7 / 35
6 そうだ出稼ぎしよう
しおりを挟む
デザートを待つ間、撫子が周りを見てみるとアニマル的特徴を持った人型のお客さんがあちこちにいた。虫の触角や鳥の羽根、角や尻尾を持っていたり、ほとんど全身動物だが二足歩行の体を持っていたり様々だ。
みんなそれぞれのウェイターや他の動物と談笑して楽しそうだ。時間を気にせずくつろぐ様子はまさに理想的な温泉宿の景色のようで、見ている撫子もほんわかした気分になった。
「不味い」
ふいに斜め後ろの席で声が上がったときも、撫子は聞き間違いだと思った。
「このホテルは客にこんなものを食わせるのか」
剣呑な調子に撫子が思わず振り返ると、そこにはむっつりと顔をしかめた少年が座っていた。
年は十二、三歳といったところだろうか。大きな赤い目をしていて、真っ白で柔らかそうな髪が肩まで伸びており、なかなかかわいい子だ。
「支配人を呼べ」
その頭にはぴょこんとしたウサギの白い耳。和んでしまったが、その言葉に撫子は首を傾げる。
ウェイターが一礼して下がると、入れ違いにオーナーがやって来る。
「どうなさいました、お客様」
「部屋が汚い。席が気にいらない。食事が不味い」
ウサギ耳の少年はつらつらと苦情を並べて、オーナーをにらみつける。それに、オーナーは丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました。すぐに対処いたします」
静かに顔を上げようとしたオーナーに向かって、少年は一歩近づく。
はっと撫子は息を呑む。
「お前も気にいらない。おれ、お前嫌いだ」
少年はオーナーの顔に向かってコップの水をぶちまけた。
「ちょっと、君」
撫子の中で熱い感情が目覚めて席を立つ。
「このホテルはどこからどう見ても綺麗だし、どこの席も広々としてていい席だし、食事だってここ以上のところなんてみつからないくらいおいしいよ」
少年は誰かに文句を言われたのが意外だったのか、きょとんとして撫子の顔を見た。
けれどすぐに顔をしかめて口をとがらせる。
「気にいらないったら気にいらないんだ」
「それじゃ駄目だよ。せめてどう直してほしいのかきちんと説明しなきゃ。そうじゃないとただの文句になるよ」
それにと、撫子はウサギ少年の前に屈みこんで指を立てる。
「嫌いなんて失礼だ。オーナーに謝りなさい」
少年はかっと顔を赤くして飛び退く。
少年は逃げるように出て行ってしまった。
撫子は電車が通った後のような突風に髪を揺らされて、慌ててオーナーに振り向く。
「オーナー、大丈夫ですか!」
白い髪から水を滴らせながら、オーナーは眉を寄せて撫子を見た。
「余計なことをしないように。お客様のどんな要望でもお応えするのがこのホテルのポリシーなんですから」
「でもあの子のあれは要望ではありませんでしたよ」
「説明を求めるようでは支配人失格です」
オーナーはハンカチを取り出して顔を拭きながら言う。
「お客様の中には生前に不満をためてここにおいでになる方もいらっしゃるんです。そのような思いもすべて受け止めるのが私の役目です」
「……プロですね」
撫子は気圧されて黙った。
オーナーを見る目が変わった。生前アルバイトならたくさんしてきたが、オーナーほどの覚悟で働いてはいなかった。
撫子は手を顎に当ててうなると、大人しく頭を下げることにした。
「よく知らずに勝手なことをしてすみませんでした。私が悪かったです」
「わかればよろしい」
「だから私をあの子の苦情処理担当にさせてください」
「撫子?」
顔を上げながら、撫子はオーナーの猫目を見返す。
「タダ飯食らいでは居心地が悪いので働きます。もう十分休みましたし」
一週間は寝たし、三食分くらい一気に食べた。
恩返しというと聞こえがいいが、心の整理として何か返したいと思った。
「私が言ったことを忘れましたか。あなたは無為に過ごしていればそれでよいのです」
「私が良くないです」
撫子は生前をちらっと思い出して頬をかく。
「生きている間はバイト三昧だったので無為に過ごすのは罪悪感で死にそう……いや、もう死んでますけど苦痛です」
死にそうなんて言葉、生きている間にそう簡単に使うものじゃなかったな。撫子は遠い目をして、オーナーに目を戻す。
「それにあの子、なんだかほっとけなくて」
「どうしてそう思うんです」
「本当に悪い人は、とりあえずは良い顔をするでしょう? そういう人は生きている間にいっぱい会ったんです」
人生経験は十六年とはいえ、両親に関わる人間には実にいろんな人がいた。
「まあ、あと」
オーナーが水を被るくらいなら、自分が被った方がましだと思った。
「何です?」
「いえ、それだけです」
正直に言うと何だかオーナーのことが好きみたいじゃないか。撫子は慌てて言葉を濁した。
「バイトがしたいんです。私の休暇の過ごし方として認めてもらえませんか?」
自分の好きなことをすればいいのにと、友達に言われたことがある。
けど両親は借金で苦しそうで、少しでも生活を楽にしてあげたかった。そういうと自己犠牲のように聞こえるかもしれないが、結局は自分自身のためにしていたことだ。
ただ、両親と一緒にいたかったから。今は……もうちょっとくらい、ここにいてもいいと思っているから。
「まだ行くつもりはありませんし」
撫子がそう言うと、オーナーは猫目を細めた。
「私は役に立つ妻が欲しいわけではありませんよ」
一拍思案して、彼は言う。
「好きになさい。あなたの休暇ですから」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし」
オーナーは撫子の肩に手を置いて、耳に口を寄せる。
「浮気は許しませんよ」
とっさに何も言えなかった撫子に、オーナーは続ける。
「先ほどのお客様はフィン様。詳しくはチャーリーに訊きなさい」
ひらりと尻尾を振って去っていくオーナーを見送り、撫子はウサギ相手にどうやって浮気すればいいのか考えていた。
みんなそれぞれのウェイターや他の動物と談笑して楽しそうだ。時間を気にせずくつろぐ様子はまさに理想的な温泉宿の景色のようで、見ている撫子もほんわかした気分になった。
「不味い」
ふいに斜め後ろの席で声が上がったときも、撫子は聞き間違いだと思った。
「このホテルは客にこんなものを食わせるのか」
剣呑な調子に撫子が思わず振り返ると、そこにはむっつりと顔をしかめた少年が座っていた。
年は十二、三歳といったところだろうか。大きな赤い目をしていて、真っ白で柔らかそうな髪が肩まで伸びており、なかなかかわいい子だ。
「支配人を呼べ」
その頭にはぴょこんとしたウサギの白い耳。和んでしまったが、その言葉に撫子は首を傾げる。
ウェイターが一礼して下がると、入れ違いにオーナーがやって来る。
「どうなさいました、お客様」
「部屋が汚い。席が気にいらない。食事が不味い」
ウサギ耳の少年はつらつらと苦情を並べて、オーナーをにらみつける。それに、オーナーは丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました。すぐに対処いたします」
静かに顔を上げようとしたオーナーに向かって、少年は一歩近づく。
はっと撫子は息を呑む。
「お前も気にいらない。おれ、お前嫌いだ」
少年はオーナーの顔に向かってコップの水をぶちまけた。
「ちょっと、君」
撫子の中で熱い感情が目覚めて席を立つ。
「このホテルはどこからどう見ても綺麗だし、どこの席も広々としてていい席だし、食事だってここ以上のところなんてみつからないくらいおいしいよ」
少年は誰かに文句を言われたのが意外だったのか、きょとんとして撫子の顔を見た。
けれどすぐに顔をしかめて口をとがらせる。
「気にいらないったら気にいらないんだ」
「それじゃ駄目だよ。せめてどう直してほしいのかきちんと説明しなきゃ。そうじゃないとただの文句になるよ」
それにと、撫子はウサギ少年の前に屈みこんで指を立てる。
「嫌いなんて失礼だ。オーナーに謝りなさい」
少年はかっと顔を赤くして飛び退く。
少年は逃げるように出て行ってしまった。
撫子は電車が通った後のような突風に髪を揺らされて、慌ててオーナーに振り向く。
「オーナー、大丈夫ですか!」
白い髪から水を滴らせながら、オーナーは眉を寄せて撫子を見た。
「余計なことをしないように。お客様のどんな要望でもお応えするのがこのホテルのポリシーなんですから」
「でもあの子のあれは要望ではありませんでしたよ」
「説明を求めるようでは支配人失格です」
オーナーはハンカチを取り出して顔を拭きながら言う。
「お客様の中には生前に不満をためてここにおいでになる方もいらっしゃるんです。そのような思いもすべて受け止めるのが私の役目です」
「……プロですね」
撫子は気圧されて黙った。
オーナーを見る目が変わった。生前アルバイトならたくさんしてきたが、オーナーほどの覚悟で働いてはいなかった。
撫子は手を顎に当ててうなると、大人しく頭を下げることにした。
「よく知らずに勝手なことをしてすみませんでした。私が悪かったです」
「わかればよろしい」
「だから私をあの子の苦情処理担当にさせてください」
「撫子?」
顔を上げながら、撫子はオーナーの猫目を見返す。
「タダ飯食らいでは居心地が悪いので働きます。もう十分休みましたし」
一週間は寝たし、三食分くらい一気に食べた。
恩返しというと聞こえがいいが、心の整理として何か返したいと思った。
「私が言ったことを忘れましたか。あなたは無為に過ごしていればそれでよいのです」
「私が良くないです」
撫子は生前をちらっと思い出して頬をかく。
「生きている間はバイト三昧だったので無為に過ごすのは罪悪感で死にそう……いや、もう死んでますけど苦痛です」
死にそうなんて言葉、生きている間にそう簡単に使うものじゃなかったな。撫子は遠い目をして、オーナーに目を戻す。
「それにあの子、なんだかほっとけなくて」
「どうしてそう思うんです」
「本当に悪い人は、とりあえずは良い顔をするでしょう? そういう人は生きている間にいっぱい会ったんです」
人生経験は十六年とはいえ、両親に関わる人間には実にいろんな人がいた。
「まあ、あと」
オーナーが水を被るくらいなら、自分が被った方がましだと思った。
「何です?」
「いえ、それだけです」
正直に言うと何だかオーナーのことが好きみたいじゃないか。撫子は慌てて言葉を濁した。
「バイトがしたいんです。私の休暇の過ごし方として認めてもらえませんか?」
自分の好きなことをすればいいのにと、友達に言われたことがある。
けど両親は借金で苦しそうで、少しでも生活を楽にしてあげたかった。そういうと自己犠牲のように聞こえるかもしれないが、結局は自分自身のためにしていたことだ。
ただ、両親と一緒にいたかったから。今は……もうちょっとくらい、ここにいてもいいと思っているから。
「まだ行くつもりはありませんし」
撫子がそう言うと、オーナーは猫目を細めた。
「私は役に立つ妻が欲しいわけではありませんよ」
一拍思案して、彼は言う。
「好きになさい。あなたの休暇ですから」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし」
オーナーは撫子の肩に手を置いて、耳に口を寄せる。
「浮気は許しませんよ」
とっさに何も言えなかった撫子に、オーナーは続ける。
「先ほどのお客様はフィン様。詳しくはチャーリーに訊きなさい」
ひらりと尻尾を振って去っていくオーナーを見送り、撫子はウサギ相手にどうやって浮気すればいいのか考えていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる