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裏切り ☆
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(嘘……。そんなの、嘘よ)
震える足を叱咤しながら人気のない通路を一人歩くメルディアナは、つい先程見たばかりの光景を振り払うよう何度も小さな頭を振った。
アイルウェル侯爵家の長女であるメルディアナは今夜、子供の頃からの婚約者リチャードのエスコートで王家主催の夜会に列席していた。
夜会の開かれるサロンに到着して顔見知りへの挨拶とファーストダンスが終われば、リチャードは個人的な挨拶があるからとメルディアナの傍を離れる。
それは今夜に限った話ではなく、友人たちと親し気に談笑するリチャードの姿を遠目に見ていた。
しばらくして姿を消すのも、彼らと別室でビリヤードやチェスに興じながら交友を深めているのだと説明を受け、深く気に留めてもいなかった。
(でも、それも全部嘘だったの?)
きつく目を閉ざしても、目を閉ざすとなおさらに脳裏に蘇ってしまう。
惨めだった。
華やかな王城で開かれた華やかな夜会で、メルディアナは婚約者の不貞と裏切りを目の当たりにした。
メルディアナはただ一人になりたくて、廊下の突き当たりに面したバルコニーで心地良い夜風に吹かれながら庭園を眺めようとしただけだ。それが少し離れた場所に人がいるなんて、ましてやそれが自分の婚約者だなんて、夢にも思ってもみなかった。
「リチャー……」
バルコニーに背中を向けて生け垣の奥にいたリチャードに気がつき、名前を呼びかけて口ごもる。
あきらかに様子がおかしかった。しかも誰かと一緒にいる。
薄闇に紛れた相手の顔はよく見えなかったけれど、庭園のベンチに大人びた雰囲気の女性を組み敷いて押さえつけ、なまめかしい両足を腰に絡ませた姿を友人同士の交友と言うには激しく逸脱しすぎている。
ましてや、リチャードには婚約者がいるのに。
名門公爵家の次男にして王太子直属の近衛騎士も務める二歳年上のリチャードと、由緒正しき家柄の長女ではあってもさしたる取り柄もないメルディアナ。
二人が全く釣り合ってはいないことなど、メルディアナもとうに自覚していた。
頑張って話題を合わせようとしても空回りしてばかりで、もっと知性と素養に溢れた大人の女性が婚約者なら良かったとリチャードが内心思っていることだって悟っている。
それでも、できる限り頑張っているつもりだった。
でも、つもりではだめだったのだ。
(見つからないうちに……ここを離れないと)
ショックを隠し切れずにふらつく足でサロンへと戻る。
本来付き従うはずの侍女はいなかった。
二人だけでいたいから。
エスコートは責任を持って最後までするから。
リチャードがメルディアナの父に直談判し、父はリチャードを信頼して受け入れていた。根本的に身元の確かな貴族が開く夜会にしか行かない為、リチャードがいるなら安全だという考えもあったのだろう。
今にして思えば笑ってしまう。
二人になりたいとはメルディアナとではなく、別の女性とだったのだ。そしておとなしいメルディアナなら父に告げ口をしないと見くびられていた。
(それは、その通りだわ)
約束を反故にして一人きりにされても何も言わなかった。婚約者を伴って夜会に参列しながらも、同性同士の交友を大切にしたいという彼の言い分を何一つ疑ってはいなかった。
そうして一人になる令嬢は友人の中にもいたから、彼女たちと過ごすことも多かったのだ。
だから余計に、殿方も同様に交流を深めている。そう思い込んでいた。
何て愚かで、都合の良い存在なのか。
今日もこの後は何食わぬ顔をしたリチャードに家まで送り届けられ、さも二人でずっと過ごしていたかのように別れの挨拶をするのだ。
メルディアナを密かに裏切っていたのに。
そして裏切られている現場を見てしまったメルディアナもまた、何も言えずにいるのだ。
こんなの、体よく扱われて当然だった。
「静かに」
突然、背後から伸びた大きな手がメルディアナの口を塞いだ。
手の持ち主に抱き込まれるよう身体が後ろに引っ張られる。通り過ぎたばかりの部屋のドアが開いていたのか、悲鳴をあげる間もなく暗い室内に連れ込まれた。目の前でドアが閉ざされ、鋭い息が唇をつく。
かちゃり、と金属音がした。
鍵をかけられたのだ。
どう考えても良い状況下に置かれたとは思えず、かと言って自力で何ができるかなんて分からずにメルディアナは身を強張らせることしかできなかった。
薄闇に慣れはじめた目が涙で潤む。
口を塞ぐ手が離れ、輪郭をなぞるように頬を滑る。
いきなり閉じ込めたりしておきながら安心させようとしているのだろうか。
触れる指は何故かとても優しい。そっと涙を拭うと瞼を撫でた。
目を閉じるよう促しているのかもしれない。策もないのに中途半端に抵抗したら、どんなひどい仕打ちをされるのか。恐怖心を抑えて求められるまま従えば、すべらかな布が目を覆うのが分かった。結い上げられた髪を崩さないよう、気を配りながら後頭部で布の端を結び、完全に目隠しをされてしまう。
「痛くしたりしないから、じっとしていて」
耳触りの良い低く甘やかな声が囁く。
(この声――どこかで、聞いた覚えが)
記憶を手繰ろうとするメルディアナの邪魔をするよう、大きく開いた胸元を細い指がなぞった。目隠しの下、メルディアナはきつく目を閉じる。
こうした肌の露出が高いデザインのドレスは本当は好きじゃない。
でもリチャードが贈ってくれたのだ。
ずっと傍にいてくれるわけでもない婚約者が贈ってくれたドレスを着たら、傍にいてくれるのではないのか。
一度も叶ったことのない希望に縋り、今夜も好みではないドレスに袖を通した。
だけど気がついてしまった。
自分の好みではないドレスを着るメルディアナ。
自分の好みではない相手を婚約者にするリチャード。
きっと、同じことなのだ。
そうするしかないから、そうすることで良い方向に物事が働くかもしれないから、自分の意思を押し殺して振る舞う。
本当は、もっと違うことをしたいのに。違うものを求めているのに。
「可愛いハニー。こんな時でも上の空だなんて、つれない君は何を考えているの?」
背後で男が動く気配がする。
今度は何をされてしまうのか。
心細さと不安で身構えると少しひんやりとした指は鎖骨を這い、首筋を上がって行く。目を覆われている為に感覚が過敏になっているのか、指の動きが余すことなく伝わって来る。耳をくすぐられ、よく分からない感覚に背筋が震えた。
「っ、ん」
「君の心にあるのが婚約者のことなら、花の妖精のように可憐な君を悲しませるだなんて、婚約者という最高の栄誉に授かりながら本当にひどい男だね」
知って、いる?
メルディアナは何をどこまで知っているのか聞こうと口を開きかけ、けれど声を発することはできなかった。代わりに切なげな吐息が一つ、唇からこぼれる。
「今は僕に与えられる快楽にだけ集中して。可愛いハニー」
穏やかな森に吹く風にも似た涼やかな香りが強まり、さらりとした心地良い感触の髪が首筋を撫でた。驚いて身動ぎする間もなく男の顔が首筋に埋められ、そのまま吸いつく。不思議と陶然とした想いが湧き上がり、わずかな痛みが首筋に走った。
濡れた何かが痛みを覚えた場所をなぞる。
小さいけれど固くて熱い。
「あ……っ、ん」
男の舌だ。
それから男は顔の角度をずらしながら首筋やうなじに軽く吸いついては舌で舐めてを繰り返す。
最初と違って痛みはない。
代わりに頭の中がぼうっとした。このままでは、いけない。力の入らない手を懸命に動かして男の腕を探る。ようやく見つけた腕を引き剥がそうとしても、ぴくりとも動かなかった。
震える足を叱咤しながら人気のない通路を一人歩くメルディアナは、つい先程見たばかりの光景を振り払うよう何度も小さな頭を振った。
アイルウェル侯爵家の長女であるメルディアナは今夜、子供の頃からの婚約者リチャードのエスコートで王家主催の夜会に列席していた。
夜会の開かれるサロンに到着して顔見知りへの挨拶とファーストダンスが終われば、リチャードは個人的な挨拶があるからとメルディアナの傍を離れる。
それは今夜に限った話ではなく、友人たちと親し気に談笑するリチャードの姿を遠目に見ていた。
しばらくして姿を消すのも、彼らと別室でビリヤードやチェスに興じながら交友を深めているのだと説明を受け、深く気に留めてもいなかった。
(でも、それも全部嘘だったの?)
きつく目を閉ざしても、目を閉ざすとなおさらに脳裏に蘇ってしまう。
惨めだった。
華やかな王城で開かれた華やかな夜会で、メルディアナは婚約者の不貞と裏切りを目の当たりにした。
メルディアナはただ一人になりたくて、廊下の突き当たりに面したバルコニーで心地良い夜風に吹かれながら庭園を眺めようとしただけだ。それが少し離れた場所に人がいるなんて、ましてやそれが自分の婚約者だなんて、夢にも思ってもみなかった。
「リチャー……」
バルコニーに背中を向けて生け垣の奥にいたリチャードに気がつき、名前を呼びかけて口ごもる。
あきらかに様子がおかしかった。しかも誰かと一緒にいる。
薄闇に紛れた相手の顔はよく見えなかったけれど、庭園のベンチに大人びた雰囲気の女性を組み敷いて押さえつけ、なまめかしい両足を腰に絡ませた姿を友人同士の交友と言うには激しく逸脱しすぎている。
ましてや、リチャードには婚約者がいるのに。
名門公爵家の次男にして王太子直属の近衛騎士も務める二歳年上のリチャードと、由緒正しき家柄の長女ではあってもさしたる取り柄もないメルディアナ。
二人が全く釣り合ってはいないことなど、メルディアナもとうに自覚していた。
頑張って話題を合わせようとしても空回りしてばかりで、もっと知性と素養に溢れた大人の女性が婚約者なら良かったとリチャードが内心思っていることだって悟っている。
それでも、できる限り頑張っているつもりだった。
でも、つもりではだめだったのだ。
(見つからないうちに……ここを離れないと)
ショックを隠し切れずにふらつく足でサロンへと戻る。
本来付き従うはずの侍女はいなかった。
二人だけでいたいから。
エスコートは責任を持って最後までするから。
リチャードがメルディアナの父に直談判し、父はリチャードを信頼して受け入れていた。根本的に身元の確かな貴族が開く夜会にしか行かない為、リチャードがいるなら安全だという考えもあったのだろう。
今にして思えば笑ってしまう。
二人になりたいとはメルディアナとではなく、別の女性とだったのだ。そしておとなしいメルディアナなら父に告げ口をしないと見くびられていた。
(それは、その通りだわ)
約束を反故にして一人きりにされても何も言わなかった。婚約者を伴って夜会に参列しながらも、同性同士の交友を大切にしたいという彼の言い分を何一つ疑ってはいなかった。
そうして一人になる令嬢は友人の中にもいたから、彼女たちと過ごすことも多かったのだ。
だから余計に、殿方も同様に交流を深めている。そう思い込んでいた。
何て愚かで、都合の良い存在なのか。
今日もこの後は何食わぬ顔をしたリチャードに家まで送り届けられ、さも二人でずっと過ごしていたかのように別れの挨拶をするのだ。
メルディアナを密かに裏切っていたのに。
そして裏切られている現場を見てしまったメルディアナもまた、何も言えずにいるのだ。
こんなの、体よく扱われて当然だった。
「静かに」
突然、背後から伸びた大きな手がメルディアナの口を塞いだ。
手の持ち主に抱き込まれるよう身体が後ろに引っ張られる。通り過ぎたばかりの部屋のドアが開いていたのか、悲鳴をあげる間もなく暗い室内に連れ込まれた。目の前でドアが閉ざされ、鋭い息が唇をつく。
かちゃり、と金属音がした。
鍵をかけられたのだ。
どう考えても良い状況下に置かれたとは思えず、かと言って自力で何ができるかなんて分からずにメルディアナは身を強張らせることしかできなかった。
薄闇に慣れはじめた目が涙で潤む。
口を塞ぐ手が離れ、輪郭をなぞるように頬を滑る。
いきなり閉じ込めたりしておきながら安心させようとしているのだろうか。
触れる指は何故かとても優しい。そっと涙を拭うと瞼を撫でた。
目を閉じるよう促しているのかもしれない。策もないのに中途半端に抵抗したら、どんなひどい仕打ちをされるのか。恐怖心を抑えて求められるまま従えば、すべらかな布が目を覆うのが分かった。結い上げられた髪を崩さないよう、気を配りながら後頭部で布の端を結び、完全に目隠しをされてしまう。
「痛くしたりしないから、じっとしていて」
耳触りの良い低く甘やかな声が囁く。
(この声――どこかで、聞いた覚えが)
記憶を手繰ろうとするメルディアナの邪魔をするよう、大きく開いた胸元を細い指がなぞった。目隠しの下、メルディアナはきつく目を閉じる。
こうした肌の露出が高いデザインのドレスは本当は好きじゃない。
でもリチャードが贈ってくれたのだ。
ずっと傍にいてくれるわけでもない婚約者が贈ってくれたドレスを着たら、傍にいてくれるのではないのか。
一度も叶ったことのない希望に縋り、今夜も好みではないドレスに袖を通した。
だけど気がついてしまった。
自分の好みではないドレスを着るメルディアナ。
自分の好みではない相手を婚約者にするリチャード。
きっと、同じことなのだ。
そうするしかないから、そうすることで良い方向に物事が働くかもしれないから、自分の意思を押し殺して振る舞う。
本当は、もっと違うことをしたいのに。違うものを求めているのに。
「可愛いハニー。こんな時でも上の空だなんて、つれない君は何を考えているの?」
背後で男が動く気配がする。
今度は何をされてしまうのか。
心細さと不安で身構えると少しひんやりとした指は鎖骨を這い、首筋を上がって行く。目を覆われている為に感覚が過敏になっているのか、指の動きが余すことなく伝わって来る。耳をくすぐられ、よく分からない感覚に背筋が震えた。
「っ、ん」
「君の心にあるのが婚約者のことなら、花の妖精のように可憐な君を悲しませるだなんて、婚約者という最高の栄誉に授かりながら本当にひどい男だね」
知って、いる?
メルディアナは何をどこまで知っているのか聞こうと口を開きかけ、けれど声を発することはできなかった。代わりに切なげな吐息が一つ、唇からこぼれる。
「今は僕に与えられる快楽にだけ集中して。可愛いハニー」
穏やかな森に吹く風にも似た涼やかな香りが強まり、さらりとした心地良い感触の髪が首筋を撫でた。驚いて身動ぎする間もなく男の顔が首筋に埋められ、そのまま吸いつく。不思議と陶然とした想いが湧き上がり、わずかな痛みが首筋に走った。
濡れた何かが痛みを覚えた場所をなぞる。
小さいけれど固くて熱い。
「あ……っ、ん」
男の舌だ。
それから男は顔の角度をずらしながら首筋やうなじに軽く吸いついては舌で舐めてを繰り返す。
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