モブ令嬢は脳筋が嫌い

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一章

9.モブ令嬢は脳筋が嫌い

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ーーなんて思っていた時期がイーディスにもあった。





 リガロが変わってから二年と少しが経ったが、楽しく過ごせている気がしない。

 確かにリガロは変わった。イーディスに関心を向けるようになったし、少しは気遣いというものが出来るようになった。けれど一度遠駆けをした彼は遠くに出かければイーディスの機嫌が良くなると勘違いしたのである。海に連れて行かれた日を境に毎日六時にフランシカ屋敷のドアを叩くようになった。馬を連れてやってきた彼は決まって遠駆けに行こうと誘うのだ。馬の早さは負担にならない程度に調整してくれるが、正直毎日はキツい。「今日くらいは家でゆっくりとしたい」と言ったところで聞きやしない。わざわざ使用人や両親に聞こえるように騒いで見せても彼らは「いってらっしゃい」と見送るだけ。数年でたくましくなった彼の胸と馬の間に挟まれながら、揺られるイーディスは徐々に目が死んでいった。

「そういえば来月はイーディスの誕生日だな。何か欲しいものはあるか?」

「自分用の馬「却下だな」

「……父に頼むからいいですけど」

「今年も違う物を贈って欲しいと頼んでおかねばな」

「なんでダメなんですか!? そろそろ私だって自分で馬に乗りたいんです!」

「俺の前に乗ればいいだろう?」

「それが嫌なんですって」

 イーディスが自分の馬を欲する理由は何もリガロの前が狭いというだけではない。あの日から距離を詰めてくるようになったリガロはお茶会に出席すればイーディスの隣にピタリとくっつき、脳筋スマイルで令嬢達を威嚇するようになったのだ。本人にそのつもりがあるのかは定かではないが、今まで無関心を貫いていた男が口を開けばイーディス、イーディス……。果てには「これ、イーディスの好きなお菓子だよな?」とマフィンをイーディスの口に運び始めたのである。明らかにただ事ではない。そう判断した令嬢達は今までのチクチクした嫌みをパタリと止め、イーディスとリガロの仲を褒め称え始めたのである。初めはお似合いだのなんだのとその場限りの言葉だったが、今では二人がピタリと身体を寄せながら馬に跨がる姿を目にした者は『真実の愛を手に入れることが出来る』など変な噂を流し始めた。初めは下級貴族の間でのみ流れていたはずが、徐々に範囲は広がっていった。上級貴族達の耳にも入るようになり、今では平民の間でも広がっているのだとか。屋敷から出ることがめったにないはずのマリアからの手紙に「私も二人の乗馬姿を拝見したいですわ~」と書かれていた時には思わず手の中のペンにヒビを入れるところだった。

 計らずも恋愛成就スポットのようになってしまったイーディス達には婚約解消の『こ』の字すらない。二人にあやかろうと、婚約者や恋人と共に馬に乗るのが流行っているらしく、国では乗馬ブームが巻き起こっているほど。

「まぁいいじゃないか」

「だから嫌だと」

「今日も天気がいいな~」

「……話を聞くつもりがないのね」

 距離を置くつもりが物理的距離はすっかりと近づいてしまっている。だが心の距離は未だ離れたままである。リガロ側はそちらの距離を詰めようとしているのだろうが、なにせこの男、都合が悪いと聞こえない振りをするのである。もしくはお得意の筋肉でどうにかする。少し変わったとはいえ、相変わらず脳筋なのだ。それにイーディスはまだリガロに心を許す訳にはいかない。

 今度の誕生日でイーディスは十五歳となる。そして数ヶ月後には学園に入学するーーつまりは乙女ゲームシナリオが開始するのである。もしも彼が真実の愛を見つければ、その時はイーディスは用なしになる。ただの男爵令嬢と特別な力を持つ少女。切り捨てられるのは間違いなくイーディスだ。今、いくら二人の仲を羨むような噂が流れようとも後でいくらでも言い換えることが出来る。例えば『仲の良い兄と妹のようだった』とか。

 未だにゲーム内のイーディスを理解することは出来ない。けれど彼女のように捨てられる日が来たら、絶対に縋ってやるものかと心に決める。いや、イーディスがきっと何を言ったところで彼の耳には届かないのだろう。

「脳筋って嫌いなのよね……」

 だってリガロ=フライドは脳筋だから。目的を決めたら最後、それに向かって真っ直ぐに突き進むだけだ。なぜよりによって脳筋男の婚約者なんかに転生してしまったのか。上機嫌で馬を操る彼の腕の中でイーディスは小さくため息を吐いた。

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