愛より金を選んだ男爵令嬢は人違いで溺愛される

斯波@ジゼルの錬金飴③発売中

文字の大きさ
16 / 52

15.

しおりを挟む
「はぁ……何やってんだろう?」
 朝目が覚めると、私の右手は椅子に座ったままのラウス様の手と繋がっていた。
 つい昨日、ラウス様のためにできることをしようと思ったばかりなのに逆に負担をかけてしまっているではないか。今からでもラウス様が起きるまでは少し時間がある。その間だけでも身体を休めてもらいたい。本来ならばベッドで寝てほしいが、生憎ラウス様の身体は私よりも頭一つ分ほど大きく、野菜をいっぱいに詰めた出荷カゴ二つ持つのが限界の私ではベッドに移せそうもない。万が一移せたとしても起こしてしまうことだろう。そんなことになれば本末転倒もいいところだ。ならば私にできること、それはラウス様の眼が覚めるまでの間、物音一つ立てないことくらいだろう。
 全く我ながら不甲斐ない。
 こんなことなら普段からおじさまたちに荷物を持ってもらわないで、多少無理してでも重たい荷物を運ぶ習慣をつけておくべきだった。いやだって、おじさまたちもお兄様達も『女の子なんだから無理はするな』って言ってくれていたし、こんな機会あるなんて思わなかったのだ。そもそもお金のために嫁ぐことなど誰も予想していなかったのだから、仕方ないといえば仕方ないことではある。なんにせよ過去を悔やんだところでもう遅いというわけだ。
 幸いというべきか、私はこの屋敷内で役に立てそうなことは特になく、そしてサンドレア家の結婚式には欠かせないブーケを作るという楽しみももう無くなってしまった今、時間だけは有り余っている。
 ならばその時間を筋力トレーニングの時間に充てようではないか!
 最低でもどこか身体が悪いらしいラウス様が倒れた時にも運べるくらいにはなりたいものだ。
 一時期お兄様達の真似をして筋肉トレーニングに励んでいたこともあり、少しくらいなら何をすればいいかも知っている。あの時はすぐに挫折してしまったが、目標のある今ならやり遂げられる気がする。よし! っと空いた手で拳を作りながら、ラウス様を起こさぬよう心の中で精一杯の気合を入れた。

 結局ラウス様の眼が覚めるまでの一刻ほどの間、私はずっとラウス様を見つめていた。
 それは仲睦まじい男女が愛する異性の寝顔を眺めて……なんてそんなロマンチックなことは一切ない。頭に浮かぶのはいかにして効率的に筋肉をつけるか、そしてラウス様の身体を運ぶ方法についてだ。どこに腕を入れれば力を入れずに、スムーズに運べるのか、そればかり考えていた。
「おはようございます、ラウス様」
「おはよう、モリア」
 どこかぼんやりとした表情で、目はうつろだ。ラウス様は朝は弱いらしい。頭の中のラウス様メモに書き入れておく。

「昨晩はベッドを独占してしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、俺がしたかっただけだから……」
 ふわぁとあくびを吐くと「それにしても朝からモリアの顔が見れるなんて幸せだなぁ」と気の抜けた表情でへにゃあっと笑った。

「今日は良い日になりそうだ」
 ラウス様は窓の外を眺めながら「今からでも今日の予定を変更して遠駆けにでも出かけたい」と呟いた。けれど王都の方角に薄暗くて厚い雲がかかっている。太陽を隠してしまうほど分厚ければ雨が降り出すのも時間の問題だろう。遠駆けに出かける前、早ければラウス様が屋敷を出発するよりも早く雨は地面を目指して落ちてくることだろう。だがラウス様のつぶやきは予定ではなく、気分の問題なのだろう。余計な水は差さず「馬に乗って走るのは気持ちがいいですよね」と当たり障りのない言葉を返しておく。
 それにしても、昨日、ラウス様は行きも帰りも馬車を利用したようだったが傘は使うのだろうか?
 だったら傘をしまう場所の確認もしておきたいものだ。ハーヴェイさんにその場所を教えてもらうことを朝食後の予定に加えておく。私が傘に意識を取られている一方で、ラウス様は「モリアと遠駆け……」と何やら考え込んでいる様子。どうやら話を続けたのは失敗だったらしい。ここで仕事に行きたくないと言われても困る。

「では私は着替えを貸してもらってきますので」
 こんな時は次の話題を振られる前にこの場を立ち去るに限る。実は隣だった自室へと逃げこむようにして、扉を背にしゃがみこむ。どうして私はこうもダメなんだろう。お姉様達ならもっと自然に話を移すことが出来たのだろうに。誰かの代わりを務めるならばそれなりにはならなきゃいけないのに、どうも私はラウス様の思う相手の様にはなれそうもない。きっとその相手ならさっきの話題だってうまく会話を捌けただろう。会ったことないけどきっとそうに違いない。というよりも私と比べれば大抵の人はうまくやれるのだろう。

『仕方ないわね……』
『全くモリアは俺たちがいないと何も出来ないんだから』
『これじゃおちおちお嫁にも出せないな』
 そう長年言われ続け、家族はおろかご近所さんたちにもしょっちゅう世話を焼かれていた。
 手先は器用な方だし、体力はある。それに料理もまぁそこそこはできる方だと思いたい。だが致命的にドジでさらに言えば空気が読めない。
 手先が器用になった理由は山で服を引っ掛けてしまうことが多く、それを直していたから。
 体力があるのは何も私に限ったことではない。サンドレア領の人なら大抵他の領土の人達より体力はあるし、お年寄りだろうが強い足腰を持っている。山に囲まれた地形であるがゆえに自然と鍛えられるのだ。
 料理は……まぁ出来なくはないが塩と砂糖は3回に一回くらいは間違えるので見張りが必要だったりする。

「はぁ……」
 カリバーン家に来て今日で4日目を迎えるわけだが、どういうわけかこの家に来てからというもの自分の欠点と向き合う機会ばかりだ。
 婚期まっ盛りといえば聞こえのいいものの、これを逃せば生涯の結婚を8割方逃したものだと言われる年齢に差し掛かってもなぜか嫁いでいない娘から、色々と問題があって嫁ぎ先のなかった娘へと変わっていく。そうなると人違いではあるもののカリバーン家に嫁がせてもらえているのが奇跡に思えてならない。
 始まりは確かに借金のカタにだったけど、結果的に見ればカリバーン家に嫁入りが決まらない娘を引き取ってもらった形になっているではないか……。ご家族が揃いも揃って歓迎するほどにラウス様が何かしらの大きな問題を抱えていたとしても、私も中々にポンコツだ。それなのに下級貴族が一代では払いきれないほどの大金を叩いて、引き取った役に立たない娘に高待遇をして。さらにここに気持ちがあればまだしも、人違いときた。
 カリバーン家側は損しかしてないといっても過言ではない。勘違いをしたのはラウス様の方で、顔を見てもなお勘違いをし続けているのだから私に非はないのだろうが、家を助けてもらった恩がある。長年の夢を諦めなければいけなかったが、嫁にもらってもらった恩も少しだけあったりするわけで……。
「はぁ……」
 再び大きくて長いため息をつくと背中のドアが小さく振動した。
「モリア様、お着替えをお持ちいたしました」
「あ、はい!」
 身体をぐるりと反対に向け、ドアを開けると昨日と同じ様に何着ものドレスを腕にかけた使用人が部屋へと入ってきた。声をかけるのを忘れてしまっていたのだが、そんなことは有能なカリバーン家の使用人にはあまり関係のないことなのかもしれない。
「今日はどのドレスにいたしましょうか?」
「えっと、じゃあこれで」
「かしこまりました」
 何着ものドレスをまじまじと見て、その中から一着を選び出すというのは面倒で一番右側のドレスを指差した。今日のドレスは黄色味がかった白のドレスだ。もちろん地味な私には似合わない。お姉様なら似合うだろうに……。鏡に映る、着せ替え人形のような私は他の領土にお嫁に嫁いでいったお姉様たちを思い出す。
 お姉様たちは私と同じく、金色の髪と山の木々を想像させる鮮やかな緑色の瞳をもっている。髪の長さは三人とも違うが、長いことには変わりはない。毎日その長い髪をアレンジしては私に似合うかと確認することを怠らなかった。
 お母様とお父様のいいとこ取りをして、私にその成分を全くもって残してくれなかったお姉様たちは自分たちのその日のコーディネートが終わると私を取り囲んで髪を梳かしたり、服を選んでくれたものだった。決して遠くはない出来事だが、思い返すと途端に過去のこととなっていく。けれどお姉様たちは過去だろうと現在だろうと美しいことには変わりない。私だって髪はサンドレア家の誰もがそうである様にブラシ通りのいいサラサラの髪だし、瞳の色が私だけくすんでいるということもない。なのになぜ顔の印象でこうも変わるのか不思議でしょうがない。
「終わりました」
 鏡を通してみる私は前よりはマシになったものの、やはりお姉様たちと比べれば二段も三段も劣っている。
「ありがとうございます」
 彼女だって私の世話なんか焼きたくないだろうに悪いことをしてしまっているな……と思いつつも、お礼の言葉しか出せなかった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

本の虫令嬢ですが「君が番だ! 間違いない」と、竜騎士様が迫ってきます

氷雨そら
恋愛
 本の虫として社交界に出ることもなく、婚約者もいないミリア。 「君が番だ! 間違いない」 (番とは……!)  今日も読書にいそしむミリアの前に現れたのは、王都にたった一人の竜騎士様。  本好き令嬢が、強引な竜騎士様に振り回される竜人の番ラブコメ。 小説家になろう様にも投稿しています。

恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。

長岡更紗
恋愛
落ちぶれ子爵令嬢の私、レディアが後妻として嫁いだのは──まさかの恐怖侯爵様! しかも初夜にいきなり「君を愛することはない」なんて言われちゃいましたが? だけど、あれ? 娘のシャロットは、なんだかすごく懐いてくれるんですけど! 義理の娘と仲良くなった私、侯爵様のこともちょっと気になりはじめて…… もしかして、愛されるチャンスあるかも? なんて思ってたのに。 「前妻は雲隠れした」って噂と、「死んだのよ」って娘の言葉。 しかも使用人たちは全員、口をつぐんでばかり。 ねえ、どうして?  前妻さんに何があったの? そして、地下から聞こえてくる叫び声は、一体!? 恐怖侯爵の『本当の顔』を知った時。 私の心は、思ってもみなかった方向へ動き出す。 *他サイトにも公開しています

どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。 無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。 彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。 ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。 居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。 こんな旦那様、いりません! 誰か、私の旦那様を貰って下さい……。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...