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11話 アルカナセイド
しおりを挟む「待ちやがれっ! クソが!」
ヨルベンの指示を受けてから一刻もの間森の奥へと進んでいたパトリックが怒声を上げた。
行けど探せどアルが通った痕跡すら見つけられないことに苛立った彼は、松明の頼りない灯りに加え雨まで降り出したこともあり捜索を諦めかけていた。
しかし今、不意に離れた暗闇の草木が擦れる音が鳴った。
小動物のものと高を括って走り寄れば、なんと光の先にぼんやりと駆けて行く人型が見えたのだ。
地を蹴る音は明らかに二足の人が立てるもので、一瞬だけ見えた小さな背丈からしてもアルに違いなかった。
「逃げるんじゃねぇ! アル! 俺の言うことが聞けねぇのか!?」
アルは背後からの怒号に強張る全身を振り乱し、すでに限界を迎えつつある体を更に闇の奥へと彷徨わせた。
ある瞬間から約束されたかのように付与されていた魔法が不意に消えた。
突然上がった怒声と確実に自らを追う足音がアルにその終わりを自覚させた。
〈隠蔽魔法〉が解かれた理由はアルには分からない。
単に効果範囲を離れたからか、あるいは師匠が意図して解いた可能性もある。
ただ、アルはかつて彼女の魔法に効果範囲なるものがあることなど聞いたことがなかった。
「止まれって、言ってるだろうが!」
着実に接近していたパトリックの声がアルの耳にはっきりと届く。
同時にアルの両足に激痛が走り、長く続くかと思われた逃避行が突然終わりを迎えた。
「くっあぁ……」
「はぁ、はぁ……! クソガキがぁ! 手間取らせやがって!」
遅れて追いついたパトリックはすかさずアルの脹脛に刺さったナイフを乱暴に引き抜き、ついでとばかりに力任せにアルの顔面を蹴り飛ばす。
「お前みたいなゴミはな、力のあるやつに従わねぇと生き残れねぇんだよ! 二度と逃げるなんて気を起こさねぇように躾てやらんとなぁ!」
両足を絶えず襲う激痛に悶絶するアルは立つことはおろか意識を保つことすら危うかった。
やがて始まる「躾」に跳ね回る小さな体。
先にナイフを受けた傷からは止め処なく血が流れ出し、激痛も相まって更に意識を朦朧とさせた。
――ル――て! アル!
ぼやける視界の端にナイフを取り出す男の姿が映り、漠然と死を覚悟したアルの脳裏に何者かの念話が流れ込んでくる。
暗黒に閉ざされていた世界に一筋の光が差し込む。
次第に遠退く意識の中で絶えずアルに囁く声は、彼が期待した通りのものではなかった。
しかし死の淵で絶望しかけたアルはどことなく温かなその声に安堵し、眩いばかりの光へと消え行く最中に穏やかな表情を浮かべた。
***
ふと目を覚ますと、僅かに開いた眼に強烈な白光が飛び込んできた。
眩んだ目が空間一体を覆い尽くす光に慣れてくると、アルは自身の体に確かな感覚があることを自覚し始め、この空間が夢の存在でないことを理解した。
『初めまして、アル』
見渡す限りの白い世界。
声の主はいくら視界を巡らせても現れる気配すらない。
「どちら様ですか?」
『私はソティス。訳あってあなたの前に出られないことをどうか許してください』
優し気な声色は瞬時に「ここは自分が居て良い場所だ」とアルに認識させた。
どことなく師匠の名と似た響きと、姿が見えないまでも彼女に似た雰囲気がアルにそう感じさせたのかもしれない。
『急にこんな場所に連れられて困っているでしょう。でも安心して。ここにいる限り、あなたは安全です』
「……あの、みんなは無事なんでしょうか?」
頭の整理が追いつかないまでも、アルは今の段階で最も気にかかることを口にした。
声の主がすでに別の世界の存在であることを無意識に感じ、自分の事情など知るはずもないという可能性すら最早忘れていた。
『あなたには酷なことを告げねばなりません』
ソティスと名乗った声の主はそう前置きし、アルが森を進んでから倒れ伏すまでの間に起こったすべての事象を事細かく伝えた。
「……サティ……」
『――私はサチ、いえ、あなたの師匠であるサティスのことをよく知ってる。「魔王」のことを彼女から聞いていないかしら?』
「魔王、さま……?」
『ええ。私は五百年もの間、彼女と共に旅をしてきた。まさか偶然出会ったあの子とそんなにも長い付き合いになるなんて私にも想像できなかったわ』
呆然と空を眺めるアルに向けて、彼女はサティスとダンジョンで初めて出会った時の話から〈魔王〉としての最後を迎えるまでの出来事を掻い摘んで話して聞かせた。
時折自嘲混じりの笑いを交えながら話す彼女の話し振りは実に活き活きとし、この世界における超越者でありながら、どこか生身の少女のような快活さすら感じさせた。
『あれからもう五十年が経って、私はもうお婆ちゃんになりました。きっとサチは最後まで変わらず綺麗なままだったんでしょうね……』
「五十って、どういうことですか?」
『混乱させてごめんなさい。あなたも気付いている通り、私はそちらの世界の人間ではないの。……最後までサチには言えなかったけれど、実はアガリビトでもなかった』
ソティスは『アルカナ』の住人ではなかった。
彼女の異世界転移は現実世界における五十数年前、アルカナの世界においては一万数千年前まで遡る。
〈デバッカー〉なる職業と使命を持って世界の創生と共にアルカナに転移したソティスは、それから千二百年もの間、数々の冒険と度重なる〈クエスト〉の果てに偉業を為してきた。
サチとの付き合いは魔王として最後を迎えるまでの約八百年、ログアウトの間を入れると実質五百年もの長きに渡った。
初めて出会った頃のサチは実に頼りない女の子だった。
見るからに「ゲーム初心者」の看板を背負って歩いているようなプレイに見ていられなくなったソティスが半ば強引にパーティを組む形で旅は始まった。
フルダイブ型RPGの基本知識と立ち回り方について教える「師匠」としての日々は悪くはなかった。
まるで初めて言葉を覚える幼児のようにごく自然と世界の理について体得し成長する彼女を見ていると、何だか本当の「生」を実感しているようで充足感を得られた。
もしかしたらこれが母親としての感覚なのかもしれない、などと本気で思えたほどだった。
やがて彼女がアガリビトであるという事実を本人から聞かされた時、自分が守らなければならないという謎の使命感に駆られたことを覚えている。
『その頃にはすでに運営側が正式にアルカナから手を引くことが分かっていたの。えっと、つまりこの世界を作った神様たちが世界を見放したってこと。だから<テスター>も兼ねていた私たちが最も危惧していた「人狩り」が各地で起こることも容易に想像できた』
アガリビトは世界の住人そのものであり、当然ログアウトなどという概念を持たない。
故にアルカナでの死とは即ち「本当の」死である。
他プレイヤーと同様に〈転生〉し、自動的に他のアバターに意識が宿ることが確認されているものの、生前の記憶がないのだ。
せめてサチが一人前になって、プレイヤーキラーを難なく返り討ちにできるほど強くなったのを見届けたい。
共に旅をしている内にその思いが次第に強くなり、活き活きとするサチと「生きている」内に、自分も本当にこのアルカナの住人であるという感覚が芽生えていた。
そうありたいと強く願うようになった。
だから私は彼女に残酷な嘘をついた。
私もアガリビト。
私たちが種族の架け橋になって、世界に生きる人々がより生きやすい世界にしよう。
転生しても、私たちのようなアガリビトがいつまでも笑って過ごせるように。
『もちろん現実の生活もあるから、度々ここを離れていたわ。サチには何か月も旅に出るとか嘘ついてね。本当に可哀想なことをしたわ……。これは言い訳だけど、現実での五年間、ほとんど私はこのゲームに入り浸ったの。世界に、彼女に「私はこの世界の人なんだ」って言ってるみたいにね』
「……どうして、いなくなっちゃんですか?」
『離れたくはなかった。でも、アガリビトの問題は社会ですごく問題にされていてね。一般のプレイヤーは元より、運営側も手出しができなくなってしまったの。五十年経った今でも、そのことが話題に上ることがあるわ。今、私がこうしてあなたに干渉できているのは、私がその「事件」の証人としてアクセスできているからなの。正確にはその立場を利用して〈ハッキング〉っていうズルをしているんだけど』
ソティスがこの世界に留まれる時間は残り少ない。
「ズル」をしないように彼女を監視する目が常に付けられているからだ。
「僕は、サティを助けたい」
『私もよ。アル、よく聞いて。私がサチに残した予言、あれはAIと私の概算からあなたという〈バグ〉が生まれることを言ったものなの。ごめんなさいね、バグだなんて』
「サティが助かるなら何でもします」
『ありがとう……。私もできる限りのことをする』
およそ一万年間という途方もない時間を〈転生〉せずに保ち続けたアバターが持つオーブは、やがてプレイヤーの意思とは関係なしに体から剥離し、転生と同様に別のアバターに引き継がれる。
本来ただのNPCとなるはずだった少年にプレイヤーが生まれ持つオーブが宿る。
システムの一部として稼働すべきNPCとPCとの狭間にある未知の存在。
〈魔王〉はこの世界にいられなくことを知り、これらの予言をサチに分かりやすく伝えた。
次の挑戦者である勇者たちに討たれることもその時に計画した。
急に世界からいなくなっては、アガリビトとしての立場がなくなってしまうからだ。
悲嘆に暮れるサチには「人族との和平のため」などと大きな嘘をついて。
『アル。あなたにサチのアカウント、つまり彼女の魂を託します。新たにプレイヤーとなったあなたには、システムが掲げる〈クエスト〉を認識できるはず』
〈十四のオーブを集め、世界の中心レアマナフで祈る〉
アガリビトから転生した者はサティスを除き十二人。
アガリビト以外のプレイヤーがいなくなった世界には、彼らの数のオーブのみ存在する。
それらを集め、魔海域に位置する絶海の孤島レアマナフに到達し祈る。
運営の手から離れたアルカナのシステムが〈創生〉して五十年経った今になって発信する謎のクエスト。
『それが何を意味するかは私にも理解できない。でもあなたが生まれた理由と無関係だとも思えない。酷いことを言っているのは分かる。けど、サチを救うにはもうあなたを頼るしか方法はないの』
途轍もなく膨大な情報量の〈アルカナ〉を作り変える技術をソティスたち人類は持たない。
彼女にできることは精々プレイヤー情報を管理することだけだと言う。
『当面はサチのスキルツリーを辿ってレベル上げをすることが先決だと思う。種族は夢魔になるけど、見た目は人族と同じにしておく――あれ……?』
「どうかしましたか?」
『あ、ううん。でも、そっか……。あなたは『サティスの子』なのね。血のつながりはないけれど』
ソティスはアルの疑問に端的に応え、「夢魔の繁殖」については言及しなかった。
転生後もある程度引き継がれる経験値は、ほとんど夢魔のスキルで生命力に変換されたためサチのアカウントには残っていない。
ストレージに残ったアイテムもアバターの消失と共に消滅した。
『きっとあの子のことだから、あなたのために何かしら用意していると思う。私が持っていた〈光〉のオーブがまだあるのも気になるところね』
「……サティは、西の方に行きなさいと言っていました」
『今の大陸がどうなっているかは分からないけれど、サチがそう言うなら間違いないわ。その先にあなたの師匠の言う「何か」があるはずよ』
一頻り話したソティスによってアカウントの引き継ぎなる作業が終わったことが告げられる。
目覚めた当初は眩かった空間も、いつの間にか光は弱まり時折明滅を始めた。
『これで私ができることは終わり。サチのこと、どうかお願いします』
「はい。必ず救ってみせます」
アルの一言に呼応するかのように光の空間は歪み、再び声が戻ることはなかった。
アガリビトとして世界に埋もれた彼らを救うことができるのは同じ世界にいる者だけ。
仮に転生した彼らに記憶が戻らなくとも、きっと魂そのものを解放することはできる。
システムが生み出した〈クエスト〉と彼らの存在は決して無関係ではないはず。
そうあってほしいと、闇へと消えて行くアルを前にマコトは切に思った。
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