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「……食べないのか?」
会話が途切れたのと同じように完全に手が止まった私をラウス様は心配そうに見つめている。
「ええ、その……お腹がいっぱいで……」
それは嘘ではない。先ほど勧められるがままに食べていたケーキはまだお腹の中に残っている。けれど、ラウス様に心配をかけてしまうほどに食べられないわけではない。実際に先ほどまでは、ブーケの話が出るまでは少しではあるが口に運んでいた。だがもうその気力すらなくなってしまっている。
「…………そうか。では部屋へと戻ることにするか」
気落ちしているものの身体的な問題は全くなく、健康そのものなのだが、元気が無くなった私を具合が悪くなったと勘違いしたらしいラウス様はわざわざ私の席まで回って、手を差し出す。
「立てるか?」
「はい、あの、大丈夫ですから」
「遠慮はしなくていい」
遠慮なんてこれっぽっちもしていないのだが、差し出した手で私の手を優しく包み込んで歩き出す。その歩幅は私を気遣ってなのか昨日よりも小さく、ゆったりとしている。それがなんだかむず痒く思えてくる。きっと今、私の顔は赤く染まっていることだろう。
「辛い、よな……」
ラウス様は語りかけるようにそう口にすると私の膝の裏に手を差し込んで、体の前で横抱きにした。
「ラ、ラウス様!? 何をしているんですか!」
おそらく、というか確実にラウス様は私の身体の心配をしてくださっている。それはヒシヒシと伝わってくるのだ。だがいくらなんでもこれは何とも恥ずかしい。
間近にラウス様の顔が見え、視線を逸らすも代わりにラウス様の手が肩に触れているのを目にしてしまう。するとまだ上があったのかと思うほどに顔はますます熱を帯びていく。穴があったら、なんてそんな大層なことは言わないから、せめてラウス様との間に顔を隠すような何かが欲しい。ないよりはマシだと両手で顔を隠せば、ラウス様は勘違いを重ねていく。
「部屋までの辛抱だからな……」
優しく気遣うような声で、包み込むような手で包まれて揺られていく。恥ずかしくなる一方で頭の隅には冷静な自分がいる。
ラウス様が想う人は別にいるのだと。
心配をしているのは想い人のことなのだと。
ラウス様の目の前にいるのは確かに私ではあるが、心にいるのは別人である。
カリバーン家に引き取られるまで私とラウス様は会ったことすらなくて、私が一方的に社交界の噂で聞いていただけだったのだ。そんな関係からプロポーズに繋がることはまずないだろう。
間違いなく人違いだ。
私とその相手を間違えるくらいだから、おそらくはその相手とも交流は盛んではないのだろうが一度や二度顔を合わせたことはあるのだろう。こんな茶番が続くのはラウス様が飽きるか、間違いに気づくまで。私から終わりは告げることはできない。それは分かっているのに、理解しているのに、冷静にならないと勘違いをしそうになる自分もいる。
歓迎されて、心配されて。
たった3日、されど3日。
熱くなった顔とは正反対に心は冷めていく。
甘えてはいけないのだと、本物が見つかるまでの役目なのだと心に刻みつける。
私の役目は隣にいること。そして彼の男性としての欲を受け止めること。
決してラウス様を愛することでも、彼に愛されることでもないのだ。
揺られて辿り着いたのは昨日・一昨日と散々お世話になったばかりの大きなベッド。シミひとつない純白のシーツは、洗濯したものの技術の高さが容易にわかる。それに今まであまり気にする暇もなかったが、サンドレア家のベッドとは格段に違う肌触り。ゆっくりと降ろされた時でさえマットレスが身体にフィットするように沈んでいく。
ああ、今すぐにもこの身を預けて寝てしまいそうだ……。ってダメダメ、寝ちゃダメ。
居心地がいいベッドに落とされ、危なく意識を手放しかけた私は頭を左右に振って少しでも正常な判断を取り戻す。ラウス様のベッドに運び込まれたということはつまり……そういうことなのだ。一度きりの経験では初心者マークの取れない私が、ラウス様を満足させられるかは分からない。けれどせめて、初日に続いて気を失うなんて失敗だけはしてはならない。胸はバクバクと脈打つが、これは今からラウス様に抱かれることにドキドキしているのか、失敗を恐れているのか判断がつかない。キュッと拳を固めれば、ラウス様はそれに気づいたらしい。私の手を撫で、優しく微笑んだ。
「大丈夫。今日は何もしないから、安心して眠ってくれ」
「……わかりました」
人違いである以上、大きな間違いを重ねないのは良いことだとは思う。けれどベッドに横たわった状態で、何もしないと告げられてしまうのは、自分の魅力が足りないからなのではないかと勘ぐってしまう。ラウス様はただ、私の体調を気遣ってくれているだけなのに。身体を求めて欲しいなんて、私はいつの間にこんなにはしたない女になってしまったのだろう。恥ずかしくて、申し訳がなくて。ラウス様から目を背けるように視線を逸らす。彼は私の隣で寝転ぶことはなく、テーブルから椅子を引き抜いてベッドの横へと運び、そこに腰かけた。
「心配、なんだ……。さっきだってアンジェリカがワガママを言ったせいで、モリアは明日の約束まで取り付けられてしまっただろう? モリアが困っているのは分かっていても、年の離れた妹だからあまり強くは言えなくて……その、すまなかった」
昔、不注意で花瓶を割ってしまった時、お兄様もこうやってお父様に一緒に頭を下げてくれたっけ。
深々と身内の非礼を詫びるラウス様はあの頃の自分と兄の姿と重なって、今までで一番親しみやすいと感じてしまう。
「私も明日のアンジェリカ様とのお茶会は楽しみにしておりますので、ラウス様が気になさることはありません」
だからなんてことないように笑って返した。私にはお兄様やお姉様はいても下に兄弟はいなかった。その代わり、近所の子どもたちは妹や弟のように可愛らしくてよく世話を焼いたものだ。だからこの慣れない場所でも彼らのように慕ってくれるアンジェリカ様が可愛くて仕方がない。そんな彼女とのお茶会はきっと今日のお茶会と同じくらい楽しい時間が過ごせることだろう。
「そうか、君は優しいんだな」
髪を梳くようにして優しく頭を撫でられると、ゆっくりと睡魔が這い寄ってくる。ぬくもりに包まれながら、私の意識は身体とともに沈んでいった。
会話が途切れたのと同じように完全に手が止まった私をラウス様は心配そうに見つめている。
「ええ、その……お腹がいっぱいで……」
それは嘘ではない。先ほど勧められるがままに食べていたケーキはまだお腹の中に残っている。けれど、ラウス様に心配をかけてしまうほどに食べられないわけではない。実際に先ほどまでは、ブーケの話が出るまでは少しではあるが口に運んでいた。だがもうその気力すらなくなってしまっている。
「…………そうか。では部屋へと戻ることにするか」
気落ちしているものの身体的な問題は全くなく、健康そのものなのだが、元気が無くなった私を具合が悪くなったと勘違いしたらしいラウス様はわざわざ私の席まで回って、手を差し出す。
「立てるか?」
「はい、あの、大丈夫ですから」
「遠慮はしなくていい」
遠慮なんてこれっぽっちもしていないのだが、差し出した手で私の手を優しく包み込んで歩き出す。その歩幅は私を気遣ってなのか昨日よりも小さく、ゆったりとしている。それがなんだかむず痒く思えてくる。きっと今、私の顔は赤く染まっていることだろう。
「辛い、よな……」
ラウス様は語りかけるようにそう口にすると私の膝の裏に手を差し込んで、体の前で横抱きにした。
「ラ、ラウス様!? 何をしているんですか!」
おそらく、というか確実にラウス様は私の身体の心配をしてくださっている。それはヒシヒシと伝わってくるのだ。だがいくらなんでもこれは何とも恥ずかしい。
間近にラウス様の顔が見え、視線を逸らすも代わりにラウス様の手が肩に触れているのを目にしてしまう。するとまだ上があったのかと思うほどに顔はますます熱を帯びていく。穴があったら、なんてそんな大層なことは言わないから、せめてラウス様との間に顔を隠すような何かが欲しい。ないよりはマシだと両手で顔を隠せば、ラウス様は勘違いを重ねていく。
「部屋までの辛抱だからな……」
優しく気遣うような声で、包み込むような手で包まれて揺られていく。恥ずかしくなる一方で頭の隅には冷静な自分がいる。
ラウス様が想う人は別にいるのだと。
心配をしているのは想い人のことなのだと。
ラウス様の目の前にいるのは確かに私ではあるが、心にいるのは別人である。
カリバーン家に引き取られるまで私とラウス様は会ったことすらなくて、私が一方的に社交界の噂で聞いていただけだったのだ。そんな関係からプロポーズに繋がることはまずないだろう。
間違いなく人違いだ。
私とその相手を間違えるくらいだから、おそらくはその相手とも交流は盛んではないのだろうが一度や二度顔を合わせたことはあるのだろう。こんな茶番が続くのはラウス様が飽きるか、間違いに気づくまで。私から終わりは告げることはできない。それは分かっているのに、理解しているのに、冷静にならないと勘違いをしそうになる自分もいる。
歓迎されて、心配されて。
たった3日、されど3日。
熱くなった顔とは正反対に心は冷めていく。
甘えてはいけないのだと、本物が見つかるまでの役目なのだと心に刻みつける。
私の役目は隣にいること。そして彼の男性としての欲を受け止めること。
決してラウス様を愛することでも、彼に愛されることでもないのだ。
揺られて辿り着いたのは昨日・一昨日と散々お世話になったばかりの大きなベッド。シミひとつない純白のシーツは、洗濯したものの技術の高さが容易にわかる。それに今まであまり気にする暇もなかったが、サンドレア家のベッドとは格段に違う肌触り。ゆっくりと降ろされた時でさえマットレスが身体にフィットするように沈んでいく。
ああ、今すぐにもこの身を預けて寝てしまいそうだ……。ってダメダメ、寝ちゃダメ。
居心地がいいベッドに落とされ、危なく意識を手放しかけた私は頭を左右に振って少しでも正常な判断を取り戻す。ラウス様のベッドに運び込まれたということはつまり……そういうことなのだ。一度きりの経験では初心者マークの取れない私が、ラウス様を満足させられるかは分からない。けれどせめて、初日に続いて気を失うなんて失敗だけはしてはならない。胸はバクバクと脈打つが、これは今からラウス様に抱かれることにドキドキしているのか、失敗を恐れているのか判断がつかない。キュッと拳を固めれば、ラウス様はそれに気づいたらしい。私の手を撫で、優しく微笑んだ。
「大丈夫。今日は何もしないから、安心して眠ってくれ」
「……わかりました」
人違いである以上、大きな間違いを重ねないのは良いことだとは思う。けれどベッドに横たわった状態で、何もしないと告げられてしまうのは、自分の魅力が足りないからなのではないかと勘ぐってしまう。ラウス様はただ、私の体調を気遣ってくれているだけなのに。身体を求めて欲しいなんて、私はいつの間にこんなにはしたない女になってしまったのだろう。恥ずかしくて、申し訳がなくて。ラウス様から目を背けるように視線を逸らす。彼は私の隣で寝転ぶことはなく、テーブルから椅子を引き抜いてベッドの横へと運び、そこに腰かけた。
「心配、なんだ……。さっきだってアンジェリカがワガママを言ったせいで、モリアは明日の約束まで取り付けられてしまっただろう? モリアが困っているのは分かっていても、年の離れた妹だからあまり強くは言えなくて……その、すまなかった」
昔、不注意で花瓶を割ってしまった時、お兄様もこうやってお父様に一緒に頭を下げてくれたっけ。
深々と身内の非礼を詫びるラウス様はあの頃の自分と兄の姿と重なって、今までで一番親しみやすいと感じてしまう。
「私も明日のアンジェリカ様とのお茶会は楽しみにしておりますので、ラウス様が気になさることはありません」
だからなんてことないように笑って返した。私にはお兄様やお姉様はいても下に兄弟はいなかった。その代わり、近所の子どもたちは妹や弟のように可愛らしくてよく世話を焼いたものだ。だからこの慣れない場所でも彼らのように慕ってくれるアンジェリカ様が可愛くて仕方がない。そんな彼女とのお茶会はきっと今日のお茶会と同じくらい楽しい時間が過ごせることだろう。
「そうか、君は優しいんだな」
髪を梳くようにして優しく頭を撫でられると、ゆっくりと睡魔が這い寄ってくる。ぬくもりに包まれながら、私の意識は身体とともに沈んでいった。
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