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第一部『第006世界』
2-5:自分の役割
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渚は荒い呼吸を抑えきれず、膝から床に崩れ落ちた。
水を飲んだはずなのに、身体に回っている気がしない。胸の奥にぽっかりと穴が空いた感覚だけが残っている。
(あれが、私の力……?)
自分の手から現れた水。紛れもない、自分の力だ。あり得ないと思いつつ、あり得ると認識している。その解離が渚を蝕んでいる。
渚はふらふらと立ち上がって窓の傍に立った。
巨大スクリーンに映し出されたCM。彼の手から燃え盛る炎。空を飛びながら豪快に飲み干す炭酸のシーン。
CGとは思えない自然な炎。この世界の人はそれを当たり前のように受け入れていた。
「私、どこにいるの……」
母親の言葉が頭に響く。
――《界律能力》。
渚は、震える自分の手を見下ろした。
天災、特務機関、《天鳴グループ》、界律能力。数々の言葉が、あの『ろく』の世界そのものを示している。
「『ろく』……」
背中がぞくりと粟立った。
信じられない結論が、渚の中で急に現実味を帯び始めた。まさか、本当に――自分はその世界に入り込んでいるというのだろうか。
それなら、この身体の持ち主である『椎野渚』は。
母親と父親がいるのは、どういうことなのだろう。
「ななせ。そうだ。ななせ……、ななせ、れいし」
無意識のうちに、渚はその名前を繰り返し口の中で転がした。
『ろく』の主人公、七瀬玲梓。
日本でも最強と名高いS級――最高ランクの《界律者》。強大な力を持ち、数々の天災を解決してきた青年。
最も重要なことは、七瀬が『回帰』をしていたことだ。彼は、死ぬたびに何度も時間を巻き戻し、戦い続けていた。
七瀬の過去に関する詳しい描写はなかったが、彼は高校生の頃に《界律者》として覚醒し、《天鳴グループ》にスカウトされたという情報は覚えている。
《天鳴グループ》――日本五大天災対策組織のひとつ。
国家の特務機関を凌駕する実働力を誇り、S級やA級の《界律者》を抱える巨大組織だ。
《界律者》に覚醒した者は例外なく、政府直轄の天災対策特務機関――DDA本部に登録する義務を負う。
DDA本部の役割は、《界律者》の登録・管理・監視、弧洞の監視。そして市民への被害を抑えることに重点が置かれている。
一方で、民間の天災対策組織――いわば企業に近しい組織――は、より実働部隊として前線に立ち、資金や保険も手厚い。人気の高い《界律者》の多くが民間へ流れていた。
そして『ろく』の中で、七瀬は《天鳴グループ》に所属し、マスターとして前線に立っていた。
渚は急いでパソコンを立ち上げ、七瀬の名を検索した。
彼ほどの存在なら記事が出てくるはずだ。
『ろく』の物語の中で、彼は数多の《界律者》の中でも人気が高かった。よくメディアにも取り上げられている描写もあった。検索すれば、名前くらいは出てくるだろう。
しかし、《天鳴グループ》の公式サイトにも、七瀬の名前はなかった。
「なんで? 一般には出回っていないの?」
特務機関のサイトにもその名前はない。『特務機関・隊員一覧』を開き、落胆のまま渚はページを下へとスクロールした。
ふと、動かしていた指を止めた。
――作戦局 弧洞調査課第四班 一般隊員 椎野渚
「え……?」
そこにあるのは自分の顔写真。そして記されていたのは、自分の名前だ。肩書きは「C級界律者・特務機関所属」となっている。
渚は椅子をきしませて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って……! わ、私が、隊員!?」
その時、机に置かれていた腕時計型のデバイスが光り、振動した。黒い画面に通知が浮かび上がっていた。
『明日:特務機関へ復帰』
――C級の命は、砂粒よりも軽い。特務機関ではことさらに。
その表現が頭に思い浮かぶ。渚は力が抜けてどすんと椅子に腰を落とし、大きく息を吐きだした。
「あ……、休暇って、これ……終わった……」
ふいに、パソコン画面の右下の箇所が目に入った。
2X05年6月13日。
『ろく』の物語が始まるのは、確か2X07年だったはずだ、と渚は思い出す。
(もしかして、まだ七瀬が「回帰」を始める前? 大天災が起きたとき、確か……)
おぼろげな記憶を辿った。
七瀬が時間を巻き戻すきっかけとなったのは「第二次大天災」だ。
それは日本に甚大な被害をもたらした大きな天災であり、そこから『ろく』の世界は滅亡に向かって加速した。
その大災害がまだ起こっていないということは、この世界はその前の時間にある。つまり、渚はその天災が起こる前の物語の中にいるのだ。
「大天災が、これから起こるってこと?」
渚がこの世界で目を覚ましたのはなぜなのか。
自分が、いったい何者であるのか。
元の世界に戻れるのか。
柳瀬はどうなったのか。
この身体の本来の渚は、どこへ行ったのか。
今はまだ、何も分からない。だが、『ろく』の本と、あの謎の人物が関わっている可能性は高い。
そして、もし、このまま『ろく』と同じように、この世界が滅びるのだとしたら――それを止めろ、ということなのだろうか。
「意味わかんない……」
(でも――まずは、明日)
七瀬はいる。渚は、いると信じていた。
探し出さなければ。七瀬を見つけ、この世界で何が起こるのかを確かめなければならない。
第二次大天災は訪れる。
それは、『ろく』の世界でも阻止できていなかった出来事だ。渚は、それを自分に阻止できるとは思えなかった。
ならば被害を最小限に抑え、七瀬が終わりの見えない絶望的な回帰に沈まない未来を作る。それが渚にできる最善策だ。
そして世界を天災から救い、七瀬の回帰を終わらせることができれば、元の世界に戻れるかもしれない。
未来を知る者の存在は、筋書きを狂わせる危険を孕む。『ろく』の展開から外れれば、この世界がどうなるか分からない。
さらに、この時間軸で迎える第二次大天災において、七瀬が何回目の回帰を経た七瀬なのかも見極める必要がある。
もちろんこの時間軸が一回目であるかもしれないが、もし一回目以降であったら。渚の存在は、これまでの七瀬の回帰にはない「異物」になる。
回帰を重ねた七瀬に、「回帰を乱す異物」だと見なされたら、七瀬は迷わず渚を排除するだろう。
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水を飲んだはずなのに、身体に回っている気がしない。胸の奥にぽっかりと穴が空いた感覚だけが残っている。
(あれが、私の力……?)
自分の手から現れた水。紛れもない、自分の力だ。あり得ないと思いつつ、あり得ると認識している。その解離が渚を蝕んでいる。
渚はふらふらと立ち上がって窓の傍に立った。
巨大スクリーンに映し出されたCM。彼の手から燃え盛る炎。空を飛びながら豪快に飲み干す炭酸のシーン。
CGとは思えない自然な炎。この世界の人はそれを当たり前のように受け入れていた。
「私、どこにいるの……」
母親の言葉が頭に響く。
――《界律能力》。
渚は、震える自分の手を見下ろした。
天災、特務機関、《天鳴グループ》、界律能力。数々の言葉が、あの『ろく』の世界そのものを示している。
「『ろく』……」
背中がぞくりと粟立った。
信じられない結論が、渚の中で急に現実味を帯び始めた。まさか、本当に――自分はその世界に入り込んでいるというのだろうか。
それなら、この身体の持ち主である『椎野渚』は。
母親と父親がいるのは、どういうことなのだろう。
「ななせ。そうだ。ななせ……、ななせ、れいし」
無意識のうちに、渚はその名前を繰り返し口の中で転がした。
『ろく』の主人公、七瀬玲梓。
日本でも最強と名高いS級――最高ランクの《界律者》。強大な力を持ち、数々の天災を解決してきた青年。
最も重要なことは、七瀬が『回帰』をしていたことだ。彼は、死ぬたびに何度も時間を巻き戻し、戦い続けていた。
七瀬の過去に関する詳しい描写はなかったが、彼は高校生の頃に《界律者》として覚醒し、《天鳴グループ》にスカウトされたという情報は覚えている。
《天鳴グループ》――日本五大天災対策組織のひとつ。
国家の特務機関を凌駕する実働力を誇り、S級やA級の《界律者》を抱える巨大組織だ。
《界律者》に覚醒した者は例外なく、政府直轄の天災対策特務機関――DDA本部に登録する義務を負う。
DDA本部の役割は、《界律者》の登録・管理・監視、弧洞の監視。そして市民への被害を抑えることに重点が置かれている。
一方で、民間の天災対策組織――いわば企業に近しい組織――は、より実働部隊として前線に立ち、資金や保険も手厚い。人気の高い《界律者》の多くが民間へ流れていた。
そして『ろく』の中で、七瀬は《天鳴グループ》に所属し、マスターとして前線に立っていた。
渚は急いでパソコンを立ち上げ、七瀬の名を検索した。
彼ほどの存在なら記事が出てくるはずだ。
『ろく』の物語の中で、彼は数多の《界律者》の中でも人気が高かった。よくメディアにも取り上げられている描写もあった。検索すれば、名前くらいは出てくるだろう。
しかし、《天鳴グループ》の公式サイトにも、七瀬の名前はなかった。
「なんで? 一般には出回っていないの?」
特務機関のサイトにもその名前はない。『特務機関・隊員一覧』を開き、落胆のまま渚はページを下へとスクロールした。
ふと、動かしていた指を止めた。
――作戦局 弧洞調査課第四班 一般隊員 椎野渚
「え……?」
そこにあるのは自分の顔写真。そして記されていたのは、自分の名前だ。肩書きは「C級界律者・特務機関所属」となっている。
渚は椅子をきしませて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って……! わ、私が、隊員!?」
その時、机に置かれていた腕時計型のデバイスが光り、振動した。黒い画面に通知が浮かび上がっていた。
『明日:特務機関へ復帰』
――C級の命は、砂粒よりも軽い。特務機関ではことさらに。
その表現が頭に思い浮かぶ。渚は力が抜けてどすんと椅子に腰を落とし、大きく息を吐きだした。
「あ……、休暇って、これ……終わった……」
ふいに、パソコン画面の右下の箇所が目に入った。
2X05年6月13日。
『ろく』の物語が始まるのは、確か2X07年だったはずだ、と渚は思い出す。
(もしかして、まだ七瀬が「回帰」を始める前? 大天災が起きたとき、確か……)
おぼろげな記憶を辿った。
七瀬が時間を巻き戻すきっかけとなったのは「第二次大天災」だ。
それは日本に甚大な被害をもたらした大きな天災であり、そこから『ろく』の世界は滅亡に向かって加速した。
その大災害がまだ起こっていないということは、この世界はその前の時間にある。つまり、渚はその天災が起こる前の物語の中にいるのだ。
「大天災が、これから起こるってこと?」
渚がこの世界で目を覚ましたのはなぜなのか。
自分が、いったい何者であるのか。
元の世界に戻れるのか。
柳瀬はどうなったのか。
この身体の本来の渚は、どこへ行ったのか。
今はまだ、何も分からない。だが、『ろく』の本と、あの謎の人物が関わっている可能性は高い。
そして、もし、このまま『ろく』と同じように、この世界が滅びるのだとしたら――それを止めろ、ということなのだろうか。
「意味わかんない……」
(でも――まずは、明日)
七瀬はいる。渚は、いると信じていた。
探し出さなければ。七瀬を見つけ、この世界で何が起こるのかを確かめなければならない。
第二次大天災は訪れる。
それは、『ろく』の世界でも阻止できていなかった出来事だ。渚は、それを自分に阻止できるとは思えなかった。
ならば被害を最小限に抑え、七瀬が終わりの見えない絶望的な回帰に沈まない未来を作る。それが渚にできる最善策だ。
そして世界を天災から救い、七瀬の回帰を終わらせることができれば、元の世界に戻れるかもしれない。
未来を知る者の存在は、筋書きを狂わせる危険を孕む。『ろく』の展開から外れれば、この世界がどうなるか分からない。
さらに、この時間軸で迎える第二次大天災において、七瀬が何回目の回帰を経た七瀬なのかも見極める必要がある。
もちろんこの時間軸が一回目であるかもしれないが、もし一回目以降であったら。渚の存在は、これまでの七瀬の回帰にはない「異物」になる。
回帰を重ねた七瀬に、「回帰を乱す異物」だと見なされたら、七瀬は迷わず渚を排除するだろう。
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