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【20】29歳の誕生日②
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(デートじゃない。デートじゃない。デートじゃない! これは絶対にデートじゃなくて、元シスターと元孤児の単なるお出かけよ)
馬車の中。窓の外に目をやりながら、自分自身に言い聞かせていた。引き返すことができない以上、オロオロしないで堂々と『単なるお出かけ』をやりきるしかないと思った。
ふと、窓ガラスに映り込んだラファエル様の姿に目が留まる。直接見るのは何だか気まずいので、窓ガラスに映った姿を見つめてしまった。
(……さすが侯爵家当主。着こなしが綺麗ね)
彼が身に纏っているのは、深みのあるボルドーのウェストコートとアイボリーのリネンシャツ。色調とデザインからは成熟した男性の風格が漂っていて、一般的には二十代後半以降の男性が好む服装だ――でも、彼はそれらを見事に着こなしていた。軽やかなベージュのジュストコールと色味を押さえたボトムスが、全体の調和を保っている。白手袋越しにも分かるほど指はすらりと長く、動きにまで気品が宿っているようだった。
惜しみない賞賛を送りたくなるくらい、ラファエル様の装いは完璧だ。……なぜか心臓がうるさくて困る。
(それにしても王都で街歩きだなんて、何年ぶりかしら……)
実は私は一度だけ、当時婚約者だったダミアンと王都でデートをしたことがあった。
あれはまだ14歳のときだったから、デートと言っても子どものお遊びみたいなものだけれど。ダミアンが、得意げに王都を案内してくれたのだった。
(……あのデートは、あんまり楽しくなかったわ。ダミアンが一方的に話してばかりだったし、あの人は早足で私を気遣ってもくれなくて、ヒールの靴でついていくのも大変だったな)
などと物思いにふけっていると、馬車は王都の目抜き通りに到着した。
「さあ、着きましたよエルダ。お手をどうぞ」
「ありがとう、レイ。………………?」
ラファエル様のエスコートで街に降り立った次の瞬間。私はふと、馬車のすぐそばに控えていた女性騎士に目を留めた。その女性騎士は二十代前半くらいで背が高く、切れ長の目が美しい人だった。
「……………………!?」
その女性騎士の顔に、私は釘付けになっていた。だって、この人とは遠い昔に会った気がするから……というか彼女は、間違いなく……。
「あなた、もしかして……バーネット!?」
間違いない。ミリュレー修道院で一緒に暮らしていた孤児のひとり、バーネットだ! 彼女は私を見つめ返してニカっと笑った。
「シスター。あたしのこと、覚えててくれたんですね」
「忘れるわけないでしょう!」
彼女の両手をしっかり握り、私は彼女を見上げた。
「バーネット。あなた、いったいどうして……」
「ラファエル様の手引きで、アルシュバーン侯爵家に仕えることになったんですよ。本日の護衛役はあたしが務めさせていただきますので、よろしくお願いします」
思いがけない再会の喜びに、胸が熱くなった。もっとバーネットと話したい。立派になったこの子と、もっと一緒に居たい。そう思って、私は彼女の手をぎゅっと握っていた。
しかしバーネットは、
「シスター。あたしとはまた、いつでもおしゃべりできますから。今日はせっかくのお誕生日なんですから、デートを楽しんでくださいよ」
言いながら、彼女はラファエル様のほうに視線を向けた。ふと見れば、ラファエル様がなぜか不自然な笑みを浮かべている。
(え? なに、その表情)
表向きは笑っているのだけれど、笑顔の奥から不満タラタラな感じが滲み出ている……。今の表情には見覚えがある。これは彼が拗ねているときの顔だ。
子ども時代の彼は、私が他の子ども達と仲良くすると、こういう表情になった。
懐かしくなって、私はクスクス笑ってしまった。
「……エルダ。何がおかしいんですか」
「いいえ? ちょっと懐かしくなってしまっただけ」
こういうときの、レイの機嫌の治し方ならよく覚えている。
「もう、レイったら。そんな顔をしないの」
そう言って、私は彼に笑いかけた。
「今日はせっかくのお出かけなんでしょう? 拗ねていないで、楽しみましょうよ」
10年前に戻った気分で私が言うと、レイは一気に機嫌を直した。
「それでは、行きましょう」
「ええ」
私と彼が歩き出すと、少し距離を置いて護衛役のバーネットも付いてきてくれていた。
***
すっかり気持ちがほぐれて、いつの間にやら私も街歩きを楽しむ気分になってきた。
「レイ。今日はどこに行くの?」
「まずはカフェに行きましょう。一番街にツッカークローネという人気店があるんですが、どうです?」
「ツッカークローネ? あのお店、今もあるの? 十代の頃に行ったことがあるけれど、店主のおじいさんが70歳を超えていたし、一番街じゃなくて裏通りでひっそり経営している隠れ家みたいなお店だったはずよ」
「9年前に息子夫婦が継いで、経営規模を広げたそうです。今では国内外に支店を出す超有名店ですよ」
「そうなの!? 行ってみたいわ! 私のはちみつプディングは、あのお店の味を真似した物なの」
「それは興味深いですね。ぜひ堪能したいです」
会話が弾み、気づけばお店に到着していた。
「エルダはお菓子が大好きでしたね。せっかくだからはちみつプディングだけでなく、プレッツェルとフラムクーヘンも頼みましょう。他にも気になるものがあれば」
そう言って、レイは思いついたものをどんどん注文していった。あっという間に、お菓子のお皿がテーブルの上にずらりと並ぶ。「いただきます」と言いながら、私はちょっと困惑していた。
「おいしそう。……でも、こんなに食べきれないわ」
「大丈夫ですよ。エルダが残したら、僕が全部食べるので」
「あら。あなたは少食だと思っていたけれど」
「それは子どもの頃の話です。今はたくさん食べますし、ましてやエルダとの食事ですから。美しい花の咲く席では、食べ物も一段とおいしくなるものです」
お菓子を味わいながら、レイはさらりとそんなことを言ってきた。本当に、すっかり女性の扱いに手慣れたものだ。
「あなたったら本当に、呼吸するみたいに甘い事ばかり言うんだから……。すっかり色男になっちゃったみたいだけれど、ご婦人方を泣かせたりしていないでしょうね」
「プレイボーイ? エルダは僕をそんなふうに思っていたのですか」
レイは、心底びっくりした様子で目を見開いていた。
「あなた以外の女性には、絶対にこんなことは言いません」
(婚約者には言わないの……? もしかして、婚約者には一線引いた態度で接していたりするのかしら)
あり得ない話ではない。相手の家格や派閥なども考慮すれば、マナーを最優先にすべきケースもあるだろう。
「それに、僕が言った言葉はすべて本心ですよ。エルダに対しては、嘘をつかないと昔から決めているんです」
レイの目があまりに真剣だったから、きっと本音なんだなと思った。
「そう。……分かったわ」
紫の瞳で、私をじっと見つめてくる。どきりとしそうになりながら、私は彼とは視線を合わさずお菓子のお皿をじっと見つめた。
(この人は本当に、私を大切に思ってくれているのね……)
私にだけ甘い言葉を囁いてくれるというのも、『かつての絆』を大事にし続けているからに違いない。嬉しくもあるけれど、私の心境は複雑だった。だって婚約者の女性が今の言葉を聞いたら、嫌な気分になるだろうから。
「あ。このプレッツェル、とても美味しいわ……。ほら、レイも食べてみて?」
敢えて話題を変えようと、私は笑ってお菓子を勧めた。
「いただきます。――ああ、本当においしいですね」
レイもそれ以上この話題を続けようとはせず、再びおいしそうに食べ始めた。
「侍女達への土産に買って帰りましょう。今後の茶菓子には、ぜひこの店をと伝えておきます」
「わぁ、すてきね!」
その後は他愛無い会話で盛り上がり、いつの間にかテーブルいっぱいのお皿が空っぽになっていた。
「……本当に全部食べ切っちゃった。甘いものの摂り過ぎでドクター・ピーナに怒られないかしら」
「1日くらい平気です。せっかくの誕生日ですから、楽しみましょう」
そう言って、彼は私をお店の外へと導いた。
レイは会話のリードがうまくて、エスコートの仕方も洗練されている。だから一緒にいるだけで、ついフワフワと気持ちよくなってしまう。大通りを歩く最中も、さりげなく私を気遣ってくれていた。
ゆっくり歩調を合わせてくれるし、私が疲れていないか、さりげなく見守り続けているのを感じる。こまめに休息を挟んでいるのも、病み上がりの私を気にかけているからだろう。
――優しいな。
こんなに優しい彼だからこそ、絶対に幸せになってほしい。私の存在が足かせになってはいけないし、幸せな結婚をしてほしい。
(……今日だけよ、エルダ。レイとの街歩きを楽しんでいいのは、今日だけ。誕生日が終わったら、いつもみたいに距離を置くの)
私が心の中でそう誓っていると、彼はふと足を止めた。
「この店に寄りませんか」
「え?」
私は顔を上げるまで、何のお店の前にいるのか気づかなかった。
目の前にあったのは、王室御用達の名門ジュエリーサロンだ。なんとなく歩いていただけのつもりだったのに、気づけば、彼に導かれるままこの店の前に立っていた。
「あなたに似合うものが見つかると思うので」
「えっ。いえ……あの……」
さりげなく肩を抱かれて、お店の中へと入ってしまった――いや、ジュエリーサロンって。元シスターと元孤児が行くような場所じゃなくない!?
馬車の中。窓の外に目をやりながら、自分自身に言い聞かせていた。引き返すことができない以上、オロオロしないで堂々と『単なるお出かけ』をやりきるしかないと思った。
ふと、窓ガラスに映り込んだラファエル様の姿に目が留まる。直接見るのは何だか気まずいので、窓ガラスに映った姿を見つめてしまった。
(……さすが侯爵家当主。着こなしが綺麗ね)
彼が身に纏っているのは、深みのあるボルドーのウェストコートとアイボリーのリネンシャツ。色調とデザインからは成熟した男性の風格が漂っていて、一般的には二十代後半以降の男性が好む服装だ――でも、彼はそれらを見事に着こなしていた。軽やかなベージュのジュストコールと色味を押さえたボトムスが、全体の調和を保っている。白手袋越しにも分かるほど指はすらりと長く、動きにまで気品が宿っているようだった。
惜しみない賞賛を送りたくなるくらい、ラファエル様の装いは完璧だ。……なぜか心臓がうるさくて困る。
(それにしても王都で街歩きだなんて、何年ぶりかしら……)
実は私は一度だけ、当時婚約者だったダミアンと王都でデートをしたことがあった。
あれはまだ14歳のときだったから、デートと言っても子どものお遊びみたいなものだけれど。ダミアンが、得意げに王都を案内してくれたのだった。
(……あのデートは、あんまり楽しくなかったわ。ダミアンが一方的に話してばかりだったし、あの人は早足で私を気遣ってもくれなくて、ヒールの靴でついていくのも大変だったな)
などと物思いにふけっていると、馬車は王都の目抜き通りに到着した。
「さあ、着きましたよエルダ。お手をどうぞ」
「ありがとう、レイ。………………?」
ラファエル様のエスコートで街に降り立った次の瞬間。私はふと、馬車のすぐそばに控えていた女性騎士に目を留めた。その女性騎士は二十代前半くらいで背が高く、切れ長の目が美しい人だった。
「……………………!?」
その女性騎士の顔に、私は釘付けになっていた。だって、この人とは遠い昔に会った気がするから……というか彼女は、間違いなく……。
「あなた、もしかして……バーネット!?」
間違いない。ミリュレー修道院で一緒に暮らしていた孤児のひとり、バーネットだ! 彼女は私を見つめ返してニカっと笑った。
「シスター。あたしのこと、覚えててくれたんですね」
「忘れるわけないでしょう!」
彼女の両手をしっかり握り、私は彼女を見上げた。
「バーネット。あなた、いったいどうして……」
「ラファエル様の手引きで、アルシュバーン侯爵家に仕えることになったんですよ。本日の護衛役はあたしが務めさせていただきますので、よろしくお願いします」
思いがけない再会の喜びに、胸が熱くなった。もっとバーネットと話したい。立派になったこの子と、もっと一緒に居たい。そう思って、私は彼女の手をぎゅっと握っていた。
しかしバーネットは、
「シスター。あたしとはまた、いつでもおしゃべりできますから。今日はせっかくのお誕生日なんですから、デートを楽しんでくださいよ」
言いながら、彼女はラファエル様のほうに視線を向けた。ふと見れば、ラファエル様がなぜか不自然な笑みを浮かべている。
(え? なに、その表情)
表向きは笑っているのだけれど、笑顔の奥から不満タラタラな感じが滲み出ている……。今の表情には見覚えがある。これは彼が拗ねているときの顔だ。
子ども時代の彼は、私が他の子ども達と仲良くすると、こういう表情になった。
懐かしくなって、私はクスクス笑ってしまった。
「……エルダ。何がおかしいんですか」
「いいえ? ちょっと懐かしくなってしまっただけ」
こういうときの、レイの機嫌の治し方ならよく覚えている。
「もう、レイったら。そんな顔をしないの」
そう言って、私は彼に笑いかけた。
「今日はせっかくのお出かけなんでしょう? 拗ねていないで、楽しみましょうよ」
10年前に戻った気分で私が言うと、レイは一気に機嫌を直した。
「それでは、行きましょう」
「ええ」
私と彼が歩き出すと、少し距離を置いて護衛役のバーネットも付いてきてくれていた。
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すっかり気持ちがほぐれて、いつの間にやら私も街歩きを楽しむ気分になってきた。
「レイ。今日はどこに行くの?」
「まずはカフェに行きましょう。一番街にツッカークローネという人気店があるんですが、どうです?」
「ツッカークローネ? あのお店、今もあるの? 十代の頃に行ったことがあるけれど、店主のおじいさんが70歳を超えていたし、一番街じゃなくて裏通りでひっそり経営している隠れ家みたいなお店だったはずよ」
「9年前に息子夫婦が継いで、経営規模を広げたそうです。今では国内外に支店を出す超有名店ですよ」
「そうなの!? 行ってみたいわ! 私のはちみつプディングは、あのお店の味を真似した物なの」
「それは興味深いですね。ぜひ堪能したいです」
会話が弾み、気づけばお店に到着していた。
「エルダはお菓子が大好きでしたね。せっかくだからはちみつプディングだけでなく、プレッツェルとフラムクーヘンも頼みましょう。他にも気になるものがあれば」
そう言って、レイは思いついたものをどんどん注文していった。あっという間に、お菓子のお皿がテーブルの上にずらりと並ぶ。「いただきます」と言いながら、私はちょっと困惑していた。
「おいしそう。……でも、こんなに食べきれないわ」
「大丈夫ですよ。エルダが残したら、僕が全部食べるので」
「あら。あなたは少食だと思っていたけれど」
「それは子どもの頃の話です。今はたくさん食べますし、ましてやエルダとの食事ですから。美しい花の咲く席では、食べ物も一段とおいしくなるものです」
お菓子を味わいながら、レイはさらりとそんなことを言ってきた。本当に、すっかり女性の扱いに手慣れたものだ。
「あなたったら本当に、呼吸するみたいに甘い事ばかり言うんだから……。すっかり色男になっちゃったみたいだけれど、ご婦人方を泣かせたりしていないでしょうね」
「プレイボーイ? エルダは僕をそんなふうに思っていたのですか」
レイは、心底びっくりした様子で目を見開いていた。
「あなた以外の女性には、絶対にこんなことは言いません」
(婚約者には言わないの……? もしかして、婚約者には一線引いた態度で接していたりするのかしら)
あり得ない話ではない。相手の家格や派閥なども考慮すれば、マナーを最優先にすべきケースもあるだろう。
「それに、僕が言った言葉はすべて本心ですよ。エルダに対しては、嘘をつかないと昔から決めているんです」
レイの目があまりに真剣だったから、きっと本音なんだなと思った。
「そう。……分かったわ」
紫の瞳で、私をじっと見つめてくる。どきりとしそうになりながら、私は彼とは視線を合わさずお菓子のお皿をじっと見つめた。
(この人は本当に、私を大切に思ってくれているのね……)
私にだけ甘い言葉を囁いてくれるというのも、『かつての絆』を大事にし続けているからに違いない。嬉しくもあるけれど、私の心境は複雑だった。だって婚約者の女性が今の言葉を聞いたら、嫌な気分になるだろうから。
「あ。このプレッツェル、とても美味しいわ……。ほら、レイも食べてみて?」
敢えて話題を変えようと、私は笑ってお菓子を勧めた。
「いただきます。――ああ、本当においしいですね」
レイもそれ以上この話題を続けようとはせず、再びおいしそうに食べ始めた。
「侍女達への土産に買って帰りましょう。今後の茶菓子には、ぜひこの店をと伝えておきます」
「わぁ、すてきね!」
その後は他愛無い会話で盛り上がり、いつの間にかテーブルいっぱいのお皿が空っぽになっていた。
「……本当に全部食べ切っちゃった。甘いものの摂り過ぎでドクター・ピーナに怒られないかしら」
「1日くらい平気です。せっかくの誕生日ですから、楽しみましょう」
そう言って、彼は私をお店の外へと導いた。
レイは会話のリードがうまくて、エスコートの仕方も洗練されている。だから一緒にいるだけで、ついフワフワと気持ちよくなってしまう。大通りを歩く最中も、さりげなく私を気遣ってくれていた。
ゆっくり歩調を合わせてくれるし、私が疲れていないか、さりげなく見守り続けているのを感じる。こまめに休息を挟んでいるのも、病み上がりの私を気にかけているからだろう。
――優しいな。
こんなに優しい彼だからこそ、絶対に幸せになってほしい。私の存在が足かせになってはいけないし、幸せな結婚をしてほしい。
(……今日だけよ、エルダ。レイとの街歩きを楽しんでいいのは、今日だけ。誕生日が終わったら、いつもみたいに距離を置くの)
私が心の中でそう誓っていると、彼はふと足を止めた。
「この店に寄りませんか」
「え?」
私は顔を上げるまで、何のお店の前にいるのか気づかなかった。
目の前にあったのは、王室御用達の名門ジュエリーサロンだ。なんとなく歩いていただけのつもりだったのに、気づけば、彼に導かれるままこの店の前に立っていた。
「あなたに似合うものが見つかると思うので」
「えっ。いえ……あの……」
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