2 / 18
1話 日常
しおりを挟むガシャン!
清々しい朝の陽光の差し込む廊下に陶器が割れる不快な音が盛大に響く。
廊下には音の元凶となった少年が倒れ、それを見下ろすように一人の青年が立っている。
「お前、何をしているんだ?」
「申し訳ありません、パトリック様」
青年が突き出した片足の裾を丁重に整えた少年は瞬く間にその場にひれ伏し謝罪の意を示した。
「おい無能。お前はいま自分が何をしでかしたのか分かっているのか?」
パトリックと呼ばれた青年はひれ伏す少年の謝辞など意にも介さず、額を床にするその頭上に靴底を乗せる。
塵一つないよく磨かれた床、深い青をたたえた上等なカーペットには少年が運んでいたであろう銀のトレイと割れたティーカップが転がっている。
香り高い茶葉は散乱し、熱い湯は少年の額とその周辺を満遍なく濡らした。
「申し訳、ありません」
「どうしてくれるんだこれ。お前じゃ死んでも償い切れないって理解しているのか?」
靴底に掛けられた圧が強まり少年の顔は完全に床へと接地した。
「も、申し訳、ありません」
「――ッこいつ!」
何度言葉でいびろうと同じ返答を繰り返す機械人形のような少年を前に、パトリックはついに痺れを切らせた。
瞬時に沸騰した青年の怒りの情動は繰り返し小さな少年の体に蹴りを見舞った。
もはや長いこと見ることのなくなった少年の泣き顔が彼の生きがいだったのだ。
それがいつの日か、どんな趣向を凝らした嫌がらせにもまったく顔色を変えなくなった。
冷静に考えれば、少年は度重なる仕打ちに無気力になったと解釈できる。
しかしパトリックの考えはまるで違った。
――あれは俺を小馬鹿にしている。
古くから代々続く勇者の家系に生まれながら、スキルや特性として勇者が持って生まれるべき〈オーブ〉を持たなかったという事実。
両親兄妹ともにそんなことは些事に過ぎないと慰めてくれるがそうはいかない。
物心がつく頃には〈オーブ〉を持たないことに対して、言葉では言い表せない劣等感のようなものが芽生えていた。
それでも周囲が「気にしないように」と配慮してくれていることが分かっていたし、忘れる努力をしてきたつもりだった。
だが、この「弟」が生まれたことですべてが一変した。
弟アルはこの家にとっては云わば忌み子だ。
人族における勇者としての家系を誇りにしてきたダヌリス家に〈魔族のオーブ〉を持つ子供などいらない。
何の因果があってか魔族しか持ち得なかった物を携えて生まれてきたアルは一家の恥だ。
ダヌリス家の皆は口々にそう言い、無論パトリックも同じ意見だった。
だが事実、〈魔族のオーブ〉は太古の勇者が持っていた。
勇者パーティに寝返った魔族の勇者の持ち物だったのだ。
パトリックはその事実に心の底では嫉妬していた。
何も持たない自分と、蛮族の物ではあるが勇者としての証を確かに持つ弟。
勇者の血を正当に引いているはずの自分にもたらされなかった物を、後から生まれた分際の者が無条件でそれを享受している。
許せなかった。
ただその衝動が五年という歳月の内にパトリックを醜いまでに歪ませ、未だ十二分に幼いはずの少年を嫉み、罵り、いたぶり、苛め続けてきた。
「はぁ、はぁ……」
「――申し訳、ありません」
床に転がる襤褸雑巾のようになった少年は顔面を涙と鼻血で濡らしながら尚も同じ言葉を唱え続けている。
凄惨な光景を前に、青年は少なからず心苦しく思った時期もあった。
しかし、彼を中心にしてアルを忌み嫌う家族の者たちが輪をかけるように苛め抜く姿を見る内に「自分は間違いではなかったのだ」と勇気づけられ、愚行を愚行とすら思えなくなるほど麻痺していった。
「あの女か」
パトリックは口を衝いて出た言葉の端を一瞬飲み込むが、すぐに続けた。
「あの魔族の女の入れ知恵なんだろう? 何か言ったらどうなんだ」
足蹴に任せて倒れ伏していた少年の体はパトリックの言葉を受け明らかに強張る。
その一瞬の変化に気付いた彼は少年を脅す方向性を即座に悟った。
「薄汚れた納屋の蛮族。あいつにお前の罪を償わせるとしよう」
「――ごめんなさい! 全部僕が悪いんです! どうか僕を罰してください!」
突如としてパトリックの足元に縋り付いた少年は先とは打って変わった表情で必死に懇願する。
涙で濡らした頬や目元を歪ませた年相応の泣き顔。
「いいや駄目だ。腐ってもあいつはお前の師匠だ。弟子の尻を拭うのは当然のことだろう」
悲痛にも何度も自分を罰するよう懇願する少年を一蹴するパトリックは内心ほくそ笑む。
無自覚に己を愚弄する愚かな生き物に鉄槌をくれてやるのだ。
どれだけ泣き喚きひれ伏し懇願しようとも絶対に許してやるものか。
彼の脳内はもはや幼気な少年をいたぶり尽くす欲求のみに支配されていた。
「ちょっと、さっきから何? うるさくて集中できないんだけど」
少年が泣きじゃくる廊下の先から新たな声が上がる。
金や宝石をちりばめた見るからに豪奢な造りの扉を開いて現れたのは、黒い帽子とローブを身に付けた魔術師風の少女。
パトリックより年はやや下に見えるが、彼を前にして尚も横柄な態度を崩さない様子からは生来の気丈さが窺える。
「あらやだぁ。ぼろぼろじゃないの」
今気づいたと言わんばかりに少女はわざとらしく青年の足元に縋り付くアルを見て言った。
緩慢な動きでアルに近付きしゃがみこんだ少女は放心する少年を引き寄せ取り出した布でゴシゴシとその顔を拭い始める。
「ネーレ様、あの、申し訳、ありません」
「またパティに苛められたんでしょう、可哀そうに。あとでお姉ちゃんがいっぱい慰めてあげるからねぇ」
硬直し怯え切った様子の少年のことなどお構いなしにネーレは少年の顔と身なりを整える。
「勝手なことをするなネーレ。俺はまだそいつに用がある」
「嫌。だってあなた、すぐにこの子を汚そうとするんだもの。アルだって汚いのは嫌だもんね」
「……申し訳、ありません」
「人を悪者みたいに言いやがって。やってることはお前も大して変わらねぇよ」
「私はこの子の姉として当然のことをしているだけ。アルだって嫌がってないもんね?」
年の離れた姉の不敵な笑みを受け反射的に笑顔を張り付けるアル。
両腕を掴まれ立たされるままに立つ両足は震えで今にも崩れ落ちそうだ。
「ほう。じゃあこれを見てもお咎めなしってことだよな?」
パトリックが指差す場所。
そこには先程彼の足に掛けられたアルが盛大に放り出してしまったティーセットの残骸が転がっている。
バシッ!
刹那、廊下に鋭く乾いた音が鳴る。
音に遅れて少年が元いた位置から数歩離れた場所に倒れた。
「このクソガキ! 死んで償いなさい!」
「申し訳、申し訳ありません!」
凄まじいまでの豹変ぶりと剣幕で捲し立てたネーレは先のパトリックと同様にアルを幾度も踏み付けた。
少し高くなった革靴の踵で執拗に局部を踏み付ける様は傍目で見ればそれ以上かもしれない。
「ああ……ごめんなさい、ごめん、なさい……」
散々踏み付けた挙句にふと我に返ったネーレの耳に微かに苦しみ喘ぐ弟の声が届いた。
至る所に深い傷を負ったアルは朦朧となった意識の中重い体を持ち上げ、これまでの短い人生で得た最も社交的な姿勢を選び姉に相対した。
手足四つで地に這いつくばり額を床にする五歳児の姿。
「ア、アルぅうう!」
異常とも言える光景、非常なまでに健気な小さな生き物の姿に酷く心打たれた少女は、自身のしてしまった過ちとそれによって生まれてしまった面倒事について心底悔やんだ。
「私ったらどうしていつもこう……。ごめんねアル、今すぐ綺麗にしてあげるからね」
魔術師としての見栄と汚れ除けのためにまとった自身のローブで傷付いたアルを包み、その上で初めてネーレは少年を抱きしめた。
「おい毛玉! テメェの仕事だろうが!」
極度の潔癖症と歪み切った愛を見せ付けられたパトリックは嘆息し、離れた階段付近で雑事の真似事をしているであろう獣人の少女に向けて怒鳴った。
「はい、パトリック様。お呼びでしょうか」
「『お呼びでしょうか』じゃねぇ。さっさとその無能の身なりをどうにかしろ」
待ち侘びたかのように飛んでやってきた少女にあからさまな舌打ちを聞かせたパトリックは、「毛玉」と呼んだ少女にも分かり切っている命令を敢えて下した。
無能な弟の、無能な付き人が「自主的に」主人の身辺を整えるのではなく、使用人は身分も立場も上の者から下された上位の命令を優先して動くものだと分からせるためだ。
「かしこまりました」と命令主に見向きもせずにアルを引き継ぐ少女に強い怒りを覚えたパトリックだが、窓から見える景色を一瞥しすぐに拳を引っ込める。
「顔を洗って服を変えたら私の部屋に連れてきなさい。あ、服に毛がつかないように気を付けなさいよね毛玉」
「かしこまりました。さ、アル様、参りましょう」
アルより少しだけ年長の少女は主人の使用人らしく甲斐甲斐しくその身に寄り添い、覚束ない足取りのアルを支えて歩き出す。
「ハル、ありがとう」
「いいえ。お姉ちゃんとして当然ですから」
背後の兄妹に聞こえない程度に囁く二人の表情は自然と綻び微笑み合った。
主人に対して「お姉ちゃん」と豪語した少女の灰色の尻尾は小刻みに揺れている。
「残念ながらお楽しみの時間はお預けみたいだぜ」
「は? 何言ってんの」
床に散らばったティーカップの破片を手近の使用人に蹴って寄越したパトリックは踵を返して足早に自室の方へと戻って行った。
窓の外を見遣るネーレの目にはちょうど門を超えて家前に付けた馬車が一台ある。
「チッ」
颯爽とキャビンから降りて出た二人の男を確認したネーレは鋭く舌を打ちツカツカと足を鳴らして自室へと急いだ。
0
あなたにおすすめの小説
チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
MP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業
ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる