モブ令嬢は脳筋が嫌い

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二章

8.冷えた空気と不思議な距離感

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「別にリガロ様が理解される必要はないと思います。私はただマリア様さえ喜んでくださればそれでいいので」

 夜が近づいたからではない。リガロは知らぬうちに彼女が嫌う言葉を口にしていたからである。突き放すような言葉にやらかしたと後悔したがもう遅い。すまないと反射的に口から出そうになった言葉を堪える。きっと火に油を注ぐだけだ。なんとか挽回出来ないかと走りながらぐるぐると考えていたリガロだったが、良い言葉は見当たらなかった。結局フランシカ屋敷に到着するまでひと言も言葉を交わすことはなく、リガロは一晩中悶々としていた。けれど翌朝にはすっかりいつも通りのイーディスで、口ごもるリガロに「体調悪いんですか?」と不思議そうに首を傾げるほど。彼女にとってはリガロのやらかしは日常なのかもしれない。イーディスにそうさせているのは他の誰でもなくリガロ本人である。グッと手のひらに爪を立て「今日はどこに行こうか考えていただけだ」と笑えば、彼女は「そうですか」と短く答えた。



 まだまだ距離は開いたままーーと思われたが、案外そうでもなかった。

 数週間後、リガロの誕生日にイーディスから渡された箱の中にはネクタイと馬のぬいぐるみ、そして小さな剣が入っていた。馬のぬいぐるみはリガロの愛馬とよく似た黒の毛のもの。あの日彼女が言っていたように王都の雑貨屋で探してくれたのだろう。剣の方はたまたま毛糸が余ったから作ってくれただけかもしれない。それでも覚えていてくれたことが嬉しくて、頬が緩んだ。剣の柄部分に付けられた紐はバッグに付けることを想定してくれたのだろうか。持って歩いて自慢したい気持ちと、落として失くしてしまわないかという気持ちがせめぎ合う。ぬいぐるみを抱きながら数日考え、結局数年後の学園入学まで大切に仕舞っておくことにした。





 それから少しずつだが確実にイーディスとの距離が近づいていった。未だマリア嬢には勝てないがそれでも良い変化もある。彼女へ嫌みを言う令嬢達は減っていったのだ。リガロの変化がイーディスによるものだと理解し、彼女を敵に回すことは得策ではないと判断したのだろう。媚びを売り出した時には思わず顔を歪めてしまったが、それが貴族というもの。嫌みの標的であったイーディスは何事もなかったかのように彼女達と接し始めた。意外だったのは彼女と共に参加する下級貴族達のお茶会だけではなく、上級貴族達が集まる会ですらもイーディスを気にし始めたことだ。初めは令嬢達。けれど徐々にリガロを囲むのは令息ばかりになっていった。なんでもリガロがイーディスを乗せて毎日出かけている姿がどこかの令嬢の目に止まったらしい。今や婚約者と共に馬に乗ることが貴族の令嬢の中でブームになりつつあるようだ。それに伴い、上級貴族の令息達はこぞって乗馬技術向上に励まねばならなくなった。

「最近どうだ?」

「乗馬は得意だが、彼女を横抱きのまま速度を出すというのはなかなか難しい」

「なぜ乗馬パンツも一緒に流行ってくれないんだ……。ドレスのままで、なんて無駄に難易度を上げるだけだろう。何より危険だ」

「イーディス嬢はどうしているんだ?」

「一応乗馬用の靴は履いていますが、服装はドレスのまま横抱き状態で馬に乗っています」

「……リガロ様の乗馬技術が憎い!」

「普通の貴族にあのスタイルをマネしろというのはそもそも無理だろう……」

「イーディス嬢はきっと体幹がしっかりしているに違いない」

「そういえば筋肉痛になるからとストレッチが欠かせないとぼやいていたような?」

「やはりそうか!」

「男女双方の努力がなせる技か……」

 少し前まで行われていた腹の探り合いや損得勘定が嘘のようだ。彼らが集まってすることといえば、乗馬技術報告会である。自慢話といえば婚約者を乗せてどこそこへ出かけただの、どれくらいの速度を出せただの。たまに社交的な話も混じるがすぐに話は戻ってしまう。最近では大人や平民達の間でも乗馬ブームは広がっているらしく、二人で出かける最中に声をかけられることもある。そのせいか最近ではイーディスはしばしば「恥ずかしい」だの「自分専用の馬が欲しい」だのとぼやくようになった。

 もちろん彼女の父に馬を買い与えないで欲しいとお願いした上で聞き流しているが。

 リガロだって面白くないとばかりに頬を膨らますイーディスのお願いを聞いてあげたい気持ちはある。だが学園入学は数ヶ月後に迫っている。学生となってしまえば今のように一日の大半を二人で過ごすことは叶わない。馬に乗っている時に感じられる少し高めの彼女の体温をもう少しだけ楽しんでいたいのだ。

 ただ一つだけ気がかりなことがある。

「これだから脳筋は……」

 この数年で何度も耳にした言葉だが、最近元気がないように思う。寂しさを孕んだような言葉にリガロは嫌な予感を覚えた。ハハハといつものように笑い飛ばしてみたものの、すぐそこまで不穏な空気が迫っているような恐怖を拭い去ることは出来なかった。

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