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17.麗景殿女御の忠告 弐
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左近衛中将が、麗景殿から退出する。
麗景殿女御は、その後ろ姿を見送りながら、小さく溜息をついた。
「大事に至らないと良いのですけど……」
そう呟く。
「女御さま、心配しても始まりませんわ」
傍仕えの女房が、気遣って声をかける。
「そうね。……でも、心配だわ」
「右大臣さまもいらっしゃいますし、きっと大丈夫でございますよ」
「そうなら良いのだけれど……」
自分を元気づけようとする女房を安心させるように、麗景殿女御は微笑んだ。
右大臣ともあろう男が、なんの手も打たず、静観するわけがない。
力のある男を義父に持つ藤壺尚侍。
(彼女は、わたくしとは違う)
立場こそ“女官”ではあるが、実質的には妃に等しい。
帝の寵愛を得て皇子を産めば后に……国母すら夢ではない。
それだけの権力を、そうなれるだけの力を彼女は持っている。
果たしてどれだけの者が、そのことに気付いているだろうか。
麗景殿女御は、嘗てこの後宮に居た二人の女人を思い浮かべていた。
帝の御子を産んだ二人の女人。
片や、大臣家の姫として入内した女御。片や、受領階級の女房。
生まれも育ちも異なった二人。
帝、最愛の妃である承香殿女御。
白梅の変によって実家は没落し、本人も一度内裏を追放され、地位も名誉も失った。
帝のたっての希望で再度入内したものの、追放処分を受けた妃を再び後宮に入れるわけにもいかず、結局、仮御所の梨本院に住まうことになった。
厳密には後宮とは言えない場所。
大内裏の中に位置するが、内裏ではない。
女御にまでなった妃を、姫宮を産んだ妃を、そんな場所へ押し込める。
仮御所に使っていたのは随分前のことで、廃宮となっていた。
いずれは取り壊される運命だった。
そんな場所へ住まうことになった女御を、同情する声がなかったわけではない。
中途半端な地位にいた彼女を「女御さま」と呼ぶ者は少なく、代わりに「梨本院御息所」「御息所さま」と、いつしか呼ばれるようになっていた。
どれだけ屈辱であっただろうか。
それでも彼女は耐えた。耐え忍んだ。
帝の愛に応え、無事に皇子を産んだのだから。
けれど、幸運の女神は最後まで彼女に微笑まなかった。
第三子・女二の宮を産むと、この世を去ってしまったのである。
残された二人の皇女と皇子は別々の場所で暮らさねばならなくなり、姉弟としての交流も皆無に等しい。
そしてもう一人の女人も幸せとは言い難い。
梨本院御息所の死後、帝のお手が付き、身籠ったものの、他の妃たちの反感と嫉妬を買い、逃げるように後宮を去った。
皇女を産んだ功績で、御息所の地位を賜り、淑景舎に局を賜っていたが、後宮に戻ることなかった。
五条にある里邸で静かに姫宮を育てているらしい。
麗景殿女御は、女房たちに気付かれないように扇で口元を隠しながら、そっと溜息をつく。
後宮での勢力争いとは距離を置いてきた麗景殿女御。
その女御に仕える女房たちも、争いとは無縁であった。
全くない、とは言えないまでも、一歩引いて、争い合う妃たちの姿を見ていた。
麗景殿付きの女房にとって、後宮の勢力争いは遠い世界のこと。
その争いがどれほど陰惨なものかなど知る由もないのである。
恐らく、後宮で最も安全な場所と言えよう。
何か良からぬことが起きるかもしれない。
そんな不安が、女御の心に影を落としていた。
麗景殿女御は、その後ろ姿を見送りながら、小さく溜息をついた。
「大事に至らないと良いのですけど……」
そう呟く。
「女御さま、心配しても始まりませんわ」
傍仕えの女房が、気遣って声をかける。
「そうね。……でも、心配だわ」
「右大臣さまもいらっしゃいますし、きっと大丈夫でございますよ」
「そうなら良いのだけれど……」
自分を元気づけようとする女房を安心させるように、麗景殿女御は微笑んだ。
右大臣ともあろう男が、なんの手も打たず、静観するわけがない。
力のある男を義父に持つ藤壺尚侍。
(彼女は、わたくしとは違う)
立場こそ“女官”ではあるが、実質的には妃に等しい。
帝の寵愛を得て皇子を産めば后に……国母すら夢ではない。
それだけの権力を、そうなれるだけの力を彼女は持っている。
果たしてどれだけの者が、そのことに気付いているだろうか。
麗景殿女御は、嘗てこの後宮に居た二人の女人を思い浮かべていた。
帝の御子を産んだ二人の女人。
片や、大臣家の姫として入内した女御。片や、受領階級の女房。
生まれも育ちも異なった二人。
帝、最愛の妃である承香殿女御。
白梅の変によって実家は没落し、本人も一度内裏を追放され、地位も名誉も失った。
帝のたっての希望で再度入内したものの、追放処分を受けた妃を再び後宮に入れるわけにもいかず、結局、仮御所の梨本院に住まうことになった。
厳密には後宮とは言えない場所。
大内裏の中に位置するが、内裏ではない。
女御にまでなった妃を、姫宮を産んだ妃を、そんな場所へ押し込める。
仮御所に使っていたのは随分前のことで、廃宮となっていた。
いずれは取り壊される運命だった。
そんな場所へ住まうことになった女御を、同情する声がなかったわけではない。
中途半端な地位にいた彼女を「女御さま」と呼ぶ者は少なく、代わりに「梨本院御息所」「御息所さま」と、いつしか呼ばれるようになっていた。
どれだけ屈辱であっただろうか。
それでも彼女は耐えた。耐え忍んだ。
帝の愛に応え、無事に皇子を産んだのだから。
けれど、幸運の女神は最後まで彼女に微笑まなかった。
第三子・女二の宮を産むと、この世を去ってしまったのである。
残された二人の皇女と皇子は別々の場所で暮らさねばならなくなり、姉弟としての交流も皆無に等しい。
そしてもう一人の女人も幸せとは言い難い。
梨本院御息所の死後、帝のお手が付き、身籠ったものの、他の妃たちの反感と嫉妬を買い、逃げるように後宮を去った。
皇女を産んだ功績で、御息所の地位を賜り、淑景舎に局を賜っていたが、後宮に戻ることなかった。
五条にある里邸で静かに姫宮を育てているらしい。
麗景殿女御は、女房たちに気付かれないように扇で口元を隠しながら、そっと溜息をつく。
後宮での勢力争いとは距離を置いてきた麗景殿女御。
その女御に仕える女房たちも、争いとは無縁であった。
全くない、とは言えないまでも、一歩引いて、争い合う妃たちの姿を見ていた。
麗景殿付きの女房にとって、後宮の勢力争いは遠い世界のこと。
その争いがどれほど陰惨なものかなど知る由もないのである。
恐らく、後宮で最も安全な場所と言えよう。
何か良からぬことが起きるかもしれない。
そんな不安が、女御の心に影を落としていた。
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