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16 若頭と小鳥のバスルーム
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朔が体調を崩した日は、義兄は早く帰って来て、いつも以上に甲斐甲斐しく朔の世話を焼いてくれる。
その日の義兄も帰宅するなり朔の額に手を当てて、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「熱は計った? ごはんは食べられる?」
ただ朔の変調は精神的なものであることも多い。朔の心が傷つかないよう、義兄は朔が調子の悪い間は、何があったかを追及するのを控えた。
朔は体を横たえながら義兄に答える。
「熱、三十八度くらい……ごはんは、無理そう。今日はもう寝るよ……」
義兄が追及しないのは、今回に限っては災いした。朔は発熱してぼんやりしていて、精神的な原因には見えなかった。
義兄はベッドに沈む朔の髪をそっと撫でて、朔に言う。
「今日は寒かったから、体が冷えたかな。具合が悪かったらすぐ俺を呼ぶんだよ。水分をよく摂って。……さ、ゆっくりお休み」
義兄は朔の額に口づけると、着替えのために隣室の自室に入って行った。
義兄は真っ先に朔のところに来たから、着替えも夕食もまだだった。そうやって朔を最優先で気にかけてくれる義兄を思って、ふいに朔の目が滲む。
ずっとそんな義兄に甘えてきた自分。けれど義兄はいつか朔を銘座に譲ることも考えていると、銘座は言っていた。
銘座に囲われる自分を想像すると、朔の体は芯から凍り付いていく。朔の身も心も凌辱される未来が透けて見えるからだ。
朔は隣室の義兄に聞こえないように声を押し殺して泣く。
「……ぅ、えく」
体調が悪いせいだろうか。自分のことが疎ましくて仕方がない。
ずっと義兄の側にいさせてと言えるほど、朔は自分に価値を見れない。すぐ失禁して、熱を出して、こんな風に弱気になる自分など、所有物としてもみすぼらしい。
……それでも義兄に愛されたいと願ってしまう自分は、浅ましいくらいに義兄だけが好きで。どんな未来だとしても、義兄から離れることだけは考えられない。
ふと朔は自分の腕を持ち上げて、すんと匂いを嗅いだ。ベッドに入る前に自分で体を拭いたが、なんだか臭いような気がするのだ。
「汚い……から、ちゃんと洗わないと」
朔はベッドから抜け出すと、熱のせいで揺れる視界の中でバスルームに向かった。この部屋には朔が体調を崩したときに湯を使えるよう、義兄が専用でバスルームをつけてくれたのだった。
朔は服を脱ぐと、洗い場でシャワーを浴び始めた。スポンジでごしごしと自分の体を擦っていたが、次第にスポンジは下腹部に辿り着く。
「こんな……汚い、もの」
怯えるとすぐ粗相をしてしまう、その子どものようなしるしのことが、朔は嫌いで仕方がなかった。この弱い部分のせいで学校にも通えず、自分は一人の人間にすらなれないような劣等感があった。
……こんな汚いもの、なければいいのに。
気が付けば朔は壁際に置いた剃刀に手を伸ばしていた。シャワーに打たれたまま、震える手でそれを握りしめる。
「さっちゃん? 熱があるのにシャワーは……」
ふいにバスルームの扉が開いて、義兄が心配そうに顔をのぞかせる。
義兄は朔のぐしゃぐしゃの泣き顔と手に持ったものに目を走らせて、瞬時に顔色を変えた。
「……さっちゃんっ!」
義兄は服を着たままバスルームに踏み込むと、シャワーで濡れるのも構わず朔を引き寄せる。
「何をしてるの! こんな……水に打たれて、肌も赤くなって……! 剃刀は……熱があるときに使うものじゃないだろう!?」
普段の穏やかな義兄が嘘のように、義兄は血相を変えて朔に追及する。
一瞬の沈黙の後、朔は手足から力を抜くと、目から光を消してつぶやく。
「……汚れを、落としたくて」
冷たいシャワーが二人に降り注いでいく。その中で、義兄は朔の肩を両手でつかんで言う。
「誰かが何か言ったんだね? さっちゃんは汚くなんてないよ。さっちゃん、俺の目を見て。俺が嘘を言ってるように見える?」
朔は義兄と目を合わせないまま、力なく首を横に振る。
「さっちゃん……」
ふいに義兄は朔の頬に両手を当てて、身を屈めた。
いつになく近づく距離。それに朔がふっと息を止めたとき、朔の唇を義兄の唇が塞いでいた。
冷え切った体の中、義兄と触れたそこだけが温かかった。そっと包まれた感覚は柔らかく朔の心をほぐして、義兄の肌の匂いをより近くに感じた。
義兄は長いキスの後、まだ息が触れる距離で朔に言った。
「……やっとこっちを見てくれた」
義兄はぎこちなく笑って、朔を見つめ返す。
「俺がキスするのは、さっちゃんだけ。さっちゃんがあんまりに綺麗でかわいいから、しちゃうんだ。汚いなんて、思ったことないよ」
義兄は愛おしそうに朔の頬を撫でて言う。
「だから下手だったら、ごめんね? 俺は今までもこれからも、さっちゃん以外とはキスしたくないからさ」
「兄さん……」
朔の目から、数刻前とは違う涙があふれた。義兄は朔の涙に唇を寄せて言う。
「さっちゃんのこと知らない人間の言葉なんかに、傷つかないで。俺はさっちゃんの体のどこにだって、キスしてみせるよ。……今、そうしようか?」
朔はかぁと顔を赤くして、首を横に振った。義兄は微笑んで、もう一度そっと朔の唇に触れる。
「……残念。いつか、だね?」
義兄は悪戯っぽくささやくと朔を抱き上げて、朔の体をバスタオルで包み込んだ。
その日の義兄も帰宅するなり朔の額に手を当てて、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「熱は計った? ごはんは食べられる?」
ただ朔の変調は精神的なものであることも多い。朔の心が傷つかないよう、義兄は朔が調子の悪い間は、何があったかを追及するのを控えた。
朔は体を横たえながら義兄に答える。
「熱、三十八度くらい……ごはんは、無理そう。今日はもう寝るよ……」
義兄が追及しないのは、今回に限っては災いした。朔は発熱してぼんやりしていて、精神的な原因には見えなかった。
義兄はベッドに沈む朔の髪をそっと撫でて、朔に言う。
「今日は寒かったから、体が冷えたかな。具合が悪かったらすぐ俺を呼ぶんだよ。水分をよく摂って。……さ、ゆっくりお休み」
義兄は朔の額に口づけると、着替えのために隣室の自室に入って行った。
義兄は真っ先に朔のところに来たから、着替えも夕食もまだだった。そうやって朔を最優先で気にかけてくれる義兄を思って、ふいに朔の目が滲む。
ずっとそんな義兄に甘えてきた自分。けれど義兄はいつか朔を銘座に譲ることも考えていると、銘座は言っていた。
銘座に囲われる自分を想像すると、朔の体は芯から凍り付いていく。朔の身も心も凌辱される未来が透けて見えるからだ。
朔は隣室の義兄に聞こえないように声を押し殺して泣く。
「……ぅ、えく」
体調が悪いせいだろうか。自分のことが疎ましくて仕方がない。
ずっと義兄の側にいさせてと言えるほど、朔は自分に価値を見れない。すぐ失禁して、熱を出して、こんな風に弱気になる自分など、所有物としてもみすぼらしい。
……それでも義兄に愛されたいと願ってしまう自分は、浅ましいくらいに義兄だけが好きで。どんな未来だとしても、義兄から離れることだけは考えられない。
ふと朔は自分の腕を持ち上げて、すんと匂いを嗅いだ。ベッドに入る前に自分で体を拭いたが、なんだか臭いような気がするのだ。
「汚い……から、ちゃんと洗わないと」
朔はベッドから抜け出すと、熱のせいで揺れる視界の中でバスルームに向かった。この部屋には朔が体調を崩したときに湯を使えるよう、義兄が専用でバスルームをつけてくれたのだった。
朔は服を脱ぐと、洗い場でシャワーを浴び始めた。スポンジでごしごしと自分の体を擦っていたが、次第にスポンジは下腹部に辿り着く。
「こんな……汚い、もの」
怯えるとすぐ粗相をしてしまう、その子どものようなしるしのことが、朔は嫌いで仕方がなかった。この弱い部分のせいで学校にも通えず、自分は一人の人間にすらなれないような劣等感があった。
……こんな汚いもの、なければいいのに。
気が付けば朔は壁際に置いた剃刀に手を伸ばしていた。シャワーに打たれたまま、震える手でそれを握りしめる。
「さっちゃん? 熱があるのにシャワーは……」
ふいにバスルームの扉が開いて、義兄が心配そうに顔をのぞかせる。
義兄は朔のぐしゃぐしゃの泣き顔と手に持ったものに目を走らせて、瞬時に顔色を変えた。
「……さっちゃんっ!」
義兄は服を着たままバスルームに踏み込むと、シャワーで濡れるのも構わず朔を引き寄せる。
「何をしてるの! こんな……水に打たれて、肌も赤くなって……! 剃刀は……熱があるときに使うものじゃないだろう!?」
普段の穏やかな義兄が嘘のように、義兄は血相を変えて朔に追及する。
一瞬の沈黙の後、朔は手足から力を抜くと、目から光を消してつぶやく。
「……汚れを、落としたくて」
冷たいシャワーが二人に降り注いでいく。その中で、義兄は朔の肩を両手でつかんで言う。
「誰かが何か言ったんだね? さっちゃんは汚くなんてないよ。さっちゃん、俺の目を見て。俺が嘘を言ってるように見える?」
朔は義兄と目を合わせないまま、力なく首を横に振る。
「さっちゃん……」
ふいに義兄は朔の頬に両手を当てて、身を屈めた。
いつになく近づく距離。それに朔がふっと息を止めたとき、朔の唇を義兄の唇が塞いでいた。
冷え切った体の中、義兄と触れたそこだけが温かかった。そっと包まれた感覚は柔らかく朔の心をほぐして、義兄の肌の匂いをより近くに感じた。
義兄は長いキスの後、まだ息が触れる距離で朔に言った。
「……やっとこっちを見てくれた」
義兄はぎこちなく笑って、朔を見つめ返す。
「俺がキスするのは、さっちゃんだけ。さっちゃんがあんまりに綺麗でかわいいから、しちゃうんだ。汚いなんて、思ったことないよ」
義兄は愛おしそうに朔の頬を撫でて言う。
「だから下手だったら、ごめんね? 俺は今までもこれからも、さっちゃん以外とはキスしたくないからさ」
「兄さん……」
朔の目から、数刻前とは違う涙があふれた。義兄は朔の涙に唇を寄せて言う。
「さっちゃんのこと知らない人間の言葉なんかに、傷つかないで。俺はさっちゃんの体のどこにだって、キスしてみせるよ。……今、そうしようか?」
朔はかぁと顔を赤くして、首を横に振った。義兄は微笑んで、もう一度そっと朔の唇に触れる。
「……残念。いつか、だね?」
義兄は悪戯っぽくささやくと朔を抱き上げて、朔の体をバスタオルで包み込んだ。
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