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俺が幽霊になって四日目、残り三日。
『クローディアちゃんへ♡
身に覚えのない罪で投獄されるなんてこのパパが許さないぞ~!というわけで、兵士に袖の下を渡して釈放させました、大好きなパパにキスしにきてくれてもいいんだからね。
ゲオルグパパより♡』
『なんだ?この気の抜けるような微妙にいらっとする手紙は……』
神殿騎士の真面目くさった男が差し出してきた手紙の内容はなんとも言えないゆるいものだった。
図書館の貸出履歴と盗難書リスト。それらを用意してきたアリシアとクローディアが本格的な解析を始めたのが三十分ほど前、手紙が届いたのが五分前。
我が国の大神官がこんな親ばかだったなんて……と頭を抱えたくなる俺とは裏腹に、クローディアは全くの無表情を貫いていたが、やがて書類の山を持って立ち上がった。見張りの兵士は既にいない。アリシアが事前に追い払っていたのだが、この手紙の内容を見る限り多分戻ってもこないだろう。
「……お父様にお礼を言わなければいけませんわね。図書館の調査に関しては、あまり実入りはありませんでしたし」
「そうね、わかったのは本を借りてったのは城下町に住む一般市民、しかも繋がりのない人がほとんど。盗難リストに関しては毒物系が数冊あったけど……でもそれ以外も童話とか、よくくわかんない物語の本とかもなくなってるし、これも一般市民が持ってった感じが濃厚だわ」
「ええ。ですから、自ら城下町に赴けるのは本当にありがたいことです」
『クローディア、お前の父親は一体……』
「親ばかなのですよ。もう本当にばかな人なのです」
物凄く辛辣。
「そうなの?でもお姉さま、愛されているっていいことじゃない?」
「時々鬱陶しい事もありますね……素敵なお父様ではあるのですが」
鬱陶しいとかいう直球な言葉を、如何にも楚々としたクローディアの口から聞くとインパクトがある。毒舌な姫君は、暫く何事か考えていたが、俺とアリシアを振り返った。
「どうやら、城下町の調査は私自身が行く事ができそうです。……アリシア嬢はお城に残ってくださいな。万が一の危険に晒したくはありませんし」
『俺は一緒にいくぞ』
「……ええ、レオンハルト様。ところで」
クローディアは牢屋の中をきれいに片付けてから立ち上がる。町娘風に装った衣装の裾を軽く叩いて、髪を結んでいたのを解くと、ふわりと夜の闇のような漆黒がその人形のような美しい顔を縁取った。
「お父様にキスしに参りたいのですが、それだけ先に付き合っていただけます?」
……結局行くのか……。
俺だってまだ、口づけもしてなかったのに。なんて思いがじわっとこみ上げてきて首を振る。なんて女々しいんだ、俺は。この間からこんな後悔ばかり。
牢屋から出て、アリシアを送り届けてから、俺とクローディアは彼女の父親がいる王宮内部の教会へと向かった。
ステンドグラスから光が降り注ぐ美しい教会。
振り返った神父はまだ若い青年にも見える男で、柔らかそうな黒い眉と髪、優しげな瞳をしていた。クローディアと同じ瞳と、髪の色だ。
年齢を感じさせない若々しい姿で、クローディアの兄だと言っても通じる外見だった。本当に父親か?と思ってしまうほどには。
けれど、俺の婚約者は静かに呼びかける。俺が見ている前で、一歩二歩と歩み寄って、父親の頬にそっとキスをした。
「お父様」
「クローディアちゃん!良かったぁ、無事だったんだねぇ、うんうん。パパ心配で国家権力をちょっと動かしちゃったよぉ……」
対する父親……大神官ゲオルグは、クローディアにがばっと抱きついて涙ぐむ。本当に親ばかなんだな……。
真っ白いゆとりのある神父の服を着て、金色の刺繍の縫い取りも美しい帽子を被ったその様は、人々が思い描く『やさしいかみさま』に近いものがあるだろう。まるで、物語や、童話に出てくるかのような。
「お父様、その……本当に、ありがとうございました。助かりました。私、今日は城下町に行きたかったので」
「おや、そうなのかい?危ないよぉ……パパが護衛をつけてあげようか」
「いえ、いいのです。一人で行きたいところが、」
「わかった!ドレスの店かい?だってそう、明後日はパーティだものねえ。ううーん、でもパパ、クローディアのドレスを用意しちゃったよぉ……あっそうだ、今ここで着てみない?」
「………パーティ?」
クローディアは不思議そうな顔をした。
俺もまた、微かに眉を寄せた。そんな予定は聞いていなかったからだ。否、ここ数日で突然決まったのかもしれないが……。
ゲオルグはにこにこしている。ステンドグラスから透かされた光で、その笑顔が青や赤に染まっていて、不思議な感じを醸し出している。
彼はクローディアを連れて、ドレスを着せるのだと奥の部屋へと連れて行った。教会の奥には信者が使うための小部屋が幾つかあって、その一番奥に彼のプライベートスペースが設けられているのだ。なにせ、その設計をしたのは先代王……俺の父親である。俺も時折教会に出入りして遊んでいたから、この中は勝手知ったる他人の庭だった。
彼は扉を開け放った。シンプルな机と椅子、クローゼット。その中に一つだけ、不釣り合いに美しいものがあった。
菫色の、鮮やかなドレス。
「ほらっ、見てクローディアちゃん!可愛いでしょう?」
ーー菫色の、つつましやかな美しさだった。彼女の細い腰や、菫の瞳、黒い髪、胸のふくよかな膨らみを恐らく引き立てるであろうシンプルで優雅なドレス。
肩を出す形の、腰の締まったデザインだ。それでいてスカート部分はふわりと広がり、宝石が裾の辺りにいくつも縫いとめられている。菫色の薔薇のように、幾重にも重ねられた可憐な生地。
けれど、嗚呼。俺はそれを着て踊る彼女を見ることはないのだろう。三日目というと、俺はぎりぎり存在しないかもしれない。
そう思いながら彼女を見ていたのがわかったのだろうか、彼女はそっと父親に目を向けた。
「……着てみたく思います。お父様、少し外に出ていてくださる?」
「えっ?ああうん、勿論だよ!」
ゲオルグがそそくさと出ていくのを確かめてから、彼女は扉をしめて鍵をかけてしまった。
それから、俺に歩み寄って、囁く。
「……今から、着てみますね。着替えは見ないでくださると嬉しいです」
『あ、……ああ』
「……もう、いいですよ」
振り返ると、菫色のドレスを着たクローディアがいた。
髪は整えていないし、アクセサリもなにもないけれど。彼女自身が極上の紫水晶のように密やかに煌めく宝石のように見えた。とても美しくて、きれいで、宮中で噂される魔女の名前なんて見ただけで吹き飛んでしまう。ただただ、可憐だった。
それを見て、こぼれたのは。
今までずっと、言わなかった本音だった。
『……お前と、踊りたかった』
「……はい」
『もっと、一緒にいたかった』
「……はい」
『俺が生身で、そのドレスが白かったのなら……最高に、幸せだっただろう、…きっと』
「……殿下」
幻聴が聞こえる。
もう、決して実現しないであろう幻が、目の前をよぎる。
クローディア様とレオンハルト様の結婚を祝福いたします。この佳き日に幸せがありますように。
あのままの日々が続いていたなら、誰かが、きっとそう言ってくれただろう。
舞い散る花々、繊毛の緋色の上を歩く、白いドレスのクローディア。拍手をする民、笑い合う人々、そんな、幸せな物語の終わりのような。
それでいて、新しい幸せのはじまりのような日々が、続いていたかもしれないのに。俺が死んでさえいなければ。そうしたら、彼女を抱きしめて、何度だって好きだと囁けたのに!
何度だって何度だって、愛していると、そう伝えられたのに。
『……すま、ない』
ああ、幽霊でも、涙が出るのか。
頬を伝って落ちたものは、地面には届かずに中空で消えてしまう。
『すまない、泣く、つもりじゃ……』
「……いいの」
彼女は微笑んで、……そっと、俺の頬に、口付ける真似をした。
「いいのです、殿下、……泣いてください。私しか、見ていたいのですから。今は私達、二人きりなのですから」
彼女の手が、俺の手に、触れる。
すり抜けても、それでも。
俺は、握り返そうとする。
ーーーその時だった。
「……霊の気配がするね?」
俺の、手から先が。
煙のように、溶けた。
振り返る。
大神官ゲオルグが、貼り付けたような笑顔で、まっすぐに俺を見ていた。
俺だけを、見ていた。
『クローディアちゃんへ♡
身に覚えのない罪で投獄されるなんてこのパパが許さないぞ~!というわけで、兵士に袖の下を渡して釈放させました、大好きなパパにキスしにきてくれてもいいんだからね。
ゲオルグパパより♡』
『なんだ?この気の抜けるような微妙にいらっとする手紙は……』
神殿騎士の真面目くさった男が差し出してきた手紙の内容はなんとも言えないゆるいものだった。
図書館の貸出履歴と盗難書リスト。それらを用意してきたアリシアとクローディアが本格的な解析を始めたのが三十分ほど前、手紙が届いたのが五分前。
我が国の大神官がこんな親ばかだったなんて……と頭を抱えたくなる俺とは裏腹に、クローディアは全くの無表情を貫いていたが、やがて書類の山を持って立ち上がった。見張りの兵士は既にいない。アリシアが事前に追い払っていたのだが、この手紙の内容を見る限り多分戻ってもこないだろう。
「……お父様にお礼を言わなければいけませんわね。図書館の調査に関しては、あまり実入りはありませんでしたし」
「そうね、わかったのは本を借りてったのは城下町に住む一般市民、しかも繋がりのない人がほとんど。盗難リストに関しては毒物系が数冊あったけど……でもそれ以外も童話とか、よくくわかんない物語の本とかもなくなってるし、これも一般市民が持ってった感じが濃厚だわ」
「ええ。ですから、自ら城下町に赴けるのは本当にありがたいことです」
『クローディア、お前の父親は一体……』
「親ばかなのですよ。もう本当にばかな人なのです」
物凄く辛辣。
「そうなの?でもお姉さま、愛されているっていいことじゃない?」
「時々鬱陶しい事もありますね……素敵なお父様ではあるのですが」
鬱陶しいとかいう直球な言葉を、如何にも楚々としたクローディアの口から聞くとインパクトがある。毒舌な姫君は、暫く何事か考えていたが、俺とアリシアを振り返った。
「どうやら、城下町の調査は私自身が行く事ができそうです。……アリシア嬢はお城に残ってくださいな。万が一の危険に晒したくはありませんし」
『俺は一緒にいくぞ』
「……ええ、レオンハルト様。ところで」
クローディアは牢屋の中をきれいに片付けてから立ち上がる。町娘風に装った衣装の裾を軽く叩いて、髪を結んでいたのを解くと、ふわりと夜の闇のような漆黒がその人形のような美しい顔を縁取った。
「お父様にキスしに参りたいのですが、それだけ先に付き合っていただけます?」
……結局行くのか……。
俺だってまだ、口づけもしてなかったのに。なんて思いがじわっとこみ上げてきて首を振る。なんて女々しいんだ、俺は。この間からこんな後悔ばかり。
牢屋から出て、アリシアを送り届けてから、俺とクローディアは彼女の父親がいる王宮内部の教会へと向かった。
ステンドグラスから光が降り注ぐ美しい教会。
振り返った神父はまだ若い青年にも見える男で、柔らかそうな黒い眉と髪、優しげな瞳をしていた。クローディアと同じ瞳と、髪の色だ。
年齢を感じさせない若々しい姿で、クローディアの兄だと言っても通じる外見だった。本当に父親か?と思ってしまうほどには。
けれど、俺の婚約者は静かに呼びかける。俺が見ている前で、一歩二歩と歩み寄って、父親の頬にそっとキスをした。
「お父様」
「クローディアちゃん!良かったぁ、無事だったんだねぇ、うんうん。パパ心配で国家権力をちょっと動かしちゃったよぉ……」
対する父親……大神官ゲオルグは、クローディアにがばっと抱きついて涙ぐむ。本当に親ばかなんだな……。
真っ白いゆとりのある神父の服を着て、金色の刺繍の縫い取りも美しい帽子を被ったその様は、人々が思い描く『やさしいかみさま』に近いものがあるだろう。まるで、物語や、童話に出てくるかのような。
「お父様、その……本当に、ありがとうございました。助かりました。私、今日は城下町に行きたかったので」
「おや、そうなのかい?危ないよぉ……パパが護衛をつけてあげようか」
「いえ、いいのです。一人で行きたいところが、」
「わかった!ドレスの店かい?だってそう、明後日はパーティだものねえ。ううーん、でもパパ、クローディアのドレスを用意しちゃったよぉ……あっそうだ、今ここで着てみない?」
「………パーティ?」
クローディアは不思議そうな顔をした。
俺もまた、微かに眉を寄せた。そんな予定は聞いていなかったからだ。否、ここ数日で突然決まったのかもしれないが……。
ゲオルグはにこにこしている。ステンドグラスから透かされた光で、その笑顔が青や赤に染まっていて、不思議な感じを醸し出している。
彼はクローディアを連れて、ドレスを着せるのだと奥の部屋へと連れて行った。教会の奥には信者が使うための小部屋が幾つかあって、その一番奥に彼のプライベートスペースが設けられているのだ。なにせ、その設計をしたのは先代王……俺の父親である。俺も時折教会に出入りして遊んでいたから、この中は勝手知ったる他人の庭だった。
彼は扉を開け放った。シンプルな机と椅子、クローゼット。その中に一つだけ、不釣り合いに美しいものがあった。
菫色の、鮮やかなドレス。
「ほらっ、見てクローディアちゃん!可愛いでしょう?」
ーー菫色の、つつましやかな美しさだった。彼女の細い腰や、菫の瞳、黒い髪、胸のふくよかな膨らみを恐らく引き立てるであろうシンプルで優雅なドレス。
肩を出す形の、腰の締まったデザインだ。それでいてスカート部分はふわりと広がり、宝石が裾の辺りにいくつも縫いとめられている。菫色の薔薇のように、幾重にも重ねられた可憐な生地。
けれど、嗚呼。俺はそれを着て踊る彼女を見ることはないのだろう。三日目というと、俺はぎりぎり存在しないかもしれない。
そう思いながら彼女を見ていたのがわかったのだろうか、彼女はそっと父親に目を向けた。
「……着てみたく思います。お父様、少し外に出ていてくださる?」
「えっ?ああうん、勿論だよ!」
ゲオルグがそそくさと出ていくのを確かめてから、彼女は扉をしめて鍵をかけてしまった。
それから、俺に歩み寄って、囁く。
「……今から、着てみますね。着替えは見ないでくださると嬉しいです」
『あ、……ああ』
「……もう、いいですよ」
振り返ると、菫色のドレスを着たクローディアがいた。
髪は整えていないし、アクセサリもなにもないけれど。彼女自身が極上の紫水晶のように密やかに煌めく宝石のように見えた。とても美しくて、きれいで、宮中で噂される魔女の名前なんて見ただけで吹き飛んでしまう。ただただ、可憐だった。
それを見て、こぼれたのは。
今までずっと、言わなかった本音だった。
『……お前と、踊りたかった』
「……はい」
『もっと、一緒にいたかった』
「……はい」
『俺が生身で、そのドレスが白かったのなら……最高に、幸せだっただろう、…きっと』
「……殿下」
幻聴が聞こえる。
もう、決して実現しないであろう幻が、目の前をよぎる。
クローディア様とレオンハルト様の結婚を祝福いたします。この佳き日に幸せがありますように。
あのままの日々が続いていたなら、誰かが、きっとそう言ってくれただろう。
舞い散る花々、繊毛の緋色の上を歩く、白いドレスのクローディア。拍手をする民、笑い合う人々、そんな、幸せな物語の終わりのような。
それでいて、新しい幸せのはじまりのような日々が、続いていたかもしれないのに。俺が死んでさえいなければ。そうしたら、彼女を抱きしめて、何度だって好きだと囁けたのに!
何度だって何度だって、愛していると、そう伝えられたのに。
『……すま、ない』
ああ、幽霊でも、涙が出るのか。
頬を伝って落ちたものは、地面には届かずに中空で消えてしまう。
『すまない、泣く、つもりじゃ……』
「……いいの」
彼女は微笑んで、……そっと、俺の頬に、口付ける真似をした。
「いいのです、殿下、……泣いてください。私しか、見ていたいのですから。今は私達、二人きりなのですから」
彼女の手が、俺の手に、触れる。
すり抜けても、それでも。
俺は、握り返そうとする。
ーーーその時だった。
「……霊の気配がするね?」
俺の、手から先が。
煙のように、溶けた。
振り返る。
大神官ゲオルグが、貼り付けたような笑顔で、まっすぐに俺を見ていた。
俺だけを、見ていた。
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