アルベロンの侵略 -NPCの奴隷勇者が真の勇者になるまでの話-

臂りき

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1話 日常

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 ガシャン!

 清々しい朝の陽光の差し込む廊下に陶器が割れる不快な音が盛大に響く。
 廊下には音の元凶となった少年が倒れ、それを見下ろすように一人の青年が立っている。

「お前、何をしているんだ?」
「申し訳ありません、パトリック様」

 青年が突き出した片足の裾を丁重に整えた少年は瞬く間にその場にひれ伏し謝罪の意を示した。

「おい無能。お前はいま自分が何をしでかしたのか分かっているのか?」

 パトリックと呼ばれた青年はひれ伏す少年の謝辞など意にも介さず、額を床にするその頭上に靴底を乗せる。

 塵一つないよく磨かれた床、深い青をたたえた上等なカーペットには少年が運んでいたであろう銀のトレイと割れたティーカップが転がっている。
 香り高い茶葉は散乱し、熱い湯は少年の額とその周辺を満遍なく濡らした。

「申し訳、ありません」
「どうしてくれるんだこれ。お前じゃ死んでも償い切れないって理解しているのか?」

 靴底に掛けられた圧が強まり少年の顔は完全に床へと接地した。

「も、申し訳、ありません」
「――ッこいつ!」

 何度言葉でいびろうと同じ返答を繰り返す機械人形オートマタのような少年を前に、パトリックはついに痺れを切らせた。

 瞬時に沸騰した青年の怒りの情動は繰り返し小さな少年の体に蹴りを見舞った。

 もはや長いこと見ることのなくなった少年の泣き顔が彼の生きがいだったのだ。
 それがいつの日か、どんな趣向を凝らした嫌がらせにもまったく顔色を変えなくなった。
 冷静に考えれば、少年は度重なる仕打ちに無気力になったと解釈できる。
 しかしパトリックの考えはまるで違った。

 ――あれは俺を小馬鹿にしている。

 古くから代々続く勇者の家系に生まれながら、スキルや特性として勇者が持って生まれるべき〈オーブ〉を持たなかったという事実。

 両親兄妹ともにそんなことは些事に過ぎないと慰めてくれるがそうはいかない。
 物心がつく頃には〈オーブ〉を持たないことに対して、言葉では言い表せない劣等感のようなものが芽生えていた。
 それでも周囲が「気にしないように」と配慮してくれていることが分かっていたし、忘れる努力をしてきたつもりだった。

 だが、この「弟」が生まれたことですべてが一変した。

 弟アルはこの家にとっては云わば忌み子だ。
 人族ヒュームにおける勇者としての家系を誇りにしてきたダヌリス家に〈魔族のオーブ〉を持つ子供などいらない。

 何の因果があってか魔族しか持ち得なかった物を携えて生まれてきたアルは一家の恥だ。
 ダヌリス家の皆は口々にそう言い、無論パトリックも同じ意見だった。

 だが事実、〈魔族のオーブ〉は太古の勇者が持っていた。
 勇者パーティに寝返った魔族の勇者の持ち物だったのだ。

 パトリックはその事実に心の底では嫉妬していた。
 何も持たない自分と、蛮族の物ではあるが勇者としての証を確かに持つ弟。
 勇者の血を正当に引いているはずの自分にもたらされなかった物を、後から生まれた分際の者が無条件でそれを享受している。

 許せなかった。

 ただその衝動が五年という歳月の内にパトリックを醜いまでに歪ませ、未だ十二分に幼いはずの少年を嫉み、罵り、いたぶり、苛め続けてきた。

「はぁ、はぁ……」
「――申し訳、ありません」

 床に転がる襤褸ぼろ雑巾のようになった少年は顔面を涙と鼻血で濡らしながら尚も同じ言葉を唱え続けている。

 凄惨な光景を前に、青年は少なからず心苦しく思った時期もあった。
 しかし、彼を中心にしてアルを忌み嫌う家族の者たちが輪をかけるように苛め抜く姿を見る内に「自分は間違いではなかったのだ」と勇気づけられ、愚行を愚行とすら思えなくなるほど麻痺していった。

「あの女か」

 パトリックは口を衝いて出た言葉の端を一瞬飲み込むが、すぐに続けた。

「あの魔族の女の入れ知恵なんだろう? 何か言ったらどうなんだ」

 足蹴に任せて倒れ伏していた少年の体はパトリックの言葉を受け明らかに強張る。
 その一瞬の変化に気付いた彼は少年を脅す方向性を即座に悟った。

「薄汚れた納屋の蛮族。あいつにお前の罪を償わせるとしよう」
「――ごめんなさい! 全部僕が悪いんです! どうか僕を罰してください!」

 突如としてパトリックの足元に縋り付いた少年は先とは打って変わった表情で必死に懇願する。

 涙で濡らした頬や目元を歪ませた年相応の泣き顔。

「いいや駄目だ。腐ってもあいつはお前の師匠だ。弟子の尻を拭うのは当然のことだろう」

 悲痛にも何度も自分を罰するよう懇願する少年を一蹴するパトリックは内心ほくそ笑む。

 無自覚に己を愚弄する愚かな生き物に鉄槌をくれてやるのだ。
 どれだけ泣き喚きひれ伏し懇願しようとも絶対に許してやるものか。
 彼の脳内はもはや幼気な少年をいたぶり尽くす欲求のみに支配されていた。

「ちょっと、さっきから何? うるさくて集中できないんだけど」

 少年が泣きじゃくる廊下の先から新たな声が上がる。
 金や宝石をちりばめた見るからに豪奢な造りの扉を開いて現れたのは、黒い帽子とローブを身に付けた魔術師風の少女。
 パトリックより年はやや下に見えるが、彼を前にして尚も横柄な態度を崩さない様子からは生来の気丈さが窺える。

「あらやだぁ。ぼろぼろじゃないの」

 今気づいたと言わんばかりに少女はわざとらしく青年の足元に縋り付くアルを見て言った。
 緩慢な動きでアルに近付きしゃがみこんだ少女は放心する少年を引き寄せ取り出した布でゴシゴシとその顔を拭い始める。

「ネーレ様、あの、申し訳、ありません」
「またパティに苛められたんでしょう、可哀そうに。あとでお姉ちゃんがいっぱい慰めてあげるからねぇ」

 硬直し怯え切った様子の少年のことなどお構いなしにネーレは少年の顔と身なりを整える。

「勝手なことをするなネーレ。俺はまだそいつに用がある」
「嫌。だってあなた、すぐにこの子を汚そうとするんだもの。アルだって汚いのは嫌だもんね」
「……申し訳、ありません」
「人を悪者みたいに言いやがって。やってることはお前も大して変わらねぇよ」
「私はこの子の姉として当然のことをしているだけ。アルだって嫌がってないもんね?」

 年の離れた姉の不敵な笑みを受け反射的に笑顔を張り付けるアル。
 両腕を掴まれ立たされるままに立つ両足は震えで今にも崩れ落ちそうだ。

「ほう。じゃあこれを見てもお咎めなしってことだよな?」

 パトリックが指差す場所。
 そこには先程彼の足に掛けられたアルが盛大に放り出してしまったティーセットの残骸が転がっている。

 バシッ!

 刹那、廊下に鋭く乾いた音が鳴る。
 音に遅れて少年が元いた位置から数歩離れた場所に倒れた。

「このクソガキ! 死んで償いなさい!」
「申し訳、申し訳ありません!」

 凄まじいまでの豹変ぶりと剣幕で捲し立てたネーレは先のパトリックと同様にアルを幾度も踏み付けた。
 少し高くなった革靴の踵で執拗に局部を踏み付ける様は傍目で見ればそれ以上かもしれない。

「ああ……ごめんなさい、ごめん、なさい……」

 散々踏み付けた挙句にふと我に返ったネーレの耳に微かに苦しみ喘ぐ弟の声が届いた。

 至る所に深い傷を負ったアルは朦朧となった意識の中重い体を持ち上げ、これまでの短い人生で得た最も社交的な姿勢を選び姉に相対した。

 手足四つで地に這いつくばり額を床にする五歳児の姿。

「ア、アルぅうう!」

 異常とも言える光景、非常なまでに健気な小さな生き物の姿に酷く心打たれた少女は、自身のしてしまった過ちとそれによって生まれてしまった面倒事について心底悔やんだ。

「私ったらどうしていつもこう……。ごめんねアル、今すぐ綺麗にしてあげるからね」

 魔術師メイジとしての見栄と汚れ除けのためにまとった自身のローブで傷付いたアルを包み、その上で初めてネーレは少年を抱きしめた。

「おい毛玉! テメェの仕事だろうが!」

 極度の潔癖症と歪み切った愛を見せ付けられたパトリックは嘆息し、離れた階段付近で雑事の真似事をしているであろう獣人べネルの少女に向けて怒鳴った。

「はい、パトリック様。お呼びでしょうか」
「『お呼びでしょうか』じゃねぇ。さっさとその無能の身なりをどうにかしろ」

 待ち侘びたかのように飛んでやってきた少女にあからさまな舌打ちを聞かせたパトリックは、「毛玉」と呼んだ少女にも分かり切っている命令を敢えて下した。
 無能な弟の、無能な付き人が「自主的に」主人の身辺を整えるのではなく、使用人は身分も立場も上の者から下された上位の命令を優先して動くものだと分からせるためだ。

「かしこまりました」と命令主に見向きもせずにアルを引き継ぐ少女に強い怒りを覚えたパトリックだが、窓から見える景色を一瞥しすぐに拳を引っ込める。

「顔を洗って服を変えたら私の部屋に連れてきなさい。あ、服に毛がつかないように気を付けなさいよね毛玉ハルボル
「かしこまりました。さ、アル様、参りましょう」

 アルより少しだけ年長の少女は主人の使用人らしく甲斐甲斐しくその身に寄り添い、覚束ない足取りのアルを支えて歩き出す。

「ハル、ありがとう」
「いいえ。お姉ちゃんとして当然ですから」

 背後の兄妹に聞こえない程度に囁く二人の表情は自然と綻び微笑み合った。
 主人に対して「お姉ちゃん」と豪語した少女の灰色の尻尾は小刻みに揺れている。

「残念ながらお楽しみの時間はお預けみたいだぜ」
「は? 何言ってんの」

 床に散らばったティーカップの破片を手近の使用人に蹴って寄越したパトリックは踵を返して足早に自室の方へと戻って行った。

 窓の外を見遣るネーレの目にはちょうど門を超えて家前に付けた馬車が一台ある。

「チッ」

 颯爽とキャビンから降りて出た二人の男を確認したネーレは鋭く舌を打ちツカツカと足を鳴らして自室へと急いだ。


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