2 / 10
2
しおりを挟む
高等部では、心機一転のつもりで騎士クラスに進んだ。
剣を握り、汗を流し、努力すれば、過去の自分を変えられる――そう信じていた。
だが、現実は甘くなかった。
貴族の子弟たちは幼い頃から剣術や乗馬の訓練を受けてきた者ばかりで、基礎体力も技術も、俺とは比べものにならなかった。
俺は、最初の訓練からすでに息が上がり、木剣を握る手は震え、足元はふらついていた。
教官の叱責と、周囲の冷笑が、毎日のように浴びせられた。
それでも、諦めなかった。 泥にまみれ、血豆を潰しながら、必死に食らいついた。
何かを変えたかった。 過去の自分を、あの裏庭で背を向けられた自分を、乗り越えたかった。
だが――ある日の練習試合で、俺は知ってしまった。
俺の初恋相手、セリーヌ・ローレンが、同じ騎士クラスに属する伯爵家の嫡男
――ジュリアン・ヴァルモンと婚約しているということを。
試合前、ふと視線を向けた先で、彼女がジュリアンに笑いかけていた。
その笑顔は、かつて俺だけに向けられていたと思っていたものだった。
だが今は、ジュリアンの勝利を信じて疑わない、誇らしげで、眩しい笑顔だった。
その瞬間、俺の中で何かが音を立てて崩れた。
胸の奥が焼けるように痛くて、呼吸がうまくできなかった。
剣を構える手が震え、視界が滲んだ。
そして、試合を始める前に足を滑らせ、無様に転倒。
その拍子に手首をひねり、骨にひびが入った。
そして試合は不戦敗だった。
俺の騎士への道は、あっけなくそこで閉ざされた。
それからの俺は、抜け殻のようだった。
訓練にも身が入らず、教官の目も更に冷たくなった。
周囲の視線は、あからさまに軽蔑と失望を含んでいた。
「貴族のくせに根性がない」
「次男坊はやっぱり使えない」
そんなクラスメートの言葉が、耳にこびりついて離れなかった。
嫡男ではない俺に残された道は、文官になることだけだった。
だが、剣にすがっていた俺が、文官の勉強を始めたのは、あまりにも遅すぎた……。
* **
文官試験には、卒業後に何度も挑戦した。
だが、結果はすべて「不合格」。
そのうち、試験勉強は家に居続けるための口実になっていった。
「次の試験に向けて準備中だ」
と言えば、誰も強くは責めてこない。
だが実際には、参考書を開いても頭に入らず、過去問を前にしても手が止まる。
机に向かってはいるものの、心はどこか遠くにあった。
家の中では、冷たい空気が漂っていた。
父は無言で俺を通り過ぎ、母は目を合わせようとしない。
兄ギルバートは、俺が廊下を歩くだけで露骨に眉をひそめた。
「まだあきらめないのか?」
「働きもせず、勉強も身が入らないなら、何のために家にいるんだ」
そんな言葉や視線を投げかけられるたび、俺は何も言い返せず、ただ部屋に戻った。
扉を閉め、鍵をかけ、外の世界を遮断するように机に向かった。
扉を閉め、引きこもり、ただ時間をやり過ごす。
勉強しているふりをしながら、何も変わらない日々が続いていった。
もちろん、合格通知は一度も届かなかった。
* **
三十歳。 文官試験の受験資格が切れる年だった。
高等部を卒業してから十年以上。
俺は
「次がある」
「まだ間に合う」
と自分に言い聞かせながら、何も掴めないまま時間だけが過ぎていった。
元貴族という肩書きがあれば、仕事などすぐに見つかる
――そんな甘い幻想を、どこかで信じていたのかもしれない。
だが、現実は違った。 何も持たない俺に、社会は冷たかった。
そして、ついにその日が来た。
その頃、家庭を持ち、数年前に跡取り息子も生まれた兄・ギルバートは、本格的に父から家督を継ぐ準備を着々と進めていた。
そんな中、俺に向かって冷たく言い放った。
「もう家を出て行ってくれ。お前の居場所は、この家にはない」
その言葉は、今でも胸の奥に深く突き刺さっている。
悔しさで顔が引きつるのを隠せず、俺は無言で荷物をまとめた。
行く宛など、どこにもなかった。それでも、ここに居続けることは、許されなかった。
両親はもちろん、使用人に至るまで、誰も俺の見送りはしなかった。
ただ、玄関に向かって歩いているとき、ふと感じた視線に振り返ると、母が部屋の隙間からそっとこちらを覗いていた。
その目は、どこか赤く腫れていた。
思い返せば、昨晩、母の部屋から微かに嗚咽のような音が聞こえていた。
そのときは気のせいだと思っていたが、今ならわかる。
きっと、家族の中では昨日のうちに「俺を追い出す」ことが決まっていたのだ。
――ああ、母は、昨日の夜、俺のことを想い泣いたんだな。
たが、それでも母は、出ていく俺に声をかけなかった。 玄関を出て、外門を出るときに、ふと屋敷に目をやった。 母の部屋のカーテンが、うっすらと揺れているように感じた。 そして、母が部屋のカーテンの隙間から、俺の背中をじっと見送っていた。
俺は、その視線に気づきながらも、最後のプライドを守るように、母の顔を見ずに家の敷地を出た。
門をくぐった瞬間、俺は“元貴族”になった。
父に見限られ、兄に背を向けられ、母にさえ手を差し伸べてもらえなかったこの家に、もはや俺の居場所はなかった。
剣を握り、汗を流し、努力すれば、過去の自分を変えられる――そう信じていた。
だが、現実は甘くなかった。
貴族の子弟たちは幼い頃から剣術や乗馬の訓練を受けてきた者ばかりで、基礎体力も技術も、俺とは比べものにならなかった。
俺は、最初の訓練からすでに息が上がり、木剣を握る手は震え、足元はふらついていた。
教官の叱責と、周囲の冷笑が、毎日のように浴びせられた。
それでも、諦めなかった。 泥にまみれ、血豆を潰しながら、必死に食らいついた。
何かを変えたかった。 過去の自分を、あの裏庭で背を向けられた自分を、乗り越えたかった。
だが――ある日の練習試合で、俺は知ってしまった。
俺の初恋相手、セリーヌ・ローレンが、同じ騎士クラスに属する伯爵家の嫡男
――ジュリアン・ヴァルモンと婚約しているということを。
試合前、ふと視線を向けた先で、彼女がジュリアンに笑いかけていた。
その笑顔は、かつて俺だけに向けられていたと思っていたものだった。
だが今は、ジュリアンの勝利を信じて疑わない、誇らしげで、眩しい笑顔だった。
その瞬間、俺の中で何かが音を立てて崩れた。
胸の奥が焼けるように痛くて、呼吸がうまくできなかった。
剣を構える手が震え、視界が滲んだ。
そして、試合を始める前に足を滑らせ、無様に転倒。
その拍子に手首をひねり、骨にひびが入った。
そして試合は不戦敗だった。
俺の騎士への道は、あっけなくそこで閉ざされた。
それからの俺は、抜け殻のようだった。
訓練にも身が入らず、教官の目も更に冷たくなった。
周囲の視線は、あからさまに軽蔑と失望を含んでいた。
「貴族のくせに根性がない」
「次男坊はやっぱり使えない」
そんなクラスメートの言葉が、耳にこびりついて離れなかった。
嫡男ではない俺に残された道は、文官になることだけだった。
だが、剣にすがっていた俺が、文官の勉強を始めたのは、あまりにも遅すぎた……。
* **
文官試験には、卒業後に何度も挑戦した。
だが、結果はすべて「不合格」。
そのうち、試験勉強は家に居続けるための口実になっていった。
「次の試験に向けて準備中だ」
と言えば、誰も強くは責めてこない。
だが実際には、参考書を開いても頭に入らず、過去問を前にしても手が止まる。
机に向かってはいるものの、心はどこか遠くにあった。
家の中では、冷たい空気が漂っていた。
父は無言で俺を通り過ぎ、母は目を合わせようとしない。
兄ギルバートは、俺が廊下を歩くだけで露骨に眉をひそめた。
「まだあきらめないのか?」
「働きもせず、勉強も身が入らないなら、何のために家にいるんだ」
そんな言葉や視線を投げかけられるたび、俺は何も言い返せず、ただ部屋に戻った。
扉を閉め、鍵をかけ、外の世界を遮断するように机に向かった。
扉を閉め、引きこもり、ただ時間をやり過ごす。
勉強しているふりをしながら、何も変わらない日々が続いていった。
もちろん、合格通知は一度も届かなかった。
* **
三十歳。 文官試験の受験資格が切れる年だった。
高等部を卒業してから十年以上。
俺は
「次がある」
「まだ間に合う」
と自分に言い聞かせながら、何も掴めないまま時間だけが過ぎていった。
元貴族という肩書きがあれば、仕事などすぐに見つかる
――そんな甘い幻想を、どこかで信じていたのかもしれない。
だが、現実は違った。 何も持たない俺に、社会は冷たかった。
そして、ついにその日が来た。
その頃、家庭を持ち、数年前に跡取り息子も生まれた兄・ギルバートは、本格的に父から家督を継ぐ準備を着々と進めていた。
そんな中、俺に向かって冷たく言い放った。
「もう家を出て行ってくれ。お前の居場所は、この家にはない」
その言葉は、今でも胸の奥に深く突き刺さっている。
悔しさで顔が引きつるのを隠せず、俺は無言で荷物をまとめた。
行く宛など、どこにもなかった。それでも、ここに居続けることは、許されなかった。
両親はもちろん、使用人に至るまで、誰も俺の見送りはしなかった。
ただ、玄関に向かって歩いているとき、ふと感じた視線に振り返ると、母が部屋の隙間からそっとこちらを覗いていた。
その目は、どこか赤く腫れていた。
思い返せば、昨晩、母の部屋から微かに嗚咽のような音が聞こえていた。
そのときは気のせいだと思っていたが、今ならわかる。
きっと、家族の中では昨日のうちに「俺を追い出す」ことが決まっていたのだ。
――ああ、母は、昨日の夜、俺のことを想い泣いたんだな。
たが、それでも母は、出ていく俺に声をかけなかった。 玄関を出て、外門を出るときに、ふと屋敷に目をやった。 母の部屋のカーテンが、うっすらと揺れているように感じた。 そして、母が部屋のカーテンの隙間から、俺の背中をじっと見送っていた。
俺は、その視線に気づきながらも、最後のプライドを守るように、母の顔を見ずに家の敷地を出た。
門をくぐった瞬間、俺は“元貴族”になった。
父に見限られ、兄に背を向けられ、母にさえ手を差し伸べてもらえなかったこの家に、もはや俺の居場所はなかった。
10
あなたにおすすめの小説
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
処刑から始まる私の新しい人生~乙女ゲームのアフターストーリー~
キョウキョウ
恋愛
前世の記憶を保持したまま新たな世界に生まれ変わった私は、とあるゲームのシナリオについて思い出していた。
そのゲームの内容と、今の自分が置かれている状況が驚くほどに一致している。そして私は思った。そのままゲームのシナリオと同じような人生を送れば、16年ほどで生涯を終えることになるかもしれない。
そう思った私は、シナリオ通りに進む人生を回避することを目的に必死で生きた。けれど、運命からは逃れられずに身に覚えのない罪を被せられて拘束されてしまう。下された判決は、死刑。
最後の手段として用意していた方法を使って、処刑される日に死を偽装した。それから、私は生まれ育った国に別れを告げて逃げた。新しい人生を送るために。
※カクヨムにも投稿しています。
「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!
野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。
私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。
そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。
忘れるにも程がある
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたしが目覚めると何も覚えていなかった。
本格的な記憶喪失で、言葉が喋れる以外はすべてわからない。
ちょっとだけ菓子パンやスマホのことがよぎるくらい。
そんなわたしの以前の姿は、完璧な公爵令嬢で第二王子の婚約者だという。
えっ? 噓でしょ? とても信じられない……。
でもどうやら第二王子はとっても嫌なやつなのです。
小説家になろう様、カクヨム様にも重複投稿しています。
筆者は体調不良のため、返事をするのが難しくコメント欄などを閉じさせていただいております。
どうぞよろしくお願いいたします。
あっ、追放されちゃった…。
satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。
母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。
ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。
そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。
精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。
望まない相手と一緒にいたくありませんので
毬禾
恋愛
どのような理由を付けられようとも私の心は変わらない。
一緒にいようが私の気持ちを変えることはできない。
私が一緒にいたいのはあなたではないのだから。
追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?
タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。
白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。
しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。
王妃リディアの嫉妬。
王太子レオンの盲信。
そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。
「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」
そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。
彼女はただ一言だけ残した。
「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」
誰もそれを脅しとは受け取らなかった。
だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる