上 下
20 / 21
第一部 第二章 旅立ち

第八話 スカニア③

しおりを挟む
 スカニアに来てからというもの、リンは慌ただしい毎日を送っていた。最初のうちは商品を覚えるために店番をしながら商品を磨いていて、お客さんがくるとミランウェを呼びに行くのが主な仕事だ。
 毎日リンは商品を磨きながらどのような物なのか?どうやって使うのか?などを勉強しつつ、ミランウェが接客してるのを見ながらお金のあ使い方や会話の仕方を学んで行った。これらは、フィンゴネルの工房で手伝いをしているときには学べなかった事ばかりで、毎日がとても新鮮だった。
 アラルフィンの工房は基本的に卸商なので個人とのやりとりは行っていない。商売相手は買い付けに来る商人達だ。スカニアの街の商人もいるが船でやってくるノルド大公国の商人も時期によってはかなりいる。
 話によると、ノルド大公国までの商船は片道半月~二十日ほどかかるそうだ。

 半年が過ぎた頃からリンも徐々に仕事を覚え、スカニアの商人相手の取引ではミランウェを頼ることも少なくなったが、人族の言葉はまだまだ勉強中だったのでノルド大公国からの商人の相手はできなかったものだ。
 何を言っているのかほとんどわからないのだから愛想笑いしかできないのである。また内向的な性格なので自分からどんどん話しかけるのも苦手だったのもある。

 一年が過ぎ片言ながらノルド大公国の商人とも会話できるようになった頃にはリンも徐々に中の仕事をさせてもらえるようになっていた。金属の成形はフィンゴネルの工房でもやっていたが、こちらでは設計図通りに部品を作らないと行けないため、その精度を出すことでかなり苦戦していた。
 リンは土の精霊魔法も上位精霊と契約していたため、大出力が出せるのだが却って細かい制御が甘くなりがちで、そのためにアラルフィンから厳しく指導を受けていたのだ。
 契機は突然やってきた。ある日リンが気分良く鼻歌を歌いながら作業をしていたときのことだ。いつも甘かった制御がその日は非常に上手くできたのだった。やはり歌がリンに味方するというか、精霊を味方につけやすくする効果があるのだろう。
 ちなみにこの時に歌っていたのは『マルセリーノの歌』である。

ーーー
 おはようマルセリーノ お目々を覚ませ
 お日様 野原で笑って見てる
 マルセリーノ マルセリーノ
 可愛い天使
 一日おもてで 仔馬のように
 マルセリーノ マルセリーノ
 走っておいで
 (映画『穢れなき遊び』より『マルセリーノの歌』ソロサバル父子作曲)
ーーー

 その日はアラルフィンも非常に喜んで、仕事が終わったあと皆で食事に出かけたほどだ。行った先は初日にミランウェに案内されて昼食を摂ったお店だ。アラルフィンは終始ご機嫌でめったに飲まないワインを飲んでいたのが印象的だった。
 リンは中の仕事の方が覚えが早く、二年経った今では見習の中でも上位と言っていいほどの腕前となっていた。もちろんその間も店番をやる日もあり、ノルド語の勉強にも余念がない。今ではすっかり日常会話に支障がないほど上達している。

◆◆◆◆◆◆

 カレンはニテアスの猟師組合からスカニアのハンター協会に引き継ぎをして日々狩猟に精を出している。先日も大物を仕留めたといって協会から人手を借りて運搬していた。

 最初の年に黒い森からの魔物の圧力が強いということで、ハンター協会総出で黒い森へと間引きに出かけていたことがあった。その時はリンがそわそわとしてミスが多く、また親方一家もみな心配し通しだった。

 遠征に出る前に、リンが親方に許可をもらってフィンゴネルから教えてもらっていた守護のタリスマンを作ってカレンに渡していた。このタリスマンはかなり特別製で土と風の守護と火と風の加護という攻守のバランスが良くカレンにあわせた仕様となっているものだ。
 この遠征でカレンは多大なる戦果を挙げ狩猟の神メツァシツシュの手のように正確で強力な矢を放つという意味で『狩猟神の御手』という異名を手に入れたがこのタリスマンの力もあってこそのものであろう。少なくともカレンはそう思っている。

 この遠征が契機となってカレンはスカニアでも一目置かれる凄腕の猟師とみなされている。ハンター協会に行くと注目こそされ、いらないちょっかいを掛けてくる者はいなくなった。以前なら難癖をつけてくる者やナンパしてくる者などがいたのがずいぶんと変わったものだ。カレンにとってはリンが一番でそれ以外の男は眼中にすらなかったので多分それでいいのだろう。リンにもらったタリスマンは今でもカレンの胸に輝いている。

 カレンの生活パターンから人族との関わりがほぼ無いということもあり、ノルド語の勉強や人族との対話という面ではリンと比較するとかなり遅れている事は否めない。それはカレン自身も自覚しており、夜にリンやミランウェを相手にノルド語の勉強をしている姿がよくみられた。カレンはカレンなりに努力しているのだ。

◆◆◆◆◆



 そんなある日の事。
 リンが休みでエフイルを連れて街の散策に出かけていた。
 中央広場の人混みの中、リンは串焼きの肉を買ってベンチに座りエフイルと一緒に食べていたのだが、その時にエフイルが普段と違う鳴き方をした。
 「にゃおん」『さっきからずっとついてくる人がいるにゃ』
 「どういうこと?」
 「にゃおん、にゃおん」『リンはきづいてにゃかったみたいだけど、お店でも外からリンの様子を伺ってる人がいたにゃ』
 「えっ?まったくわからなかった……」
 「にゃおーん」『多分スカニアに来てしばらくしてからずっと監視されてたにゃ』
 「なんだか気持ち悪いね。今もその人達がいるの?」
 「にゃ、にゃ、にゃ」『物陰からこっちを見てるにゃ』
 「エフイル、ありがとうね。これ食べたら帰ろうか」
 「にゃあん」『それがいいにゃ』

 帰宅後、家に返ってきたカレンにその事を相談してみたが、カレンも猟に出ていてリンと昼間一緒にいることが少なかったので気づいていなかったらしい。
 「伯父さんに相談して、店番の時一緒にいさせてもらおうか」
 「お姉ちゃんが一緒にいてくれるなら安心だね」
 「そうだろう?リンはいい子だなぁ」
 カレンが頬をゆるめてリンの撫でる。

 「お姉ちゃん、もう子供じゃないんだよ」
 「あら、いいじゃない。百六十歳以上年下なのよ」
 「むぅ……」
 「もぅ~!かわいいんだから」
 そう言いながらカレンがリンを強く抱きしめた。
 「苦しいよ……」
 「あ、ごめんごめん」
 そう言ってまた頭を撫でる。リンにはとことん甘い姉である。

 数日後。カレンがリンと店番をしているとエフイルが鳴き出した。
 「エフイル、また来てるのか?」
 「にゃおん」『窓の向こう。建物の影から見てるにゃ』
 返事を聞いてカレンがエフイルをひと撫でしたあとそっと外を伺う。
 しばらく様子をみていると確かに何者かがこちらを見ているのがわかった。
 カレンが出口に向かい、外へ出ると何者かの元へと向かっていく。
 相手は男のようだ。何気なく視線を外し場所を移動しようとする。

 それを追ったカレンが男を捕まえ「何をしている?」と問いかけると、男はさっと短剣を抜き、いきなり切りつけてきた。
 「なっ!」
 「お姉ちゃん、危ない!!」
 ギンッ という音が鳴り何かが短剣を弾いた。
 リンの声と同時にカレンの全面に土の結界が現れカレンを守ったのだ。
 カレンが怯んだと同時に男が身を翻して雑踏に消えていった。

 戻ってきたカレンをリンが確かめると何処にも切られた跡はみあたらなかった。
 「お姉ちゃん!よかった」
 リンが泣きそうな顔で抱きつく。
 「油断した。リンのタリスマンが守ってくれたようだね。ありがとう」
 あやすようにカレンがリンの頭を優しく撫でる。

 その日の夜、アラルフィンはカレンから事の次第を聞いた。
 「いきなり斬りつけてくるとはな……あの時はどうかと思ったがタリスマンがあってよかった。カレンには悪いがしばらくリンについてやってくれないか?」
 アラルフィンが難しい顔で茶をすする。あわせるようにカレンも茶を口にした。

 「もちろん、そのつもりよ」
 カップをタンとテーブルに置きながら強く言う。
 「そうか。リンもそれでいいな?」
 アラルフィンがリンに視線を向ける。

 「でもお姉ちゃんも無茶しないでね」
 昼間のショックが抜けないのかリンは不安そうだ。
 「わかったわよ。リンを泣かせたりしないから。ね」
 「うん……」

 その後、リンが店番に立つ日にはカレンが一緒にいる日が続いているがエフイルが気にする様子もなく、またカレンが何か異常に気がつくような事もないまま日々が過ぎていった。しかし、ある日気が付くとカウンターにメモが残されていた。

 『リンランディア殿
 貴殿は当教団の崇める神の御子として認定されています。聖者として迎え入れたく存じますので対話の機会を求めます。三日後の仕事が終わった後で中央広場に来てください。
 お迎えの者が参ります。
 曙光教団より』

 非常に短い文章ではあったがいつの間に置かれたのか誰も気づかなかったのが恐ろしいとカレンだけではなく皆が感じていた。
 「伯父さん、曙光教団って知ってる?わたしは初めて聞いたんだけど……」
 カレンが不安を隠さずにアラルフィンに問いかける。
 「いや。俺もこの街に長く住んでいるが初めて聞く名前だな。一体何を信仰してる教団なんだ?」
 「それに、いきなり御子だと聖者だのって言われてもねぇ」
 「そうだなぁ。怪しさしか感じないし、この前カレンが斬りかかられたってやつも関係あるんじゃないのか?」

 「たぶん?……ずっと前からリンが目をつけられてたんじゃないかなぁ。それで監視してたとか」
 考えながらカレンが話をうける。
 「確かにありそうだ。それよりも三日後というのをどうするかだが……」
 「リンを危険に晒すわけにはいかないわ」
 「もちろんだとも。この件は警備隊に相談したほうがいいだろう」
 「そうね。町中でいきなり刃物を振り回すような輩だし、捕まえてもらえればその方が安心だわ」

 翌日、アラルフィンは警備隊の詰め所へ出向きこの件を相談した。
 警備隊では正体不明の怪しい教団が絡んでいるということで事態を重く見、当日は捕縛要因として警備隊から人数を出すことを約束してくれた。
 そして当日。作業の終わった工房からローブのフードを目深に被った少年が中央広場へ向かっていく。現地では五名の隊員が待機することになっていた。

 中央広場に着いてうろついていると、雑踏に紛れて黒尽くめの男がいつの間にか後ろに居て「リンランディアさんですね?」と声を掛けてくる。
 黙って頷くと「一緒についてきてください。危害は加えません」と左腕をとって港の方へ先導してあるき出す。少年も黙ってついて行く。
 人気の途絶えた倉庫街に差し掛かったところで前方に警備隊員が現れた。

 「チッ」
 男は行き先を変えようとしたが、そちらにも警備隊員がいる。周りを見渡すと通りの前後左右を囲まれていた。男が強行突破を目論見、前方へ走り出そうとした時、男の右腕がぐっと掴まれ捻られる。
 「クソッ!はなせ!」
 男は手を振りほどこうとするが、そこへ殺到してきた警備隊員達に捕縛されそうになったとき……

 「夜明けは近い!人の世に曙光あれ!」

 男が一声叫ぶとそのまま血を吐く。慌てた隊員が口を開けさせようとしたが即効性の毒のようでビクリと痙攣するとあっという間に事切れてしまった。

 「ラドレ、おつかれ。上手く成り変わることができたな」
 「……そうだね」
 少年はそう言いながらフードをあげる。彼は警備隊員の一人でラドレという小柄な男である。彼がリンに成りすまして男と接触したのだった。港へ向かっていたので国外へと出ていく積りだったのだろうと推測されたが、本人が死んでしまい尋問が行えなかったことで確たることも言えない状態になってしまった。
 ラドレは死んだ男を見もせずに立ち去って行った。

 なんとも中途半端な報告を受けたアラルフィン達だったが、これ以上はどうにもならないので一応は解決したと思うしかないのだった。



ーーー
怪しい人がでてきましたね。
曙光教団のエージェントがリンに接触を試みましたが失敗しました。
これで諦めてくれるんでしょうか?

次回、「第一部」完結です。

今回の登場人物のまとめ
・リンランディア リン フィンゴネル家の養子、本作の主人公
・カレナリエル カレン フィンゴネル家の長女、猟師
・エフイル 妖精王の娘、白いネコ
ーーー
・アラルフィン アラン フィンゴネルの兄、魔道具職人、錬金術師
・ラドレ スカニアの警備隊の隊員、リンに成りすました

次回、エピローグ 2023/5/8 18:00 更新予定
しおりを挟む

処理中です...