訳あり救世主が天上から降臨されたようです

月影砂門

文字の大きさ
24 / 31
第三章〜光蓮輪舞〜

第四話〜学校パニック

しおりを挟む


 消滅の危機に瀕している光の延命措置のための秘術は、冬休みに行うことになった。光が、学校には通いたいと言ったためだ。冬休みならば、二週間ほどの猶予がある。身体に馴染むまでは明に次ぐ実力者が動けなくなるという痛手もあるが、それに関しては倶留孫がカバーしてくれるという。倶留孫は、歴代の仏陀のなかで唯一と言っていいほど、戦術に関して秀でていたのだ。
 翌朝


 「うわぁ、こんな時間!?」

 
 弟子である一哉を特訓していると、明が不意に叫んだ。光も光で大慌てで準備を始めた。


 「あれ、慈ちゃんたちは?」

 「倶留孫さまのお車で向かわれました。今日は雨のようですから」


 空の機嫌がよくないようだとまるで人のように言った慈と蘭が倶留孫の車に乗せてもらって学校に行ったそうだ。とうとうお嬢様のような甘やかし方をし始めたらしい。母親でもそこまで甘やかさないぞと明は、少しだけ倶留孫に対して、慈の甘やかしように呆れていた。慈は、倶留孫からすれば娘のような存在なのだろう。


 「早く行くよ!」

 「よし、瞬間移動しよう。一哉も、遅刻したくはなかろう?」

 「勿論なのだよ」


 明たちは、とうとう人間の姿でいる時は止めようと決めていた能力を使ってしまった。瞬間移動をしたおかげで、遅刻をすることなく高校に着いた。


 「倶留孫さま、保険医いつからしていたのだ」

 「丁度保険医が減ったから埋め合わせで入ったそうだ」


 埋め合わせのためならばと何処でも入れるようにしていたのだ。筋骨隆々なイメージのある体育の教師であろうと、人員が足りないならば入ろうとしていたということだ。「どうせなら校長にしておけば良かった」と車内で愚痴っていたらしい。


 「保険医向いてるよ」

 「あの人ほどカウンセリングに向いている人はいないだろう。あと面倒見の良さ」

 「わたし、倶留孫さまのことよく分からないのですが、どんな方なのです?」


 どんな方と言われて一言で説明することは不可能だった。伝説が多いというだけでなくとにかくキャリアがブッダの中では珍しかった。戦王と呼称されるほど戦力も申し分なかったし、軍師のような頭の良さといい、時に交渉のみで戦を終わらせるような、頂点に立つに相応しい器の持ち主だった。慈もその器に足りすぎるほどの人物だ。同調力ならばずば抜けて慈の方が勝るが、戦闘力ならば倶留孫の方が勝る。二人の違いは、性別がはっきりしていることと、同調力の強さと戦闘力の違いくらいなものだ。


 「釈迦さまは?」

 「もう、あの人は殿堂入りのブッダでしょ。この仏教のなかであの人ほど信仰されている人いないよ。あとは阿弥陀さまか」


 倶留孫という仏陀がいたことを知るものは彼の故郷くらいだった。この国でその仏陀を信仰している寺はあまり聞かない。釈迦と阿弥陀如来と弥勒菩薩は、仏教を信仰している者のなかではずば抜けた認知度と人気度だ。


 「慈ちゃん、今日は大丈夫?」

 「あぁ、手袋をもらった。これで少しは拒否できているようだ」

 「やはり闇のせいなのか?」

 
 夢のなかであまりにも密度と質量のある闇に、少しだけ怯んだ。しかし、強靭的な精神力でそれに呑まれることはなく、寧ろ夢の中でもそれを浄化できた。夢の中にそれが入り込むほどに侵攻してきている闇を、夢のなかで浄化する術を身に付けたことにより、これまでのように意識を失うことはなくなったのだ。


 「それが出来るようになったのはいつ?」

 「一哉とバナンと修行してからだから、二日前からだな」


 ・・・ということは
 二日前にそのための方法を見出したのだ。それは仏陀になるための準備が出来たということではないのかと明と光だけでなく、蘭も思い至った。本当にもうすぐなのだ。


 「逆に言えば、夢の中でも力を使わなきゃいけないってことではないかしら?」

 「確かに、闇の侵攻が進む度に慈さまが夢で対処しなきゃいけないってことだよね」


 そうでもしなくては光側が対処出来ないほどに、闇が広がり、世界中で煩悩が目覚めているということだ。その夢のなかでの浄化で、幸いにもかなりの数の煩悩を消すことができている。


 「休む暇もないってことじゃん」

 「それでか、最近甘い物を食べるのが多くなってきたのは」

 「それにしては太らないのは何故かね?」

 「それは体質だろ」


 慈本人曰く、エネルギーを貯蓄するために甘いものを取り入れているという。睡眠で休息を取る代わりに、スイーツで疲労を回復しているのだ。それはそれで問題がある。


 「もう最悪オレたちが夢の中に入っちゃえばいいんじゃないの?」

 「夢の中でも燃やす気か?」

 「あなたも斬るでしょうに。人のことは言えませんよ」


 光の刀よりも鋭利な刃で心を抉るような発言をした蘭に、称賛の意味も込めて従姉妹二人と仁王が心のなかで拍手をした。この二人に毒舌を吐けるのは蘭くらいだ。


 「ずっと聞きたかったのです、なぜあなたたちはわたしと再会した時、あたかも初対面かのように接したのです?」

 「それは蘭もだぞ。三人とも面識があるのに、わたしに対して初対面かのように名を聞いてきたじゃないか」


 突然よく分からないことでもめ出した四人に、その他は見つめることしか出来なかった。状況が把握出来ていないのだ。ただ、慈が幼かった頃に出会っている光と蘭が、見違えていたという可能性はある。しかし、幼い頃であろうとかなりの頻度であっていた明が気配に気づかないというのは、有り得ないと断言出来る。


 「あの時はわたしも別人なのかと思って乗りましたけど」

 「人間の姿になってたらそりゃ少しは初対面のように振る舞うさ」

 「そうそう、妖精みたいな姿だった君が髪型以外違ってたらそうなるよ」


 翡翠色の髪とウルフカット以外は人間の姿でいたのだ。蘭は、妖精みたいと言われたことに関して少しだけ頭に来たが、それは聞き逃すことにして、無理やり納得させた。


 「明よ、よく蘭を妖精みたいなどと言えたな。凄いぞ」

 「いやぁ、だってね。奈美ちゃんと優姫ちゃんと比べたらさ、天女というより妖精じゃん。または天使じゃん」


 二人よりも愛らしいまだまだ少女が残ったままの蘭は、幼く見える。何よりも、足の長さでごまかしてはいるが、小柄で華奢。たまに魅せる色気はどこで色付いたのかと初めて会った時のことを覚えていれば、寧ろ親のように心配になる。まるでニンフのような無垢な少女を、妖精と思わずなんだと思えばいいのか。


 「二人とも酷いです」

 「そうよ、蘭はずっと気にしてるのよ」

 「ちょっとはデリカシーが必要だよ」


 キンナリーの二人にズバズバと穿たれ、明と光は項垂れるしかなかった。蘭もここが学校でなければ竜巻で吹き飛ばしていたほどには、噴火しそうだった。


 「しかし、明がわたしに対して初対面のように振る舞った理由は聞いていないぞ」

 「確かに、一番最初に弥勒菩薩さんですかーと言っていたのはお前だったな」

 
 明は、初めて会ったフリをしたのだ。菩薩と明王という分厚すぎる身分という壁のせいで、昔のように接し辛いというのはあった。それは認める。


 「あと、雰囲気があまりにもブッダに寄ってたから、これまで通りにし辛くて。倶留孫さまのときと一緒だよ。仏陀になった倶留孫さまと対面した時、君との再会の時と同じだった」


 どこかで、明のなかで差別化していたのだ。自分は明王であり、相手は仏陀。昔に人を殺しまくっていたということもあり、そんな存在が仏陀や仏陀になろうという菩薩に対して馴れ馴れしく出来ないと思っていた。過去はやはり忘れられるものではなく、永遠に纏わりついてくる。それを燃やすことなど、倶利伽羅剣であろうとできないのだ。


 「オレは元々罪人。オレのような存在が、神聖な君たちに馴れ馴れしく接していいのかと、毎回思うんだよ」 


 幼い頃はまるで兄のように接した慈だが、成長すればそれは変わる。幼い菩薩。しかしその心はブッダの後継者に相応しい。だからこそ、それに近付いていく慈を少しだけ遠ざけた。ルタくんと呼んでいた釈迦に対しても同じだ。弁えなくてもいい。これまで通りと慈が言ってくれなければ、今頃別行動を取っていた。


 「そういうことか。妙なところを気にする奴よの、お前は」

 「光だってそうじゃんか」

 「私は天上よりも海底の方が多いのだからここまで成長すれば一瞬でも誰かと思うだろうよ」


 目を疑ったのだ。明が弥勒菩薩さんですかーと言ったとき、どこの弥勒菩薩なのだろうかとまで思ってしまったくらいだ。


 「わたしもですよ。お姉ちゃんと言っていた慈さまが、こんなに成長されては」


 光と蘭についてはそういうことだと目を瞑った。それぞれに理由があったのだ。本当に自分のことを忘れていたと言われたらどうしようかと思ったのだ。


 「まぁ、多分それは皆同じよ」


 菩薩から如来へ。まさにその狭間に彼女は既にいた。遠ざけて、遠くから見守っていようと思っていたが、今となってはそうはいかない。彼女を遠ざけようなど、逆に天罰が下りそうだとさえ思う。
 ほんわかとした雰囲気で和気藹々と談笑していると
 ──パリンッ!


 「っ・・・」

 
 窓が突如割れ、一哉たち以外が騒ぎ始めた。こんなことに慣れているはずもない者たちからすれば、恐怖でしかない。


 「皆、すぐに避難を!体育館へ避難しろ」

 「先生、先導を」


 前沢はすぐに生徒を連れて体育館へ向かった。


 「彩鶴さん、すぐに逃げて」

 「あれは何なの!?」

 「いいから早く!」


 ──パリンッ!
 恐怖で泣きじゃくる彩鶴を慈は支えながら廊下に向かった。


 「慈さま!血が・・・」

 「このくらい何ともない」


 何ともなくても一滴でとんでもない災害を呼ぶ彼女だ。明は紅い帯のようなものを慈の傷口に巻いた。慈の血液の垂れ流しは少し不味い。


 「龍か?」

 「悪龍にしか見えないけど」

 「間違いない。あれだろうね」


 保健室から飛んできた倶留孫がストゥーパを両肩に背負うように持ちながら言った。光も知らない龍の姿。龍王ではないことはわかる。


 「いや、あれは龍じゃない。人の煩悩の塊だ」

 「嘘だろ・・・」

 「あの龍がなにか吐き出してくるぞ!」


 言ったのは仁王のうちの来斗だ。弾かれるように見てみれば、咆哮とともに何かが大量に出てきたのだ。それが煩悩であると受け入れるまでに時間はかからなかった。


 「あれだ、夢に出てきた」

 「あれを毎晩葬ってるってこと?」

 「そうだ」


 あれを葬るには、葬るだけの力を使う必要がある。巨大な塊となった煩悩が龍の形を成す幽咒を生み出したのだ。しかし、それを固めて生み出す存在がいるはずだ。そうでなければ、霧のように形のないものであるはずの幽咒が、形作ることなど有り得ないのだから。裏に誰かがいるとしか考えられなかった。


 「とにかく、結界を張るよ」

 「倶留孫さん、お願い」

 「妖精さん、このストゥーパ八つ刺してきてくれるかな?」


 倶留孫は、空を飛べる蘭たちにストゥーパを持たせた。どこに刺せばいいかはもはや分かっているらしく、三人は的確な場所にストゥーパをさし、サインを出した。


 「白塔展開!」

 
 倶留孫の結界のまた外側に慈の結界が張られた。どうしてもそこから出ることはできない。龍は、光が弓で突き落としたことで結界内に閉じ込めることが出来た。


 「四、五人というところかの」

 「さっさと片付けよっか」

 「いや、あれだけではないようだな」


 慈の目線の先にいたのは、明らかに人間の姿をしていた。悪鬼の類だろうかと蘭が慈の顔を伺うように見ると、彼女は否定した。悪鬼ではないという。


 「出てきたのだろうな。幹部が」

 「矜羯羅、どうして君が?」

 「報告いたします」


 矜羯羅童子が明に巻物のようなものを渡した。明は直ちに教室を出ると二人の報告を聞いた。明に結界を張られ、三人の声が聞こえなくなってしまった。明王が聞けて何故菩薩と元仏陀が聞けないのか、と光と蘭は首を傾げた。
 しばらくして明が出てくると、一番に慈が尋ねた。


 「聞いてもいい話か?」

 「うん、構わないよ、慈ちゃん。どうも罪のない死者が地獄に落とされているらしくてね。閻魔くんにも訳が分からないんだって」


 閻魔の監視下にない地獄で死者が落とされているという。そもそも閻魔に許可なく地獄を作ることは禁じられている。天界のなかの誰か、もしくは閻魔の傘下である鬼が不正に地獄を作り、罪人名簿に書かれていない死者を落とす。初めての事例で、流石の明も動揺せざるを得ない。


 「そこで、炙り出すことになった」

 「炙り出す?」

 「俺の倶利伽羅剣で天界の裏切り者を焼いてしまおうってわけ。生憎俺の剣は真実を見抜く剣だからね」


 明の宝刀で確実に犯人を暴く。その犯人の末路は陸でもないものだろう。五人の明王が明日実行するという。


 「エジプトでいう死者の書みたいなものが操作されてるってことかね?」

 「それとは違うものだよ」

 「死者の書はパピルスの巻物みたいなものだからな。まぁ人生という本を閻魔が検閲してそれで判断するものと言うべきだろう」


 閻魔は六道の入口で百年分書かれた小説を読むことで、どんな罪を犯し、どんな罰がふさわしく、六道のうちのどこに行くべきかを判断する。地獄に落ちれば、その場所で罪を償い、そのうえで極楽へと行くことを許可してもらえる。それが死後のシステムだ。そして、それは歪ませてはならない。行くべきでないものを行かせてしまえば、死の世界から卒業するまで永遠とも言える期間いなくてはならなくなる。それは本当の意味での救いにはならない。


 「死後の人間のシステムは私は知らぬが、誤ることは許されぬことなのであろう。それ故に閻魔の責任や重圧は酷く重いものであろうよ」

 「確かにそうだな。寺を守る俺たちとは別の重責があると思う」


 罪の無い者を罪に問う。つまりは冤罪だ。誤ることは許されない身である閻魔がその選択をしてしまった場合は、閻魔自身が懲戒ということになり兼ねないことであった。今回の事件は、閻魔を地獄に落とそうと企んでいるかのような犯行だ。だからこそ五大明王も動き出すことになったのだ。


 「閻魔が気に病んでいなければいいのだがな・・・正義感の強い人だから」

 「まぁ、閻魔くんは閻魔くんでそうクヨクヨする人じゃないでしょ。大丈夫だよ」


 閻魔を案じる慈に明はフォローを入れた。一度の過ちが凄まじいトラブルを呼ぶのは確かだが、それが本人の故意ではないのであれば、彼が意気消沈する必要はない。それは本人も弁えているはずだと光が補足した。


 「そうだな、今頃ブチ切れているかもしれない」

 「閻魔様の逆鱗に触れるとは、犯人も運が悪いですね」


 犯人は特定されるなどとは思っていないのだろう。そうでなくては閻魔の目を欺いて地獄に行くほどの罰を受ける必要も無い死者を落とそうとはしないはずだ。真実を確実に暴く慈もいれば、不動明王もいる。彼女らが動くことになるなど、誰が考えるだろう。


 「明、犯人の特定はわたしにさせてもらえないだろうか」

 「慈ちゃんがやるの?」

 「慈さまがやるほどの価値などあるのかのぉ。私ならば斬り殺しておるわ」


 あとのリスクも考えられないようなの愚か者の特定に、弥勒菩薩である慈が手を貸す必要など毛ほどもない。手を汚す必要などないと、明と光が説得した。明や光の言い分としては、ブッダの後継者であろう者が、ブッダの手にも乗れないような愚か者の相手をする必要は無いということだ。蘭や優姫、奈美や仁王も明たちと同意見だ。
 しかし


 「妾は、マイちゃんの意見に賛成だね」

 「倶留孫さまが言っちゃうと」

 「よく考えてごらんよ。アチャラナータの倶利伽羅剣は、特定した犯人を燃やすわけだよね」


 犯人特定のために倶利伽羅剣を使うことは、真実を暴くことにもなり、同時に罰することにもなる。慈悲で以て人々を救う不動明王だが、天上界の罪人に対する行動は無茶苦茶だった。それを慈も倶留孫も見ていたから知っているのだ。極端な暴虐の末に殺し、蘇らせ、最悪の道を歩ませる。現ブッダの釈迦如来が呼び戻すことで事なきを得た者が何人いたか。それほどのレベルで扱いはとことん酷い。しかし、それを光も知っているのだ。


 「ナナはそれを知っていて賛成なのかい?」

 「私は、明の戒め方に賛成とは言っておりませぬ。倶利伽羅剣で燃やすという時点で既に一種の戒め。特定した後に慈さまが事情を聞けばよい話ではないですか?」


 特定のために燃やす。それは明にさせればいいし、その後聴取は慈が諭すように聞けば事は済む。光に言わせれば、明に特定させるさせないという議論自体が無意味なのだ。そんな議論をしているうちに、さっさと燃やして斬り掛かるくらいでなければ相手は堪えない。ここでの議論は相手の思う壺だろうと、光が論破する。


 「なるほど、確かに。ふむふむ」

 「明が確実に暴き、そのうえでわたしが話を聞く。明、踏み潰したり、踏み殺したり、殴り殺したりしないこと、分かったな?」

 「はーい」


 慈たちは、これから特定しようとしている犯人よりも、すぐに踏み殺すか燃やす明と斬り掛かる光の方が問題児ではないかと疑問でならない。天上の住人の憧れの的である二人だが、恐れも抱かれているとは知りもしないだろう。

 
 「でも、燃やすまでもなく、多分アイツでしょ」

 「確かに、あの本は間違いなく人生録よ」

 「では、事情聴取をするか」


 明と光が一瞬で男を捕まえに行った。傍から見れば明と光の方が虐めているような光景に、その場にいる殆どの人員が苦笑した。呆れたのは来斗と優姫のみだ。


 「あっちの方が問題よ?」

 「俺もそう思うぜ」


 明が羂索で縛った男を引き摺り、光が暴れないように時々睨みつけるなど、どちらが悪なのか分からなくなるという現象に見舞われた。


 「ほい、連れてきたよォ」

 「あの本体よりも龍の方が強いのだろうね」

 
 砂に塗れた男が捨てられるように教室に放り込まれた。気の毒そうに慈たちはその男を見た。


 「さて・・・本を持ち出し、不正に死者を地獄に落としているのは其方か?」

 「ははっ、姉ちゃんよぉ。こんな本一冊で俺を犯人と決めつけようってのか?」

 「こんな本一冊?」


 若干慈の声が低くなったことに、一哉たちは少しだけ血の気が引いた。人間一人の人生が綴られた本をこんな本と嘲笑ったことが慈にとっては堪忍袋の緒が切れようとするほどには、立腹していたのだ。当然、煽っているのかいないのか定かではないが、まだお錘が噴火するほどではないらしい。


 「てかさ、アイツ姉ちゃんって言ったよね?」

 「色んな意味の罪に問われそうだな」

 「もう殺されるんじゃありませんかね、あの人」


 弥勒菩薩に対して「姉ちゃん」呼びは流石に無礼過ぎると、三人は顔を顰めていた。


 「それよりもキレイじゃん、俺と遊ばねぇか?俺と釣り合うと思うぜ」

 「アイツマジか?」

 「正気の沙汰ではないぞ、あれは」

 「正気だったらまず、罪無き死者を地獄送りになんてしないのだよ」


 確かにと一哉の言葉に明たちは肯いた。姉ちゃん呼ばわりの果てに、慈を口説き落とそうとするという。どこまでも愚かな男に、呆れるしかなかった。釣り合うなどとその自信はどこから湧いてくるのかと二人以外の気温が低下していた。


 「ほぉ、遊ぶ?わたしと遊ぶなら、お前は何をしてくれるのか?」

 
 ・・・お前になってるし
 基本慈は、敵であろうと「其方」と敬意を持った呼び方をする。しかし、機嫌が悪くなると「お前」へと二人称が変わってしまうのだ。その時の慈ほど恐ろしいものはないと、この場の殆どが知っている。


 「無知の怖さの典型だよ」

 「もう同感だよ」

 「無知の知とは言うが・・・あれは無知の愚者ではないか」


 外野がコソコソと会話を繰り広げていた。慈の雰囲気は、一見普段と変わらないのだ。だからこその怖さがある。よく知る者から見れば絶対零度の冷気を纏っているようにしか見えない。


 「凄いなぁ、オレには真似出来ない」

 「あれはもはや天性です」

 「お前、名は何と?」

 「タールだ」

 
 「タールか、覚えておく」とアルカイックスマイルで言った。男は当然それに赤面する。この覚えておくの裏の意味を知ってしまえばそんな表情はしていられなくなる。


 「楽しいことしようぜ」

 「犯行は認めるか?」

 「付き合ってくれたら全部教えてやるぜ?」

 「ふむ・・・分かった」


 外野が一斉にザワついた。楽しいことの意味など知る由もないであろう純粋無垢な慈をあろうことか誑かそうとしているのだ。


 「いやいやダメだよ!こんな男何するか分かんないんだし!」

 「しかし、教えてくれると・・・」

 「こんな男の言葉など聞く必要などないぞ慈さま」

 「一回でいいからさぁ」

 「のぉ、斬ってもいいだろうか」

 「火葬してやりたい」


 事欠いてまだ誘うタールに、明と光が不穏な空気を出し始めた。今にも斬りかかりそうな殺気を溢れさせる光と、燃やすどころか溶かしてやろうとしている明。明王のトップと竜王のトップがブチ切れ寸前であった。


 「俺は、あんたに惚れちまったんだよ」

 「ほ、惚れ・・・」

 「そう。こんな何処も彼処も綺麗な奴はいねぇ。標本にしてやりたいくらい」


 ・・・標本だとっ!?
 なんど一哉たちの心の声が綺麗に重なっただろうか。巨大な爆弾を投下してきた男に、明と光だけでなく、とうとう倶留孫がストゥーパを準備し始めた。娘のように可愛がる慈を標本にしたいなどと言えば当然の反応だ。
 かと思えば、タールが慈を自分の元へ引き寄せた。


 「くっ、お前・・・」

 「この美しい肌も全部血で染めてやろう」

 
 ・・・コイツ、マジでヤバいやつ
 生身で標本にしたいと言っているのだから。


 「俺のモノになれ」

 「なっ!」

 
 ──バチバチッ
 

 「ああああああぁぁぁっっ!!」


 抱き寄せた慈の身体に電流を浴びせた。焼き焦げるような、貫くような痛みに自然と悲鳴が漏れた。

 
 「てっめぇ、大目に見てやってたらこれかよ!」

 「引き寄せた時点で殺すべきだったか」

 
 身体は一切傷がない。しかし、貫かれるような痛みは全く引かない。
 ・・・この男、これまでの闇とは違うっ
 

 「遊びは済んだか?」

 「そろそろ自由にさせておくのもやめにしよう」


 倶利伽羅剣と白銀の刃が今にも頸動脈を斬りそうな位置に固定された。何かすれば確実に殺される。


 「幽咒!」

 「龍が目覚めました!」

 「うっそぉ、もう嫌なんだけど。龍くん、どっちやりたい?」

 「腹が煮えくり返る思いだが、この男はお前に任せる」


 光が龍を相手取ろうとしたその時


 「た、ーる・・・アムリタ!」


 抱き込まれた状態で慈が叫んだ。慈とタールの足下に薄い蓮華色の光が展開され、愚者を包み込むようにアムリタを纏わせた。


 「いやいや、ウソでしょ」

 「直近で浴びせるために、態とか」


 有り得ない量の光に包まれ、タールは堪らず慈から離れた。そして慈は、それまで支えていたものがなくなり、崩れ落ちた。


 「っと、慈ちゃん!」

 「か、らだ・・・が、しびれ、て・・・」


 静電気のような電流が今も流れている状態でアムリタを発動したのだ。


 「無茶にも程があるよ」

 
 慈は、流れ続ける電流に見悶える。どれほどの電力を浴びせたのか。本当に弥勒菩薩であることを知らないのだろう。


 「ん?龍の方は形が崩れていく」

 「本体がダメージを受けて効力が薄れたからでしょうね」

 「倶留孫さん」

 「うん、今そのストゥーパを準備した。これを翳せば何とかなると思う」

 
 倶留孫は、未だに辛そうな慈にストゥーパを翳した。翡翠色の光が慈を包み込む。その効果か、彼女の表情も安らいだ。


 「いやぁ、本当にやってくれるよねぇ。あの雷、完全に闇だろ」

 「そりゃあ堪えるよのぉ」

 「ぶん殴りましょう」


 明と光は存分にタールを殴りつけた。時々明が踏み潰し、光が斬るという事態が起こったが、それを何度も繰り返すという容赦ない罰をタールに浴びせた。


 「落ち着いたかい、二人とも」

 「まぁね」

 「慈さまの痺れは?」

 「うん、気絶してるだけだよ。闇と雷とか鬼の所業だと思うよ、妾」


 光そのものと言ってもいい慈に、闇の技など最悪の相性だ。それを間近で受ければ当然堪える。


 「あぁしないとアムリタできなかったとはいえさ、無茶しすぎ」

 「さんざん言われて、わたしなら見捨ててますよ」

 
 一人の闇をアムリタ出来たことで、少しだけ安心したのか、慈の表情は安らかだった。彼女の頭を倶留孫が母のように優しく撫でた。親子ではなく姉妹にしか見えない一哉たちであった。



 




 



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

短編)どうぞ、勝手に滅んでください。

黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。 あらすじ) 大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。 政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。 けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。 やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。 ーーー ※カクヨム、なろうにも掲載しています

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません

藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。 ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。 「君は分かってくれると思っていた」 その一言で、リーシェは気づいてしまう。 私は、最初から選ばれていなかったのだと。 これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。 後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、 そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

処理中です...