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1-1 無能のハズレ令嬢、北の大地へ
しおりを挟むオリヴィア・ウィリアムズは北の要塞『ノルディア』に向かう飛行馬車の中で、次第に冷えていく空気に耐えながらじっと肩を強張らせていた。
まだ乗り合いだったら少しは気が晴れるものの、運悪く今週の乗客はオリヴィア一人だったのである。
陸路の馬車よりも不安定に揺れる飛行馬車は、初めて飛行体験をする彼女を不安にさせた。
(ひいい~こんなに揺れるものなんでしょうか…)
落下の恐怖に耐えるため、彼女は胸元に下げたロザリオを握りしめた。
なぜオリヴィアが王都から鉄道と飛行馬車で1か月かかる国境間際の『ノルディア』に移住することになったかというと。
彼女が無能な“ハズレ令嬢”だったからだ。
彼女はウィリアムズ公爵が他所の女に手を出した挙句できた庶子であった。
母親は妊娠が分かると公爵の元から逃げた。公爵の人柄をよく知っていたから。遠く、遠く。身重の女性が行けるところまで。
十月十日逃げおおせた母親は辺境の田舎で人知れずオリヴィアを出産するとすぐに赤子を孤児院へ預け身を隠した。
孤児院で貧しくも穏やかな日々を過ごすオリヴィアの運命が変わったのは10歳のとき。
「お前がカミラの子か。今日からお前はウィリアムズ家の娘だ。」
実父だという男の目は仄暗い。抵抗してくれた院長も、公爵位の男に遺伝子診断を突きつけられて成すすべがなかった。
「大丈夫です、院長先生。 私はどんなところでも生きていけます。 先生がたくさんのことを教えてくださったから。」
「オリヴィア…、貴女を守れなくて…貴女の母様との約束だったのに…。 これを、これを持って行って。 母様が残していってくれたものよ。 あなたの出自を隠すために、今日まで私が大切に持っていたの…。 神が、母様が、私が、いつまでも貴女を見守っているわ…。」
渡されたロザリオは、オリヴィアの心の糧だった。
どこででも生きていける。
確かに彼女はそう思っていた。
しかし10歳の少女に現実はあまりにも辛い。「歩く姿に品がない」と四六時中家庭教師の金切り声が飛んできて、「この本を暗記するまで眠るな」と10冊の分厚い本を積まれ、フォークの音が少し鳴ってしまっただけでその日の食事は取り上げられ、目の前で捨てられた。
(森に行けば自分で食べ物をとれるのに。外でなら誰よりも早く走れるのに。植物も虫も生き物も、そんな知識ならば先生がたくさん教えてくださったのに。)
真冬の物置小屋は隙間風で凍える。罰だと言われた。淑女としての品がないから。いつまでたっても魔力が出現しないから。
それでもオリヴィアは泣かなかった。手に食い込むほど握りしめるロザリオが教えてくれる。この命は母様が必死で繋いでくれたものなのだと。
公爵はありとあらゆる手段でオリヴィアの魔力を開花させようと試みた。
都で高名な魔法士を家庭教師につけた。西の魔女に頼み違法な魔力増強剤を作らせて頭を押さえつけ口をこじ開け無理矢理飲ませた。三日三晩食事どころか水も与えずに「魔法を使わねば孤児院の連中を殺すぞ。」と脅しまでした。
それでもオリヴィアの体に魔力は表れない。
公爵は魔獣の研究施設にオリヴィアを連れて行き、檻の中へ17歳の彼女を放り込んだ。もうじき成人を迎える。公爵は焦っていた。
「命の危機に陥れば防衛本能で魔力が目覚めることがあるという。」
檻の外では公爵が冷めた目で観察している。恐怖で奥歯が音をたてて震えた。
「お父様!お父様…!辞めてください!」
「うるさい!私を父と呼ぶのは能力を得てからにしろ!」
絶望したオリヴィアは目の前の恐ろしい魔獣を呆然と見つめるしかできなかった。
自分の倍はあろうかという大きな体には爬虫類のような頭、大きな口には歪な牙がびっしりはえている。太い腕には何色ともいえぬ鱗がびっしりで、鋭い爪。おどろおどろしい魔獣が、体勢を低くし、ぎょろっと瞬膜のかかる大きな眼でクロディーヌを見つめ、悪臭の放つ大きな口を開けた。
ーーーー……
体を裂かれる激痛、恐怖、命が散る虚しさを感じながら、光を失っていくオリヴィアの目に映ったのは、呆れた様子で魔獣に向けて火魔法を繰り出す実父の姿だった。
(母様からいただいた血が…)
生温かいものに沈んでいきながら、指先が冷えていく感覚を最後に、意識を手放した。
目を覚まして公爵邸の天井を見た時、オリヴィアは地獄に落ちたのかと思った。しかし体の傷は塞がっており、どうやら生きているらしい。肩の傷跡も、化粧をすれば隠れる程度。メイドの話によると、公爵が研究所に待機させていた魔法士によって治療されたとのことだった。
傷は癒えても、あの時の恐怖と虚しさはオリヴィアの心を蝕んだ。
18の成人を迎えても、魔力が出現しないオリヴィアのことを、社交界は嘲笑った。
「公爵令嬢なのに、無能なんですって。」
「ウィリアムズのくせに火魔法の一つも使えない。」
「ほら、やっぱり母親が下賤だから。」
「公爵もお気の毒ねえ。ハズレを引き取ってしまって。」
母様のことを言われたときにだけ、オリヴィアは真夜中にひっそりと枕を濡らした。
しかし、そんな彼女にもとうとう自由になるときがきたのである。
「お前が無能だから!!せっかくの皇子との縁談も全て白紙だ!!!!皇室と繋がる好機を無駄にしおって!お前など価値もない!今すぐ出ていけ!!!」
宮から帰宅した実父が大激怒で着の身着のままのオリヴィアの髪を引っ掴み、そのまま表へ放り出そうとしたところ、「公爵籍の人間を放り出せば悪評がたちます」と公爵夫人がなだめ、修道院に入るよう勧められた。
それなら、とオリヴィアは働くことを選んだ。
丁度大公家で家庭教師の募集をしていた。大公領ならばここから数千キロ、国境近くの辺鄙な北国。目障りなハズレ令嬢を捨てるには丁度いいと考えた公爵は、行きの交通費と雑費、そしてトランク一つだけ持たせて公爵邸の扉を閉めた。
「二度と私に顔を見せるな。」
それはオリヴィアにとって最高のはなむけであった。
初めて乗る蒸気機関車は風をぐんぐんきって進んでいく。楽しくて窓を開けると、黒いすすで鼻が真っ黒に汚れた。向かいに座っていた親子が大笑いで拭いてくれて、オリヴィアは嬉しくて涙が出そうになった。
蒸気機関車を降り、乗り合い馬車に揺られ一晩過ごす。馬車を降り、次の駅まで歩こうかと思っていた矢先、商団と出会い、荷車に乗せてもらった。そうしてまた、蒸気機関車に乗り込む。
寝台列車に乗り換えて、13泊車内で過ごした日々は、夢のようだった。見たこともない楽器。聞いたこともない歌。陽気な人たち。みんなで足を踏み鳴らし、車掌が怒って乗り込んできた。やむなく、異国の女性が小さな弦楽器で静かに歌を歌ってくれた。聞いたこともないはずなのに、なぜか胸が温かくなった。母様に会いたくなる寂しさは、隣の熟年の女性の広い胸が慰めてくれた。
8泊目、仲良くなった一人の旅人が下車する。10泊目、異国の楽団員たちが下りていく。11泊目、オリヴィアが今まで誰にも言えなかった辛い胸の内を吐露した相手、熟年の老夫婦と別れを告げた。
13泊目になる頃、車内にはオリヴィアしか乗客が居なかった。
終着駅についたのは深夜0時。
下りた駅の街明かりは消え、静かに雪が降っていた。宿屋を探して歩く。足で雪を踏みしめるたびにギュッギュッとなる感触が新鮮だった。
(王都も寒かったですが、ここは空気が違いますね…。)
王都の吹きすさぶ風とは違う、空気そのものがピンと張り詰めている。しばれるとはこういうことなのだろう。
宿屋を見つけた頃にはすっかり体は冷え切っていた。
宿の主人から、「手先や足先を暖炉にあてたり、いきなりお湯にいれてはいけない。まずは背中を暖炉であぶるように温めなさい。」と言われた通り談話室の暖炉に当たっていると、主人が話しかけてきた。
「…珍しい瞳の色だね。」
老人は静かに言った。確かにオリヴィアの瞳は珍しい。乳白色のような、水色、エメラルド、青みのピンク…見る角度によって複雑な光を放つ。オパールのような瞳だった。
「…母譲りなんです。 …多分。」
「そうかい、それは素敵な贈り物だ。」
会ったことがない母。だが、公爵家の人間・親戚、全てこの瞳を持つ者はいなかった。それに公爵は憎々し気に私の瞳を睨みつける。だから恐らく、このオパールは母譲りなのだろう。そう気が付いてから、オリヴィアは自分自身のことが少しだけ好きになれた。
翌朝、飛行馬車の駅逓に行くまで寒いだろうと主人がマフラーと手袋を貸してくれた。次の飛行馬車は3日後に出発だという。それまで宿の掃除の手伝いをしたり、雪かきというのを初体験してみたりした。この町で初めて見た雪景色。あまりに美しくて、雪がほんのりかかる汽車の絵を、木炭で葉書にしたためた。
「東のイースタンという街に恩人が住んでいます。もし、この宿屋に東へ行く旅人が来たら、託してもらえないでしょうか…。郵便を送るにも、私にはそんなお金が残っていなくて…。」
と、申し訳なさげに宿の主人に頼むと、老人は穏やかに笑んで頷いてくれた。
今まで、8年前に別れを告げた恩人に一度も手紙を出すことを許されなかった。これが、初めての便りだった。
「おじいさん、お世話になりました。どうぞ、お元気で。」
「これを持って行きなさい。」
「え、でも…悪いです…。」
「いいんだ。ノルディアはここよりも寒く、厳しい。年寄りにも贈り物をさせておくれ。」
「…っ、ありがとう、ございます…っ。」
手渡されたマフラーと手袋は、橙色で、なんだか胸まで温かくなった。紅茶色のオリヴィアの髪にもよく似合っている。
公爵家で心を殺していたオリヴィアにとって、約1か月間のこの旅は、孤児院生活と同じくらい宝物になったのであった。
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