アルゴノートのおんがえし

朝食ダンゴ

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再会

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 高い建物に挟まれた暗い路地の片隅。セスは壁に背を預けたまま力なく座り込んでいた。すでに夜が訪れ、空には星が輝いている。
 数えきれないほどの傷を負った。浅い深いを問わず全身に及んでいる。肩。腰。腕。脚。見事に傷だらけ。多くの血を失い、呼吸は整わず、身体は虚脱感に苛まれていた。
 追撃の手を振り切り、朦朧とした意識を繋ぎ止め、弱った体を引きずってこの場に辿りついた。敵や住民から身を隠す必要があるのだ。家々から覗くパマルティスの住民達は残党軍に協力的である。
 残党軍は予想をはるかに超えて精強であった。真紅の魔力は凡夫に豪傑の力を与え、英雄の如く勇壮な精神力をもたらしている。

「痛ってぇ……」

 セスは深い息を吐く。痛くて、苦しくて、堪らない。表情は自ずと歪んでしまう。いっそのこと気を失ってしまいたい。そうすれば、楽になる。
 全身の傷と失血、加えて激しい戦闘による肉体の疲労で、セスは満足に歩くことさえできない状態だった。簡単な止血など応急処置は施したが、死に瀕していることに変わりはない。鮮血で赤く染まった手では、剣を握るのもやっとだった。
 こんなことでは、シルキィを救出しに行くなど夢のまた夢だ。

「弱いな……俺は。こんなことじゃ、お前のご主人も失望するだろうな」

 自虐的な言葉は、物言わぬ魔導馬に向けられたものだった。生物の形をしていても、それはただ命令に従うだけの道具である。期待した慰めの反応が返ってくることはない。
 座り込むべきではなかった。平衡感覚は徐々に曖昧になり、意識が薄れていく。気力は失われ、今や思考も混濁している。

「見つけた」

 故にセスが剣を振るったのはもはや反射であった。何を言っているかとか、誰の声なのかとか、そんなことに気付く間もなく、体が自ずと剣を放つ。

「相変わらずの、おバカさんだね」

 セスの意識は、瞬時に明晰さを取り戻した。
 突きつけた剣の先には少女の微笑。紫がかった古風な髪と、眠たげな金の瞳。薄い唇に浮かんだ笑みは、懐かしい記憶を蘇らせる。

「あなたはいつも傷だらけ」

 乱れた息が一瞬止まった。闇夜に佇む少女はどこか蠱惑的だ。袖のない服から伸びる白い腕も、スリットから覗くしなやか脚線も、細身の衣装に浮かぶ豊かな胸の膨らみも、間違いなく一つ一つは十代半ばの少女のものであるはずなのに、その全てに魔性を湛えている。微笑みは無垢だが、その奥には煮詰まった濃密な感情が見え隠れしていた。

「イライザ」

 微笑の瞳に涙が滲み、零れた。イライザは突きつけられた剣など意に介さず、セスの胸に飛び込む。そうして、強引に唇を重ね合わせた。
 セスは驚きの中で瞠目し、何度も瞬きを繰り返した。乾いた唇に感じる柔らかな温かさは、張り詰めた神経に安らぎを運ぶ。この瞬間ばかりは、傷の痛みも忘れていた。
 のしかかるようにして口づけをするイライザを振りほどくことは出来ない。セスは彼女を受け入れ、唇が離れるまで華奢な背中を撫でていた。
 幾ばくか経って彼女は体を退く。白い肌も上等な服も、セスの血で汚れてしまっていた。

「本当に、君なのか」

「忘れたなんて言ったら許さないよ。一生呪う」

 拗ねたような声。膨らんだ白い頬。

「あなたがダプアに帰ってくるのを、ずっとずっと待ってた。きっと私を見つけてくれると思ってた。それなのに……女の子ばかり連れて、私を探してもくれない」

「ごめん……だけど無理もないだろう? こうやって目の前にしても、君が生きているなんて、まだ信じられない」

「キスだけじゃ、足りない?」

 切羽詰まったような細い声で、イライザは壁に手をついた。吐息を感じ、鼻先が触れるほどの距離だ。セスは落ち着いた鼓動が再び速くなるのを感じて、それでも顔を背けることが出来なかった。

「許してくれって。死にかけてるんだぞ、俺は」

「そんなのいつものことでしょ。もう慣れたよ」

「言ってくれる」

 イライザはセスから離れると、小さな手を差し伸べた。
 その姿が、過去の記憶と重なる。彼女はいつもこうして傷付いた手を引っ張り上げてくれた。辛い時も楽しい時も、隣にいてくれた。そして今もまた、膝を屈しようとする自分を励ましてくれているのだ。
 差し出された手を取る。剣を杖にして、イライザの力を借りてようやく立ち上がった。

「ミス・シエラは、大聖堂の地下倉庫に捕まってる。チャンスがあれば私が助けるから」

「そのチャンスを作ればいいんだな」

 イライザは首肯する。

「ウィンス・ケイルレスは稀代の英雄だ。そう甘くない」

 セスの背中がぱしんと叩かれた。軽い衝撃が全身に響いて思わず眉を寄せる。

「弱音を吐かない。あの時に比べたら、なんでもないでしょ。ね?」

「わかった。わかったよ」

 相変わらずイライザは厳しい。満身創痍なのだから、少しは甘やかしてくれてもいいだろうに。そう思う反面、それが信頼の裏返しであることを、セスはよく分かっていた。

「どの時のことか。心当たりがありすぎてわからないけど」

「全部だよ。ぜんぶ」

 信じるということは難しい。何を信じ、何を信じないかを判断するのも容易ではない。そしてイライザは、セスの勝利だけは疑いようもなく確信していた。

「大丈夫。あなたなら、きっとできる。なんでもできる」

 向けられる信頼は時に重荷にもなろう。だがセスには、その重さを前に進むための活力とする強さがあった。希望とは、信じることから生まれるものだ。

「まるで女房だな」

「私はずっとそのつもりだよ?」

 セスの軽口に、イライザは微笑みで答えた。誰かが傍にいてくれるだけでこんなにも心強いとは。こみ上げる喜びを噛み締める。
 イライザに支えられ、路地裏をゆっくりと歩いていく。通りに兵の足音はない。様子を窺って、路地裏を出る。

「急ごう」

 セスは魔導馬に跨ると、イライザに手を差し出す。
 彼女の目をじっと見つめる。長い時を経ても、金色の瞳は何も変わっていない。
 イライザは頷き、セスの手を取った。魔導馬に跨り、セスの腰に腕を回す。
 魔導馬が大地を蹴る。大聖堂を目指し、街を走り抜けた。

「懐かしいね、この感じ」

 感極まった声が、セスの耳朶を打った。
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