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そこにある闇の先 5/5
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眼前に死が迫る。ティアは凶刃に怯え、固く目を閉じてしまう。
ウィンスが振り下ろした剣は、しかしティアを斬り裂くには至らなかった。魔力の矢が飛来し、それを弾き落とすために軌道を変えざるを得なかったからだ。
「何のつもりだ」
妨害はイライザによるものだ。彼女の攻性魔法は決して強力ではないが、多少なりとも脅威にはなった。邪魔立てされたウィンスは、害虫でも見るような目をイライザに向ける。
「その人達を傷つけるのは許さない」
震える声は、恐怖故か、あるいは怒り故か。魔法を放った手を上げたまま、金の瞳は瞬き一つしない。
「あの人が悲しむ」
「よした方がいいと思いますが」
大仰な仕草で腕を広げ、首を振るアーリマン。
「イライザさん。ここに連れてきた責任を感じるのはよくわかります。ですが、王子に楯突くのは感心しませんねぇ。あなたとて犬死にはしたくないでしょう?」
「引き下がれない」
「ふむ、そうですか」
アーリマンはその鋭い顎をさすって、目を細めた。
「ウィンス王子、いかがでしょう? イライザさんも大切なビジネスパートナーの一人。彼女には実に稼がせてもらいました。無論、その多くはあなた方の懐をも潤しております。私としては、彼女の意見は最大限尊重するべきだと思うのですが」
「正気か?」
眉を歪め、アーリマンを睨むウィンス。
「私にも一応の理念があります。金を払う者、そして稼ぐ者こそ偉大であるとね。これは商人としての矜持のようなもの。王子のあなたには、ご理解頂けないかもしれませんが」
「ふん。理念ときたか。商人風情が大層な口をきく」
言いつつ、ウィンスは剣を納める。
「まぁいいだろう。貴様と、この俺に臆することなく矢を放ったその娘の勇気に免じる」
「ありがたく」
このやり取りを聞いて、シルキィはひとまず安堵した。だが、状況は何も好転していなかった。彼らはティアとイライザに情けをかけたわけではなく、生かした方が利となるから殺さなかっただけだ。
「ティア。ラ・シエラ辺境伯へ伝えておけよ。身代金をかき集めておけと、ね」
言い捨てたアーリマンは、それきりティアから目を離すと、へたりこむシルキィに手を差し伸べた。
「さあシルキィ様。参りましょう」
無論、彼女はその手を取らない。シルキィは既にこの男を敵と認識していた。
「アーリマン。あなた、どうしてしまったの? 昔のあなたは優しかったじゃない。一緒に遊んでくれたり、お菓子を作ってくれたり」
「そんなこともありましたね。懐かしい記憶です」
シルキィは心のどこかでアーリマンの良心を信じていた。記憶の中の彼はいつも健気であったのだ。もしかすれば、彼には差し迫った事情があるのかもしれない。
「どうしてなの? その男に脅されているのなら、私達に相談してくれたら――」
アーリマンはふと顔を押さえた。肩は小刻みに震え、しゃくるような声が断続的に続いた。泣いているのかと思った。
違う。嗤っていた。
「没落したラ・シエラへの忠義は、一銭にもならないでしょう?」
その一言がアーリマンの偽らざる本音だった。物欲と野心が、彼の本質なのだ。
「アーリマン! 生き倒れのあなたを拾って下さった旦那様のご恩を、忘れましたか!」
絞り出すような叱責。ティアは苦悶の表情で、忘恩の徒を責め立てた。
「力を失った貴族に媚を売る価値はない。人を従えるということは、信や義によらず、ただ力によってのみ行われるのだから」
アーリマンの言葉を受けて、鼻を鳴らしたのはウィンスだった。
「つまらん問答はそれくらいにしておけ」
彼が合図をすると、二人の兵がシルキィの両腕を掴んで引っ張り上げた。彼女が背負った剣を取り上げて、その場に投げ捨てる。
「お嬢様!」
「大丈夫」
シルキィはあえて強い語気で訴えた。
「私は大丈夫」
強がりだ。震える脚を叱りつけ、怯える心を隠す為の虚勢だ。
「だから心配しないで、ティア」
動けぬ従者を安心させるために、微笑みまで浮かべて。
けれど本当は叫びたい。助けてと。エリーゼの窮地を救ったレイヴンのような、自分だけの英雄を求めてしまう。
現実は非情だ。その願いが聞き届けられることはない。整然と組まれた物々しい隊列に囲まれて、シルキィは行く先も解らぬまま連れ去られたのだ。
その場に残されたティアは、忸怩たる念に全身を震わせる。守るべき主をみすみす奪われ、あまつさえ主人に守られるなど。従者としてあってはならぬ醜態だ。
悔恨に染まった呻きが、無人の平野に溶けていく。
甘えていた。シルキィの優しさに。貴族の威光に。自身の半端な才能に。
多少剣術が使えるだけの十九の小娘が、どうして護衛を気取っていたのだろう。あまりにも傲慢ではないか。
止めどなく溢れる涙が、去っていくシルキィの背中を滲ませる。
拾い上げたシルキィの剣を抱いて、ティアは苦しげな嗚咽を吐き出した。
涙は鞘を伝い、乾いた土を何度も湿らせていた。
ウィンスが振り下ろした剣は、しかしティアを斬り裂くには至らなかった。魔力の矢が飛来し、それを弾き落とすために軌道を変えざるを得なかったからだ。
「何のつもりだ」
妨害はイライザによるものだ。彼女の攻性魔法は決して強力ではないが、多少なりとも脅威にはなった。邪魔立てされたウィンスは、害虫でも見るような目をイライザに向ける。
「その人達を傷つけるのは許さない」
震える声は、恐怖故か、あるいは怒り故か。魔法を放った手を上げたまま、金の瞳は瞬き一つしない。
「あの人が悲しむ」
「よした方がいいと思いますが」
大仰な仕草で腕を広げ、首を振るアーリマン。
「イライザさん。ここに連れてきた責任を感じるのはよくわかります。ですが、王子に楯突くのは感心しませんねぇ。あなたとて犬死にはしたくないでしょう?」
「引き下がれない」
「ふむ、そうですか」
アーリマンはその鋭い顎をさすって、目を細めた。
「ウィンス王子、いかがでしょう? イライザさんも大切なビジネスパートナーの一人。彼女には実に稼がせてもらいました。無論、その多くはあなた方の懐をも潤しております。私としては、彼女の意見は最大限尊重するべきだと思うのですが」
「正気か?」
眉を歪め、アーリマンを睨むウィンス。
「私にも一応の理念があります。金を払う者、そして稼ぐ者こそ偉大であるとね。これは商人としての矜持のようなもの。王子のあなたには、ご理解頂けないかもしれませんが」
「ふん。理念ときたか。商人風情が大層な口をきく」
言いつつ、ウィンスは剣を納める。
「まぁいいだろう。貴様と、この俺に臆することなく矢を放ったその娘の勇気に免じる」
「ありがたく」
このやり取りを聞いて、シルキィはひとまず安堵した。だが、状況は何も好転していなかった。彼らはティアとイライザに情けをかけたわけではなく、生かした方が利となるから殺さなかっただけだ。
「ティア。ラ・シエラ辺境伯へ伝えておけよ。身代金をかき集めておけと、ね」
言い捨てたアーリマンは、それきりティアから目を離すと、へたりこむシルキィに手を差し伸べた。
「さあシルキィ様。参りましょう」
無論、彼女はその手を取らない。シルキィは既にこの男を敵と認識していた。
「アーリマン。あなた、どうしてしまったの? 昔のあなたは優しかったじゃない。一緒に遊んでくれたり、お菓子を作ってくれたり」
「そんなこともありましたね。懐かしい記憶です」
シルキィは心のどこかでアーリマンの良心を信じていた。記憶の中の彼はいつも健気であったのだ。もしかすれば、彼には差し迫った事情があるのかもしれない。
「どうしてなの? その男に脅されているのなら、私達に相談してくれたら――」
アーリマンはふと顔を押さえた。肩は小刻みに震え、しゃくるような声が断続的に続いた。泣いているのかと思った。
違う。嗤っていた。
「没落したラ・シエラへの忠義は、一銭にもならないでしょう?」
その一言がアーリマンの偽らざる本音だった。物欲と野心が、彼の本質なのだ。
「アーリマン! 生き倒れのあなたを拾って下さった旦那様のご恩を、忘れましたか!」
絞り出すような叱責。ティアは苦悶の表情で、忘恩の徒を責め立てた。
「力を失った貴族に媚を売る価値はない。人を従えるということは、信や義によらず、ただ力によってのみ行われるのだから」
アーリマンの言葉を受けて、鼻を鳴らしたのはウィンスだった。
「つまらん問答はそれくらいにしておけ」
彼が合図をすると、二人の兵がシルキィの両腕を掴んで引っ張り上げた。彼女が背負った剣を取り上げて、その場に投げ捨てる。
「お嬢様!」
「大丈夫」
シルキィはあえて強い語気で訴えた。
「私は大丈夫」
強がりだ。震える脚を叱りつけ、怯える心を隠す為の虚勢だ。
「だから心配しないで、ティア」
動けぬ従者を安心させるために、微笑みまで浮かべて。
けれど本当は叫びたい。助けてと。エリーゼの窮地を救ったレイヴンのような、自分だけの英雄を求めてしまう。
現実は非情だ。その願いが聞き届けられることはない。整然と組まれた物々しい隊列に囲まれて、シルキィは行く先も解らぬまま連れ去られたのだ。
その場に残されたティアは、忸怩たる念に全身を震わせる。守るべき主をみすみす奪われ、あまつさえ主人に守られるなど。従者としてあってはならぬ醜態だ。
悔恨に染まった呻きが、無人の平野に溶けていく。
甘えていた。シルキィの優しさに。貴族の威光に。自身の半端な才能に。
多少剣術が使えるだけの十九の小娘が、どうして護衛を気取っていたのだろう。あまりにも傲慢ではないか。
止めどなく溢れる涙が、去っていくシルキィの背中を滲ませる。
拾い上げたシルキィの剣を抱いて、ティアは苦しげな嗚咽を吐き出した。
涙は鞘を伝い、乾いた土を何度も湿らせていた。
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