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新幹線を乗り継ぎ、長い道を歩いてようやく斉藤のお屋敷に到着した私は――お茶の間に並べてあった座布団にダイブし、そのまま眠りの世界へと旅立った。
私だって着いたらまず『へーちゃん』と顔合わせして、挨拶を済ませたら東京のお土産を渡して……といろいろ計画を立ててはいたのだ。けれど疲労と睡魔には勝てなかった。
ここに来るまでの疲労もあるが、1週間で急いで準備したのだ。後で送ってくれると言われても直近で必要となる洋服はある程度用意していかなければならない。しかも我が家と斉藤の屋敷ではそもそも気候がまるで違う。だから新しく買いそろえなければならない物も意外と多かった。
それになにより、20年間暮らしてきたあの部屋とも別れると思うとあまり寝れなかったのだ。
新幹線だって寝過ごしたらと考えたら寝るなんて恐ろしいことは出来ない。
こうして積もりに積もった疲労と睡魔がここで現れた、と。
斉藤のお屋敷に到着した安心感もあるのだろう。相変わらずイグサの良い香りがふんわりと私を包み込む。おばあちゃん亡き今もこの屋敷は変わらないらしい。
「おやすみなさい……」
誰に伝えるつもりもないその言葉は空気に溶けていった。
睡眠の世界と現実世界の狭間をゆらゆらと波に揺られるように行ったり来たりを繰り返す。まるで意識のゆりかごのよう。このままずっと寝ていたい。そんな気持ちにさせてくれるのは斉藤のお屋敷の魅力と言えよう。このままお母さん達が起こしに来るまでこのまま……なんて思っていた。けれどどこからか良い香りがやってきて、私の鼻孔をくすぐる。これは出汁の匂いだ。おばあちゃんの作るご飯の匂い。ああ、よだれ出そう……。あまりに美味しそうな香りがするもので、私の意識は次第に現実世界へと引き上げられていく。けれど同時に睡眠世界の私がまだ寝てなよ~と誘惑してくるのも事実。
どっちに身を任せるべきか……。
意識の行き場が定まらずに身体をよじらせれば、ふわふわとした毛布が頬に当たった。これもおばあちゃんの匂いだ。思わず頬は緩み、そして睡眠の世界が優勢になりつつある。
まだ寝ていたところでおばあちゃんのご飯は逃げはしないだろう。ならこのまま寝続けて、後でゆっくり食べるとしよう。それがいい。そうと決まれば毛布の中に閉じこもるように頭の上からおなかに向かって毛布を丸め込んでいく。これで『春香の繭』のできあがりだ。ちなみに命名はおばあちゃん。こうなってしまったらなかなか起きないのよね~と笑いながら話してくれた。すっかり繭モードに入ってしまった私は、このまま深い眠りに身を預けようとした。けれど毛布の外側からはそれを邪魔するかのように誰かの声が聞こえてくる。
「……ちゃん。はるちゃん」
切れ切れに紡がれるその声は確かに私を呼んでいる。おそらくおばあちゃんだろう。でもよく聞くとこのおばあちゃんの声、なんか低いような? 久しぶりに聞くからなんか変な感じするのかな?
ごめんね、おばあちゃん。春香はまだ眠いので寝させてください。毛布越しのおばあちゃんに届くわけのないメッセージを送り、今度こそは眠りの世界に……。
「ってまだ寝てるか。はるちゃんらしいな」
って待てよ? おばあちゃんってもう死んだはずじゃ……。
寝ぼけた頭は正常には働いてくれないが、よくよく思い返さなくても1週間前に葬儀に参加した。そこで読み上げられた遺書に従って私はここにやって来ることになったのだから。そうそう、私は座敷童のへーちゃんに管理者として選ばれたんだった。
なのになぜ死んだはずのおばあちゃんの作るごはんの匂いがするの?
さすがにおかしい。
毛布を勢いよく自ら剥ぎ取って上体を起こした私の目の前には――見知らぬイケメンがいた。
「わあ、びっくりした。はるちゃんいきなり起きるんだもん」
「……誰?」
びっくりしたのは私の方だ。ここでおばあちゃんが目の前に立っていても驚くけど、知らない男性が起きたら目の前にいるなんて身内の幽霊に遭遇するよりも心臓に悪い。いくらイケメンとはいえ、やって良いことと悪いことがある。この状況で叫び出さなかった自分を盛大に褒めてあげたい。
「え? そっか、はるちゃんは僕のこと覚えてないんだっけ。僕は兵助っていいます。これからよろしくね、はるちゃん」
「は?」
兵助ってまさか……。
「は? ってひどいな、はるちゃん。佳政君から僕のこと覚えていないっていうのは聞いてたけどそんな反応されたら悲しいよ」
いやいやいや。私は確かに佳政おじさんから『へーちゃん』のことは聞いた。座敷童と呼ばれる存在である、と。
けれど座敷童って普通子供じゃないの?
私の目の前にいるイケメンは私と同じくらいの歳に見える。明らかに『童』って歳じゃない。軽いパニック状態になった頭を冷静な状態に治すために深呼吸を繰り返す。それでもまだまだパニックが治まった訳ではないけれど、そこは無理にでも押し込めることにする。
「あなたがへーちゃん? 座敷童じゃないの?」
私だって着いたらまず『へーちゃん』と顔合わせして、挨拶を済ませたら東京のお土産を渡して……といろいろ計画を立ててはいたのだ。けれど疲労と睡魔には勝てなかった。
ここに来るまでの疲労もあるが、1週間で急いで準備したのだ。後で送ってくれると言われても直近で必要となる洋服はある程度用意していかなければならない。しかも我が家と斉藤の屋敷ではそもそも気候がまるで違う。だから新しく買いそろえなければならない物も意外と多かった。
それになにより、20年間暮らしてきたあの部屋とも別れると思うとあまり寝れなかったのだ。
新幹線だって寝過ごしたらと考えたら寝るなんて恐ろしいことは出来ない。
こうして積もりに積もった疲労と睡魔がここで現れた、と。
斉藤のお屋敷に到着した安心感もあるのだろう。相変わらずイグサの良い香りがふんわりと私を包み込む。おばあちゃん亡き今もこの屋敷は変わらないらしい。
「おやすみなさい……」
誰に伝えるつもりもないその言葉は空気に溶けていった。
睡眠の世界と現実世界の狭間をゆらゆらと波に揺られるように行ったり来たりを繰り返す。まるで意識のゆりかごのよう。このままずっと寝ていたい。そんな気持ちにさせてくれるのは斉藤のお屋敷の魅力と言えよう。このままお母さん達が起こしに来るまでこのまま……なんて思っていた。けれどどこからか良い香りがやってきて、私の鼻孔をくすぐる。これは出汁の匂いだ。おばあちゃんの作るご飯の匂い。ああ、よだれ出そう……。あまりに美味しそうな香りがするもので、私の意識は次第に現実世界へと引き上げられていく。けれど同時に睡眠世界の私がまだ寝てなよ~と誘惑してくるのも事実。
どっちに身を任せるべきか……。
意識の行き場が定まらずに身体をよじらせれば、ふわふわとした毛布が頬に当たった。これもおばあちゃんの匂いだ。思わず頬は緩み、そして睡眠の世界が優勢になりつつある。
まだ寝ていたところでおばあちゃんのご飯は逃げはしないだろう。ならこのまま寝続けて、後でゆっくり食べるとしよう。それがいい。そうと決まれば毛布の中に閉じこもるように頭の上からおなかに向かって毛布を丸め込んでいく。これで『春香の繭』のできあがりだ。ちなみに命名はおばあちゃん。こうなってしまったらなかなか起きないのよね~と笑いながら話してくれた。すっかり繭モードに入ってしまった私は、このまま深い眠りに身を預けようとした。けれど毛布の外側からはそれを邪魔するかのように誰かの声が聞こえてくる。
「……ちゃん。はるちゃん」
切れ切れに紡がれるその声は確かに私を呼んでいる。おそらくおばあちゃんだろう。でもよく聞くとこのおばあちゃんの声、なんか低いような? 久しぶりに聞くからなんか変な感じするのかな?
ごめんね、おばあちゃん。春香はまだ眠いので寝させてください。毛布越しのおばあちゃんに届くわけのないメッセージを送り、今度こそは眠りの世界に……。
「ってまだ寝てるか。はるちゃんらしいな」
って待てよ? おばあちゃんってもう死んだはずじゃ……。
寝ぼけた頭は正常には働いてくれないが、よくよく思い返さなくても1週間前に葬儀に参加した。そこで読み上げられた遺書に従って私はここにやって来ることになったのだから。そうそう、私は座敷童のへーちゃんに管理者として選ばれたんだった。
なのになぜ死んだはずのおばあちゃんの作るごはんの匂いがするの?
さすがにおかしい。
毛布を勢いよく自ら剥ぎ取って上体を起こした私の目の前には――見知らぬイケメンがいた。
「わあ、びっくりした。はるちゃんいきなり起きるんだもん」
「……誰?」
びっくりしたのは私の方だ。ここでおばあちゃんが目の前に立っていても驚くけど、知らない男性が起きたら目の前にいるなんて身内の幽霊に遭遇するよりも心臓に悪い。いくらイケメンとはいえ、やって良いことと悪いことがある。この状況で叫び出さなかった自分を盛大に褒めてあげたい。
「え? そっか、はるちゃんは僕のこと覚えてないんだっけ。僕は兵助っていいます。これからよろしくね、はるちゃん」
「は?」
兵助ってまさか……。
「は? ってひどいな、はるちゃん。佳政君から僕のこと覚えていないっていうのは聞いてたけどそんな反応されたら悲しいよ」
いやいやいや。私は確かに佳政おじさんから『へーちゃん』のことは聞いた。座敷童と呼ばれる存在である、と。
けれど座敷童って普通子供じゃないの?
私の目の前にいるイケメンは私と同じくらいの歳に見える。明らかに『童』って歳じゃない。軽いパニック状態になった頭を冷静な状態に治すために深呼吸を繰り返す。それでもまだまだパニックが治まった訳ではないけれど、そこは無理にでも押し込めることにする。
「あなたがへーちゃん? 座敷童じゃないの?」
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