愛より金を選んだ男爵令嬢は人違いで溺愛される

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「! シェード、シェード!」
 ぱぁっと満面の笑みを浮かべたアンジェリカ様は、勢いよく振り返るとその名を呼んだ。するとどこからか昨晩困った表情を浮かべていた使用人がアンジェリカ様と同じような笑みを浮かべてやってきた。
「いかがなさいましたか、お嬢様」
 そう聞くものの、彼にはもうその先の言葉が分かっているような気がした。
「お義姉様とラウスお兄様のお夕食もダイニングルームに用意して!」
「かしこまりました」
 ペコリと一礼してから去っていくシェードさんは、今にもスキップを踏みそうな足を必死で押さえ込むように両手を足にべたりと貼り付けたままだった。
「お父様に頼んで席は移ってもらわなきゃ!」
 そんな彼に背を向け、朝食をとるためにダイニングルームに向かっていくアンジェリカ様の頭はすでに夕食のことでそのおおよそを占めているのだろう。
 お茶会って結局どうなったんだろう?
 楽しそうな後ろ姿にそう尋ねることは野暮な気がした。
「昨日に引き続き、アンジェリカが申し訳ない……」
「ラウス様、顔を上げてください」
 アンジェリカ様の後ろ姿が見えなくなった後、私たちはすぐに部屋に入ることはなかった。
 私の目に入ってきたのは美味しいご飯ではなく、ラウス様のつむじだった。私とラウス様では身長差が結構あるのにわずか数日でもう何度と目にしている。そんなこと気にしなくてもいいのにと思うのだが、ラウス様は妙に腰が低い。宰相様の補佐役をやっているのにこう、すぐに頭を下げてもいいものなのかとも思ってしまう。少なくとも私なんかに下げるような軽い頭ではないはずなのだ。
「モリア、やはり君は優しいな……」
「ラウス様が謝りすぎなんです! 私の方が皆さんに良くしてもらっていて、申し訳ないくらいなのに……」
「モリア……」
「だからこれ以上謝らないでくださいね!」
「ああ」
 その短い返事が聞けただけで何だかラウス様との距離が少しだけ近づいた気がした。

 それからラウス様が屋敷を出るまでの時間に追われながらとった朝食は私の気分が大幅に反映した結果、とても和やかな空間だった。昨日はお茶会のケーキをお腹いっぱい食べていたせいであまり夕食を食べられなかった。そのせいか、お腹は空腹を訴えていた。目の前で次々と食事を平らげていくラウス様に続いて私も遠慮なく口に運んでいく。悩みが一気に減ったせいか、元から美味しいご飯を一層味わうことができる。
 このバターの風味がたまらないクロワッサンは昨日の朝も食卓に並んでいたはずなのに、全くその美味さを感じ取れていなかったのだから気分というのはなかなか大事な役割を果たすものだと感心してしまう。
「モリア、美味しいか?」
「はい!」
 時折、ラウス様はその手を止めて私にそう問いかける。この料理が美味しくないはずがない。ラウス様だって食べているのだから聞かずともわかるはずなのに不思議なものだ。
「そうか、そうか」
 目の前で嬉しそうに笑いかけるラウス様は昨日のお義母様とサキヌ様とよく似ている。
 ラウス様の顔立ちはお義父様に似ていて、サキヌ様の顔立ちはお義母様によく似ている。真面目な雰囲気を醸し出すラウス様と柔らかな雰囲気を纏うサキヌ様とではあまり似ていないのだけど、やはり家族なのだと改めて実感する。ラウス様も、この家の誰もが家族を大事にしている。もちろん家族として迎える私のことも例外として扱ったりしない。
『家族を大事にする人に悪い人はいない』と昔からよくお父様が言っていた。逆に家族すら大切に出来ない人が他のものを大切に扱えるはずがないとも。だから彼らはいい人なのだろう。分かっていたけど、改めて実感する。この居場所に居られる期間は決まっていない。けれど限りは確かにある。それでも私はラウス様に、そしてカリバーン家に尽くそうと決意を固くする。
「そろそろ出る」
「はい。では今日も玄関までご一緒いたします」
「ああ」
 食事も終わり、席を立つラウス様に続いて部屋を後にする。ラウス様の後ろを付いていこうとすると、ドアの前で待っていてくれたラウス様が私の手を取り、包み込む。
「ラウス様?」
「嫌……か?」
「いえ」
「そうか。ならこのままで……」
 突然のことで驚きこそすれ嫌ではない。嫌、ではないのだけれど、恥ずかしさはある。初日にこれ以上凄いことしたっていうのに、不思議だ。手から伝わる暖かさは次第に身体全体に行き渡っていく。ラウス様が前を向いて歩いてくれていることがせめてもの救いだ。でなければ真っ赤に染まった顔で恥ずかしがっているのがバレてしまう。ラウス様のことだからからかうなんて子供じみたことはしないだろうが、それでも私が一方的にラウス様のことを意識しているようで見られたくない。赤くなった顔を隠すように俯いて歩く。
「モリア?」
「は、はい!」
「私としてはこのままずっと繋いでいたいのだが、その、時間が、だな……」
 そう指摘されて顔を上げるとそこはすでに玄関先で、周りにはたくさんの使用人とお義父様がこちらを見ていた。
「す、すみません」
 慌てて弾くように手を外すと、指摘したラウス様は少しだけ残念そうに眉を下げて笑った。
「また、繋いでもいいか?」
「は、はい……」
「そうか」
 満足そうに笑うラウス様は意地悪だ。子どもじみたことしないだろう、なんて思っていたが、すぐ訂正することとなった。恥ずかしさと恨めしさが混雑する一方で、ラウス様の楽しそうな顔にこちらまで嬉しくなってしまう。

「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、ラウス様」
 ラウス様とお義父様の乗る馬車が去って行った後で、微笑みを交わしながら見送る姿はまるで愛し合う夫婦のようだったなんて思ってしまう。こんなこと、ラウス様が人違いをしてくれなければ経験することはなかっただろう。


 これは紛い物だけど、それでも確かにここにある、私が経験したものなのだ。
 カリバーン家に来て、また楽しい思い出が出来たことに胸のあたりが温かくなった。

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