ふたりの間に、雨が降る

yukataka

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雨の隙間で、君を抱く

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最終電車のアナウンスが遠くで鳴って、俺は傘を忘れたことをようやく思い出した。駅前の屋根の下、吹き込む雨がスーツの袖口を濡らす。明日は朝から会議だ。資料はバッグに入ってる。なのに、一番肝心なところで抜けてるのが俺らしい。

「悠真」

名前を呼ばれて振り向けば、黒い長傘を肩にかけた佐伯さんが立っていた。ネクタイを少し緩め、前髪に雨粒がひとつ。仕事中の鋭さは影を潜め、目元が柔らかい。営業部のエース、いつも結果を出す人。俺の上司で、俺の焦りをあっさり見抜く人。

「傘、ないんだろ」

「なんで分かるんですか」

「顔に書いてある」

そう言って、傘の柄を俺の手に押しつける。差し出された影に入ると、雨の匂いと彼の体温が近づいた。肩が触れるほど距離はないのに、匂いだけで胸がざわつくのが腹立たしい。こんなの、ずっと前から分かっている。

「駅まで送る。ついでに腹、減ってないか」

「減ってますけど、もう店閉まってますよ」

「うち、近い」

さらっと言われ、俺は少しだけ黙り込んだ。仕事帰りに何度か飲みに行ったことはある。けど、部屋に行くのは初めてだ。胸の奥で、期待と警戒が同時に跳ねた。自意識過剰だと思いたいのに、彼が時々見せる長めの視線や、無言で肩に手を置く癖を思い出してしまう。

マンションまでは徒歩五分。エレベーターの鏡に並んだ二人が映る。俺は濡れた前髪を耳に払って、息を整えたふりをする。視線を合わせたら、何かが崩れる気がした。

鍵の開く音。白い照明。整頓された部屋。革のソファ、低いテーブル、棚には本がぎっしり。コーヒーの深い香りが残っている。

「シャワー、使え。タオルはそこ」

「図々しいですよ」

「スーツ濡らしたまま風邪引かれる方が面倒だ」

面倒。言葉は冷たいのに、差し出されるタオルはふわふわで、俺の背中にそっと触れた手が優しい。くやしい。嬉しい。どっちも当てはまって、笑ってごまかすしかなかった。

シャワーを借りて、熱い水で雨と仕事の疲れを流した。鏡に映る自分の首筋が、思っていたより赤い。緊張の色だ。深呼吸して、タオルで拭いて、Tシャツとスウェットを借りた。少し大きい。袖が手首を隠す。

リビングに戻ると、佐伯さんはキッチンで何か炒めていた。フライパンから立ちのぼるにんにくの匂いに、腹が盛大に鳴る。

「…聞こえました?」

「聞こえた」

皿に盛られたのは、残り物で作ったにしてはやけにうまいペペロンチーノだった。テーブルに並ぶ水滴のついたグラス。俺の隣に腰を下ろす気配。肩先が触れて、目の端に彼の横顔が入る。

「うま」

「だろ」

短いやりとりの合間に、膝と膝が当たる。けれど彼は何も言わない。俺も言わない。音を立てて麺をすするたび、部屋の静けさに自分の鼓動だけが浮き上がった。

食べ終えて、皿を流しに運んだ時、背後から名前を呼ばれた。

「悠真」

振り返る前に、腰を掬われた。驚いて声を飲み込む。カウンターに背が当たり、逃げ場がなくなる。

「嫌なら、今言え」

息が触れた。まっすぐな目。ずるい。そんな顔で、逃げ道をこっちに委ねる。嫌なわけ、ない。何度も何度も、頭の中で練習した。

「…嫌じゃない」

言った瞬間、キスがきた。柔らかく当たって、すぐ深くなる。舌が触れ、絡まる。ひゅ、と変な音が喉から漏れた。首の後ろに大きな手。支えられたところから熱が伝わる。自分の手が、勝手に彼のシャツを掴んでいた。

「ん…っ、さえき、さ…」

名前を呼べば、舌が甘く押しこまれて、呼吸が混ざる。唇を離すたび糸が引いた。視界が滲んで、床がふわふわする。

「かわいい声、出すな」

「出させたの、お前だろ…」

言い返す声も掠れている。笑われて、また口を塞がれた。背中を撫でる掌が、Tシャツの裾から肌に入ってくる。ひやりとした指先が腰骨をなぞった瞬間、膝が勝手に震えた。

ソファに押し倒される。クッションの柔らかさが背中を受け止め、頭の下にすぐ手が差し込まれる。何度も触れてきたであろう動作に、経験を思い知らされて、胸の奥がきゅっとなる。嫉妬か、安心か、両方だ。

「悠真。いい?」

「…来いよ」

短い返事で全部を渡す。彼は小さく息を吐き、もう一度キスを落としてから、喉元に唇を滑らせた。舌が鎖骨をなぞる。服の上からでも分かるほど丁寧に、ゆっくり。焦らすのがうまい。肩を噛まれて、声が跳ねた。

「ひっ…ぁ、待っ…そこ、だめ…っ」

「だめって言って、止めたら怒るだろ」

「…分かってんじゃん」

笑いながら、Tシャツを脱がされた。空気が肌に触れ、寒さのあとに手の熱。胸を円を描くように撫でられ、指先が先端を摘む。ビクリ、と身体が跳ねる。自分の声が情けないくらい甘く崩れていく。

「んっ…ぁ、遼…っ」

初めて名前を直に呼んだら、唇が止まった。目が合う。彼の喉が上下する。次の瞬間、強く抱き寄せられた。

「もう一回」

「…遼」

「いい子」

褒められたくて名前を呼ぶなんて、どれだけ弱い。自分で呆れながら、彼の手首を掴んで誘導する。腰の前で固くなっているのがバレるのが、恥ずかしくて、でも見てほしくてたまらない。彼は俺の手を包むように握り返し、そのままスウェットの中に潜り込ませた。

「…ぁ、や、っ…♡」

自分の口から、甘い音が零れた。止められない。指が擦れるたび、腰が勝手に揺れる。耳元に落ちる低い声が、熱を煽った。

「かわいい。もっと聞かせて」

「うるさい…っ、意地悪…あっ、そこ…♡」

「ここが好き?」

「す、…き、っ♡」

素直すぎる返事に、自分で笑ってしまいそうになる。笑う余裕も奪うように、彼は片手でコンドームと潤滑を用意して、視線で確認してくる。頷くと、額に軽くキスが落ちた。

「力、抜け」

「抜けない…お前のせいで」

「じゃあ、俺が抜かせる」

背中を撫でられ、脚を開かされる。潤滑が触れた瞬間、冷たさと、すぐに来る熱。指がひとつ、ゆっくり入ってくる。呼吸が詰まる。喉が鳴る。彼の声が、低く近くで囁く。

「痛い?」

「…平気、もっと…っ」

素直におねだりする自分が情けない。でも、気持ちいい方が正義だ。二本、三本。広げられて、奥を探られる。指先が一点を擦った瞬間、身体が跳ね上がった。

「っっ、や、そこ…♡ やだ、変になる…っ」

「ここだな」

わざとらしく反復されて、声が勝手に漏れる。掴んだソファの縁が汗で滑る。涙がにじんで、視界が崩れる。許せないくらい、うまい。

「…入れるぞ」

「…来い、…遼」

短く息を揃え、彼がゆっくり押し入ってくる。熱い。いっぱいで、苦しい。けど、奥まで届く感覚が安心にもなる。額を合わせて、呼吸を合わせて、少しずつ馴染ませる。

「…大丈夫」

「…うん。動け」

合図のあと、浅く、深く。一定のリズムがすぐに崩れる。彼は俺の反応に合わせて位置を変え、角度を測ってくる。ずるいくらい正確に、さっき震えた場所を打ってくる。

「っ、は、あ…や、だめ…♡ そこ…っ、好き…っ♡」

「好き、って言った」

「うるさ…っ、んっ、あ、♡ も、っと…っ」

腰を抱えられて、奥まで引き寄せられる。腹の奥で火花が散るみたいに、気持ちよさが連続で弾ける。手首を掴まれて、指を絡められる。繋がってる場所だけじゃなく、手のひらの体温まで熱い。

「悠真、顔…かわいい」

「言うな…っ、恥ず…♡」

「かわいい。すごく、かわいい」

何度も言われて、頭が真っ白になる。言葉の熱で、身体の奥まで蕩ける。擦られるたび、声が甘く崩れていくのを止められない。

「っ、…遼、…もう、…いきそ…」

「一緒に」

彼の手が前を扱く。ちょうどいい強さと速さで、奥の刺激と重なって、逃げ場がなくなる。

「っっ、あ、や、…っ、いく、いく…っ♡」

視界が白く弾けた。背中が反って、声が途切れる。彼の動きが深く強くなって、すぐ後を追うように震えが伝わってきた。熱が奥に落ちる。抱きしめられた腕が、強くなる。名前を何度も呼ばれて、頷くことしかできない。

しばらくして、ゆっくりと抜かれ、彼は手早く片付けを済ませる。汗で貼りついた前髪を指で払ってくれる仕草が、妙に丁寧で、胸がくすぐったい。

「痛いところ、ないか」

「…平気。うまいの、むかつく」

「褒め言葉として受け取る」

ソファの隙間に滑り込むように抱き寄せられ、肩にキスが落ちる。鼓動が、まだ速い。雨音は遠く、代わりに彼の心臓の音が近い。

「明日、朝早いんだろ」

「うん。起きられる自信ない」

「起こす。コーヒーも淹れる」

「…優しい」

「面倒見がいいだけ」

言い方はそっけないのに、腕は緩まない。指が俺の手の甲をなぞる。眠気が波のように押し寄せ、目を閉じる。最後に、耳元で小さく囁かれた。

「また、来い」

「…うん。…遼」

返事の代わりに、もう一度名前を呼ぶ。彼の胸の中で、雨の夜はゆっくりと更けていった。
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