だけは、知った上で受けるべきだと思った」

「聞かせてください」

アルティアが「二段階ある」

「一つ目は、死の恐怖だ」

恒一が「……死の、恐怖」

「お前は死を恐れているか」

「……恐れています」

「それが、試練になる。お前自身の死を、鎖が見せる。お前がそれを受け入れられるかどうかが問われる」

「受け入れる、とはどういうことですか」

「死ぬことへの恐れと、それでも動くことを選ぶことが、同時にできるかどうかだ。恐れを消すことではない。恐れたまま、それでも向き合えるかどうかだ」

恒一が「……二つ目は何ですか」

アルティアが、少し間を置いた。

「私の記憶だ」

「……アルティアさんの」

「そうだ。私がここに縛られていた時間の全てを、お前は経験することになる。一瞬のうちに」

「……何百年分を、一瞬で」

「そうだ。時間の感覚は、圧縮される。しかし、内容は全てある。私が感じたこと、考えたこと、諦めかけたこと、待ち続けたこと。全部だ」

「なぜ、それが最後の試練になるのですか」

アルティアが「……設計者が、そう作った。解放する者は、解放される者の痛みを知らなければならないと、そういう設計だ」

「……あなたの何百年を、私が経験する」

「そうだ。耐えられるかどうか、私には分からない。これまでの試練とは、重さが違う」

恒一が「……アルティアさんは、何百年も、それを生きてきた」

「そうだ」

「私が経験するのは、一瞬です。しかしあなたは、それを実際に生きた」

「……比べるな」
アルティアが言った「お前が受け取るべきものを、受け取ればいい」

しばらく、沈黙があった。

「一つだけ、聞かせてください」

「なんだ」

「この試練が終わった後、アルティアさんは解放されますか」

「……そうだ。最後の鎖が外れる」

恒一が「分かりました」

立ち上がった。

鎖の前に向かった。
最後の一本が、静かにそこにある。

「始めます」



鎖の前に立った。

最後の一本だ。
他の五本が床に落ちている中で、この一本だけが残っている。

「始めます」

声に出した。

鎖が、揺れた。

視界が歪んだ。
部屋が消えた。

暗闇の中にいた。


何もない空間だった。
光がない。
音がない。
壁がない。
床がない。
ただ、暗い。

体の感覚が、薄くなっていく。

痛みではない。
熱くも冷たくもない。
ただ、薄くなる。

「……これは」

鎖の意味が、直接届いた。

「死だ」

恒一が「……私が死ぬ、ということですか」

「お前がこの試練を受ける過程で、契約の失敗と判定されれば、これが現実になる。今お前が感じているのは、その予行だ」

体が、さらに薄くなった。

手の平が見えない。
足が見えない。
自分の輪郭が、消えていく。
外側から、少しずつ。

恐かった。

これまでも怖いと声に出してきた。
しかしこれは、種類が違った。

これまでの怖さには、対象があった。
仲間を失う恐怖。
道具を失う恐怖。
それぞれ、失うものがはっきりしていた。
だから怖かった。

しかし今感じているのは、対象がない。

「私」
が消えることへの恐怖だ。
何かを失うのではない。
失う者ごと、消える。

「……怖いです」

声に出した。
しかし聞こえなかった。
声を出したつもりが、音にならなかった。

「声が出ない」

それさえも、音にならなかった。

「恒一」

アルティアの声が、どこか遠くから聞こえた。

「……聞こえています」

音にならなかった。
しかし、伝わった気がした。

「怖いか」

「……怖いです」

「それでも、向き合えるか」

恒一が、暗闇の中で考えた。

体の輪郭が消えていく感覚がある。
手が見えない。
足が見えない。
しかし、考えていた。
考えている自分がいた。

消えていくのに、考えている。

「……消えていく感覚があります。しかし、今もここで考えています」

音にならない言葉を、それでも出した。

「消えても、今考えたことは、あったことになります。取り消せません」

「契約が失敗すれば、死にます。それは事実です」

「しかし、今ここまでやってきたことは、消えません。アルティアさんと話したことは、あったことです。仲間と別れた時のことは、あったことです。道具なしで試練を受けたことは、あったことです」

「……死を受け入れる、ということが、諦めることだとは思いません。あったことを認めることだと思います」

「怖いです。消えることが、怖いです」

「しかし、怖いままで、続けます」

暗闇が、少し変わった。

完全に消えていた輪郭が、薄くだが戻ってきた。
かすかに、自分の手の輪郭が見えた。

「……受け入れた」

アルティアの声が言った。

「受け入れたとは言えません。怖いままです」

「それでいい」

アルティアの声が続けた。

「受け入れることと、怖くなくなることは違う。怖いまま、それでも向き合い続けることが、この試練の答えだ」

視界が、変わり始めた。

暗闇が、別のものに変わっていく。

「……二つ目ですか」

「そうだ」

アルティアの声が言った。

「覚悟しろ」

「アルティアさん」

「なんだ」

「……あなたの記憶を、受け取ります」

少し間があった。

「……頼む」

アルティアが、初めてそう言った。

短い言葉だった。

しかし恒一には、その短さの中に何が入っているか、少し分かった気がした。

視界が、溢れた。


一気に来た。

圧縮された時間が、全部一度に押し寄せてきた。

最初にあったのは、光だ。

部屋の中の光だ。
温かい光だ。
今いる第七層の鎖の間ではない。
別の場所だ。
窓がある。
外の光が入ってくる。

人がいた。

会話があった。
笑い声があった。
温かい食事があった。
誰かが話している。
誰かが笑っている。
名前を呼ばれている。

それが、ある瞬間に変わった。

ガルダムだ。
顔は見えない。
しかし、存在が感じられた。
知っているという感覚がある。
信頼していたという感覚がある。
それが、変わっていく感覚がある。

会話が変わった。
温かさが消えた。
要求が来た。
断った。
また要求が来た。
また断った。
また来た。
また断った。

鎖が来た。

この部屋だ。
この鎖だ。
壁から伸びた鎖が、両手に巻かれた。

一瞬で、それが分かった。


時間が流れ始めた。

圧縮されているはずなのに、一つひとつが重かった。

最初の日の孤独があった。
怒りがあった。
声を出した。
誰もいなかった。

最初の月の孤独があった。
怒りが薄くなって、悲しみになっていた。

最初の年の孤独があった。
悲しみが薄くなって、待つことになっていた。

転移者が来た。

恒一は、それをアルティアとして経験した。

誰かが来た。
声が聞こえた。
嬉しかった。
しかし鎖に触れた。
出られなくなった。
去っていった。

また来た。
また触れた。
また去っていった。

何度も来た。
何度も去っていった。

来るたびに、何かを期待した。
期待してしまうことに、気づいた。
期待しないようにしようとした。
しかしできなかった。
去るたびに、何かが減った。

減り続けた。

ある時点から、来ても期待しなくなった。

来ても去るから。
触れるから。
助けようとするから。

期待しなくなったのに、それでも来るたびに何かが動いた。
動いてしまうことへの疲れがあった。


ある長い時間が来た。

誰も来なかった。

何年か。
何十年か。
来なかった。

アルティアとして、恒一はその時間の中にいた。

最初は待った。
次に待つことをやめた。
次に待つことを忘れようとした。

忘れられなかった。

忘れられないことへの、静かな絶望があった。
何かを諦めたいのに、諦めるための何かが足りない。
足りないまま、時間だけが経つ。

解放されることを、諦めかけた。

諦めれば楽になれると思った。
しかし諦めきれなかった。

諦めきれないことへの、また別の疲れがあった。

その繰り返しが、何十年も続いた。


また転移者が来た。

また去っていった。

また来た。
また去った。

そのたびに、何かが動いた。
動かないようにしようとした。
しかし動いた。

長い時間の中で、気づいたことがあった。

解放されたいという気持ちが消えない限り、待ち続けることになる。
消そうとした。
消えなかった。
消えないなら、持ち続けるしかない。

重かった。
疲れた。
しかし持ち続けた。

来るたびに傷ついた。
それでも来ることを、どこかで待ち続けた。

何百年が経った。


圧縮された時間の最後に、見覚えのある光景が来た。

今の恒一だ。

アルティアの目から見た恒一だ。
鎖の間に入ってきた。
周りを見た。

鎖に、触れなかった。

アルティアとして、恒一はその瞬間を経験した。

触れなかった。

何百年も待って、初めて、触れなかった者が来た。

その時アルティアが感じたものを、恒一は経験した。

言葉にならないものだった。

希望と呼ぶには、長すぎる時間を経ていた。
信頼と呼ぶには、まだ早かった。
喜びと呼ぶには、傷つきすぎていた。

しかし、何かがあった。

確かに、何かがあった。

何百年分の重さの中に、それだけがあった。


視界が、戻った。

部屋だ。
アルティアがいる。
鎖の間だ。

恒一が、その場に立っていた。

足が動かなかった。
どこも痛くない。
怪我もない。
しかし、立っていることが、ひどく難しかった。

何百年分の重さが、体の中にある。
圧縮されていたはずなのに、重さだけは圧縮されていなかった。

「……終わりましたか」

声が出た。
掠れていた。

「そうだ」

「……見えました。全部」

「そうだ」

「あなたが感じたことを、経験しました」

「……そうだ」

アルティアが、恒一を見た。

目が、いつもと違った。
何かを堪えているような目だった。
長年、堪えることに慣れてきた目が、それでも堪えようとしている。

「アルティアさん」

「なんだ」

「……長かったですね」

アルティアが「……そうだ」

それだけ言った。

最後の一本の鎖が、揺れた。

ゆっくりと、揺れた。

音もなく、床に向かって落ちていった。

落ちた。

部屋の空気が、変わった。
重さが消えた。
何かが解けた。
長い時間かけて積み重なっていた何かが、一瞬で溶けた。

六本の鎖が全て、床に落ちている。

アルティアが、両手を見た。

何百年も繋がれていた両手が、空いている。

ゆっくりと、動かした。

右手を開いた。
閉じた。
左手を開いた。
閉じた。

それだけの動作を、何度か繰り返した。

恒一は、それを見ていた。
何も言わなかった。
言うべき言葉が、出てこなかった。
出てこなくていいと思った。


アルティアが、自分の足に力を入れた。

立ち上がろうとした。
何百年も、立っていなかった足だ。
震えた。
しかし、立った。

恒一も立ち上がった。

二人が、向き合って立った。

アルティアが、ゆっくりと部屋を見回した。
壁を見た。
天井を見た。
床に落ちた六本の鎖を見た。

長い時間、見ていた。

何百年もいた場所を、自由な体で見ている。

恒一は、邪魔しなかった。
ただ、そこにいた。

「……終わった」

アルティアが言った。

「はい」

しばらく、沈黙があった。

「お前が来てから、何日経った」

「……数えていませんでした」

「そうか」

「……長くなってしまいました」

「いや」
アルティアが言った「何百年に比べれば、短い」

「……そうですね」


アルティアが、恒一を見た。

「恒一」

「はい」

「お前は私の記憶を、全て経験した」

「……はい」

「何百年分を、全て」

「はい」

アルティアが「……それでも、聞くか」

「何をですか」

「私が何者で、なぜここに閉じ込められたのか。ガルダムが本当は何を求めているのか。私の過去を」

「……あなたが話せるなら、聞かせてください」

「話す」

短く、はっきりと言った。

「お前は私の記憶を受け取った。その重さを知った上で、ここにいる。それだけで、話す理由になる」

「……ありがとうございます」

「礼はいい」
アルティアが言った「ただし、長い話になる」

「構いません」

「お前が知ることで、危険が増す可能性がある。それでもいいか」

「……知らない方が危険だと思います。知った上で対策を立てる方が、私のやり方です」

アルティアが「……そうだな。お前はそういう男だ」

少し間を置いた。

「座れ。長くなる」

二人が、床に座った。

六本の鎖が、周りに落ちている。
その鎖の中に座って、二人が向き合った。

アルティアが、恒一を見た。

「まず、私の名前から話す」

「……アルティアさん、ですよね」

「それは、お前たちが呼んでいる名だ」

恒一が「……本当の名前が、別にある」

「そうだ」

アルティアが言った。

「私は、アルティアという名の人間ではない」

恒一が、アルティアを見た。

「……では、何者ですか」

「今から話す」

アルティアが、一度目を閉じた。

何かを確かめるように。
長い間、目を閉じていた。

それから、目を開けた。

「途中で止めるな」

「……はい」

「始めよう」
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