モブ令嬢は脳筋が嫌い

斯波@ジゼルの錬金飴③発売中

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五章

26.背負うもの

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 まばゆい光から解放され、ゆっくりと瞼を開く。

 目の前は聖堂ではなく、ベッドの天井。寝転んだ状態の身体を起こし、辺りを見渡せばそこは懐かしの自室だった。通学バッグもイーディスが選んだ本が並ぶ棚も変わらずそこにある。立ち上がり、机の引き出しを開けば奥からは小さな箱が見つかった。中には夜会の少し前に作った、リガロと同じ色のネクタイがある。リガロとの仲が近づいたと思ったからこそ頼んで作ってもらったものだ。イーディスの想いでもある。ネクタイを撫でれば一気に元の世界に戻ってきたのだと実感が沸く。

「そうだ、魔道書は!」

 ハッとして振り返れば魔道書はベッドの少しくぼんだ場所に開いた状態で置かれていた。位置的に、おそらくイーディスが先ほどまで潰していたのだろう。だが拾い上げて入念に確認しても開き癖や折り目はついていない。綺麗なものだ。パラパラと捲りながら中を確認していけば、そこにはもう日本語はなかった。だがこの世界の文字もない。いくら進んでも白紙のページのみ。

 表紙にも変化があった。『悪夢の書』と書かれていた場所には『イーディスの書』とある。まっさらな本に今後の一生を書き込んでいけということだろうか。魔道書に遭遇するのはこれが初めて。ギルバートで仕事をしていた時も魔法道具を目にする機会はなかった。キースに聞けば何か教えてくれたのかもしれないが、隠し事をしている手前、聞きづらかったのだ。打ち明けてからはこちらの世界のマリアの話ばかりしていてそんな暇がなかった。タイミングを見計らってこちらの世界のキースに聞くのが一番だろう。



 それより先に、イーディスは向き合うべき問題がある。

 無事に自室に戻ってこられたということは、現在もフランシカ家ではイーディスの部屋が保管されていることを意味する。当たり前に思えるかもしれないが、経過していた時間によっては部屋どころか屋敷自体なかった可能性もある。少なくとも両親が亡くなっていたら、当主が親族の誰かに変わっていたら長年消えた状態のイーディスの部屋など潰してしまっていただろう。まぁ気持ち悪くて放置し続けていたという可能性もなくはないが、それにしては机には埃一つなかった。ベッドも綺麗なままで、頻繁に掃除がされているといえるだろう。案外、あれからほとんど時間が経っていないのではないかとさえ思う。そうだといいな、と思いつつも期待しすぎないように胸をトントンと叩く。



「まずは話を聞いて、現実を受け止めるところからスタートしなきゃ。悩むのはその後でいい」

 すうっと息を吸って部屋を出た。

 窓から差し込む光はまだ明るく、この時間なら用事さえなければ父は書斎にいるだろう。久々の屋敷をスタスタと進んでいき、書斎の前で懐かしいなと息を吐く。

 ここに来るまで何度か使用人を見かけたが、皆、見たことのない顔ばかりだ。イーディスの顔を見ても目を丸く見開くだけ。声をかけてくる者はおらず、まるで亡霊でも見かけたかのよう。もしやもう父は……との考えが頭を過った。だがそのまま進んできた。知らなければどうしようも出来ないから。

 コンコンコンと軽くドアを叩けばすぐに「どうぞ」と返事が帰ってくる。良かった。父のものだ。イーディスは安心してドアを開いた。



「お仕事中、すみません。少しお時間いただけますでしょうか?」

「ああ。大丈夫、だ……」

 顔を上げた父はイーディスの顔を見て、声を失った。父もまた亡霊を見たような顔をしている。けれど父の、皺が増えた顔と白髪頭を見て、その意味を察してしまった。

「長らく留守にしてしまい、申し訳ありません。ただいま戻りました」

「イーディス? 本当にイーディスなのか!?」

「はい、お父様」

「生きて、いたのだな。良かった、良かったぁ……」

 父は両手で顔を覆い、ため息を吐くように良かった良かったと繰り返す。涙の混じった声に、随分と心配をかけてしまったことを後悔した。

「申し訳ありませんでした」

「帰ってきてくれただけで十分だ。ああ、こっちに来て顔を見せてくれ」

 顔をペタペタと触りながら『本物だ』『幻覚じゃない』と呟く。けれどしばらくしてから思い切り自分の頬をつねる。かと思えば今度は「ここで待っていてくれ」とイーディスの両腕をガシッと掴み、転げるように廊下へと飛び出した。





 父が戻ってきたのはほんの数分後のこと。

 母と使用人達を引き連れて「本当だって。イーディスが帰ってきたんだ!」と興奮気味にイーディスの腕を引いた。少し痛いが、それくらいは我慢すべきだろう。瞳いっぱいに涙を溜めた母はイーディスの身体を引き寄せて抱きしめた。何も言わない代わりにイーディスの頭に大量の涙を落としていく。周りからは鼻をすする音がする。神に感謝します、なんて言葉も。



「私は一体どのくらいの時間、こちらの世界を留守にしていたのでしょう?」

「十年だ」

「そう、ですか」

 イーディスがあちらで過ごした時間よりも少し長い。だが概ね時間の進むスピードは同じだったのだろう。両親や使用人は戻ってきてくれて良かったと喜んでくれている。誰も悪い言葉は口にしない。けれど十年という時間は、これから先、イーディスが背負って生きる罪である。温かい湯に浸かっていた分だけ、こちらの世界との差が生まれた。仕方のないことだ。受け止める覚悟もある。それでも胸にはずしりとのしかかった。

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