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ダーヴィッツ

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3章『革命』

命の輪郭

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「隊長、ホントに行くんですか……?」

ミラが6番隊の宿舎で残った仕事の書類をまとめている私に問う。その問いに答える前にルビーが私に紅茶を淹れてくれた。「ありがとう」と言うと少し頬を赤らめて頷いてくれた。私は彼女が淹れてくれたティーカップの縁を眺めながらひとくち口に運ぶ。美味しい。

「あぁ。なに、明日には帰ってくるさ。すまないが、その間留守を任せる」
「それは、いいんですけどぉ」

ミラはどこか不貞腐れているような態度をとる。

「あのサナって人、ホントに信用出来るんですかぁ?ポッと出てきていきなり副総隊長?しかも『核(フレア)』の適合者?いくらフェイムス獅子王の娘とはいえ、怪しさMAXなんですけど」
「そう言うな」

あの後、ウィリアムは『反乱組織(レジスタンス)』と共に引き上げていった。難民ベースキャンプには未だにオストリアからの難民がかなり残留している。母国に送り返す訳にもいかず、しばらくはダイダロス新大国が彼等の行く末を見守らなければならない。だが、5万人もの人々の食費を賄うだけでも相当な出費だ。今は国境近くの各領主から有志で配給が配られているから、ある程度は賄えるが、いつまでも続けられる訳では無い。問題は解決していない。だが、すぐに解決出来る事象ではないことも確かなので、対策を模索しつつしばらく様子を見ることになった。

サナ殿は私の依頼を快諾してくださった。だが、サナ殿とジンの3番隊はダイダロス新大国の警邏に加えて、ダイダロス新大国の地理や社会、人が集まる箇所、大きな影響力を持つ団体の確認もしなければならない。それと並行してサナ殿は引越し作業をしているそうだ。私はその傍らでリーヴ領を案内して貰うことになっている。私はまとめた書類すべて目を通すと、それをミラに預ける。ミラは仕方無さそうにしぶしぶそれを受け取った。





首都ダイダロスからリーヴ領までは遠くもなく近くもない距離にある。陸路で軍用車なら3日、海路の民間船なら1日、空路の飛空艇なら数時間で到着する。まぁ、ガルサルム大国の最端地点までとなると空路でも2日かかるので、それと比べたら、の話だが。私は明日も首都で任務があるため空路を選んだ。サナ殿はどうせなら一緒に行きたいとのことで往路は共にリーヴ領へ向かう。

「……何故貴公がいるんだ?ロバート氏?」
「なんでって。そりゃあ、リーヴ領に置いてきた俺の可愛い女の子達に久々に会うため?」
「死ね」
「ひどくない?!」

飛空艇内には操縦士・整備士スタッフ以外に、サナ殿とジン、加えて何故か7番隊のロバート隊長が同行してきた。

「……ロバート君も相変わらずだねぇ」
「サナさん。俺は全世界の女の子のためなら何でもしますよ。毎日汗水垂らした金で女の子と遊ぶ……。うん。これぞ至高な時間……」
「いや、カッコつけて言われても……。また、色んな女の子のお尻を追いかけてるの?フットワークもだけど、君の移り気も大概だね」
「それって褒めてます?」

ロバート隊長はサナ殿と談笑している。私は彼が苦手だ。軽薄で、騎士を愚弄し、特に貴族や自分の気に入らない相手には非常に口が悪い。仕事はするが、女相手になると手を抜く癖がある。言い方に難があるが、言っていることは筋が通っていて論理的だ。そして、敵には一切の容赦がない。ダイダロス新大国の戴冠式以降、1度だけ6番隊と7番隊が合同で近海に出現した魔物の征伐にあたったことがあるが、あの軽薄さからは想像が出来ない戦闘力の高さ。隊長格を担うだけのことはある。……だが、苦手だ。

「あ、でも、今はエバンスゲート一筋ですよ」

……こういうところが、だ。私は顔を背ける。こういうのは苦手なのだ……。むず痒い。今まで騎士になることだけをひたすら目指して生きていた。男と混ざって戦闘訓練を受け、男と同じように任務をこなしてきた。泥臭く、騎士としてただひたすらに生きてきたのだ。女として扱われたことなど殆どない。今更、色恋など……。私は顔を赤らめる。

(……あれ、満更でもないのかな)

視線に気づいてサナ殿が私をチラリと見ていたようだが、目が合うとにこりと笑ってはぐらかされた。

「……?」

ほどなくして飛空艇はリーヴ領に到着した。そこを一言で表すなら『小国』。私はもっと地方の田舎町を想像していたが、人々の往来が盛んで交通網が整備されており、活気のある領土だった。サナ殿いわく、インフラが整備されたのはここ最近だそうだが、学校があり、市街地があり、住宅街が区画されている。市街地では商いが盛んに行われており、道行く人々は明るく活発な様子だった。ここには教育があり、文化があり、法律があり、平和が成り立っている。お互いがお互いを尊重して生きているのだ。

旧十一枚片翼(イレヴンバック)は奴隷解放運動を行っていた。奴隷とは『最終戦争』以来、コキュートスの三賢人ギュンターが編み出した魔術刻印『矢切り』によって契約することによって、強制的に使役する禁呪だ。人間であろうと、魔物であろうと、それには抗えない。『矢切り』という禁呪はコキュートスのみではなく、世界的に流通していった。戦後、故郷を失った者や侵略された者は、悪しき貴族達や領主に強制的にそれが施されている。

……ジンもその1人と後から聞いた。老若男女問わず、労働力として使われ、時には性欲のはけ口として陵辱され、見世物とされ、やがて理由も無く殺される。まるで『物』として扱われる奴隷という存在は、今や全世界に存在している。社会の最下層の存在。まさに今この時ですら、強制的に奉仕をされている者もいる。

サナ殿を中心に旧十一枚片翼(イレヴンバック)はそんな誰かに生きることを縛られている彼等を各地で解放して、このリーヴ領に住まわせている。彼等は『矢切り』から解放されると、様々な支援を受ける。住まいを与えられ、教育を受けて、仕事を得る。中にはサナ殿に憧れて十一枚片翼(イレヴンバック)に入隊希望する者もいるそうだ。

恥ずべき話だが、私は騎士団に所属して国営に携わりながらも、その奴隷という存在を知らなかった。コキュートスでの警備をすることが少なく……いや、これは言い訳だ。実際、知ろうとしていなかったのかもしれない。旧ガルサルム大国時代に、コキュートス以外にも彼等のように虐げられている者を見た事があった。当初、私はそれが戦後の影響だと思い、疑念を抱かなかった。だが間違っていた。アレは戦争とは関係ない。人間がヒエラルキーを築き、自分が優位に立つために造りあげた社会的な劣性ポストだ。

私は騎士で、私が戦うことで護られる命があると信じて疑わなかった。それが私が騎士たる存在意義だと確信していた。だが、実際はどうだ。我々を戦線へ派遣していた貴族や上層部は腐っており、奴隷という商品をギュンターから買う代わりに、コキュートスへ支援をしていた。そんな本来救わなければならなかった命を護っていたのは旧十一枚片翼(イレヴンバック)ではないか。

何が違う?生まれた場所、時代、人種、背景。奴隷という存在と私達は何が違う。私も生まれた場所を違えていれば奴隷として誰かに使役されていたのだろうか。命の価値は同じ筈。では、何が違うというのだ。

分からなくなった。

リーヴ領を歩いているとサナ殿やロバート氏に駆け寄ってくる者が多数いた。かつて、彼等に救われた者だろうか。私は勝手に彼等の生涯背景を決めつけていた。かつて、辛い扱いを受けて、今は幸せに生きている。それは彼等に対する同情だった。今の幸せな結果を与えたのは私ではない。そんな同情する権利は私には無く、彼等を救ってきたサナ殿達にしか無いというのに。何故、私は上から彼等を見ていたのか。私は、私が途方も無く浅い考えを持っていることに気付き、自己嫌悪に陥る。安心していたのだ。私よりも恵まれていない存在がいることに。何が騎士。何が隊長。何がニルヴァーナ家。私は彼らに何も出来ていないというのに。

「大丈夫か?」
「……っ!」

私はロバート氏の声でハッとする。

「……サナ殿とジンは」
「あぁ、サナさんの家に先行かせた。エバンスゲートが歩くの遅いから後で追いかけますよって言ってな。まじでダイジョブ?顔色悪くない?」
「……待っていてくれたのか」
「優しいだろ?そろそろ惚れてもいいんだぜ?」
「……」
「ノーリアクションてのも恥ずいんだよなぁ……」

どうやら私はボーッとしていたようだ。ロバート殿に促され、市街地近くにあった屋外カフェの席に座らされる。「なんか食うか?」と聞かれたが、私は力無く首を振る。ロバート氏は黙ったまま自分の注文をするためにカウンターまで歩いていった。それを見送ると私は視線を外に向けた。

リーヴ領の存在は彼等にとっては無くてはならないもの。十一枚片翼(イレヴンバック)は誰よりもいち早く彼等の窮地を救おうとした。サナ殿はその筆頭として彼等を導いている。道中の彼等への対応を見ていて改めて解った。サナ殿は決して彼等を見捨てない。だからこそ、信頼が厚いのだ。容易なことではない。サナ殿の奴隷解放運動は最早、歴史的な偉業だ。だが、彼女はそれを前には出さない。故に好かれるのだろう。羨ましい。彼女の生き様は私の理想に近いものだった。女だからという、出発点で苦悩している時点で私は……。

「ほらよ」
「?!」

ズンっと、テーブルにサンドイッチとコーヒーが2つずつ乗せられたトレーがロバート氏によって置かれる。私はその意図が読めず戸惑っていると。

「疲れたろ?良かったらどうぞ。要らなかったら俺が食うぜ」
「では、お代を……」
「いいって。俺の故郷に来てくれたんだ。歓迎させてくれよ」
「……故郷」
「俺さ。昔、オストリアで奴隷だったんだ」

さらっと、自分の過去を話始める。ロバート氏はシャツの第2ボタンまで外し鎖骨の辺りにある傷痕を見せてくれた。彼曰く、貧困だった家に生まれ、幼くして両親に売り飛ばされた。彼を買い取ったのは青年愛好家の貴族だった。彼は聖なる儀式と偽り、多くの未成年と交わった。彼もその被害者だ。屈辱的な毎日と『矢切り』から解放されるため、彼は盗んだナイフでその奴隷印を何度も刺した。だが、数cm刺さった所で身体が勝手に動き自決を止めさせた。死ぬことすら許されなかった。何度も刺した。何度も。何度も。何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も刺した。だが、死ねなかった。また夜が来てしまう。今日は自分の番だ。あの男を思い出す度に吐いてしまうような身体になった。とうとう呼び出され男の部屋に誘われ、後ろ手に縛られてしまう。そして儀式が始まった。また終わらない夜が来てしまう。諦めたその時、男の首は床に転がった。代わりに現れたのはアドラ皇后とサナ殿だったそうだ。

「……それから俺はここに連れてこられた。1から教わったよ。俺は生きる権利があって、自由なんだって。もうあのクソ野郎に犯されなくていいって。だから、俺みたいな人を救うために戦うことにした。そのためにアドラさんに諜報活動やら外国語を叩きこまれたね」
「……」
「そんな目するなよ。別に同情されたい訳じゃない。俺は『理解』されたいんだ。あの人達に救われて、今ここにいることに納得して生きている。それはここにいる皆同じだぜ」
「……」
「今までのことは忘れられないけど、それがあったから今の俺がここにいる。俺を構成しているのはどう生きてきたか、じゃない。これからをどう生きていくかだ」

胸のつっかえが無くなった。ロバート氏の言葉で腑に落ちた。私達の価値が決まるのは生まれた時ではない。女だから、男だから、家柄だとか、国だとか、そんなものは私達が決められるものではない。では、何が違うのか。私達はどうやって存在意義を証明すればいいのか。生まれてからどう生きていくかだ。後天的な自己決定それこそが命の輪郭だ。それを社会が、政治が、国が、あるいは誰かが縛っているならば、それは誰かが止めなくてはならない。それがサナ殿の使命であり、助けられたロバート氏の生きる意義になっている。ようやく気が付いた。私も眺めている傍観者ではいられない。

「……ロバート氏」
「その『氏』ってやめてくんねぇ。むず痒い」
「……で、では、……ロバート、さん」
「いや、もう呼び捨てで良いだろ」
「……ろ、ろ……ロ……バー……ト」
「はーい?エバンスゲートさん」
「……貴方が『解放区』でやっているのはひょっとして……」
「あぁ、サナさんの真似事だよ。いずれはオストリアからの難民の受け入れ先も用意する。ある程度目処がたったからな」
「しかし、『反乱組織(レジスタンス)』が黙ってない。過剰に反応してくるかもしれない」
「俺は誰かを助けるのに誰かの許可がいるとは思わない。居場所が無いなら作ってやるのが俺らの仕事。そいつらを黙らせるのはエバンスゲートの仕事だろ」
「……言ってくれる」
「頼んだぜ。騎士(ナイト)様♡」
「……」
「お、惚れた?」
「まったく」

そうだ。ロバートの言う通り。私達6番隊の仕事はそれだ。彼は嫌というほど冷静で論理的だ。だが、悔しいが正しい。だから、彼は苦手だ。彼が運んできたサンドイッチに手を出す。中身はトマトとアボカドを刻みバジルソースがかけられている。野菜はリーヴ領の特産らしい。酸味のある味と香ばしい香りは食欲をそそる。コーヒーを1口、口に運びながらふとロバートを見る。彼はリーヴ領の市街地を眺めていた。その横顔はシャープで凛としている。彼の眼には何が映っているのだろうか。彼の命の輪郭はどんな形をしているのだろうか。彼の少し眺めのまつ毛。緑色の髪。遠くを眺める眼。

(……男性に美しい、というのは失礼だろうか)

普段は鬱陶しい程話しかけてくる癖に、今日は言いたくもないであろう自分の過去を私に話してくれた。軽薄なようで、しっかりと周りを見ている。誰か困っている人はいないか。泣いている人はいないか。私も、彼に気付いて貰えたのだろうか。彼からしばらく目が離せなかった。
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