モブ令嬢は脳筋が嫌い

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五章

17.温かい手

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「今度はここなんてどうでしょう?」

「うーん、移動時間が結構かかりそうだな。もっと近くがいいんじゃないか?」

「でも今回を逃すと三年後になっちゃうんですよね」

「どれだ?」

「これです、ファファディアル星雲祭」

「この前読んだ本に載っていた祭りか!」

「願い星が欲しいなと!」

「よし、なら今度の旅先はここにしよう。服装も星を意識したものを……」



 キースは引き出しからスケッチブックを取り出し、ペンを走らせる。自分の世界に入り込んでしまった彼は今が昼食待ちということはすっかり忘れているのだろう。目を輝かせる彼を見守りながら、イーディスは頬を緩ませた。



 ギルバート家に嫁いでから五年。

 お墓参りに避暑地と続き、イーディスとキースは休みを作ってはいろんな場所へ出かけた。

 その度にイーディスのフォトブックは少しずつ厚みを増していき、屋敷には至るところにマリアの絵が飾られるようになった。



 イーディスとキースのお気に入りは砂浜の絵である。

 キースがデザインした服を着たイーディスとマリアが砂浜で貝殻を探している絵。マリアは中性的なパンツスタイル、イーディスはシンプルなワンピースだった。そう、キースはイーディスの要望をマリアの服ではなく、イーディスの着る服にそのまま落とし込んだのである。地味顔女がシンプルに決めたところでそれは地味に地味を重ねただけ。だがサラッとした手触りも、深めのポケットもイーディスの好みであった。キースはイーディスをよく見ている。

 一緒に用意されていたアクセサリーを身につけ、砂浜に繰り出した。

 砂浜の外で筆を取るキースから離れすぎないように、貝殻を集めていく。これなんてマリアに似合うのではないか、と探していると無性に寂しくなった。耳を済ませても消えるのは波の音と小さな物音だけ。そよそよと吹く風はイーディスの知っている海の音とは違う。貝殻を一度砂浜の上に置き、軽く手を払ってから首から提げたカメラに手を伸ばす。シャッターをパシャリと切れば、小さく揺れる砂粒が見えるほどに透き通った海が映った。

 綺麗な写真だが、イーディスの心には高揚感ではなく空しさが残るのみ。貝殻を集め、急いでキースの元へと走った。息を切らせたイーディスに彼は目を丸くして驚いていたが「そのまま続けてください」と告げれば、戸惑いながらも再び鉛筆を走らせた。まだ下書きの状態だったが、すでにキャンパスの上にはマリアとイーディスがいた。彼とキャンパス、そして海が映り込むようにカメラを構え、レンズを覗き込む。ここにいるのはイーディス一人ではない。息を吸い込んでも喉に入り込む風は冷たくない。太陽に温められた、うっすらと汗をかくほど暑い空気。もう大丈夫。パシャリとシャッターを切ったその写真はフォトブックの二ページ目に貼り付けた。

 一枚目はもちろん光る花畑である。キースの絵に活かせるようにと様々な方向から撮ってみたが、イーディスもキースも映り込むことはない。だが現像してみれば、少し寂しい写真となっていた。それ以降、必ず一枚は二人が映った写真を撮ると決めていた。



 フォトブックは捲る手を進めれば、ページは次第に賑やかになっていく。



 旅行に行く前には必ずマリアの服を作る。

 なぜか毎回キースはイーディスの服もデザインする。そのうちイーディスも使用人達と一緒にキースのシャツやネクタイを選ぶようになった。



 宿は三人で泊まる前提で、バザールに繰り出せば飲み物や食べ物は必ず三人分用意した。





 三年目の結婚記念日にはウェディングドレスを贈ってくれた。それも二着。もちろん一着はマリアのものだ。全く同じデザインで、けれどサイズが違う。二人分の花嫁衣装を同時に頼むなんて、きっとこの世界にキースしかいないだろう。それも彼自身の物は用意していないのだから笑うしかない。結婚記念日を忘れていたと正直に伝えればキースは「玄関に飾るための絵をくれないか?」と笑った。



 今まで描いたどの絵よりも長い時間をかけて、書き上げられた絵はウェディングドレスを纏った二人の花嫁の絵だった。繋いだ手とは逆の手でブーケを持つマリアと、絵の外側に向かって手を伸ばすイーディス。描き手であるキースがここに加わることで絵は完成するのだと自慢げに語ってくれた。



 端から見たらおかしな光景かもしれない。それでも幸せだった。

 聖女がゲートを癒やしに来る度に、旅先でリガロの噂を耳にする度に、元の世界へ戻りたいという気持ちが薄らいでいく。どうせ帰れやしない。それにあっちの世界のマリアにはキースがいる。リガロだって。この世界とは違う道を歩んだ彼ならきっとイーディス以外とも上手くやっているはずだ。今頃、あちらの世界の彼は聖女様と仲良くやっているかもしれない。リガロは、イーディスでなくてもいいのだ。けれどこの世界からイーディスがいなくなったらキースは一人きりになってしまう。



「出来たぞ!」

「え、もう?」

「元々シックなデザインも気になっていたんだ」

 スケッチブックを開いてイーディスに見せてくれるキースは今やすっかりと元気になった。彼が出会った日のように戻ってしまうかもしれないとゾッとする。スケッチブックを受け取る際に重なった手は温かくて、イーディスにはこの手を離すなんて出来なかった。
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