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そこにある闇の先 4/5
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「それ以上お嬢様に近づくのは、許しません」
不穏な展開。ティアはシルキィを守るように背中に隠す。
尚も近づいてくるアーリマンに、ティアは白い歯を剥き出しにした。
「近付くなと言っている! ぶっ殺すぞ!」
「ふふ。君のその、ビビった時に口が悪くなる癖は昔のまんまだな」
アーリマンはゆっくりと剣を抜いて、歪んだ笑みを浮かべる。
「王子。ご理解頂くために、一つご覧になってください」
言葉が終わると同時に、ティアが短い呻きを上げた。シルキィに寄り添う彼女の体が強張り、小刻みに震え出す。
「ティア?」
シルキィは見た。アーリマンの握る剣が、ティアの薄い腹部に深く突き刺さっている。
「ティア!」
剣が引き抜かれると、傷口からは夥しい鮮血が溢れ出る。ティアは声にならない叫びを漏らして膝を落とす。守るべき主に目を向けて、逃げろと訴えかける。
息を呑むシルキィ。彼女はようやく、事の重大さに気が付いた。情け容赦のない危険に晒されているのだと。
ウィンスは眉をしかめ、アーリマンは冷ややかな笑みを貼り付けていた。
「さぁ、面白いものが見られますよ」
シルキィは動転していた。狼狽していた。錯乱していた。
ティアが死ぬ。彼女の心を苛むのはその恐るべき結末のみであった。ティアがまだ侍女ではなくただの友人であった頃から、彼女はずっとシルキィを支えてきたのだ。たとえ身分は違えど、血は繋がっていなくとも、ティアはシルキィの親友であり、家族であった。
「しっかりして、ティア!」
張り上げたはずの声は掠れていた。
彼女を失いたくない。ティアが隣にいない人生など考えられない。
死なせない。死なせてたまるものか。
シルキィの瞳には涙が溜まっていた。それは大粒の雫となって、彼女の白い頬を伝う。
蹲るティアに縋りつくように、彼女の痛ましい傷口に手を当てがった。青白い魔力がティアの全身を包み込む。ラ・シエラの血族に受け継がれる美しくもどこか儚げな輝き。
仄かな光は、まずティアの出血を止め、次いで開いた傷口を塞いだ。ティアの腹部は元より傷などなかったかの如く滑らかな肌に戻っていく。
場はにわかに騒然となった。
「治癒魔法! まさか、こんな小娘が」
ウィンスの驚愕も無理からぬことである。長い魔法の歴史において、シルキィほどの若さで治癒魔法を習得した事例は皆無である。才ある者が何十年もの研鑚の果てに辿りつく魔法の極致。治癒魔法の使い手は広大な帝国において百人といない。国宝に等しい存在なのだ。
「なるほど。これは確かに、この上ない」
「ええ、そうでしょう」
幼少のシルキィは、ある時庭で傷ついた小鳥を見つけた。彼女は特に考えなく、生まれ持ったその力で小鳥を癒した。娘の才能に気付いた父は、彼女にその力を使ってはならぬと命じるしかなかった。器に見合わぬ力は、災厄を呼び、身を滅ぼす。それ以来彼女は自身の力を隠して生きていた。だが、たった一度だけ父の言いつけを破ったことがあった。
アーリマンは偶然にもその現場を目撃してしまったのだ。彼はそれを胸の奥にしまっていたが、ここにきて利用価値を見出し、かつての主を裏切った。
ウィンスがシルキィに近付く。
治療を終えたシルキィは、ティアの前に立ち塞がり、守るように両手を広げた。
「やめなさい。これ以上ティアを傷つけるのは許さない」
「おじょうさま……! いけません」
ティアは咄嗟に立ち上がろうとするが、失った血の影響か、あるいは精神的な問題か、身体に力が入らず思うように動けなかった。
「お目当ては私でしょう! だったら連れて行けばいい。その代わり――」
「メイドには手を出すなと? 召使いをかばう貴族とは、滑稽だな」
おかしそうな声を出すウィンス。
「その清廉さに免じて、と言いたいところだが」
彼はシルキィの目前まで進むと、抜き放った剣を突きつけた。
「こちらも遊びではない。後顧の憂いは断たせてもらう」
「どうしてよ! 私が行けばいいんでしょう! どうしてティアまで――」
「帝国貴族の言葉とは思えんな。貴様らは私利私欲の為に我が故郷を蹂躙したではないか」
シルキィの抗議を遮って、ウィンスは険しい声を張った。
「エーランドだけではない。アルシーラやアシュテネもだ。貴様らは命を乞う悲痛な叫びに耳を貸したか? 子を案じる母の嘆きに。泣き叫ぶ幼子に。恋人を庇う若者の懇願に。ああ貸していないだろう! 貴様らに僅かでも慈悲の心があったなら、このようなことにはならなかった!」
激昂していたウィンスは、すぐに我を取り戻して自虐気味に鼻を鳴らした。
「小娘にするような話ではないか」
煮えたぎる怒りを隠そうともしないウィンスの気迫に、シルキィは恐れ慄いた。広げた手は目に見えて震えており、心臓は恐怖に押し潰されそうだった。
「まあそういうわけですシルキィ様。かわいそうですが、どのみちティアには死んでもらわなければなりません」
ウィンスがシルキィを押し退ける。必死の踏ん張りは何の意味も為さず、シルキィは無様に転倒してしまう。
「おじょう、さま……」
「この期に及んで主人の心配とは、従者の鑑だな。理想的な主従関係だ。反吐が出る」
ウィンスは剣を持ち上げると、感慨のない声で宣告した。
「死ぬがいい」
ティアは自らの死期を悟る。脚は痺れ、動くことも叶わない。護衛であるセスを残してきたのは軽率であった。たとえ主の要望を蹴ってでも、彼と共にいるべきだったのだ。後悔が巡る。あの時こうしていたら、ああしていれば。無意味な思考と知りながら。
不穏な展開。ティアはシルキィを守るように背中に隠す。
尚も近づいてくるアーリマンに、ティアは白い歯を剥き出しにした。
「近付くなと言っている! ぶっ殺すぞ!」
「ふふ。君のその、ビビった時に口が悪くなる癖は昔のまんまだな」
アーリマンはゆっくりと剣を抜いて、歪んだ笑みを浮かべる。
「王子。ご理解頂くために、一つご覧になってください」
言葉が終わると同時に、ティアが短い呻きを上げた。シルキィに寄り添う彼女の体が強張り、小刻みに震え出す。
「ティア?」
シルキィは見た。アーリマンの握る剣が、ティアの薄い腹部に深く突き刺さっている。
「ティア!」
剣が引き抜かれると、傷口からは夥しい鮮血が溢れ出る。ティアは声にならない叫びを漏らして膝を落とす。守るべき主に目を向けて、逃げろと訴えかける。
息を呑むシルキィ。彼女はようやく、事の重大さに気が付いた。情け容赦のない危険に晒されているのだと。
ウィンスは眉をしかめ、アーリマンは冷ややかな笑みを貼り付けていた。
「さぁ、面白いものが見られますよ」
シルキィは動転していた。狼狽していた。錯乱していた。
ティアが死ぬ。彼女の心を苛むのはその恐るべき結末のみであった。ティアがまだ侍女ではなくただの友人であった頃から、彼女はずっとシルキィを支えてきたのだ。たとえ身分は違えど、血は繋がっていなくとも、ティアはシルキィの親友であり、家族であった。
「しっかりして、ティア!」
張り上げたはずの声は掠れていた。
彼女を失いたくない。ティアが隣にいない人生など考えられない。
死なせない。死なせてたまるものか。
シルキィの瞳には涙が溜まっていた。それは大粒の雫となって、彼女の白い頬を伝う。
蹲るティアに縋りつくように、彼女の痛ましい傷口に手を当てがった。青白い魔力がティアの全身を包み込む。ラ・シエラの血族に受け継がれる美しくもどこか儚げな輝き。
仄かな光は、まずティアの出血を止め、次いで開いた傷口を塞いだ。ティアの腹部は元より傷などなかったかの如く滑らかな肌に戻っていく。
場はにわかに騒然となった。
「治癒魔法! まさか、こんな小娘が」
ウィンスの驚愕も無理からぬことである。長い魔法の歴史において、シルキィほどの若さで治癒魔法を習得した事例は皆無である。才ある者が何十年もの研鑚の果てに辿りつく魔法の極致。治癒魔法の使い手は広大な帝国において百人といない。国宝に等しい存在なのだ。
「なるほど。これは確かに、この上ない」
「ええ、そうでしょう」
幼少のシルキィは、ある時庭で傷ついた小鳥を見つけた。彼女は特に考えなく、生まれ持ったその力で小鳥を癒した。娘の才能に気付いた父は、彼女にその力を使ってはならぬと命じるしかなかった。器に見合わぬ力は、災厄を呼び、身を滅ぼす。それ以来彼女は自身の力を隠して生きていた。だが、たった一度だけ父の言いつけを破ったことがあった。
アーリマンは偶然にもその現場を目撃してしまったのだ。彼はそれを胸の奥にしまっていたが、ここにきて利用価値を見出し、かつての主を裏切った。
ウィンスがシルキィに近付く。
治療を終えたシルキィは、ティアの前に立ち塞がり、守るように両手を広げた。
「やめなさい。これ以上ティアを傷つけるのは許さない」
「おじょうさま……! いけません」
ティアは咄嗟に立ち上がろうとするが、失った血の影響か、あるいは精神的な問題か、身体に力が入らず思うように動けなかった。
「お目当ては私でしょう! だったら連れて行けばいい。その代わり――」
「メイドには手を出すなと? 召使いをかばう貴族とは、滑稽だな」
おかしそうな声を出すウィンス。
「その清廉さに免じて、と言いたいところだが」
彼はシルキィの目前まで進むと、抜き放った剣を突きつけた。
「こちらも遊びではない。後顧の憂いは断たせてもらう」
「どうしてよ! 私が行けばいいんでしょう! どうしてティアまで――」
「帝国貴族の言葉とは思えんな。貴様らは私利私欲の為に我が故郷を蹂躙したではないか」
シルキィの抗議を遮って、ウィンスは険しい声を張った。
「エーランドだけではない。アルシーラやアシュテネもだ。貴様らは命を乞う悲痛な叫びに耳を貸したか? 子を案じる母の嘆きに。泣き叫ぶ幼子に。恋人を庇う若者の懇願に。ああ貸していないだろう! 貴様らに僅かでも慈悲の心があったなら、このようなことにはならなかった!」
激昂していたウィンスは、すぐに我を取り戻して自虐気味に鼻を鳴らした。
「小娘にするような話ではないか」
煮えたぎる怒りを隠そうともしないウィンスの気迫に、シルキィは恐れ慄いた。広げた手は目に見えて震えており、心臓は恐怖に押し潰されそうだった。
「まあそういうわけですシルキィ様。かわいそうですが、どのみちティアには死んでもらわなければなりません」
ウィンスがシルキィを押し退ける。必死の踏ん張りは何の意味も為さず、シルキィは無様に転倒してしまう。
「おじょう、さま……」
「この期に及んで主人の心配とは、従者の鑑だな。理想的な主従関係だ。反吐が出る」
ウィンスは剣を持ち上げると、感慨のない声で宣告した。
「死ぬがいい」
ティアは自らの死期を悟る。脚は痺れ、動くことも叶わない。護衛であるセスを残してきたのは軽率であった。たとえ主の要望を蹴ってでも、彼と共にいるべきだったのだ。後悔が巡る。あの時こうしていたら、ああしていれば。無意味な思考と知りながら。
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