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七章
2.深淵
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魔界に到着すると二人はイーディスを快く受け入れてくれた。イーディス自身を、というよりも荷物に視線が注がれていたが、いつものことだ。今回は二日連続で来たものだから大喜びだ。
羽根男はすぐさまテーブルのセッティングを開始し、魔王は以前イーディスが想像したバーベキューセットに火をくべる。そこにバッグの中身を並べ、彼らの食事の準備に取りかかる。そして彼らの食事がある程度進んだ状態まで待って、ようやく話が始められる。
「だから魔道書に何かあるんじゃないかと思ったんですが、何か知ってますか?」
「もっごもごもご」
お茶くみもイーディスの仕事である。というかイーディスが自ら率先して注いでいる。なにせ初めて持ってきた際、二人揃って水筒に直接口を付けたのだ。せっかく蓋に注げるものを用意したというのに、揃ってやけどした。魔人にはやけどという概念はないらしいが、渋い顔をしていたので熱さと痛みは感じたのだろう。なのに再び同じような行動に出た。だからイーディスが注ぐことにした。魔王にはマグカップ一杯で角砂糖一つ。羽根男はカップの半分まで注いだ後で同じだけのミルクを入れるのだ。
「いや、食べ終わってからで大丈夫です。はい、ミルクティー」
ぬるいミルクティーを差し出せば、ごくごくと喉を動かして空っぽにする。それを受け取って、次の分も入れるのを忘れない。
「なんだ、今まで気付かなかったのか? アンクレットや他の職員達は何も言ってなかったのか?」
「はい。一応あの後しばらく経過観察をするということで落ち着いてそれから音沙汰ないので、新たな情報は入ってきていないかと」
「アンクレットでも気付かないのか。そういや今って天然もの見たことある奴いないんだったっけ? 魔王、過去に発生した魔法道具のデータって」
「静かにしろ! 肉の音を聞き逃す」
今までも何度か肉を持ってきているが、ここまで目が本気ではなかった。今日の肉は羊肉だ。カルドレッド付近では羊の生産をしている地域はないのだが、職員の一人が出張土産として買ってきてくれたのだ。羊肉が好物なら食堂の仕入れに加えて貰うことにしよう。その時は一緒にジンギスカン鍋も用意して。それだけでは寂しいので、ピーマンとキャベツ、それからもやしは欲しいところだ。そういえばもやしはこの世界に転生してからお目にかかったことがないが、あるのだろうか。なければ自分で作らなければならないので、次までに十日以上はかかりそうだ。
「……イーディス、そのバケット分けてくれ。まだ昨日持ってきてくれたたまごがあるから、それでフレンチトーストを作ろう」
魔王の食事がまだまだ時間がかかりそうなので、羽根男と一緒にフレンチトースト作りに取りかかることにした。バケットは食パンよりも短い時間で染みこむのだ。作ると分かっていれば、リンゴのコンポートやアイスクリームなども用意してきたのだが、今回はトッピングはなしで我慢しよう。
「はぁ……美味かった」
「フレンチトースト出来てますよ~」
「おお、美味そうだな。それで、なんだっけ?」
「過去に発生した天然ものの魔法道具のデータってカルドレッドになかったっけ? って話。カルドレッドの奴ら、魔道書に聖母の力が宿っていることに気付いていないみたいだから」
「魔法道具の作成に役立てたのは天然物のデータだからどこかしらにあるはずだが、管理してた奴がもういないからな」
すまないが力になれそうもないと言いながら、魔王は口いっぱいにフレンチトーストを頬張った。だがごくりと喉元を動かしてから有力な情報をくれる。
「だが聖母の力がついているというのは本当だ。彼らが聖母の力だと気付かなくとも、彼らは皆、何かしらは感じているはずだ」
「何かしら、ですか?」
「それが天然物の魔法道具はこうであると認識しているだけ、なのかもしれないし、もしくはイーディス本人もしくは魔道書の能力の一つだと解釈している場合もある。そもそもこの魔法道具自体が非常にイレギュラーなものだし、イーディスの魔道書には聖母の力が宿っているのだと認識してもらうほかないな」
「聖母の力が他者に与える影響とはなんですか」
「母に包まれているような安心感がある」
「え?」
魔王がサラッと口にした言葉にイーディスは目を丸く見開いた。安心感、安心感……。今まで聞いてきた聖母に関する情報は一体なんだったのか、と聞きたくなるような答えだ。だが『魔』を『聖母が歪めたもの』として捉えるのではなく『聖母が生み出したもの』と捉えれば納得できなくはない。魔に囚われたものは深淵に母を見る。そもそも彼女が聖母と呼ばれた訳はここにあるのではないだろうか。
イーディスは今まで『聖母』を慈善的な活動を行い、皆に感謝されてきた女性として考えていた。聖女という呼び方は、二人に別れてしまった聖女と元なる存在の聖母を分けるために使われた名称なのだと。そう思っていた。だが聖母が言葉の通り『聖なる母』という意味だと考えれば彼女へのイメージも大きく変わってくる。
「魔を濃く感じた者限定ではあるが、魔に触れたからこそそこから救いだしてくれる存在を求め続けている。そして本能的に聖母こそが自分を救ってくれる存在だと認識している。だから、癒やしの聖女は多くの者から愛される」
「もしも私が魔道書を持って、魔の影響が強い地域を歩き回った場合、どんなことが起きるでしょうか? 人々の心を、癒やしの聖女が力を使った後のような状態にすることが出来ますか?」
「出来ないだろうな。イーディスにその力はないし、聖母の力はおそらくイーディスのためにのみ働く」
「そう、ですか」
「だが人々はイーディスを聖母と認識し、好感を抱くだろう」
「聖母と領主を関連付けることに成功すれば、効率的に魔をカルドレッドに集めることが出来る?」
それどころか『聖母』という存在の認識の書き換えを行うことも出来るかもしれない。
魔に犯された人々が求めているのは救済である。その相手が聖女であろうが、聖母であろうが、剣聖であろうが関係ない。助けてくれるならそれでいい。なら、カルドレッド職員でもいいはずなのだ。
初めはイーディスを聖母として認識させ、イーディス個人に魔が集まるような流れを作る。その上で、聖母がまとめる『カルドレッド』という集団があることを認知させ、彼らが救済者であることをアピールする。剣聖の時のように大きな事件がある訳でもないので、周知するには長い時間がかかることだろう。けれど確実に他の人達の負担は軽くなる。そして最終的には『聖母が束ねる集団カルドレッド』ではなく、『魔のスペシャリストが集まる集団のトップこそがカルドレッド領主である』と認識を変えさせることで、イーディスの死後も魔を集めることが出来たら……。剣聖や慈愛の聖女はもちろん、癒やしの聖女すら必要なくなるかもしれない。所詮は夢物語かもしれない。それでも実行出来るのはきっと頼もしい仲間がいて、退魔核の研究が進んでいる今しかない。
「どうだろうな」
子を産んだことすらないイーディスには『母』になれる自信はない。だが領主だってなったことはなかった。今もちゃんとやれている自信はないけれど、カルドレッドという場所が『領主』の登場で今までよりも上手く回っている確信はある。イーディスの活躍なんて本当に豆粒程度かもしれないし、また仕事を増やしやがってと思われるかもしれない。それでもーー。
「可能性が少しでもあるのなら私はやってみようと思います」
迷惑をかけたら何度でも謝ろう。でもイーディスは図太いから。下げた頭をゆっくりと上げて友に微笑むのだ。
「私のワガママに付き合ってください」ーーと。
羽根男はすぐさまテーブルのセッティングを開始し、魔王は以前イーディスが想像したバーベキューセットに火をくべる。そこにバッグの中身を並べ、彼らの食事の準備に取りかかる。そして彼らの食事がある程度進んだ状態まで待って、ようやく話が始められる。
「だから魔道書に何かあるんじゃないかと思ったんですが、何か知ってますか?」
「もっごもごもご」
お茶くみもイーディスの仕事である。というかイーディスが自ら率先して注いでいる。なにせ初めて持ってきた際、二人揃って水筒に直接口を付けたのだ。せっかく蓋に注げるものを用意したというのに、揃ってやけどした。魔人にはやけどという概念はないらしいが、渋い顔をしていたので熱さと痛みは感じたのだろう。なのに再び同じような行動に出た。だからイーディスが注ぐことにした。魔王にはマグカップ一杯で角砂糖一つ。羽根男はカップの半分まで注いだ後で同じだけのミルクを入れるのだ。
「いや、食べ終わってからで大丈夫です。はい、ミルクティー」
ぬるいミルクティーを差し出せば、ごくごくと喉を動かして空っぽにする。それを受け取って、次の分も入れるのを忘れない。
「なんだ、今まで気付かなかったのか? アンクレットや他の職員達は何も言ってなかったのか?」
「はい。一応あの後しばらく経過観察をするということで落ち着いてそれから音沙汰ないので、新たな情報は入ってきていないかと」
「アンクレットでも気付かないのか。そういや今って天然もの見たことある奴いないんだったっけ? 魔王、過去に発生した魔法道具のデータって」
「静かにしろ! 肉の音を聞き逃す」
今までも何度か肉を持ってきているが、ここまで目が本気ではなかった。今日の肉は羊肉だ。カルドレッド付近では羊の生産をしている地域はないのだが、職員の一人が出張土産として買ってきてくれたのだ。羊肉が好物なら食堂の仕入れに加えて貰うことにしよう。その時は一緒にジンギスカン鍋も用意して。それだけでは寂しいので、ピーマンとキャベツ、それからもやしは欲しいところだ。そういえばもやしはこの世界に転生してからお目にかかったことがないが、あるのだろうか。なければ自分で作らなければならないので、次までに十日以上はかかりそうだ。
「……イーディス、そのバケット分けてくれ。まだ昨日持ってきてくれたたまごがあるから、それでフレンチトーストを作ろう」
魔王の食事がまだまだ時間がかかりそうなので、羽根男と一緒にフレンチトースト作りに取りかかることにした。バケットは食パンよりも短い時間で染みこむのだ。作ると分かっていれば、リンゴのコンポートやアイスクリームなども用意してきたのだが、今回はトッピングはなしで我慢しよう。
「はぁ……美味かった」
「フレンチトースト出来てますよ~」
「おお、美味そうだな。それで、なんだっけ?」
「過去に発生した天然ものの魔法道具のデータってカルドレッドになかったっけ? って話。カルドレッドの奴ら、魔道書に聖母の力が宿っていることに気付いていないみたいだから」
「魔法道具の作成に役立てたのは天然物のデータだからどこかしらにあるはずだが、管理してた奴がもういないからな」
すまないが力になれそうもないと言いながら、魔王は口いっぱいにフレンチトーストを頬張った。だがごくりと喉元を動かしてから有力な情報をくれる。
「だが聖母の力がついているというのは本当だ。彼らが聖母の力だと気付かなくとも、彼らは皆、何かしらは感じているはずだ」
「何かしら、ですか?」
「それが天然物の魔法道具はこうであると認識しているだけ、なのかもしれないし、もしくはイーディス本人もしくは魔道書の能力の一つだと解釈している場合もある。そもそもこの魔法道具自体が非常にイレギュラーなものだし、イーディスの魔道書には聖母の力が宿っているのだと認識してもらうほかないな」
「聖母の力が他者に与える影響とはなんですか」
「母に包まれているような安心感がある」
「え?」
魔王がサラッと口にした言葉にイーディスは目を丸く見開いた。安心感、安心感……。今まで聞いてきた聖母に関する情報は一体なんだったのか、と聞きたくなるような答えだ。だが『魔』を『聖母が歪めたもの』として捉えるのではなく『聖母が生み出したもの』と捉えれば納得できなくはない。魔に囚われたものは深淵に母を見る。そもそも彼女が聖母と呼ばれた訳はここにあるのではないだろうか。
イーディスは今まで『聖母』を慈善的な活動を行い、皆に感謝されてきた女性として考えていた。聖女という呼び方は、二人に別れてしまった聖女と元なる存在の聖母を分けるために使われた名称なのだと。そう思っていた。だが聖母が言葉の通り『聖なる母』という意味だと考えれば彼女へのイメージも大きく変わってくる。
「魔を濃く感じた者限定ではあるが、魔に触れたからこそそこから救いだしてくれる存在を求め続けている。そして本能的に聖母こそが自分を救ってくれる存在だと認識している。だから、癒やしの聖女は多くの者から愛される」
「もしも私が魔道書を持って、魔の影響が強い地域を歩き回った場合、どんなことが起きるでしょうか? 人々の心を、癒やしの聖女が力を使った後のような状態にすることが出来ますか?」
「出来ないだろうな。イーディスにその力はないし、聖母の力はおそらくイーディスのためにのみ働く」
「そう、ですか」
「だが人々はイーディスを聖母と認識し、好感を抱くだろう」
「聖母と領主を関連付けることに成功すれば、効率的に魔をカルドレッドに集めることが出来る?」
それどころか『聖母』という存在の認識の書き換えを行うことも出来るかもしれない。
魔に犯された人々が求めているのは救済である。その相手が聖女であろうが、聖母であろうが、剣聖であろうが関係ない。助けてくれるならそれでいい。なら、カルドレッド職員でもいいはずなのだ。
初めはイーディスを聖母として認識させ、イーディス個人に魔が集まるような流れを作る。その上で、聖母がまとめる『カルドレッド』という集団があることを認知させ、彼らが救済者であることをアピールする。剣聖の時のように大きな事件がある訳でもないので、周知するには長い時間がかかることだろう。けれど確実に他の人達の負担は軽くなる。そして最終的には『聖母が束ねる集団カルドレッド』ではなく、『魔のスペシャリストが集まる集団のトップこそがカルドレッド領主である』と認識を変えさせることで、イーディスの死後も魔を集めることが出来たら……。剣聖や慈愛の聖女はもちろん、癒やしの聖女すら必要なくなるかもしれない。所詮は夢物語かもしれない。それでも実行出来るのはきっと頼もしい仲間がいて、退魔核の研究が進んでいる今しかない。
「どうだろうな」
子を産んだことすらないイーディスには『母』になれる自信はない。だが領主だってなったことはなかった。今もちゃんとやれている自信はないけれど、カルドレッドという場所が『領主』の登場で今までよりも上手く回っている確信はある。イーディスの活躍なんて本当に豆粒程度かもしれないし、また仕事を増やしやがってと思われるかもしれない。それでもーー。
「可能性が少しでもあるのなら私はやってみようと思います」
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