いつの間にか結婚したことになってる

真木

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16 なぜ結婚してること前提なんだろう

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 目が覚めた場所は、工事現場でした。
「花畑とまでは言わないから、せめてもっと趣のあるところがよかったなぁ」
 撫子はぶつくさ言いながら体を起こして、辺りを見回す。
 木材で足場を組んでいるのはアニマル的特徴を持ったひとたちだから、ここが死出の世界であることは間違いない。
 でもよく見ると、猫耳や尻尾を持った従業員の姿はなかった。
「また頼りなさそうな所有者が来ましたね」
 後ろから声をかけられて、撫子は座ったまま振り向く。
「あ、いたいた。従業員さん」
 五歳くらいの猫耳少年で、耳にかかるくらいの白い髪に細い尻尾を持っている見目麗しい子だった。時代劇みたいな縞模様の着物を着て、下駄を履いている。
「えっ!」
 一方、彼は撫子を見て猫目を見開く。
「あなた、僕の妻なんですか?」
「まさか。君を夫にしたら私、未成年略取で捕まっちゃうって」
 白い髪の少年はかわいらしい口をへの字にする。
「匂いでわからないとでも思ってるんですか。僕は未来のオーナーです」
「へ?」
 撫子が首を傾げると、どこかから女性の声が聞こえた。
「あなたはオーナーの鍵を持っていたから、ちょっと時間をさかのぼったのよ」
 撫子はきょろきょろと工事現場を見渡すが、どこにも女性の姿はない。
「ごめんね。すぐ側にいるのだけど、私は映像を撮っているからあなたからは見えない」
「映像の中ですか」
「あなたの名前を教えてくれる?」
 親しげに呼びかける声が心地よくて、撫子はうなずく。
「私は撫子といいます」
「撫子?」
 少年の声と女性の声が重なる。
 女性はくすくすと笑いだし、少年の方は顔をしかめた。
「未来の僕の趣味がわかりません。なぜそんな名の女を妻にしたのか」
「キャット」
 女性はたしなめるように言う。
「失礼はおよしなさい。私の跡を継いでこのホテルのオーナーとなるなら、どんな方にでも微笑みかける支配人にならなきゃ」
 キャットと呼ばれた少年は視線をさまよわせると、憮然としながらも黙った。
「えと、つまりここは過去なんですね?」
 撫子はまた死出の世界の不思議現象に巻き込まれていることに気付いて、話しながら頭を整理することにした。
「この子がオーナーの小さい頃で、声しか聞こえないあなたが……」
「キャット・ステーション・ホテルのオーナー。といっても、まだホテルは完成していないのだけど」
 見てちょうだいと言われて辺りを見回すと、レンガ造りの建設途中の建物が目に映る。
「キャット・ステーション・ホテルは現在建設途中なの」
「ということは、昔々の死出の世界ですか?」
「そうよ。あなた順応が早いわね」
「先代のオーナーは優しいですね」
 今のオーナーのように毒舌ではないらしい。
 ほっとしたところで、撫子はここに来た理由を思い出す。
「聞いてください。大変なんです! ホテルが従業員名簿ごと雀の女将に乗っ取られて、オーナーが行方不明なんですよ!」
「あらあら」
 先代はゆったりと返す。
「困ったわねぇ」
「あまり困っていらっしゃらないお声ですが」
「言ってみただけだから」
 いい性格であるのはオーナーと共通らしい。
「私がオーナーの鍵を持っていたから、過去にさかのぼったと仰いましたね」
「いつもはキャットが扉を管理してるから入れないはずなんだけどね」
「どうしよう、オーナー……」
 撫子が悪い想像を巡らせたら、先代が笑う気配がした。
「さあ? キャットは従業員名簿から外されたくらいで死んじゃうような、そんな頼りない子だったかしら」
「ありえません」
 キャットは怒りを声ににじませて言う。
「撫子。妻なら僕のことをちゃんと信じなさい。それくらい、僕がすぐに解決します」
「は、はい。すみません。あと一つだけ言わせてもらうと、妻ではありません」
 人指し指を付きつける仕草は幼くてかわいらしいけど、声の調子がオーナーそのものでなんとなく撫子は謝ってしまった。
「ただ、その。心配になって」
「僕が信じられないっていうんですか」
「信じてますよ。オーナーはきっと戻るって」
 撫子は頬をかいて言う。
「ただ一人で無茶して、いっぱい怪我して帰ってきてほしくはなくて。何か手伝えないかと思っただけです」
 先代が一瞬言葉に迷う気配がした。
「従業員名簿から名前を消されちゃった支配人なんて、オーナーと言えるかしら」
「オーナーは一人で働いているわけじゃありません」
 撫子は首を横に振って言い返す。
「悪意のある人にはホテルの従業員みんなで立ち向かったっていいはずです」
 従業員でない私が言うことじゃないかもしれませんが。撫子は小声で付け加える。
「オーナーはきっと戻る。でも今はホテルの改装を止めないといけないんです。オーナーがいらっしゃったら、お客様にご不便をおかけすることなんてやめさせるはずですから」
 撫子は一呼吸考えて言う。
「当ホテルのポリシーは」
 女将にとっさに言い返せなかったキャット・ステーション・ホテルの信念。けれど撫子は、ホテルに初めてやって来た時に聞いていたはずだ。
「『お客様に最高の休暇を』。そのために当ホテルはあらゆる設備を整えていると、オーナーは言っていました」
「ふふ!」
 先代はぷっと噴き出して笑いだす。
「先代! 私、まちがったことは言ってないです!」
「そうよ。あなたの言う通り」
 手を叩く音が聞こえてきた。
「ホテルを乗っ取らせるような子に手を貸すのはためらうわ。でも当ホテルのポリシーを理解しているあなたには別。知恵を貸しましょう」
「あ、ありがとうございます!」
 撫子は方向がわからないながらも頭を下げる。
 とりあえず八方向くらいに頭を下げたところで、先代は何てことないように一言呟いた。
「簡単なことよ。あなたがホテルを乗っ取り返せばいいの」
「乗っ取り返し? 従業員名簿を奪うことですか?」
 撫子は雀の女将を思い出す。
「いやいや! 格闘したら負けますよ。自信あります。私、ただの人間ですから」
 女将は何やら妖しい術を使う、御年千年になるという妖怪だ。コッペパンごときで死んだ撫子が正面からいっても勝てそうにない。
「まあね。でも従業員名簿以外のもので対抗すればいいのよ」
「ほう?」
「キャット。どうすればいいかわかる?」
 今まで黙って話を聞いていたキャットは、こくりとうなずいて答える。
「僕が持っている副オーナーの紙を使えばいいんじゃないでしょうか? お上から交付された、従業員名簿の対の紙ですから」
「どうしても紙を使わせたいんですね」
 撫子は軽いあきらめと共に言った。先代は苦笑しながら説明してくれる。
「オーナーの専制を止めるためのものよ。だからオーナーは手を触れられない。キャットがオーナーとなったなら、ヴィンセントが持っているでしょう」
「そんなものがあるなら話は早いです。ヴィンセントさんに言って使ってもらえば……」
「いや、待ってください」
 キャットが難しい顔をして言い放つ。
「あなたがだいぶ未来の人間だとしたら、ヴィンセントは文面を忘れているかもしれません。本来、オーナーの決定直後に使用するものですから」
「うう、融通が利かない」
 お上はどこの世界でも柔軟性には欠けるらしい。
「あなたが今からお上に紙をもらうには時間がかかりすぎるでしょうね」
「そういうところまで現実味がなくていいのに」
 ちょっとあの世の仕組みに悲しさを感じた撫子だった。
「僕を忘れていますね?」
 肩を落とした撫子に、キャットが不機嫌そうに声をかけた。
 撫子は顔を上げてキャットを見る。
「今ここにいる僕があなたに、直接文面を教えればいいじゃないですか」
「あ!」
 撫子は心の中でぽんと手を打つ。
「ホテルも夫も取り返しなさい、お嬢さん」
 先代が猫のように笑う気配がした。
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