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「はぁ……何やってんだろう?」
 朝目が覚めると、私の右手は椅子に座ったままのラウス様の手と繋がっていた。
 つい昨日、ラウス様のためにできることをしようと思ったばかりなのに逆に負担をかけてしまっているではないか。今からでもラウス様が起きるまでは少し時間がある。その間だけでも身体を休めてもらいたい。本来ならばベッドで寝てほしいが、生憎ラウス様の身体は私よりも頭一つ分ほど大きく、野菜をいっぱいに詰めた出荷カゴ二つ持つのが限界の私ではベッドに移せそうもない。万が一移せたとしても起こしてしまうことだろう。そんなことになれば本末転倒もいいところだ。ならば私にできること、それはラウス様の眼が覚めるまでの間、物音一つ立てないことくらいだろう。
 全く我ながら不甲斐ない。
 こんなことなら普段からおじさまたちに荷物を持ってもらわないで、多少無理してでも重たい荷物を運ぶ習慣をつけておくべきだった。いやだって、おじさまたちもお兄様達も『女の子なんだから無理はするな』って言ってくれていたし、こんな機会あるなんて思わなかったのだ。そもそもお金のために嫁ぐことなど誰も予想していなかったのだから、仕方ないといえば仕方ないことではある。なんにせよ過去を悔やんだところでもう遅いというわけだ。
 幸いというべきか、私はこの屋敷内で役に立てそうなことは特になく、そしてサンドレア家の結婚式には欠かせないブーケを作るという楽しみももう無くなってしまった今、時間だけは有り余っている。
 ならばその時間を筋力トレーニングの時間に充てようではないか!
 最低でもどこか身体が悪いらしいラウス様が倒れた時にも運べるくらいにはなりたいものだ。
 一時期お兄様達の真似をして筋肉トレーニングに励んでいたこともあり、少しくらいなら何をすればいいかも知っている。あの時はすぐに挫折してしまったが、目標のある今ならやり遂げられる気がする。よし! っと空いた手で拳を作りながら、ラウス様を起こさぬよう心の中で精一杯の気合を入れた。

 結局ラウス様の眼が覚めるまでの一刻ほどの間、私はずっとラウス様を見つめていた。
 それは仲睦まじい男女が愛する異性の寝顔を眺めて……なんてそんなロマンチックなことは一切ない。頭に浮かぶのはいかにして効率的に筋肉をつけるか、そしてラウス様の身体を運ぶ方法についてだ。どこに腕を入れれば力を入れずに、スムーズに運べるのか、そればかり考えていた。
「おはようございます、ラウス様」
「おはよう、モリア」
 どこかぼんやりとした表情で、目はうつろだ。ラウス様は朝は弱いらしい。頭の中のラウス様メモに書き入れておく。

「昨晩はベッドを独占してしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、俺がしたかっただけだから……」
 ふわぁとあくびを吐くと「それにしても朝からモリアの顔が見れるなんて幸せだなぁ」と気の抜けた表情でへにゃあっと笑った。

「今日は良い日になりそうだ」
 ラウス様は窓の外を眺めながら「今からでも今日の予定を変更して遠駆けにでも出かけたい」と呟いた。けれど王都の方角に薄暗くて厚い雲がかかっている。太陽を隠してしまうほど分厚ければ雨が降り出すのも時間の問題だろう。遠駆けに出かける前、早ければラウス様が屋敷を出発するよりも早く雨は地面を目指して落ちてくることだろう。だがラウス様のつぶやきは予定ではなく、気分の問題なのだろう。余計な水は差さず「馬に乗って走るのは気持ちがいいですよね」と当たり障りのない言葉を返しておく。
 それにしても、昨日、ラウス様は行きも帰りも馬車を利用したようだったが傘は使うのだろうか?
 だったら傘をしまう場所の確認もしておきたいものだ。ハーヴェイさんにその場所を教えてもらうことを朝食後の予定に加えておく。私が傘に意識を取られている一方で、ラウス様は「モリアと遠駆け……」と何やら考え込んでいる様子。どうやら話を続けたのは失敗だったらしい。ここで仕事に行きたくないと言われても困る。

「では私は着替えを貸してもらってきますので」
 こんな時は次の話題を振られる前にこの場を立ち去るに限る。実は隣だった自室へと逃げこむようにして、扉を背にしゃがみこむ。どうして私はこうもダメなんだろう。お姉様達ならもっと自然に話を移すことが出来たのだろうに。誰かの代わりを務めるならばそれなりにはならなきゃいけないのに、どうも私はラウス様の思う相手の様にはなれそうもない。きっとその相手ならさっきの話題だってうまく会話を捌けただろう。会ったことないけどきっとそうに違いない。というよりも私と比べれば大抵の人はうまくやれるのだろう。

『仕方ないわね……』
『全くモリアは俺たちがいないと何も出来ないんだから』
『これじゃおちおちお嫁にも出せないな』
 そう長年言われ続け、家族はおろかご近所さんたちにもしょっちゅう世話を焼かれていた。
 手先は器用な方だし、体力はある。それに料理もまぁそこそこはできる方だと思いたい。だが致命的にドジでさらに言えば空気が読めない。
 手先が器用になった理由は山で服を引っ掛けてしまうことが多く、それを直していたから。
 体力があるのは何も私に限ったことではない。サンドレア領の人なら大抵他の領土の人達より体力はあるし、お年寄りだろうが強い足腰を持っている。山に囲まれた地形であるがゆえに自然と鍛えられるのだ。
 料理は……まぁ出来なくはないが塩と砂糖は3回に一回くらいは間違えるので見張りが必要だったりする。

「はぁ……」
 カリバーン家に来て今日で4日目を迎えるわけだが、どういうわけかこの家に来てからというもの自分の欠点と向き合う機会ばかりだ。
 婚期まっ盛りといえば聞こえのいいものの、これを逃せば生涯の結婚を8割方逃したものだと言われる年齢に差し掛かってもなぜか嫁いでいない娘から、色々と問題があって嫁ぎ先のなかった娘へと変わっていく。そうなると人違いではあるもののカリバーン家に嫁がせてもらえているのが奇跡に思えてならない。
 始まりは確かに借金のカタにだったけど、結果的に見ればカリバーン家に嫁入りが決まらない娘を引き取ってもらった形になっているではないか……。ご家族が揃いも揃って歓迎するほどにラウス様が何かしらの大きな問題を抱えていたとしても、私も中々にポンコツだ。それなのに下級貴族が一代では払いきれないほどの大金を叩いて、引き取った役に立たない娘に高待遇をして。さらにここに気持ちがあればまだしも、人違いときた。
 カリバーン家側は損しかしてないといっても過言ではない。勘違いをしたのはラウス様の方で、顔を見てもなお勘違いをし続けているのだから私に非はないのだろうが、家を助けてもらった恩がある。長年の夢を諦めなければいけなかったが、嫁にもらってもらった恩も少しだけあったりするわけで……。
「はぁ……」
 再び大きくて長いため息をつくと背中のドアが小さく振動した。
「モリア様、お着替えをお持ちいたしました」
「あ、はい!」
 身体をぐるりと反対に向け、ドアを開けると昨日と同じ様に何着ものドレスを腕にかけた使用人が部屋へと入ってきた。声をかけるのを忘れてしまっていたのだが、そんなことは有能なカリバーン家の使用人にはあまり関係のないことなのかもしれない。
「今日はどのドレスにいたしましょうか?」
「えっと、じゃあこれで」
「かしこまりました」
 何着ものドレスをまじまじと見て、その中から一着を選び出すというのは面倒で一番右側のドレスを指差した。今日のドレスは黄色味がかった白のドレスだ。もちろん地味な私には似合わない。お姉様なら似合うだろうに……。鏡に映る、着せ替え人形のような私は他の領土にお嫁に嫁いでいったお姉様たちを思い出す。
 お姉様たちは私と同じく、金色の髪と山の木々を想像させる鮮やかな緑色の瞳をもっている。髪の長さは三人とも違うが、長いことには変わりはない。毎日その長い髪をアレンジしては私に似合うかと確認することを怠らなかった。
 お母様とお父様のいいとこ取りをして、私にその成分を全くもって残してくれなかったお姉様たちは自分たちのその日のコーディネートが終わると私を取り囲んで髪を梳かしたり、服を選んでくれたものだった。決して遠くはない出来事だが、思い返すと途端に過去のこととなっていく。けれどお姉様たちは過去だろうと現在だろうと美しいことには変わりない。私だって髪はサンドレア家の誰もがそうである様にブラシ通りのいいサラサラの髪だし、瞳の色が私だけくすんでいるということもない。なのになぜ顔の印象でこうも変わるのか不思議でしょうがない。
「終わりました」
 鏡を通してみる私は前よりはマシになったものの、やはりお姉様たちと比べれば二段も三段も劣っている。
「ありがとうございます」
 彼女だって私の世話なんか焼きたくないだろうに悪いことをしてしまっているな……と思いつつも、お礼の言葉しか出せなかった。
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