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二章
第75話 最強の露払い
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バアルは、山の中をがむしゃらに走っていた。
透明化しており、姿は見えない。
八本のむくつけき蜘蛛の足で踏みしめる草の音だけが響いている。
「私は、私はいったい誰を相手にしているのだ!?」
バアルは焦っていた。
用意した策がすべて通じなかった。
兵も失った。
もはや、逃げるしか手はなかった。
自身を透明化する固有魔法。
逃げるのにこれほどうってつけな魔法はない。
現場には、おとりとして空間転移の魔法印を残してきた。
転移魔法で別の場所へ逃げたと思った相手は、おとりとも知らず転移先を捜索するに違いない。
まさか転移魔法を使える魔族が、転移魔法を使わずに自分の足で逃げているなど、夢にも思うまい。
「だが、なんでこんなことに!?」
逃げながら愚痴りながらも、バアルは次の手を考えていた。
赤毛の魔法使い――いや、あの忌々しい魔族どもの手の届かない場所まで逃げれば、希望はある。
そう考えていた。
「逃げられればまた人間どもを使って傀儡を作れる。さすればまた、侵攻の足掛かりを――」
愚痴っていると、突然眼前に白い少女がいるのが見え、バアルは急停止した。
銀髪で、白い肌の少女。
凍るような冷たい目をした、一見少女のような魔族。
両手にはナイフが握られており、ナイフはひび割れた腕と半ば一体化している。
バアルは口をつぐんだ。
嘘だ。
見えているはずがない。
思っていると、
「……構えろ」
目の前の少女は、透明化しているはずの自分に向けて言葉を発した。
――姿がばれているのか。だが、どうやらこの少女しか追ってきていないようだ。
手分けして探そうということにでもなったのか、戦力を分散しているらしい。
ならばまだいける。
「私の魔法を見破ったことは褒めてやろう。だが――」
バアルは透明化を解き、魔法印を展開した。
「何者も私を阻むことはできないと知れ!」
無数の魔弾が現れ、少女――ラミナへ向けて一斉に放たれた。
白く細い手からナイフの刃が走った。
それは無数の魔弾を叩き落し、かき消してなお勢い衰えず、森林一帯を切り刻んでいく。
とっさに防御の魔法印を展開した。
「ぐうう!」
魔力障壁。
固有魔法で生まれたラミナのナイフにも、効果はある。
が、一撃でそれは砕ける。
飛びのきながら、大蜘蛛のバアルはさらに魔力障壁を展開。
さらに刃を防ぐ。
さらに追うラミナ。
「畑の恨み。まだ忘れてない」
「なんのことだ!?」
さらに疾駆する刃。
反撃の糸口がつかめないまま、魔法でひたすらにそれを防ぐ。
木々が切り倒される。
――しめた!
切り倒された木々が、バアルとラミナを阻み、バリケードを作った。
再び透明化して走り出す。
「撒いたか――?」
落ち着いた場所で、転移魔法で逃げるしかないか。
考えていると、
「構えるっす。恨みはないっすけど、これも仕事なんで」
猫のような耳と尻尾をつけた黒髪の若い女が、剣を携えて目の前に立っていた。
紛れもなく魔剣だった。
《モノモイリア》――先ほども使っていた、規格外の狂気と威力をはらんだ魔剣。
光の粒子が閃いた。
「うおおおお!?」
すべてを塵に帰す数多の光を魔法で防ぐ。
女――ガルデローヴが、さらに剣を振るう。振るう。振るう。
木々は消え失せ地面がならされ、周囲は微細な塵芥と光で満たされる。
「魔族とはいえ、そんなおぞましいものを連続して使用するなど、正気の沙汰じゃない!」
「コーラルさんも使えるっすよ?それにガルは――」
ガルデローヴは恍惚とした表情で、歪な剣に舌を這わせた。
「失うような正気はもう持ち合わせてないんで」
戦慄する大蜘蛛へ向けるは、生涯すべてを魔剣の蒐集に費やしてきたであろう狂人の瞳。
「付き合ってられるか!」
バアルは魔法印を展開。
《水質操作》――《深煙の帳》。
空気中の水分を操作し、煙のように濁った色の濃霧を生み出しあたりを包んだ。
さらにカモフラージュ用の転移魔法を周囲にいくつも作り、走る。
足を使って、なるべく遠くへ。
「構えるがいい。このくらいでへこたれてくれるなよ」
そこへ赤毛の男――コーラルが立ちふさがる。
「ぐっ!」
バアルは魔弾を生み出し、コーラルへ放った。
いくつもの魔弾は、コーラルの体へ直撃する。
が、コーラルは魔弾の直撃を受けながらも間合いを詰めていた。
「ダメージはないのか!?」
「避けるのが億劫でなあ!耐えさせてもらうぞ!」
魔法攻撃など意に介さず平然と突っ込んでくるコーラル。
コーラルは素手だった。
こぶしを握り、迫っていた。
そしてコーラルのそばに、魔法印が浮かぶ。
「!? !? !?」
何かしらの魔法か!?
とっさに考えたバアルは魔力障壁を展開する。
――が、振るわれたのは、拳。
魔法印はフェイクだった。
拳は障壁をすり抜け、
「ぐおおおっ!」
バアルの身体にめり込んだ。
ただの拳。
魔法を防ぐのみの障壁では、まるで効果がない物理攻撃。
ただし、常軌を逸した膂力によって振りぬかれる拳だった。
人の身長ほどもある巨大な蜘蛛の体は軽々と宙を舞い、木々に叩きつけられる。
うめくバアル。
「まだ若いな。百歳から二百歳といったところか。マスキムが報告を受けていたということは、境界戦争直前か戦時中に生まれた子だな?なるほど面識がないのもうなずけるか」
バアルは舌打ちをする。
「おとりの転移魔法に騙されて戦力を分散したわけではなかったのか……!」
「残念ながらリィサ――俺の元部下には敵を捕捉するのが得意なやつもいるからな。そいつにかかれば一目瞭然――いや、百目瞭然といったところかな」
コーラルの周囲に魔法印が展開される。
攻撃魔法か、とバアルは構えたが、展開されたまま、コーラルは前へ。
「!? !? !?」
コーラルはまた拳を構えていた。
魔法はフェイク?また物理攻撃なのか?
それとも今度こそ魔法攻撃だろうか?
「ええい!」
わからなかった。
魔法と物理、二つの障壁を魔法で同時に展開する。
結果的にいえば、魔法印はブラフ。
また、ただの拳だった。
バアルにとっては信じられぬ光景だった。
そのただの拳は、ただの一撃で物理障壁を粉砕してのけたのだった。
「貴様一体なんなんだぁぁぁぁ!」
拳の追撃が来る。
今度は物理障壁の魔法を幾重にも張る。
「防御が甘いわああああ!」
それでも破ってくる。
力ずくで。展開したそばから。暴風さえ伴いながら、何度も何度も。
――背を向けて逃げる!
足を使って、全力で!
「ぜえ、ぜえ……に、逃げ、逃げられたか……!?」
相手は追ってこない。
なるほど、力だけで素早さは自分の方があったらしい。
逃げた先で――
「父の仇、討たせてもらいます……!」
子どもが一人、短剣を手に立ちはだかっていた。
シオン――先ほどの魔族と一緒にいた、人間の子ども。
「舐めるなよ、小ぞ――」
魔法を使おうとして、バアルは魔力が全く練られていないことに気づいた。
「もっ、もう魔力が!?」
逃げるのに必死で気づかなかった。
自分がもう魔法を使えないほど憔悴していたことに。
先ほどコーラルの拳を受けた体が痛む。
「ぐっ!?」
体力も、もうほとんど残っていない。
すでに自分が限界だったことに、遅ればせながらバアルは気づいた。
同時に、コーラルの狙いにも。
まさか――とバアルは総毛立った。
はじめから、この状況を作る算段だったのか。
過剰に魔法を使わせ、体力を奪い、魔力切れに持ち込み、少年に自分を倒させることが可能になるように――。
推測しているうちに、
「あああああ!」
ごく低い位置で潜り込んでくる小さな敵。
反応したころには遅かった。
「や、やめておけ!復讐など、何も生まないだろう!?」
シオンは八本の大蜘蛛の足をすり抜け、腹の下へ。
「生む生まないじゃない、ぼくが納得して前へ進めるかどうかだ!」
少年の刃が、バアルの腹を裂き――
断末魔とともに、大蜘蛛は倒れた。
透明化しており、姿は見えない。
八本のむくつけき蜘蛛の足で踏みしめる草の音だけが響いている。
「私は、私はいったい誰を相手にしているのだ!?」
バアルは焦っていた。
用意した策がすべて通じなかった。
兵も失った。
もはや、逃げるしか手はなかった。
自身を透明化する固有魔法。
逃げるのにこれほどうってつけな魔法はない。
現場には、おとりとして空間転移の魔法印を残してきた。
転移魔法で別の場所へ逃げたと思った相手は、おとりとも知らず転移先を捜索するに違いない。
まさか転移魔法を使える魔族が、転移魔法を使わずに自分の足で逃げているなど、夢にも思うまい。
「だが、なんでこんなことに!?」
逃げながら愚痴りながらも、バアルは次の手を考えていた。
赤毛の魔法使い――いや、あの忌々しい魔族どもの手の届かない場所まで逃げれば、希望はある。
そう考えていた。
「逃げられればまた人間どもを使って傀儡を作れる。さすればまた、侵攻の足掛かりを――」
愚痴っていると、突然眼前に白い少女がいるのが見え、バアルは急停止した。
銀髪で、白い肌の少女。
凍るような冷たい目をした、一見少女のような魔族。
両手にはナイフが握られており、ナイフはひび割れた腕と半ば一体化している。
バアルは口をつぐんだ。
嘘だ。
見えているはずがない。
思っていると、
「……構えろ」
目の前の少女は、透明化しているはずの自分に向けて言葉を発した。
――姿がばれているのか。だが、どうやらこの少女しか追ってきていないようだ。
手分けして探そうということにでもなったのか、戦力を分散しているらしい。
ならばまだいける。
「私の魔法を見破ったことは褒めてやろう。だが――」
バアルは透明化を解き、魔法印を展開した。
「何者も私を阻むことはできないと知れ!」
無数の魔弾が現れ、少女――ラミナへ向けて一斉に放たれた。
白く細い手からナイフの刃が走った。
それは無数の魔弾を叩き落し、かき消してなお勢い衰えず、森林一帯を切り刻んでいく。
とっさに防御の魔法印を展開した。
「ぐうう!」
魔力障壁。
固有魔法で生まれたラミナのナイフにも、効果はある。
が、一撃でそれは砕ける。
飛びのきながら、大蜘蛛のバアルはさらに魔力障壁を展開。
さらに刃を防ぐ。
さらに追うラミナ。
「畑の恨み。まだ忘れてない」
「なんのことだ!?」
さらに疾駆する刃。
反撃の糸口がつかめないまま、魔法でひたすらにそれを防ぐ。
木々が切り倒される。
――しめた!
切り倒された木々が、バアルとラミナを阻み、バリケードを作った。
再び透明化して走り出す。
「撒いたか――?」
落ち着いた場所で、転移魔法で逃げるしかないか。
考えていると、
「構えるっす。恨みはないっすけど、これも仕事なんで」
猫のような耳と尻尾をつけた黒髪の若い女が、剣を携えて目の前に立っていた。
紛れもなく魔剣だった。
《モノモイリア》――先ほども使っていた、規格外の狂気と威力をはらんだ魔剣。
光の粒子が閃いた。
「うおおおお!?」
すべてを塵に帰す数多の光を魔法で防ぐ。
女――ガルデローヴが、さらに剣を振るう。振るう。振るう。
木々は消え失せ地面がならされ、周囲は微細な塵芥と光で満たされる。
「魔族とはいえ、そんなおぞましいものを連続して使用するなど、正気の沙汰じゃない!」
「コーラルさんも使えるっすよ?それにガルは――」
ガルデローヴは恍惚とした表情で、歪な剣に舌を這わせた。
「失うような正気はもう持ち合わせてないんで」
戦慄する大蜘蛛へ向けるは、生涯すべてを魔剣の蒐集に費やしてきたであろう狂人の瞳。
「付き合ってられるか!」
バアルは魔法印を展開。
《水質操作》――《深煙の帳》。
空気中の水分を操作し、煙のように濁った色の濃霧を生み出しあたりを包んだ。
さらにカモフラージュ用の転移魔法を周囲にいくつも作り、走る。
足を使って、なるべく遠くへ。
「構えるがいい。このくらいでへこたれてくれるなよ」
そこへ赤毛の男――コーラルが立ちふさがる。
「ぐっ!」
バアルは魔弾を生み出し、コーラルへ放った。
いくつもの魔弾は、コーラルの体へ直撃する。
が、コーラルは魔弾の直撃を受けながらも間合いを詰めていた。
「ダメージはないのか!?」
「避けるのが億劫でなあ!耐えさせてもらうぞ!」
魔法攻撃など意に介さず平然と突っ込んでくるコーラル。
コーラルは素手だった。
こぶしを握り、迫っていた。
そしてコーラルのそばに、魔法印が浮かぶ。
「!? !? !?」
何かしらの魔法か!?
とっさに考えたバアルは魔力障壁を展開する。
――が、振るわれたのは、拳。
魔法印はフェイクだった。
拳は障壁をすり抜け、
「ぐおおおっ!」
バアルの身体にめり込んだ。
ただの拳。
魔法を防ぐのみの障壁では、まるで効果がない物理攻撃。
ただし、常軌を逸した膂力によって振りぬかれる拳だった。
人の身長ほどもある巨大な蜘蛛の体は軽々と宙を舞い、木々に叩きつけられる。
うめくバアル。
「まだ若いな。百歳から二百歳といったところか。マスキムが報告を受けていたということは、境界戦争直前か戦時中に生まれた子だな?なるほど面識がないのもうなずけるか」
バアルは舌打ちをする。
「おとりの転移魔法に騙されて戦力を分散したわけではなかったのか……!」
「残念ながらリィサ――俺の元部下には敵を捕捉するのが得意なやつもいるからな。そいつにかかれば一目瞭然――いや、百目瞭然といったところかな」
コーラルの周囲に魔法印が展開される。
攻撃魔法か、とバアルは構えたが、展開されたまま、コーラルは前へ。
「!? !? !?」
コーラルはまた拳を構えていた。
魔法はフェイク?また物理攻撃なのか?
それとも今度こそ魔法攻撃だろうか?
「ええい!」
わからなかった。
魔法と物理、二つの障壁を魔法で同時に展開する。
結果的にいえば、魔法印はブラフ。
また、ただの拳だった。
バアルにとっては信じられぬ光景だった。
そのただの拳は、ただの一撃で物理障壁を粉砕してのけたのだった。
「貴様一体なんなんだぁぁぁぁ!」
拳の追撃が来る。
今度は物理障壁の魔法を幾重にも張る。
「防御が甘いわああああ!」
それでも破ってくる。
力ずくで。展開したそばから。暴風さえ伴いながら、何度も何度も。
――背を向けて逃げる!
足を使って、全力で!
「ぜえ、ぜえ……に、逃げ、逃げられたか……!?」
相手は追ってこない。
なるほど、力だけで素早さは自分の方があったらしい。
逃げた先で――
「父の仇、討たせてもらいます……!」
子どもが一人、短剣を手に立ちはだかっていた。
シオン――先ほどの魔族と一緒にいた、人間の子ども。
「舐めるなよ、小ぞ――」
魔法を使おうとして、バアルは魔力が全く練られていないことに気づいた。
「もっ、もう魔力が!?」
逃げるのに必死で気づかなかった。
自分がもう魔法を使えないほど憔悴していたことに。
先ほどコーラルの拳を受けた体が痛む。
「ぐっ!?」
体力も、もうほとんど残っていない。
すでに自分が限界だったことに、遅ればせながらバアルは気づいた。
同時に、コーラルの狙いにも。
まさか――とバアルは総毛立った。
はじめから、この状況を作る算段だったのか。
過剰に魔法を使わせ、体力を奪い、魔力切れに持ち込み、少年に自分を倒させることが可能になるように――。
推測しているうちに、
「あああああ!」
ごく低い位置で潜り込んでくる小さな敵。
反応したころには遅かった。
「や、やめておけ!復讐など、何も生まないだろう!?」
シオンは八本の大蜘蛛の足をすり抜け、腹の下へ。
「生む生まないじゃない、ぼくが納得して前へ進めるかどうかだ!」
少年の刃が、バアルの腹を裂き――
断末魔とともに、大蜘蛛は倒れた。
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