29歳のいばら姫~10年寝ていたら年下侯爵に甘く執着されて逃げられません

越智屋ノマ

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【25】この夜が明けたら/ラファエル視点

――明日になったら、エルダに想いを伝えよう。そしてあのを、ありのままに伝えよう。
仲間達に囲まれて幸せそうに泣くエルダを見つめ、私は心の中でそう誓った。

   *


誕生日パーティを終えた後、私は執務室でひとり、思いを巡らせていた。
(みんなに会えて、エルダはとても幸せそうだったな……)

幸せそうなエルダを見るのは、私も嬉しい。だが、それと同時に彼ら彼女らへの嫉妬心も芽生えてくる。私にだけ向けてほしいあの笑顔を、他の者に向けるのは不満だ。私だけのエルダであって欲しいのに。

10年前のガラス玉プレゼントをエルダが嬉しそうに愛でていたときも、本当は悔しかった。過去の自分のプレゼントを、あんなにうれしそうに受け取るなんて。今の私が贈った物にはつらそうな顔をしたのに、子ども時代のプレゼントなら無防備に笑って受け取ってくれるのだ。

……無条件に愛してもらえた子ども時代の自分を、妬ましいとさえ思ってしまう。過去の自分にまで嫉妬してしまうのだから、他人ならばなおさらだ。思考に浸っていると、家令のグレンナが入室してきた。

「エルダはずいぶん幸せそうだったじゃないか。あんたも意地が悪いねぇ、あんなに喜ぶならもっと早く顔を見せてやればよかったんだ」
「……誕生日のサプライズです」

「はっ。そんなこと言って、魂胆が透けて見えてるよ? 本当はなるべく自分以外をエルダの目に入れたくなかったんだろ? 相変わらず余裕がないねぇ」

見透かしたような顔をして、グレンナは唇を吊り上げている。……本当に、この老婆ときたら。
「少しは身の程を弁えてはどうですか、グレンナ。8年前に修道院から追放されたあなたを、雇って差し上げた恩をお忘れですか?」

「そりゃ、お互い様だろ? あたしと子どもたちが来なければ、あんたはアルシュバーン家を乗っ取ることはできなかった。その恩を忘れちゃいないだろうね?」
本当に口が減らない老婆だ。エルダはグレンナが亡くなったものと勘違いしていたらしいが、グレンナはたぶん殺しても死なない。

「……まあ、確かに感謝していますよ。あなたがたの助力がなければ、義母の魔の手からエルダを守り切るのは難しかったでしょう」

私はそっと目を閉じて、ミリュレー修道院から侯爵家に戻って以降の日々に思いを馳せた――。

   *

シスター・エルダを救うため、当時13歳だった私はアルシュバーン侯爵家へと戻った。アルシュバーン侯爵夫人は、私の頬を強かに打って罵ってきた。

『逃げ出すだなんて恩知らずな子……! お前がいない間に、当家は大変な不幸に見舞われたのですよ? 夫が亡くなった今、暫定的にわたくしに当主代理の座が移ってはいるものの、このままでは分家に侯爵位を奪われるでしょう……。ああ、忌々しい……わたくしの利権を奪われてなるものですか!! まあ、愚鈍なお前にはどうせ理解できないでしょうけれどね!』

侯爵夫人の金切り声を、私は怯える演技をしながら聞いていた。

『ラファエル。お前を養子に迎えてやるから、ありがたく思いなさい! そうすれば、庶子であるお前にも爵位継承権が特例法で認められるのです。わたくしを母と敬い、次期侯爵を名乗りなさい』

侯爵夫人は私を操り人形にして、実権を自分で握るつもりでいた。
(愚かな女だ。僕の覚悟も知らないで……)
心の中ではほくそ笑み、しかし表向きは従順な態度で私は侯爵夫人に首を垂れた。

『僕を必要としてくださって、本当にありがとうございます。――お母様』

もちろん私は、この家の実権を奪い取ってやるつもりでいた。アルシュバーン家の全財産を手に入れて、シスター・エルダの延命と治療のために注ぎ込む――そのためならば、侯爵夫人の操り人形を演じるなんて簡単だ。必要なのは、覚悟だけだった。

母親思いの優秀な息子を演じつつ、どんどん侯爵家の内政に踏み込んで行った。アルシュバーン侯爵家は表向き好調に見えたが、一歩踏み込めば問題だらけだ。領地の立て直しを図るとともに、私は裏でじわじわと力を強めていった。

義母が私の真意に気付いたのは、数年経ってからのこと。義母と私は水面下で苛烈な権力争いを繰り広げた。

主導権の奪い合いで疲弊していた私にとって、ただ一つの癒しがシスター・エルダの存在だった。
『……シスター・エルダ。あなたは今、どんな夢を見ているのですか?』
生命維持装置につながれ、王都内の病院で昏々と眠り続けるシスター・エルダ。わずかでも時間ができれば、私は必ず彼女のもとに通っていた。

――しかし。そんなある日、事件が起こった。

シスター・エルダの病室に忍び込み、彼女の生命維持装置を停止しようとする輩が現れたのだ。私がそれを阻止できたのは、幸運としか言いようがない。間一髪で悪漢をくい止め、義母が差し向けた者だと知った。

あの女は私を苦しめるためだけに、シスター・エルダを殺そうとしたのだ。

私は激しい憎悪に襲われ、同時にとても怖くなった。私一人では、シスター・エルダを守り切れない。だから私は、ミリュレー修道院のマザー・グレンナに助力を求めようとした。

修道会内部の揉め事で、マザー・グレンナが院長の座を奪われたのはその頃だ。だから私はマザー・グレンナを誘った――『私と一緒に、侯爵家を乗っ取らないか?』と。

そこから先は、あっという間だ。
マザー・グレンナと12人の孤児たちが侯爵邸に結集し、全員が私の部下になった。ひとりひとりが極めて有能な人材であり、しかも全員がシスター・エルダを救いたいという強い意志で繋がっている。仲間たちの存在は、拮抗していた私と義母のパワーバランスを変えるのに十分な戦力だった。

権力争いに敗れた義母は精神を病み、今では領内で療養生活を送っている。このまま一生、軟禁同然の療養生活を送らせるつもりだ。

万難を排して名実ともにアルシュバーン侯爵家の頂点に立った私は、ありとあらゆる情報を求め、エルダのいばら病を治そうとした。そして今から6年前に『新大陸でいばら病の治療法が見つかった』という情報を聞きつけ、現地に出向いて最先端の生命維持装置と専門医派遣を求めたのだ。

専門医であるドクター・ピーナは、いばら病の治療法を教えてくれた――単なる延命ではなく、病気を根本的に直す方法だ。危険を伴う方法だったが、エルダを救えると聞いた私は躊躇わなかった。

そして治療を続けること5年目にして、とうとうエルダは目覚めてくれたのだ――!

 
   *

「――で。どうするんだい、旦那様?」
とグレンナに呼び掛けられて、私の意識は現実へと引き戻された。回想に浸っていたため、グレンナの話などまったく聞いていなかった。

グレンナが、呆れた目をしてこちらを見ている。
「どうせエルダのことばかり考えて、あたしの報告を聞いてなかったんだろう? まったく困った坊やだね」

……図星だが、本当に不敬な老婆だ。

「仕方ないね、もう一度言うからよく聞きな。旦那様あんたが王都に戻ったあと、領内で塩の価格が不自然に高騰し始めた。どうやらまたデヴォン侯爵家が裏で糸を引いているようだ」

またデヴォン家か――。私は淡々とした口ぶりで、グレンナに指示を出した。

「経済の混乱を避けるのが最優先です。備蓄塩を市場に放出して、価格の安定化を図りましょう。同時にデヴォン家の息がかかった商会を暴き出し、その商会にスパイを送って情報を集めさせてください」

「なかなか面白いやり方じゃないか。気に入ったよ」
当家と因縁浅からぬ仲にある、デヴォン侯爵家。領地内におけるデヴォン侯爵家対策は、家令グレンナに委ねているところが大きい。私は、引き続きデヴォン家への対策を怠らないようグレンナに指示した。

「そういえばもうひとつ、デヴォン家関連のネタがあるよ」
「ネタ?」
「ああ。とびきりのスキャンダルになりそうなネタさ。侯爵の愛人の一人がとんでもないバカ女でね、うまく利用すればデヴォン侯爵の鼻を明かしてやれるはずだ」

……くだらない。と、私は心の中で溜息をついていた。デヴォン侯爵は好色家で有名な老人で、あちこちに愛人を囲って爛れた生活を送っている。だから火種は多いはずだが、揉み消すのが巧いのか目立ったスキャンダルはない。

「グレンナ。その件については、あなたに一任します」
「はいよ」

本音を言えば、デヴォン侯爵と愛人のスキャンダルなんて私にはどうでもいい。くだらない連中のことを頭から排除して、エルダとの今後について考えたかった。そんな私の胸の内を見透かすように、グレンナはニヤリと笑っている。

「あんたは相変わらず、エルダのことになると余裕がないね。そんなに愛しいなら、さっさと手を付けてしまえばいいじゃないか」

思わず、不快に眉をひそめた。
「知ったような口を利かないでください。心まで手に入れないと意味がないんです」
「そんなもんかねぇ」
肩をすくめると、グレンナは退室していった。


ぱたん。と扉の閉まる音を聞き、私は溜息を吐き出す。おもむろに、手袋を嵌めた自分の右手を見つめた。

手袋を外す。
腕のほうから甲に向けて、私の手にはが張り巡らされていた。

――そう。これはかつてのエルダと同じ、いばら病の痣だ。

「ずいぶんと目立つようになったな」
私の胸や背には、いばら病の痣がある。時間をかけて広がった痣は最近では腕や手にも伸び、手袋で隠さなければならなくなった。

私の痣をエルダが知れば、きっと理由を問いただそうとするだろう。だから私は、彼女の前では手袋を外さないと決めている。

「どれだけ痣が広がろうと、かまうものか。この程度のことで、エルダが助かるのだから」

5年前、私は自身の体にいばら病の毒素を注入する処置を受けた――エルダを目覚めさせるために必要な処置だ。私の体内に巡るこの毒は、エルダを救うとなる。


私が痣を見つめていると、柱時計が夜十時の鐘を鳴らした。
「……もう『投薬』の時間か」
私は執務室を出て、エルダの部屋へと向かっていった。合鍵を使って、物音を立てず部屋に入る。エルダはぐっすり眠っていた。

(――エルダ)


眠るエルダに近寄ると、私は彼女にキスをした。


柔らかな赤い唇と、微かに石鹸の香る肌。情欲を掻き立てられ、愛しさに胸を締め付けられるーーだが、自らを律して部屋から立ち去った。

(私のこんな行いを知れば、あなたは軽蔑するだろう。――だが、私のキスを受けなければ、あなたは再び昏睡に陥ってしまう)


そう。
エルダのいばら病はまだ、完治していない。そして私の口づけこそが、エルダを生かす『薬』になるのだ。

自身の体に毒を植え付けた5年前から、何度も何度もエルダの唇を奪ってきた。私が彼女に施している治療法――これは、『抗毒素舌下療法』と呼ばれている。

発病者エルダの血液から採取した病毒を科学処理により弱毒化させ、他者わたしの体内に投与する。そうすることで、私の体内で『抗毒素』と呼ばれる物質が生成されるのだ。抗毒素は私の唾液腺に凝縮され、それをエルダにキスする形で投与する。

おとぎ話のいばら姫は一度きりの口づけで目覚めたが、エルダを目覚めさせるには、気の遠くなるような回数のキスが必要だった。

弱毒化してあるとはいえ、毒は毒。私自身に投与する際には拒絶反応で即死する可能性もあると聞いていたが、私は躊躇わなかった。エルダが助かる可能性があるのなら自分の命など喜んで差し出せる。

(どんな手を使ってでも、私がエルダを守ってみせる。……私だけのエルダだ。死神にだって渡さない)



執務室に戻った私は、深く呼吸をしてから呟いた。
「……エルダ。この夜が明けたら、あなたに事実を伝えます」
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