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【Prologue】とろけるように甘い現実
甘い美声を響かせて、彼は私に囁きかけた。
「ほら……これが欲しいのでしょう?」
それはまるで悪魔の誘惑。
一体いつから、この子はこんな表情をするようになったのだろう?
私の記憶の中では、この子はたった13歳の男の子だったのに。
まだ声変わりもしていない、幼くかわいい男の子だったのに。
ミステリアスな美貌に大人の男の色香を纏い、彼はゆったりと微笑していた。シャンパンブロンドの髪をさらりと揺らし、そっと私との距離を詰めてくる。紫水晶のような瞳でまっすぐ私を見つめている。
彼はベッドの中の私に、それをねだらせようとしていた。
「素直になってはいかがですか、シスター・エルダ? あなたは昔から、これが大好きだったではありませんか」
弦楽器の豊かな音色に似た声に、うっかり酔いしれてしまいそうになる――しかし私はハッと我に返って顔をそむけた。
「恥ずかしがらなくて良いんですよ、シスター・エルダ」
……いやよ。私にも、修道女としてのプライドがある。こんな恥ずかしいこと、今日こそは絶対に断らなければ。
もうこれ以上、彼に素直に従うわけにはいかない。
私は真っ赤になりながら、きつく目をつぶった。
「シスター・エルダ。はい、あ~ん」
「……ラファエル様。私、自分で食べられますから!」
私は、抗議の声を上げてラファエル様を見つめた――正確には、彼の掌の上に乗っている小皿を見つめていた。
小皿の上にあるのは、カップに入ったおいしそうな黄色いお菓子。私の大好物、はちみつプディングだ。ラファエル様はそれをスプーンでひとすくいして、私の口に運ぼうとしていた。
「見ての通り、私はすっかり元気になりました。ですから、もう『あ~ん』は必要ありません」
私は赤ちゃんでも介護のおばあさんでもない。だからいい加減、食事くらいは自分で摂らなければ。
「何をおっしゃるんですか、シスター・エルダ。あなたが昏睡状態から回復してから、まだたったの1か月半ですよ。『無理は禁物』と医師も言っていたでしょう? それに私は、ようやく目覚めてくれたあなたに心を尽くしたいんです」
そんなふうに言いながら、彼は私の唇をちょんちょんとスプーンでつついてきた。ああ、もう、本当に恥ずかしい……!
「これはただの食事ではなく、大切な嚥下トレーニングです。さあ、素直に口を開いて。私がシスターのために手作りした特製プディングを、たっぷり召し上がってくださいね」
「……ぅ」
「じっくり丁寧にリハビリを進めましょう。なんといっても、あなたは10年近く眠っていたのですから」
――10年。
『いばら病』という世にも奇妙な病気を発症した私は、長い昏睡状態に陥っていた。
いばら病は、国内に数人しか患者がいない極めて珍しい病気だ。体にツルバラの蔦のような痣が広がっていき、ある日突然に昏睡状態に陥ってしまう。
治療法は存在せず、おとぎ話の『いばら姫』のように眠り続ける。昏睡に陥ったいばら病患者を生かし続けるのは難しく、たとえ最新鋭の魔力鉱炉を実装した生命維持装置を用いたとしても、5年足らずで亡くなってしまうと言われていた。
言われていた……はずなんだけれど。
(でも、私は生きているのよね)
私は戸惑いがちに、ラファエル様を見つめた。
(私が無事に目覚めたのは、この子……いえ、このお方のおかげなのね)
このファルツ王国で指折りの名門貴族、アルシュバーン侯爵家。
若干23歳にして、その当主を務めるのがこのお方――ラファエル・アルシュバーン侯爵閣下なのだ。
(まさか路地裏で助けた孤児が、侯爵閣下になっていたなんて……!)
私と彼の出会いは13年前。
修道女である私は、路地裏でゴロツキに絡まれていた孤児を保護して一緒に暮らしていた。訳ありの子だとは思っていたけれど、まさか名門貴族のご令息だったなんて。
私がいばら病で昏睡状態になっていた10年のうちに彼の身辺は激変して、ご実家に戻って当主の地位に就いていたそうだ。そして彼はご実家の莫大な資産を投じていばら病の治療法を見つけ出し、私を目覚めさせてくれたのだという。
私は眠っている間に、ラファエル様にすさまじい借りを作ってしまっていた。一生かけてもお返しできない気がするのだが、一体どうしたらいいのだろう……?
「どうしましたか、修道女エルダ?」
元孤児とは思えない高貴なオーラを纏わせて、ラファエル様は再びご自身の手作りプディングを私の口へと運ぼうとしてきた。こんな凄まじい身分の方にプディングを作らせて食べさせるって……私ってどんなご身分よ?
「遠い昔にシスターは、地獄のような日々から私を救い出してくれました。だから今度は、私があなたにお返しをする番です」
……うぅ。そう言われてしまうと、断りづらい。
「さぁ……あ~ん」
長い葛藤の末、私は顔を赤くしながら口を開いた。
彼のスプーンがそっと舌先に触れる。
(んんっ、おいしい!)
ひんやり冷たいプディングのなめらかさ。口いっぱいに広がる蜂蜜とカスタード。あまりのおいしさに、羞恥を忘れて目を輝かせてしまった。
「まるでひな鳥のようですね。やはり、あなたはとてもかわいい」
「!?」
か、かわいいって……私、もうすぐ29歳なんですが……?
どう見てもあなたのほうがかわいくて、しかもお若いんですが??
羞恥に染まる私のことをうっとり見つめて、ラファエル様は幸せそうに笑っていた。
「あなたが元気を取り戻すまで、いいえ、その後も生涯に渡って私がしっかりとあなたをお守りします。身を尽くしてお世話しますので、安心して私にすべてを委ねてください」
(じ、冗談じゃないわ。育てた子に面倒見られるなんて、そんなのまるで介護じゃない! それにしても、まさか本当に私が目覚めるなんて。……これってやっぱり夢なんじゃないかしら)
いまだに信じられない気持ちで、私は修道女になってから今日までの日々を思い返していた――。
「ほら……これが欲しいのでしょう?」
それはまるで悪魔の誘惑。
一体いつから、この子はこんな表情をするようになったのだろう?
私の記憶の中では、この子はたった13歳の男の子だったのに。
まだ声変わりもしていない、幼くかわいい男の子だったのに。
ミステリアスな美貌に大人の男の色香を纏い、彼はゆったりと微笑していた。シャンパンブロンドの髪をさらりと揺らし、そっと私との距離を詰めてくる。紫水晶のような瞳でまっすぐ私を見つめている。
彼はベッドの中の私に、それをねだらせようとしていた。
「素直になってはいかがですか、シスター・エルダ? あなたは昔から、これが大好きだったではありませんか」
弦楽器の豊かな音色に似た声に、うっかり酔いしれてしまいそうになる――しかし私はハッと我に返って顔をそむけた。
「恥ずかしがらなくて良いんですよ、シスター・エルダ」
……いやよ。私にも、修道女としてのプライドがある。こんな恥ずかしいこと、今日こそは絶対に断らなければ。
もうこれ以上、彼に素直に従うわけにはいかない。
私は真っ赤になりながら、きつく目をつぶった。
「シスター・エルダ。はい、あ~ん」
「……ラファエル様。私、自分で食べられますから!」
私は、抗議の声を上げてラファエル様を見つめた――正確には、彼の掌の上に乗っている小皿を見つめていた。
小皿の上にあるのは、カップに入ったおいしそうな黄色いお菓子。私の大好物、はちみつプディングだ。ラファエル様はそれをスプーンでひとすくいして、私の口に運ぼうとしていた。
「見ての通り、私はすっかり元気になりました。ですから、もう『あ~ん』は必要ありません」
私は赤ちゃんでも介護のおばあさんでもない。だからいい加減、食事くらいは自分で摂らなければ。
「何をおっしゃるんですか、シスター・エルダ。あなたが昏睡状態から回復してから、まだたったの1か月半ですよ。『無理は禁物』と医師も言っていたでしょう? それに私は、ようやく目覚めてくれたあなたに心を尽くしたいんです」
そんなふうに言いながら、彼は私の唇をちょんちょんとスプーンでつついてきた。ああ、もう、本当に恥ずかしい……!
「これはただの食事ではなく、大切な嚥下トレーニングです。さあ、素直に口を開いて。私がシスターのために手作りした特製プディングを、たっぷり召し上がってくださいね」
「……ぅ」
「じっくり丁寧にリハビリを進めましょう。なんといっても、あなたは10年近く眠っていたのですから」
――10年。
『いばら病』という世にも奇妙な病気を発症した私は、長い昏睡状態に陥っていた。
いばら病は、国内に数人しか患者がいない極めて珍しい病気だ。体にツルバラの蔦のような痣が広がっていき、ある日突然に昏睡状態に陥ってしまう。
治療法は存在せず、おとぎ話の『いばら姫』のように眠り続ける。昏睡に陥ったいばら病患者を生かし続けるのは難しく、たとえ最新鋭の魔力鉱炉を実装した生命維持装置を用いたとしても、5年足らずで亡くなってしまうと言われていた。
言われていた……はずなんだけれど。
(でも、私は生きているのよね)
私は戸惑いがちに、ラファエル様を見つめた。
(私が無事に目覚めたのは、この子……いえ、このお方のおかげなのね)
このファルツ王国で指折りの名門貴族、アルシュバーン侯爵家。
若干23歳にして、その当主を務めるのがこのお方――ラファエル・アルシュバーン侯爵閣下なのだ。
(まさか路地裏で助けた孤児が、侯爵閣下になっていたなんて……!)
私と彼の出会いは13年前。
修道女である私は、路地裏でゴロツキに絡まれていた孤児を保護して一緒に暮らしていた。訳ありの子だとは思っていたけれど、まさか名門貴族のご令息だったなんて。
私がいばら病で昏睡状態になっていた10年のうちに彼の身辺は激変して、ご実家に戻って当主の地位に就いていたそうだ。そして彼はご実家の莫大な資産を投じていばら病の治療法を見つけ出し、私を目覚めさせてくれたのだという。
私は眠っている間に、ラファエル様にすさまじい借りを作ってしまっていた。一生かけてもお返しできない気がするのだが、一体どうしたらいいのだろう……?
「どうしましたか、修道女エルダ?」
元孤児とは思えない高貴なオーラを纏わせて、ラファエル様は再びご自身の手作りプディングを私の口へと運ぼうとしてきた。こんな凄まじい身分の方にプディングを作らせて食べさせるって……私ってどんなご身分よ?
「遠い昔にシスターは、地獄のような日々から私を救い出してくれました。だから今度は、私があなたにお返しをする番です」
……うぅ。そう言われてしまうと、断りづらい。
「さぁ……あ~ん」
長い葛藤の末、私は顔を赤くしながら口を開いた。
彼のスプーンがそっと舌先に触れる。
(んんっ、おいしい!)
ひんやり冷たいプディングのなめらかさ。口いっぱいに広がる蜂蜜とカスタード。あまりのおいしさに、羞恥を忘れて目を輝かせてしまった。
「まるでひな鳥のようですね。やはり、あなたはとてもかわいい」
「!?」
か、かわいいって……私、もうすぐ29歳なんですが……?
どう見てもあなたのほうがかわいくて、しかもお若いんですが??
羞恥に染まる私のことをうっとり見つめて、ラファエル様は幸せそうに笑っていた。
「あなたが元気を取り戻すまで、いいえ、その後も生涯に渡って私がしっかりとあなたをお守りします。身を尽くしてお世話しますので、安心して私にすべてを委ねてください」
(じ、冗談じゃないわ。育てた子に面倒見られるなんて、そんなのまるで介護じゃない! それにしても、まさか本当に私が目覚めるなんて。……これってやっぱり夢なんじゃないかしら)
いまだに信じられない気持ちで、私は修道女になってから今日までの日々を思い返していた――。
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