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第3話 揺らぐ指先
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地方都市の住宅街に佇む一軒家。夜の帳が下り、窓から漏れる暖かな光が雨上がりの湿った空気と混じり合う。沙織の家で開かれた家族ぐるみの食事会は、笑い声とグラスの触れ合う音で賑わっていた。夫の同僚や部下、その家族たちが集まり、普段の静かな応接間がざわめきに包まれている。だが、その喧騒の中で、沙織の心はひそやかに波打っていた。
沙織は台所で皿を片付けながら、ふとリビングの喧騒に目をやる。夫は部下たちと仕事の話をしている。その中に、駿の姿があった。長身で精悍な顔立ち、スーツの襟を少し緩めた姿が、まるで場違いなほど際立っている。彼の視線が一瞬、沙織と交錯した。沙織は慌てて目を逸らし、胸の鼓動が速まるのを感じた。
「沙織さん、手伝いますよ」
駿の声が背後から響き、沙織はびくりと肩を震わせた。振り返ると、彼はすでに台所に立っていて、片手に空いたグラスを持っていた。
「い、いいのよ。こんなこと…」
沙織は笑顔を作ろうとしたが、声がわずかに震えた。駿は小さく笑い、彼女の横に立つと、シンクにグラスを置いた。
「いつもこうやってみんなのために動いてるんですね。偉いな」
彼の声は低く、まるで二人だけの空間を作り出すように響いた。沙織は手を止めて彼を見上げた。瞳に宿る影が、彼女の心をざわつかせる。
「…そんなことないわ。ただ、慣れてるだけ」
彼女はそう言って目を伏せたが、駿の視線が彼女を離さない。まるで、彼女の内側を暴こうとするような、鋭く熱を帯びた視線だった。
食事が終わり、皆がリビングでくつろぐ中、沙織と駿は自然と隣の席に座っていた。ソファの布地のざらつきが、沙織の指先に触れるたびに、彼女の神経を過敏にさせる。駿の膝が、ほんの少し彼女のスカートの裾に触れそうな距離。偶然か、必然か。沙織は息を呑み、膝をぎこちなく引き寄せた。
「沙織さん、ワインのおかわりいかがですか?」
駿がグラスを傾けながら、彼女に微笑みかける。その声は周囲の喧騒に紛れ、まるで秘密の囁きのようだった。沙織は一瞬、言葉を失い、ただ彼の視線に捕らわれた。
「…ありがとう。でも、もう十分よ」
彼女はそう答えたが、声はかすれ、まるで自分を戒めるように聞こえた。駿は小さく頷き、グラスをテーブルに置く。その仕草が、なぜか沙織の胸を締め付ける。彼の指先がグラスを離れる瞬間、彼女の視線はそこに釘付けになった。長い指、力強い関節。まるで触れてはいけないものを見るような、禁忌の感覚が彼女を襲う。
周囲の会話が遠く聞こえる中、沙織は「母」として、「妻」としての自分を必死に保とうとしていた。夫が笑いながら話す姿を横目で見ながら、彼女は微笑みを浮かべる。だが、心の奥底で蠢く欲望が、彼女を嘲笑うように囁いていた。『女として見られたい』。その渇望が、彼女を内側から蝕んでいく。夫の冷たい態度に慣れきった心が、駿の視線に触れるたび、熱く疼くのだ。
「沙織さん、これ、落としましたよ」
駿の声に、沙織は我に返った。彼が差し出したのは、彼女が使っていた小さなナプキンだった。受け取ろうと手を伸ばした瞬間、彼女の指先が彼の手に触れた。ほんの一瞬、皮膚が触れ合う感覚。沙織は息を呑み、顔を上げた。駿の瞳が、彼女をじっと見つめている。そこには、驚きと、抑えきれない何かが宿っていた。
「…ごめんなさい」
沙織は慌てて手を引いたが、指先に残る彼の体温が、彼女の心を乱した。駿は小さく笑い、
「気にしないでください」
とだけ言った。だが、その声には、どこか深い響きがあった。まるで、触れ合ったその一瞬が、二人にとってただの偶然ではないと告げているかのようだった。
夜が更け、客たちが帰り始める中、沙織はリビングの片付けをしていた。駿は最後に残り、夫と何かを話している。沙織は彼らの声を聞きながら、胸のざわめきを抑えきれなかった。『なぜ、こんなに心が揺れるの?』。彼女は自分を責めながらも、駿の存在が頭から離れない。母として、妻としての責任感が、彼女を縛る鎖のように重い。だが、その鎖を断ち切りたいという衝動が、彼女の内側で燃え上がっていた。
「沙織さん、今日、楽しかったです。ありがとう」
駿が玄関先でそう言って、彼女に微笑んだ。沙織は一瞬、言葉を失い、ただ頷くことしかできなかった。夫がその横で「またな」と軽く手を振る。駿が去る背中を見送りながら、沙織の心は複雑に揺れ動いた。彼の姿が夜の闇に溶けていく瞬間、彼女はふと手を握りしめた。指先に残る、ほんの一瞬の触れ合いの感触。それが、偶然か必然か、彼女には分からなかった。
雨上がりの夜風が、湿った衣服の匂いとともに彼女を包む。カーテンの隙間から漏れる薄明かりが、彼女の影を長く伸ばしていた。沙織は静かに息をつき、胸の奥で燃える何かを感じた。それは、抑えきれない欲望か、それとも破滅への予感か。彼女の指先は、まだ彼の温もりを覚えているかのように、かすかに震えていた。
沙織は台所で皿を片付けながら、ふとリビングの喧騒に目をやる。夫は部下たちと仕事の話をしている。その中に、駿の姿があった。長身で精悍な顔立ち、スーツの襟を少し緩めた姿が、まるで場違いなほど際立っている。彼の視線が一瞬、沙織と交錯した。沙織は慌てて目を逸らし、胸の鼓動が速まるのを感じた。
「沙織さん、手伝いますよ」
駿の声が背後から響き、沙織はびくりと肩を震わせた。振り返ると、彼はすでに台所に立っていて、片手に空いたグラスを持っていた。
「い、いいのよ。こんなこと…」
沙織は笑顔を作ろうとしたが、声がわずかに震えた。駿は小さく笑い、彼女の横に立つと、シンクにグラスを置いた。
「いつもこうやってみんなのために動いてるんですね。偉いな」
彼の声は低く、まるで二人だけの空間を作り出すように響いた。沙織は手を止めて彼を見上げた。瞳に宿る影が、彼女の心をざわつかせる。
「…そんなことないわ。ただ、慣れてるだけ」
彼女はそう言って目を伏せたが、駿の視線が彼女を離さない。まるで、彼女の内側を暴こうとするような、鋭く熱を帯びた視線だった。
食事が終わり、皆がリビングでくつろぐ中、沙織と駿は自然と隣の席に座っていた。ソファの布地のざらつきが、沙織の指先に触れるたびに、彼女の神経を過敏にさせる。駿の膝が、ほんの少し彼女のスカートの裾に触れそうな距離。偶然か、必然か。沙織は息を呑み、膝をぎこちなく引き寄せた。
「沙織さん、ワインのおかわりいかがですか?」
駿がグラスを傾けながら、彼女に微笑みかける。その声は周囲の喧騒に紛れ、まるで秘密の囁きのようだった。沙織は一瞬、言葉を失い、ただ彼の視線に捕らわれた。
「…ありがとう。でも、もう十分よ」
彼女はそう答えたが、声はかすれ、まるで自分を戒めるように聞こえた。駿は小さく頷き、グラスをテーブルに置く。その仕草が、なぜか沙織の胸を締め付ける。彼の指先がグラスを離れる瞬間、彼女の視線はそこに釘付けになった。長い指、力強い関節。まるで触れてはいけないものを見るような、禁忌の感覚が彼女を襲う。
周囲の会話が遠く聞こえる中、沙織は「母」として、「妻」としての自分を必死に保とうとしていた。夫が笑いながら話す姿を横目で見ながら、彼女は微笑みを浮かべる。だが、心の奥底で蠢く欲望が、彼女を嘲笑うように囁いていた。『女として見られたい』。その渇望が、彼女を内側から蝕んでいく。夫の冷たい態度に慣れきった心が、駿の視線に触れるたび、熱く疼くのだ。
「沙織さん、これ、落としましたよ」
駿の声に、沙織は我に返った。彼が差し出したのは、彼女が使っていた小さなナプキンだった。受け取ろうと手を伸ばした瞬間、彼女の指先が彼の手に触れた。ほんの一瞬、皮膚が触れ合う感覚。沙織は息を呑み、顔を上げた。駿の瞳が、彼女をじっと見つめている。そこには、驚きと、抑えきれない何かが宿っていた。
「…ごめんなさい」
沙織は慌てて手を引いたが、指先に残る彼の体温が、彼女の心を乱した。駿は小さく笑い、
「気にしないでください」
とだけ言った。だが、その声には、どこか深い響きがあった。まるで、触れ合ったその一瞬が、二人にとってただの偶然ではないと告げているかのようだった。
夜が更け、客たちが帰り始める中、沙織はリビングの片付けをしていた。駿は最後に残り、夫と何かを話している。沙織は彼らの声を聞きながら、胸のざわめきを抑えきれなかった。『なぜ、こんなに心が揺れるの?』。彼女は自分を責めながらも、駿の存在が頭から離れない。母として、妻としての責任感が、彼女を縛る鎖のように重い。だが、その鎖を断ち切りたいという衝動が、彼女の内側で燃え上がっていた。
「沙織さん、今日、楽しかったです。ありがとう」
駿が玄関先でそう言って、彼女に微笑んだ。沙織は一瞬、言葉を失い、ただ頷くことしかできなかった。夫がその横で「またな」と軽く手を振る。駿が去る背中を見送りながら、沙織の心は複雑に揺れ動いた。彼の姿が夜の闇に溶けていく瞬間、彼女はふと手を握りしめた。指先に残る、ほんの一瞬の触れ合いの感触。それが、偶然か必然か、彼女には分からなかった。
雨上がりの夜風が、湿った衣服の匂いとともに彼女を包む。カーテンの隙間から漏れる薄明かりが、彼女の影を長く伸ばしていた。沙織は静かに息をつき、胸の奥で燃える何かを感じた。それは、抑えきれない欲望か、それとも破滅への予感か。彼女の指先は、まだ彼の温もりを覚えているかのように、かすかに震えていた。
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