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【30】惨めな女の幕引き
「――エルダ!」
鋭く叫ぶその声は、レイの声だった。十数名の騎士を連れ、血相を変えて駆け込んでくる。同行する騎士の中には、バーネットやセージ達の姿もあった。
倉庫街で繰り広げられる、突如の戦闘。アルシュバーン家の騎士達は瞬く間に悪漢どもを鎮圧し、キャロラインは愕然とした顔でその場に立ち尽くす。
一方の私は、レイにきつく抱きしめられていた。息を切らせ、おびただしい汗を流しながら、レイは私を抱く両腕に力を込めている。
「……エルダ。こんな目に遭わされていたなんて」
彼は悔しそうにそう言うと、私が口に嚙まされていた布をほどいてくれた。
騎士達が悪漢に縄を掛けて引きずり出していく中、レイは冷たい声をキャロラインに投じた。
「貴様は、デヴォン侯爵家のキャロライン第九夫人だな」
不潔なゴミを見るような視線を、レイはキャロラインに向けていた。
「エルダの拉致を試みた罪は重いぞ。覚悟はできているだろうな、第九夫人」
「ひっ」
絶世の美男子の、刃物のように鋭い視線。敵意を向けられたキャロラインだけでなく、つい私まで顔を引き攣らせてしまった。
「ア、アルシュバーン侯爵閣下………………。あ、あの…………」
しどろもどろになりながら、キャロラインは必死に取り繕おうとしていた。
「ら、拉致だなんてそんな……。わたくしはただ、姉に会いたかっただけですのよ?」
そういえば昔から、キャロラインは神経が太い子だった。今もまた、何とかこの場をやり過ごそうと頭を巡らせているようだ。やがて方針が決まったらしく、媚び入るような笑みを浮かべた。
「こうして閣下と直接お話をさせていただくのは、初めてですわね……! ああ、なんて美しい殿方なのかしら。閣下はお姿だけでなく、お心も素晴らしいに違いありませんわ……!」
そんなことを言いながら、キャロラインは一歩ずつこちらに近寄ってきた。
「奇病を解明するための医療研究をなさっているだなんて、本当にすばらしいお方! その研究がとうとう実を結んで、姉は目覚めたんですわね……家族としてお礼を言わせてくださいませ」
「……家族だと?」
レイが冷たく呟いた。
「ええ! 姉を目覚めさせてくれた閣下を、敬愛しますわ。……あなたのようにすばらしいお方と、お近づきになれたらどんなに素敵かしら!」
ねっとりとした声で言い、目をパチパチとしばたたかせながら。キャロラインはなおも近づいてくる。
「ねえ、アルシュバーン侯爵閣下。わたくしと仲良くしてくださらない? わたくしの夫があなたを困らせていることは、よくよく存じていますの。夫の弱みを教えますから、どうか今後はわたくしと――」
キャロラインが、右手をレイに伸ばしてくる。しかし彼女の手をレイは即座に払い落としていた。
「近寄るな、汚らわしい」
「!」
拒絶されるとは思わなかったらしく、キャロラインは顔面に深い皺を刻んだ。そんな彼女を、レイは鋭く断罪する。
「貴様の情報など不要だ。今回の愚行は、デヴォン侯爵家の社会的信用を大きく失墜させるだろう」
「……へ?」
ぽかん、とした顔でキャロラインは間抜けな声を漏らしていた。
「愛人が犯罪行為を働けば、デヴォン侯爵が管理責任を問われることになる。エルダを拉致しようとした罪と、当家の家令を恐喝した罪。貴様のこれら二つの罪を、王立裁判所に申し立ててやる」
「き、恐喝なんて……! それにエルダお姉さまはただの被験者で、用済みで放り出されたって……」
水を失った魚のように口をパクパクさせていたキャロラインは、やがてハッとした顔になり、マザー・グレンナを睨みつけた。
「こ、このババァ……! さては、わたしを騙したのね!?」
マザー・グレンナは明後日の方向を向いて聞こえないふりをしていた。……私には、いまいち状況が分からない。
レイが騎士の一人に「第九夫人を連れて行け」と命じる。騎士はすばやくキャロラインに縄をかけ、連行していった。
「いやぁあああ! ちょっと離して、離してよぉ――!!」
キャロラインの惨めな叫び声が、人気のない倉庫街に響いている。やがて残響の尾を引いて、彼女の声は聞こえなくなった。この場に残るのはレイと私とマザー・グレンナ。そして数名の騎士のみだ。
「――――はぁ」
レイは溜息をついてから、忌々しそうにマザー・グレンナを睨みつけた。
「グレンナ。あなたの処遇はどうしてやりましょうか」
「はて? なんのことでございましょうかね、旦那様?」
「貴様……」
ニヤニヤしているマザー・グレンナに食って掛かろうとしたレイを止め、私は彼に尋ねていた。
「どういうことなの!? 説明してよ……今のこと全部。私、全然わからないんだけれど!」
こんなところに連れ出された理由も。キャロラインに娼館送りにされそうになった理由も。レイが間一髪のタイミングで助けてくれた経緯も全然わからない。
混乱している私を見つめ、レイはもう一度溜息をついた。
「グレンナが、あなたを餌にしてデヴォン侯爵の愛人を罠にかけたのですよ。……まったく、こんなふざけた真似をするとは」
「おやおや、許可なら事前にお取りしたでしょう、旦那様? エルダの誕生日の夜に、『その件は一任する』とおっしゃったじゃありませんか」
「……っ!」
レイとマザー・グレンナが、また揉めそうになっている。相変わらず要領を得ない顔をしている私を見つめ、レイはこめかみに青筋を立てながら教えてくれた。
「デヴォン侯爵家と当家は敵対関係にありますが、今回の拉致未遂は第九夫人キャロラインの独断行為です。……エルダの近況を知ろうと接触してきた第九夫人を、グレンナが利用してデヴォン家を叩こうとしました」
「……レイは、マザーの計画を知っていたの?」
「そんな訳がないでしょう! 知っていたら、絶対にやらせません。グレンナの悪巧みを知ったのは、あなたが屋敷から逃亡した後のことです」
屋敷には、マザー・グレンナからの置き手紙が残っていたそうだ。その手紙にはキャロラインに伝えた偽情報の内容と、キャロラインとの取引日時と場所が書いていたらしい。
「馬車では到底間に合わず、三日三晩、馬を乗り継いでようやく間に合うかどうかのタイミングでした」
「旦那様が先回りできないように、日時設定には注意を払いましたのでねぇ。老骨に鞭打って考え抜いた作戦を、邪魔されてはかないませんから」
「今回ばかりは覚悟しろ、グレンナ」
「旦那様は年寄りにも容赦がございませんね。…………だがねぇ、頭を下げるのはあたしじゃなくて、お前たちじゃないのかい?」
……と。マザー・グレンナはいきなり口調を変えた。
「屋敷から引きずり出しでもしなきゃ、お前とエルダはごちゃごちゃ言い合ってばかりじゃないか。いい加減、その関係に白黒つけな。あたしは昔っから、グズが大嫌いなんだ」
「「……!」」
びしり。と、彼女は私達ふたりを指さした。その迫力が10年前とまるで変わらず、レイも私も絶句してしまう。
マザーは旅行鞄を一つ持つと、私たちの脇をすり抜けてつかつかと歩いていった。
「……グレンナ。どこへ行く気ですか」
「アルシュバーン領さ、切符は買ってある。……エルダはレイと一緒にお帰り」
まるでレイに処罰される可能性なんて、まったく考えていないような態度だ。マザーは振り返りもせず、そのまま歩き去っていったが――やがて突き当りの角を曲がる直前に、真顔でこちらをふり返った。
「エルダ、これだけは言っておく。『親代わり』だの何だのと、言い訳がましいことを考えるのはもうやめな。……私に言わせりゃ、あんたもレイも子どもなんだから」
マザー・グレンナを引き留めたいのに、何を言えばいいか分からない。そのまま彼女の姿は曲がり角の向こうに消えてしまった。
……嵐が去ったような静寂。
取り残された私とレイは、言葉を失くして立っていた。近くで控えていた二人の騎士が、ぽつりとつぶやくのが聞こえた。
「うわー……。やっぱり怖ぇな、あの婆さん」
「ほんと。昔から全然変わんないわ……」
そう呟いたのは、セージとバーネットだった。
鋭く叫ぶその声は、レイの声だった。十数名の騎士を連れ、血相を変えて駆け込んでくる。同行する騎士の中には、バーネットやセージ達の姿もあった。
倉庫街で繰り広げられる、突如の戦闘。アルシュバーン家の騎士達は瞬く間に悪漢どもを鎮圧し、キャロラインは愕然とした顔でその場に立ち尽くす。
一方の私は、レイにきつく抱きしめられていた。息を切らせ、おびただしい汗を流しながら、レイは私を抱く両腕に力を込めている。
「……エルダ。こんな目に遭わされていたなんて」
彼は悔しそうにそう言うと、私が口に嚙まされていた布をほどいてくれた。
騎士達が悪漢に縄を掛けて引きずり出していく中、レイは冷たい声をキャロラインに投じた。
「貴様は、デヴォン侯爵家のキャロライン第九夫人だな」
不潔なゴミを見るような視線を、レイはキャロラインに向けていた。
「エルダの拉致を試みた罪は重いぞ。覚悟はできているだろうな、第九夫人」
「ひっ」
絶世の美男子の、刃物のように鋭い視線。敵意を向けられたキャロラインだけでなく、つい私まで顔を引き攣らせてしまった。
「ア、アルシュバーン侯爵閣下………………。あ、あの…………」
しどろもどろになりながら、キャロラインは必死に取り繕おうとしていた。
「ら、拉致だなんてそんな……。わたくしはただ、姉に会いたかっただけですのよ?」
そういえば昔から、キャロラインは神経が太い子だった。今もまた、何とかこの場をやり過ごそうと頭を巡らせているようだ。やがて方針が決まったらしく、媚び入るような笑みを浮かべた。
「こうして閣下と直接お話をさせていただくのは、初めてですわね……! ああ、なんて美しい殿方なのかしら。閣下はお姿だけでなく、お心も素晴らしいに違いありませんわ……!」
そんなことを言いながら、キャロラインは一歩ずつこちらに近寄ってきた。
「奇病を解明するための医療研究をなさっているだなんて、本当にすばらしいお方! その研究がとうとう実を結んで、姉は目覚めたんですわね……家族としてお礼を言わせてくださいませ」
「……家族だと?」
レイが冷たく呟いた。
「ええ! 姉を目覚めさせてくれた閣下を、敬愛しますわ。……あなたのようにすばらしいお方と、お近づきになれたらどんなに素敵かしら!」
ねっとりとした声で言い、目をパチパチとしばたたかせながら。キャロラインはなおも近づいてくる。
「ねえ、アルシュバーン侯爵閣下。わたくしと仲良くしてくださらない? わたくしの夫があなたを困らせていることは、よくよく存じていますの。夫の弱みを教えますから、どうか今後はわたくしと――」
キャロラインが、右手をレイに伸ばしてくる。しかし彼女の手をレイは即座に払い落としていた。
「近寄るな、汚らわしい」
「!」
拒絶されるとは思わなかったらしく、キャロラインは顔面に深い皺を刻んだ。そんな彼女を、レイは鋭く断罪する。
「貴様の情報など不要だ。今回の愚行は、デヴォン侯爵家の社会的信用を大きく失墜させるだろう」
「……へ?」
ぽかん、とした顔でキャロラインは間抜けな声を漏らしていた。
「愛人が犯罪行為を働けば、デヴォン侯爵が管理責任を問われることになる。エルダを拉致しようとした罪と、当家の家令を恐喝した罪。貴様のこれら二つの罪を、王立裁判所に申し立ててやる」
「き、恐喝なんて……! それにエルダお姉さまはただの被験者で、用済みで放り出されたって……」
水を失った魚のように口をパクパクさせていたキャロラインは、やがてハッとした顔になり、マザー・グレンナを睨みつけた。
「こ、このババァ……! さては、わたしを騙したのね!?」
マザー・グレンナは明後日の方向を向いて聞こえないふりをしていた。……私には、いまいち状況が分からない。
レイが騎士の一人に「第九夫人を連れて行け」と命じる。騎士はすばやくキャロラインに縄をかけ、連行していった。
「いやぁあああ! ちょっと離して、離してよぉ――!!」
キャロラインの惨めな叫び声が、人気のない倉庫街に響いている。やがて残響の尾を引いて、彼女の声は聞こえなくなった。この場に残るのはレイと私とマザー・グレンナ。そして数名の騎士のみだ。
「――――はぁ」
レイは溜息をついてから、忌々しそうにマザー・グレンナを睨みつけた。
「グレンナ。あなたの処遇はどうしてやりましょうか」
「はて? なんのことでございましょうかね、旦那様?」
「貴様……」
ニヤニヤしているマザー・グレンナに食って掛かろうとしたレイを止め、私は彼に尋ねていた。
「どういうことなの!? 説明してよ……今のこと全部。私、全然わからないんだけれど!」
こんなところに連れ出された理由も。キャロラインに娼館送りにされそうになった理由も。レイが間一髪のタイミングで助けてくれた経緯も全然わからない。
混乱している私を見つめ、レイはもう一度溜息をついた。
「グレンナが、あなたを餌にしてデヴォン侯爵の愛人を罠にかけたのですよ。……まったく、こんなふざけた真似をするとは」
「おやおや、許可なら事前にお取りしたでしょう、旦那様? エルダの誕生日の夜に、『その件は一任する』とおっしゃったじゃありませんか」
「……っ!」
レイとマザー・グレンナが、また揉めそうになっている。相変わらず要領を得ない顔をしている私を見つめ、レイはこめかみに青筋を立てながら教えてくれた。
「デヴォン侯爵家と当家は敵対関係にありますが、今回の拉致未遂は第九夫人キャロラインの独断行為です。……エルダの近況を知ろうと接触してきた第九夫人を、グレンナが利用してデヴォン家を叩こうとしました」
「……レイは、マザーの計画を知っていたの?」
「そんな訳がないでしょう! 知っていたら、絶対にやらせません。グレンナの悪巧みを知ったのは、あなたが屋敷から逃亡した後のことです」
屋敷には、マザー・グレンナからの置き手紙が残っていたそうだ。その手紙にはキャロラインに伝えた偽情報の内容と、キャロラインとの取引日時と場所が書いていたらしい。
「馬車では到底間に合わず、三日三晩、馬を乗り継いでようやく間に合うかどうかのタイミングでした」
「旦那様が先回りできないように、日時設定には注意を払いましたのでねぇ。老骨に鞭打って考え抜いた作戦を、邪魔されてはかないませんから」
「今回ばかりは覚悟しろ、グレンナ」
「旦那様は年寄りにも容赦がございませんね。…………だがねぇ、頭を下げるのはあたしじゃなくて、お前たちじゃないのかい?」
……と。マザー・グレンナはいきなり口調を変えた。
「屋敷から引きずり出しでもしなきゃ、お前とエルダはごちゃごちゃ言い合ってばかりじゃないか。いい加減、その関係に白黒つけな。あたしは昔っから、グズが大嫌いなんだ」
「「……!」」
びしり。と、彼女は私達ふたりを指さした。その迫力が10年前とまるで変わらず、レイも私も絶句してしまう。
マザーは旅行鞄を一つ持つと、私たちの脇をすり抜けてつかつかと歩いていった。
「……グレンナ。どこへ行く気ですか」
「アルシュバーン領さ、切符は買ってある。……エルダはレイと一緒にお帰り」
まるでレイに処罰される可能性なんて、まったく考えていないような態度だ。マザーは振り返りもせず、そのまま歩き去っていったが――やがて突き当りの角を曲がる直前に、真顔でこちらをふり返った。
「エルダ、これだけは言っておく。『親代わり』だの何だのと、言い訳がましいことを考えるのはもうやめな。……私に言わせりゃ、あんたもレイも子どもなんだから」
マザー・グレンナを引き留めたいのに、何を言えばいいか分からない。そのまま彼女の姿は曲がり角の向こうに消えてしまった。
……嵐が去ったような静寂。
取り残された私とレイは、言葉を失くして立っていた。近くで控えていた二人の騎士が、ぽつりとつぶやくのが聞こえた。
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